舩井幸雄の「この人いいよ!」
このページでは、超幅広い舩井幸雄の人脈の中から、舩井幸雄がぜひ皆さまに紹介したいと思う人を、さまざまな角度からご紹介します。
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療術師 柳原 能婦子さん |
少し前に有名人がガンを告白したり、50代の若さでガンで亡くなったというニュースが相次いだことがきっかけで、改めて健康や、命の大切さについて思いを巡らせた方も多いのではないでしょうか。
今回ご紹介する療術師の柳原能婦子(やなぎはら のぶこ)さんは、舩井幸雄が病いで苦しんでいた晩年、実際に舩井幸雄に施術を行ったお一人です。もともと、娘さんが12才の時に突然右耳が聴こえなくなり、どんな医者も見放したその病いをどうしても治したいという一心であらゆる手を尽くし、見事に娘さんの耳を完治させたことがきっかけとなり、柳原さんは療術の道に入られました。いまでは、柳原さんの「母の愛」による治療を求めて、治療院には多くの難病を抱えた方々が訪れ、快復されているそうです。
今回は、ガンが簡単に改善される独自の治療法や、「舩井メールクラブ」への寄稿がきっかけとなり、カナダに呼ばれ、ダライ・ラマ14世からもらったという秘薬をベースに柳原さんが独自で編み出したという秘伝のレシピについてなどのお話を、東京・大崎にある柳原さんの治療院で伺いました。
プロフィール |
―今日はよろしくお願いします。柳原能婦子、先生はご自宅兼治療院が愛媛県松山市にあるとのことですが、こちらの東京の大崎にある治療院にも定期的にいらっしゃるのですね。
柳原:愛媛県松山市には現在は、1ヵ月に10日間くらいいるでしょうか。ほかは、この大崎の治療院に1ヵ月間に約8日は来ているでしょうか。この大崎の治療院は2012年に開業しました。そのほか、施術や講演などで大阪や沖縄にも行きます。
講演の依頼があると、それ以外の所にも行きますから愛媛県にいるのは長くても1ヵ月のうちで半月くらいでしょうか。
―そうですか。大変ご多忙でいらっしゃいますね。治療院に来られるのは難病の方が多いと伺いましたが?
柳原:そうなのでしょうかね。でも私にとっては、難病というのはないのですよ。
―それはどういうことでしょうか。
柳原:なぜかというと、病院のお医者さんは筋肉のことを調べないでしょう。骨はレントゲンで調べ、卵巣などは、MRIやエコー検査などで調べますけど、筋肉そのものがどうなっているかということをお医者さんは調べません。
―そうかもしれないですね。
柳原:ところが筋肉がどうなっているかを調べて、筋肉のバランスさえ取れたら、体はきれいに動くものなのです。
そういう意味で一番の難病というのは、ガンでしょうか。ガンは、転移するとかいろいろ言われますが、私はガンというのは、ウイルスか細菌が皮膚から体内に入って起こる症状だと思っています。ガンを生き物だと思っているのです。なぜならガンは成長していくじゃないですか。
そういう考え方をする一方で、細菌性やウイルス性などの病気は、最初から治療はできないのでお断りしています。
―細菌性やウイルス性の病気はお断りしても、細菌やウイルスが入ってきたことで起こると考えられているガンの治療は引き受けられているのですね。その違いはどういうものなのでしょうか?
柳原:ガンは生き物であり、筋肉をエサにして体の中で成長するでしょう。一方、その他の伝染性の細菌やウイルスによる病気は、菌だけが繁殖しており、筋肉をエサにして成長するわけではありません。またガンは、突然変異などと言われ、形をどんどん変えていきますが、細菌性やウイルス性の病気は、細菌の数が増えてくるだけで、細菌の形が変わっていったりはしないですよね。
―ということは、筋肉をエサにするようなガンに対しては、治療法が解っていらっしゃるということでしょうか?
