トップが語る、「いま、伝えたいこと」
この春に、赤塚高仁さんとのイスラエルの旅があり、伊勢神宮の参拝、その中からヤマト民族の根底にあらねばならない“日本人の良心”、時代は違ってもその教えを説く教育勅語について関心を強く持ちました。
そして、看取り士の柴田久美子先生とのご縁からは、真の革命家に導かれるような自己革命の意識を生みださなければならない衝動に駆られました。革命という言葉で連想したのが共産党宣言。8月下旬に柴田先生との共著が出るのですが、それはまさに現代の共産党宣言に匹敵するような本にしたいという思いで書きました。これが、「教育勅語と共産党宣言」との出会いだったのです。
前々回、このコラムで1890年10月に明治天皇の「勅語(天皇のお言葉)」によって示された、法律ではないものの、国民の精神的教育の最高規範と位置づけられた教育勅語について触れました。
今回は教育勅語とは正反対のベクトルにある革命意識について書いてみます。
『革命』について語るとき、いわゆる「共産党宣言=共産主義者宣言」(1848年に発表された文書でカール・マルクスと、フリードリヒ・エンゲルスが起草し書かれた書籍)は世界思想史のなかでも際立つ文書として、避けて通れません。マルクス主義者による共産主義の目的と見解を明らかにした最初の綱領的な(お触れ的な)文書です。この文書のなかで有名な言葉が「万国の労働者よ、団結せよ!」と結ばれている言葉があります。
当時(「共産党宣言」が発表された頃)のドイツ、フランスを中心とするヨーロッパの国々は産業革命が起きて、たくさんの工場が出来ましたが、人々の生活はよくなりませんでした。マルクスは考えました。「せっかく出来た工場は皆の為のものではなく、一部の人の個人的所有物になっている、だから工場の上げる利益は工場の所有者の利益となって搾取されている、工場が出来た意味がない」。マルクスはこれらの工場を労働者の所有にしなければならないと考えたのです。いわゆる国民の所有です。
ここに共産主義という考えが生み出され、そのような政府の樹立を目指す政党を共産党といい、樹立を目指すための思想と実践的手法を書いたものがこの『共産党宣言』という文書でした。
『宣言』を貫く根本思想は、
○経済が社会の土台であること
○すべての歴史は階級闘争の歴史であること
○プロレタリア革命は一階級の解放ではなく人類全体の解放であること
です。
前述しました「万国の労働者……団結せよ!」という言葉(文章)は正式には『共産主義者はこれまでの全ての社会秩序を暴力的に転覆することによってのみ自己の目的を達成されることを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命の前に恐れおののくがいい。プロレタリアは革命において鎖以外に失う物をもたない。彼らが獲得する物は全世界である。万国のプロレタリアよ、団結せよ』となります(プロレタリア=労働者)。
このような共産主義思想の源流は、古くはプラトンの国家論、キリスト教共産主義などの宗教における財産の共有、空想的社会主義と呼ばれる潮流における財産の共有、フランス革命でのジャコバン派、一部のアナキズムによる無政府共産主義などがありますが、このような潮流をマルクスとエンゲルスが共産主義思想として体系化し、私有財産を制限し共有化する財産の種類を「資本」に限定したのです。そして資本家による搾取のない平等な社会をめざす『マルクス主義(科学的社会主義)』を築くことにあったのです。
十月革命の成功によるソビエト連邦の成立により、ウラジミール・レーニンによる革命的な党の組織論などをマルクス主義に統合した「レーニン主義」が影響力を高め、後に『マルクス・レーニン主義』として定式化されました。さらにレフ・トロツキーによる『トロツキズム』、毛沢東による当時の中国の状況に適合させた『毛沢東主義』など、マルクス主義は革命の起こった国の指導者の考えや国情により、多数の思想、理論、運動、体制となって世界各地に広がりました。
しかし、1991年12月25日にソビエト連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、これをうけて連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦が解体されました。その崩壊以降は「正統派マルクス主義」の影響は大きく後退したのが現実であります。ここまで『共産党宣言』のさわりの部分を書きましたが、レーニンとスターリンの革命は、周知のとおり、非情と残酷を極めました。1956年当時のフルフチョフ第1書記の『スターリン批判』はあまりにも有名です。
さて、人間はすべての者が、その者が寄って立つ国家、民族、職業、立場といった属性があります。民主主義国家においては、どのような属性に立つかは個人の自由です。選択の自由があるのです。同時にそれぞれの価値観もありますが、価値観の選択の自由もあります。さらに自らの幸せを求める為の手段を選択する自由があります。
公序良俗の原則に反しない限りは、行動の自由があり、自らの思想・主義・意識の選択も自由です。ヤマト民族の伝統と文化を守り継承するための『宣言』、それはもしかしたら『教育勅語』の中に沈殿する真理にあるのではないでしょうか。
柴田先生は死生観をポジティブに変えることで、革命をなそうとしているのです。マルクスと違って、この革命には暴力は要りません。ただ、人間にとって一番大切な魂を引き継ぐという作業をやるために、淡々と死生観を見つめていこうというものなのです。もちろん、柴田先生が共産主義者であるということはありませんが、既存の社会の在り方を根本的に変えようとしているということは十分に現代の革命と言ってもいいと思うのです。
面白いのは赤塚高仁さんと柴田久美子先生が魂のレベルで親友であること。教育勅語も共産党宣言も融合していって、新しいミロクの世を共に作っていく時代になってきたようです。
11月1日(土)、2日(日)の舩井☆SAKIGAKEフォーラムでは私も登壇させていただきますが、人間の幸せの原点は自由であるということ、他者の存在を認め、それぞれの関わりを持ちながら、自分を磨き続けることの大切さについて、私なりの視点でお話させていただきたいと思います。
=以上=
2014.08.18:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】お寄せいただいた感想 (※舩井勝仁執筆)
2014.08.11:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】必要、必然、最善 (※舩井勝仁執筆)
2014.08.04:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】共産党宣言 (※舩井勝仁執筆)