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トップが語る、「いま、伝えたいこと」

このページでは、舩井幸雄が(2014年1月19日の舩井幸雄の他界後は舩井勝仁が)いま一番皆様に知ってほしい情報をタイムリーにお伝えしていきます。
毎週月曜日定期更新
2014年5月26日
自由と義務のバランス (※舩井勝仁執筆)

 先日朝、都内の電車での出来事です。ちょうど通勤ラッシュの時間で、座っている人はじっと目を閉じていたり、携帯を見ていたり、読書をしていたり……思い思いに過ごしています。そこへ、カップルが乗り込んできて一転、車内が騒がしくなりました。けたたましい笑い、あたりを憚らない大きな声……私を含む周りの人はそちらをちらちらと見ながら、心の中でため息をついています。

 すると、後ろから声がしました。「君たち、話す自由もあるが、聞きたくない自由もあるんだ。」声の主を振りかえると、先日亡くなった父と同年代の男性でした。そのかくしゃくとした声に、カップルは一転静まり返り、「はい」と一言。
 私も、はっとしました。そのあと、同じく我慢の限界だったのでしょう、別の方面から「そうだそうだ!」という声がかかり、私と隣の方は、思わず和みの笑顔を交わしました。
 「話す自由もあるが、聞きたくない自由もある」なんと、シンプルで説得力に満ちた表現なのでしょうか。

 電車を降りてからも、私はこの言葉をずっと胸の中で反芻していました。
 戦後、日本社会に根差した価値観、生きる道しるべは、「自由であること」「主体的であること」。
 大きく分けてこの二つだったかもしれません。

 しかし、社会的な動物として人類が生活するようになって以来、どんな時代でも「自分本位の自由」は認められることはないのです。あらゆるもの、他人の自由と、自らの自由が競合する、その中におだやかな調和が必要となります。
 その一方で、自主性についても同じです。やはり他人の自主性と自らの自主性が競合するため、そのバランスを取ることは非常に難しいのです。自他共存の世界でしょう。
 私たちは、社会生活を営む上で、他人の心情を察すること、慮ることがいかに大事かを改めてしっかり自覚する必要があります。

 「話す自由もあるが、聞きたくない自由もある」。電車の中の声の主の言葉はそのまま、スピリチュアルなことに当てはまる気がします。

 スピリチュアルを例にとると、いまだ解明しない未解明の科学に対して、独自の定理を展開することはそれぞれの自由です。しかし、その定理を展開するにあたって、他人をいたずらに不安に陥れ、ネガティブな問題意識を持たせ、こちらのエリアに相手を引き込むことは卑怯です。その定理には出口、結論がないからです。私たちは、ものごとの真実に近づこうとする場合、その真実をなにをもって真実とするか、それは自らの頭と心で考えなければいけません。
 大事なことは、自らを信じて、自らのために生きるという自己愛、それは決して否定されるべきではないのです。その自己愛があってはじめて、相手の存在を認め、相手との対話ができるのです。自らを放棄し盲目的にそれに追従する考え方は、金儲けの、まさに利潤と表裏一体のスピリチュアルなのです。

 父・舩井幸雄が「スピリチュアルは卒業します」と最後に遺した言葉について、先週も触れました。スピリチュアルとは、どんな人も持ち合わせているもので、何か特別なものではない。人生に、日常に、当たり前に装備されているものです。
 それを昨今のスピリチュアルブームでは、摩訶不思議なものとして捉えて、マジックめいた扱いでもてはやす。それを人に強要するのはどうでしょうか。
 「信じる自由もあるが、信じない自由もある」……。

 以前、女性向けの占い本の編集の方がおっしゃっていました。
 「今の流行として占いのコンテンツを作るとき、『一歩一歩努力をしなさい』と書いては、決して読者に受けないんです。自力では変われないが、誰かに明日新しい自分にリセットしてもらいたい。決して否定されることなくありのままの自分を受け入れ、シンデレラにしてもらいたい。そんな気分が、今の多勢の女性読者の求めるものなんですよ。」   
 「馬鹿モン!」と「サザエさん」の波平のように一蹴できない気がします。自分にも全くそんな願望がない、とは言いませんし、ある意味正直な人間の心情の一つでしょう。
 しかし、ふわふわした妄想気分であり、あくまでもここが本筋でないことを自覚しているならいいのですが、真剣に「自分探し」「自分磨き」を外に委託、依存しているようならちょっと問題です。

 またまたある日、親しい友人が、顔をはらして心なしか具合悪そうにしているので聞きましたら、「タケノコを食べすぎた」とのこと。タケノコは今が旬で私も好物ですが、タケノコにあたるという話が私の周りになかったので早速調べてみました。
 食物に天然に含まれる化学物質、環境汚染によって蓄積・残留してしまった化学物質などのために、通常のアレルギー反応の経路を通らずに、アレルギー症状が起こったり、もともとあったアレルギー症状を悪化させてしまうことがあるそうです。タケノコはあくが強く、“シュウ酸”が反応してしまうこともあるようです。友人も初めての経験だったようで病院で指摘されて、はじめて判ったようです。

 しかし、もし食べるなら「自己責任」であり、他人のせいにできない。他人に押し付けてはいけない。タケノコにあたったからといって、たとえばそれを求めた八百屋さんのせいにできるでしょうか。「食べるか」「食べないか」はすべて自分の責任なのです。自分の身体やこころにあうものを自己責任において選びとる。このことは普段何気なく無意識にやっていることなのですが、改めて重要なことなのだと思いました。
 前半に書いたスピリチュアルにあてはめるなら、巷にあふれる「信じ込ませる手口」「接近してくる手口」、これらをきちんと精査し、見定める、自らが応戦する姿勢が大切です。
 生きてゆくための「自由と義務」のバランス、この大切さを電車とタケノコ、2つの出来事であらためて心に思い描きました。
                                            =以上=

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