●柳原さん流のユニークなガン治療法
柳原:そうですね。「初めに言葉ありき」という聖書の言葉があるでしょう。そこから、私は「ガンは生き物だから言葉が通じる」と思っているのです。だから、ガンには言葉がけをするのですよ。
―へー、ガンにどのような言葉をかけるのでしょうか?
柳原:まず、「私に巣食っているすべてのガン細胞さん」と呼びかけます。
次に「あのお釈迦様の手のひらに行きなさい」とガンに呼びかけます。そして「お釈迦様にあなた(ガン細胞)が住めるところに連れて行ってもらいなさい」と言います。「おみやげにご真言(何妙法蓮華異教(なんみょうほうれんげいきょう)や南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)など何でも)を持っていきなさい」とも言って。ご真言は(お釈迦様だけど)神道であっても何でもいいのです。とらわれなくていいのです。
そして患者さん本人も「何妙法蓮華異教」や「南無阿弥陀仏」などのご真言をいろいろ唱えるわけです。
さらにその真言は、一人で唱えるよりは何人もが唱える方がいいわけです。
―そうですね。
柳原:だから同じように、「○○○(患者さんの名前)さんのガン細胞さん、お釈迦様の手のひらに行ってください。お釈迦様の手のひらから、あなたが住めるところに連れて行ってもらってください」と友達や知り合いにもお願いしてくれるよう頼むのです。
方法はメールでいいのです。最近は、SNSなどもあって友達の数が多いじゃないですか。その内容をメールでポンと打って、皆にその言葉を言ってくれるようにお願いをするのです。
―メールを使って、その言葉を友達にも自分のために言ってくれるよう頼むのですか。
柳原:そうです。この方法で、ガンの人で治療院に来てくれた人はほぼ全員快復しました。
(メールなど)機械を使うことも大切です。私は何でも使います!そう言ったら、「(自分のために)そんなことを想っていない人はどうするの?」と聞いてくる人がいるのですが、それに対して私は、たとえ想わなくてもいいので、声に出して言葉でしゃべってくれるようお願いしてください、と言います。
患者さんで一人だけ亡くなった人がいましたが、その人は、悪かった症状がだんだん良くなってきたので(よくあることですが)、そのタイミングでお医者さんから「すぐに手術をしたらいい」と言われたのです。でも私はその人に「いま(手術を)したら死ぬよ」と言ったのですが、その人は「お医者さんも手術を勧めるし、家族もどうしても手術をしなさいと言うから」と言って、結局手術をして亡くなりました。
―なるほど。その方以外は皆、ガンが良くなっているとはすごいですね。
●日付を指定してガン細胞に出て行ってもらう!
柳原:また(ある月の)12日にいらっしゃった患者さんが「大腸ガンを手術した後、5ヵ所に再発したようです」と言います。それで(その月の)19日にもう一度病院で検査をして、その結果をみて方法を考える、と医者に言われたと言っていらっしゃいました。
ということは、19日までガン細胞が体の中にいたら、放射線治療をしたり再度手術をすることになるでしょう。だから、ガン細胞に言葉がけをする時に「18日までに出て行ってください」と最後につけておいてください、と言ったのです。「それ以上居座ったら殺しますよ」と言っておいてください、と言っておいたのです。
そうすると、その言葉を何人が言ってくれたのかはわかりませんが、19日の夜にその人から私のところに電話がかかってきて、「ガン細胞は転移していませんでした」と言われました。それが結果が出た最短の事例ですね。
―それはすごいですね。ガン細胞に、日付指定も通じるということですか。
そのように病院で普通の(西洋医学の)放射線治療や手術を受けている最中や後でも、言葉がけの効果はあるのですね。
柳原:ガンも生き物ですから言葉がわかるのですよ。ガン細胞も、そのままその人間の中に住んで(放射線治療や手術などで)殺されるよりは、お釈迦様の手のひらに行った方がいいわけですよ。この大きな宇宙の中には、ガン細胞が住めるところがあると思うのです。
そこに連れて行かれて、ガン細胞が集まると、「あ、あんたは乳ガンか」「あんたは肺ガンか」と言って、話もはずむかもしれないわけです。そしてそこにはガン細胞が好むエサなどもあるかもしれないのです。私たちが知らないだけで。
私の姉が乳ガンになったことがあって、比較的元気な時期に「いま手術をしなさい」と医者から言われました。それを姉から聞いて私は「手術はしたらいけないよ」と言って、先述したような一連のガンへの言葉がけをやってもらったのです。
それで頃合いをみて(触ったら胸にしこりがなくなったように感じたので)、姉に病院に行ってもらいました。するとお医者さんが触って同じように検査をすると「(ガンが)無くなっている。不思議だ」と私の前にレントゲン写真を持ってきてくれて言うのです。私が実際にガンが無くなった写真を見たのはそれが初めてでしたね。
他の人も、ガンが無くなったり消えたりした、と伝えてくれます。
●娘さんの難聴を見事に克服した経緯
柳原:また、私の娘が12才の時、右耳が突然聞こえなくなったのです。しばらくしたら、反対の耳も少し聞こえにくくなってきたと言うのです。それで18人くらいのお医者さんにかかったのですが、どこに行っても「もうこれは治らない」と言われました。
それを聞いて私は「あんたが治さないだけだろう」と思って、治療に関していろんな勉強し始めました。
―それが療術師になるきっかけになったのですね。それまではまったく治療に関わることはされていなかったのでしょうか?
柳原:全然関わっていませんでした。だから最初は何が何だかさっぱりわかりませんでした。現代医学で治らないのだったら、昔の医学書の中に何か治療につながる情報があるかもしれないと思って、愛媛県から東京の神保町の古本屋まで何度か通いました。何の本に(ほしい情報が)載っているかというのがわかったら注文もできますが、どの本に載っているかもわからないので、行って探すしかありません。古本屋さんで椅子を出してもらって、帰りの飛行機の時間ぎりぎりまでたくさんの本を読んで情報を探していました。
―そうですか。まさに「母の愛」ですね。
娘さんの難聴を改善させた可視光線の機械 |
柳原:もう「母の愛」しかないですよ。いろんなことを試みるのですがうまくいかず、ある時、娘は(健康な)弟(私の息子)と何が違うのか、ということを考えてみたのです。
そうしたら、「ああ、この娘は自然児じゃなかった」と思い至ったのです。というのも娘は、ほとんど外で遊んでいなかったのです。家の中でいつも本を読んだりしていました。
「それじゃあ、外と家の中の違いは何だろう」と考えると、「光」なんですね。
ある日、真赤な夕日を見て「あぁ、これは光だ!」と思って買ったのが、この可視光線の機械なんです。これは普通に売っている医療の機械です。もう30年以上経っているから古いですけどね。
この機械で娘に光を当て続けて20日目くらいかな、娘が「母ちゃん、聞こえる、聞こえる〜」と言うのです。もう娘が学校から帰ってくると、ずっとこの光を浴びせ続けていましたね。
現在、私の診療所にはこの可視光線の機械を何台か置いて使っています。
―なるほど。この可視光線の機械は、古本屋で見つけた本の中にあった情報なのでしょうか?
柳原能婦子さん著『手さぐりの施療所から』 (日本文学館著) |
柳原:いいえ、本の中の情報からではよくなりませんでした。この娘はちょっと違うのかもしれないと思って、ずっと悶々としていたのですが、ある日、お日様を見た時、ふと思ったのです。光がなかったら植物も何も生長しないじゃないかと。
この光での治療を始める前にも、やれることは何でもやっていました。
背骨はもうきれいに整えていましたし、食べる物にも気を遣っていました。食べることがあんまり好きではない子だったのですが。標高の高いところに住む人々や、寒いところのエスキモーなど、そういうところに住んでいる人たちの食べ物を調べてみると、みんなスープで食事をとっているようなのです。それでスープなら何でもいいと思って、とくに骨がいいと聞いて骨を買ってきて叩いて、圧力鍋で蒸してスープを作って飲ませていました。このように食事にも気を遣っていたので、可視光線の機械を使った時には体内の血などは、すでにきれいになっていたわけです。
―なるほど、体内をきれいな状態にしておいて、光を当てたのがまた良かったのでしょうね。娘さんはそれ以降はずっと耳は聞こえているのでしょうか?
柳原:もうずっと大丈夫です。いまはダイビングなんかもやって海中を潜ったりもしていますよ。この娘の耳がよくなった一連の流れについては拙著『手さぐりの施療所から』(日本文学館)でも書かせていただきました。
―そうなんですか、頼もしいですね。それがきっかけで、それ以降、柳原先生は治療に目覚めていかれたのでしょうか?
柳原:まあその頃、私は普通の主婦でしたし、娘の身体がよくなったらそれでもういいじゃないですか。私は本を読むのが好きだったり、また株をするのも好きだったのですよ。
―株をするのがお好きだったのですか!?
柳原:まあ、姉ほど好きではなかったのですがね(笑)。でも面白いですよね、上がったり下がったりと、うわーーという感じで。買っても買わなくても面白いですよね。
その当時、主人が銀行員だった関係で私たちの家族は2〜3年ごとに転居していました。それで松山市に転勤した時、友達で証券会社に勤めている人がいたので、その人に「私は株が好きで儲けることに興味があるのよ」と言ったりして(笑)。その時はちょうど日本がバブルの時期で何の株を買っても儲かる、何をしても儲かるという時期だったのですよ。
それでその証券会社に勤める友人に貯金を預けたら、膨大なお金になったのです。私は18歳から銀行に勤め始めましたが、その際、母に「お給料の1割ずつ貯金しておきなさい」と言われました。「何かしたいことがあった時に使えるように貯金をしておきなさい。そのお金はあなたのものだから、どんなに使おうと、どうしようと誰に何を言われることもないのよ」と。だから私はずっとお給料を貯めていたのです。その貯金があったというわけです。それを使って株を買って、膨大なお金を儲けました。
―そうなんですか、株とは意外ですね(笑)。
●ご次男の言葉で療術師への道を決意
柳原:でもそうやって株をしていたら次男に「母ちゃん、そんなことばかりせずに、(証券会社に勤める)友達がいるのだから、それはその人に任せておいたら」と言われて。
そんな時、テレビであるドキュメンタリー番組を見たのです。それは、米田倫子(よねだ みちこ)さんという小児麻痺の娘さんの『20才で立つ』というテーマの番組でした。
偶然、耳が聞こえなくなった私の長女の名前も倫子(みちこ)で、字も同じだったのです。しかも娘と同じ昭和39年10月生まれでした。その米田倫子さんは小児麻痺で生まれて、「立つ」というテーマの番組でしたが、「立つ」といってもいろんなところを紐でくくって、皆に引っぱられてやっと立てたという姿なのです。それでも「立てた」ということで、それがうれしいと感動しているドキュメンタリーでした。
それを見た次男が「母ちゃん、あんな人もいるのだから、株で騒いでおらずに、せっかく治療の勉強をいろいろしたのだから、人様の病気を治してあげたらどうか」というのです。そう言われたものだから、「それじゃあ、やってみようか」と決意して始めることにしたのです。
―そうなんですか。ご次男の言葉がきっかけだったのですね。
柳原:それでいざ治療院を始めたら、目ん玉の真っ白の赤ちゃんが来たりしてびっくりしました。
―目ん玉が真っ白? それは事故か何かで?
柳原:目も筋肉ですから、コロコロと目を動かしているうちに、そんなふうになってしまったのです。その治療には1年8ヵ月くらいかかりましたが、幼稚園にもすんなり行けましたし、いまでは大人になってもう車の運転も上手にしています。大人だったら「ここ痛い」「ここに響く」とかいろいろ返事してくれますが、赤ちゃんは泣くだけですから、気持ちがよくて笑っているのか、どうして笑っているのかもわからないので時間がかかりましたよね。
また、アスペルガー症候群とか自閉症とかいろいろな病名があるでしょう。これらは、人間のバランスをつかさどる骨のどこかが狂っているのです。だから何かわからなくなったりしたら、「あーっ」とか言って飛んだりするのです。そうしたら揺れるから、(骨が)調整されて少しまともになるようです。
「どうしてこの子は飛び跳ねるんだろうか」と先日、ある番組で言っていたのですが、私は「ああやって飛んだら骨が調整されて治るんですよ」と言ってやりたかったですね。家では飛んだりしなくても、デパートに行ったり、変わったものを見たりするとうれしくなって飛ぶんだと思います。また、ドンと壁などにぶつける子などもいますが、それもよくはわかりませんが、自分の中の何かを調整するためにするのですよ、彼らなりに。
―そうなんですか。じゃあ、子どもが飛んだりぶつかったりするからと言って、無理にやめさせたりしない方がいいのですね。
柳原:やめさせたりしない方がいいのですよ。そうする方が正常なんですよ。一緒に手をつないで飛んであげたら喜びますよ。そういうものなのです。
また、どの神経がどの内臓につながっているかというのも全部決まっているのです。肺も心臓も全部決まっています。
●『おりこうさん』でいいことづくめ
柳原:そして歯でカチカチと噛んだら(対になっている)内臓は一対ずつ動いて調整されてくるのです。昔は食べ物を口に入れたら30回噛みなさいと言っていました。日本にはお箸置きがありますよね。口に食べ物を入れたら、カツカツと何回も噛んでいたわけです。いまはそんなに噛んだりする人は少ないですよね。ちょっと噛んだら飲み物で流し込むという感じですよね。だから唾液も出ません。でもよく噛むことが大事なのです。
舩井幸雄先生はお食事も早かったじゃないですか。それもいいんですよ。一口30回も100回も噛んでいたら、朝から晩までごはんを食べてばかりになってしまいますからね(笑)。
だから食事でなかなかしっかり噛めないことを解決するために開発したのがこれです。
これは『おりこうさん』と名付けたのですが、元歯医者の方が作ってくれました。
―なるほど、この『おりこうさん』を口に入れてカチカチさせて噛むのですね。
柳原能婦子さんプロデュースの 『おりこうさん』 |
柳原:そうです。これを口の中でカチカチして噛み合わせるのです。これだけで噛み合わせの調整ができるのです。歯も、この歯は脳、ここは腸、などと歯一本につき、つながる内臓の神経が決まっています。それをカチカチとすることで背骨が正常になり、噛むから顎関節も整います。そして噛むことで歯列もきれいになります。ついでにこれを噛んでいたら、首のしわもきれいに伸びるのですよ。だから一日にいつでもいいので500回噛んでくださいと言います。
かっこが悪いと思ったらマスクしながらこの「おりこうさん」をカチカチと噛んでいたらいいのです。
―なるほど、便利ですね。柳原先生は独自で開発された『母の手』という器具も使って治療をされていますよね。これはどのようなものなのでしょうか?
舌を引っぱる治療法 |
『母の手』 |
柳原:『母の手』は、以前私の姉が脳梗塞になって、ずっとそれを治すことを調べて考えていたのです。瞑想もしていたら、ふと私の夢の中に「舌」が出てきたのですよ。それで「脳を治すのは舌だ」とひらめきました。
舌を引っぱったら、脳の中がうまくいくというのがわかりました。やり方はまず舌に指を巻きつけて、一旦上に舌を引き上げて、引き上げた瞬間にガッと下におろのですが、すごく痛いのです。だからそれをなんとかしようと考えて作ったものが『母の手』です。
そういうふうにして私の姉の脳梗塞がよくなったものだから、近所で噂になったわけですよ。姉も私と一緒でおしゃべりですから(笑)、「こうやったらいい」と私が姉に教えたやり方を姉が他の人に伝えるわけですね。そうしたら皆、少しずつよくなるんですよ。でも指でするとあまりに痛いから、本当によくなりたいと思っている人しかできませんよね。それで考えて作ったのが、この『母の手』なのです。
なんとか痛いことはせずに、誰がやってもできるようにしたいなと考えて考えて、自分の考えがまとまってはきたのですが、それでもわからないところがあったので、66歳の時に大学に入ったのです。
―66歳で大学に入られたのですか!?
柳原:はい。ある大学の先生に「生きた人間の身体を本当に治したかったら解剖学を勉強しなさい」と言われて、解剖学を大学で習いました。それで、筋肉系ネットワークの前後は、横のラインでつながっているので、鼻の穴と穴の下から上唇の上端までと肩先から頚椎、胸椎、腰椎、仙椎のすべての椎骨のひずみが手術することなく、『母の手』で矯正されることがわかりました。
―なるほど。ところで柳原先生は、舩井幸雄の病気も施術したことがあるのですよね。
●病気の舩井幸雄にも施術
柳原:舩井幸雄先生もこの(大崎の)治療院に来てくれたことがあるのですよ。その前には熱海の会社にも伺いました。
最初は筆談も交えて「治してな」って言われて。施術後、舩井幸雄先生はお茶をごくんと飲まれて、しゃべることができるようになりました。その時、舩井幸雄先生には「楽しみながらいろいろ(治療を)やっているのがいいですね」と言っていただけました。その後14日間は体調が良かったみたいです。でも15日目に歯医者に行って4時間口を開けていたらまた体調が悪くなったみたいで。「そりゃ先生、無理ですよ」と思いましたが……。
―そうですか。舩井幸雄の治療をされることになった経緯はどのようなものだったのでしょうか?
柳原:(夢をもって楽しく生きる会(幸塾)会長の)大下伸悦さんが「舩井幸雄先生の病気を治してあげてくれないだろうか」と私に言ってきたのです。それで熱海まで伺いました。ちょうど3年くらい前(2012年)でしょうか。
大下伸悦さんとは、「未来への羅針盤プロジェクト」(代表:藤原直哉さん)で大下さんが講師としていらっしゃっていて、そこに参加していた私と出会いました。2012年だったでしょうか。それで、私の施術法が面白いし簡単だから教えてあげてということで、長野県の南木曽にある大下さんの流水亭でも何度かお話しました。
その他、千島学説(※)を研究している会に呼ばれてお話してきたこともありますよ。
(※千島学説:生物学者 千島喜久男博士が1963年から提唱した学説。現代医学の常識とは全く異なる学説であるため、学会からは黙殺・敬遠・タブーとされてきている。)
私の治療を見た千島学説研究会の会員さんでもあったある先生が、私の考え方や療術方法が千島学説と似ていると言われたことがきっかけでした。
―そうなんですか。もともとは大下伸悦さんからのご縁なのですね。それと千島学説を研究する会でもお話されたことがあるのですね。「本物」を追究する方々で千島学説に注目されている人は多いですよね。
●『舩井メールクラブ』への寄稿がきっかけでカナダへ
舩井メールクラブの書籍化第一弾『すべては必要、必然、最善』(舩井幸雄著 ビジネス社刊)柳原能婦子さんの寄稿文も掲載されています。 |
柳原:ところで「舩井メールクラブ」への寄稿( 2013.4.25配信 )がきっかけでカナダに呼ばれて行ってきたのですよ。
「舩井メールクラブの発信文を読んで、ぜひ施術をお願いしたいので、来てください」とカナダからFAXが来ました。(2013年)6月にFAXがあって、その年の8月に行くことになりました。先方が飛行機のチケットなんか全部送ってきてくれて、助手として孫も連れてカナダへ行ってきました。
―そうですか、「舩井メールクラブ」へのご寄稿がきっかけでカナダへ。そういえば、柳原先生などの「舩井メールクラブ」の発信情報を載せた書籍『すべては「必要、必然、最善」』(2014年8月 ビジネス社)が発売されると、しばらく事務局には柳原先生へ連絡したいという方々からのお電話がひっきりなしにかかってきていました。
柳原:そうですか。おかげでいろいろな方から問い合せをいただきました。
それでカナダに行ったら、リンダ先生というビクトリア大学の演劇の先生が歩けないし声も出ないということで施術しました。それでリンダ先生はダライ・ラマ14世から「免疫が上がったら治る」と言われて、ある薬をもらったみたいなのですね。
―ダライ・ラマ14世からある薬をもらったのですか。
柳原:ダライ・ラマさんからリンダ先生がもらった薬は、免疫を上げるという仁丹みたいな粒でした。私はダライ・ラマさんには会っていませんが、リンダ先生がダライ・ラマさんからもらったというその薬を見せてくれて、「よく効くけど、自分は治ったからもういらないから」と言って私にくださったのです。
またそのカナダ滞在の3週間目の終わりの方に、私たちはロッキー山脈に車で行ったのですが、標高3000メートルを超えたところで私が高山病にかかってしまったのですよ。その時、そのダライ・ラマさんからの薬を5粒くらい飲んだのです。そうして5分くらいしたら体調がよくなりました。だから「これは良い」と思いました。
でもその薬が何でできているかわからないですよね。言葉もはっきり通じないし。でも帰国してからも、この薬が何でできているのか知りたい知りたいと思っていました。それは免疫を上げる薬で服用するものですが、つついてみて水に溶いてみました。それを、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で息ができない人や、手が腫れて動かなくなったりしている患者さんに塗ってみたのです。そうしたら、手が腫れていた人は塗ったところがしわになって「先生、手が動く」と言うのですよ。ほかにも「息がしやすくなった」とか、重症の患者の方の調子がすごくよくなったのです。
とはいえ、もらった薬はもう少ししかないですよね。「なくなったからまたください」というわけにもいきませんし。
●ダライ・ラマ14世からの薬を日本流にアレンジして作ってみる
柳原:それともう一つ、日本人に合うものをつくらなければいけないと思いましてね。免疫を上げるもので……何だろうかと思っていろいろ調べていたら、日本人でインド・チベットで活躍されているブッダ会の会長の中村 行明(ぎょうみょう)さんという方がいらっしゃることを知りました。
それでその中村さんにお会いして、私は「ダライ・ラマさんが持っていたこの薬をもらって日本流に作りたいのですが、何でできているか教えてくれませんか?」と聞いてみました。
すると中村さんは「いろいろなたくさんのスパイスを有機水銀で練って形をつくって、その後、僧侶さんらがお祈りをして、皆にお渡ししているものです」と教えてくれました。
それを聞いて「日本でスパイスって何?」とまわりに聞いてみたら、皆が「塩・こしょうだ」と言うのですよ。誰でも知っていますよね、塩・こしょうは(笑)。それでインド料理を食べに行ったり、スパイスをいろいろ付けて食べたり、いろんなお国自慢の料理を食べに行ったりして、何だろう何だろう……と考えていました。
それでふと「スパイスというのは、お料理そのものをもっとおいしくするためにON(追加)するものだ」と思ったのですよ。お刺身も醤油で食べたらおいしい、わさびをつけたらおいしい。でもそれらがなくても食べられるじゃないですか。よりおいしくなるもので、誰でも手に入れられて安く、そしてすぐにできるもの……。そうやってずっと考えに考えて到達したのが、これだったのです。
―そうなんですか(笑)。これは、煮干しと昆布に水を入れておいただけのものですよね。
煮干しと昆布でとったお出汁 |
柳原:そうです。お出汁(だし)です。日本では昔は、これでお母さんがお味噌汁を作っていたのです。それが50年以上前にインスタントのお味噌汁ができたりして、それからだんだん面倒というのもあって、出汁からちゃんととったお味噌汁を作ることが減ってきたと思います。
この煮干しと昆布でとった出汁を飲んだり、体に塗ったりしてもとてもいいのです。
(出汁は)美味しかったでしょうか?
―(出汁をいただいて)そうですね。おいしいです。
柳原:私はこの出汁を作るたびにおいしく飲みます。
またこの出汁を手など体にも塗ります。皮膚に入っていくでしょう。お肌がきれいになるから化粧品屋さんも怒りだすかもしれないねぇと言ってね(笑)。乾いたら何回でも重ねて塗るのです。昆布は海の植物ですし、煮干しはタンパク質となり筋肉をつくります。
煮干しには養殖せずに自然にいる小魚が使われています。だからよく効くのではないかなと思います。
私は親業の峠を過ぎて、死の準備ができた頃からいろいろなことを考えていました。
ヒポクラテスの言葉に「食で治せない病気は医療もこれを治せない」とあります。
また言い伝えに、両手両足をもがれても死なないのに、皮膚の3分の1焼けると死ぬ、とあります。だから皮膚というのはとても大切なのですね。
(皮膚には)記憶能力があったりするでしょう。皮膚というのは、ここから入ったらいけないという関所ですよね。「イヤッ」と思ったら閉じたり、寒かったり熱かったりしても鳥肌が立ったりしますよね(まあたまには関所破りもいるかもしれないけど)。
―そうですね。皮膚は刺激に反応して、身を守ってくれますよね。
柳原:だから皮膚は、口であって鼻であって目であって耳であって、汗をかいたりして排泄器官でもあるのです。だから重金属が体にたまっている人は、この出汁を皮膚に塗っているとキラキラとした重金属が出てきますよ。
―なるほど。この出汁を皮膚に塗るのもいいのですね。また、この出汁はとても手軽に作れますが、レシピは皆に教えているのでしょうか?
柳原:もちろんです。煮干しと昆布を水に入れておくだけで出来上がります。舩井メールクラブへの寄稿がきっかけでカナダに行くことになって、リンダ先生からダライ・ラマ14世から譲り受けたというサプリメントをもらい、それをベースにこの出汁が生まれました。言うなればこの出汁は、舩井幸雄先生がいないとできなかったのです。
―そうですか。舩井幸雄も喜びますね。つまるところ、伝統的な日本食に人間の身体がよくなるような要素があるということですね。
柳原先生、今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。
(インビュアー:藤原かおり)
舩井幸雄よりのコメント 知人の紹介で私宅まで私のカラダを診に来てもらったことから彼女(柳原さん)と親しくなり、この本(『手さぐりの施療所から』)も知り、個人的にも付きあいをはじめました。東京で、彼女が行なっている施療所へも訪問して施療を受けました。
たしかに調子がよくなるのです。続ければもっとよいように思います。(中略)
(『手さぐりの施療所から』を)私は自分で体験しながら読んだので、非常に参考になった本です。ぜひ難病で苦しむ方も、そのような知人をお持ちの方にも、お知らせしたいと思い、ここに紹介したのです。(中略)
ともかくこの本には実例が、ありのまま山ほど記されてあり、それだけでも参考になりますが、人はだれでも病気を治しうる力を持っているようだと思いました。 |
(※柳原能婦子さんへの治療の依頼やご質問などは直接、FAX:089−978−2613にご連絡願います。)
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