トップが語る、「いま、伝えたいこと」
私の知人のある女性が、「私はあの人に惹かれるのです。できれば結婚したい。惹かれるってどうなっているんでしょう」と聞いてきました。そこで「惹かれる」ということを少し解説したいと思います。
「人生は真に惹かれる人」を探し、その理由を探し、それを自分のものにして、幸せに成長するためにある・・・と私は考えています。「真に惹かれる」というのは、「知れば知るだけ魅力が出てきて、より好きになる人に引きつけられる」ということで、一目惚れなどは、これに当らないと思います。
「時間の経過とともに、どんどん好きになる」というのが、本当の惹かれるということです。
私はありがたいことに、何人かの真に惹かれる人に出会い、そのおかげで現在がありますが、具体例で説明します。
私が「生きざま」とか「考え方」で真に惹かれ、亡くなられた後も尊敬している一人に、今西錦司さんがいます。京大農学部の先輩ですが、1902年京都生れ、28年京大農学部卒、京大の人文研や理学部の教授を歴任した先生は、日本の霊長類研究の祖ともいう人で、「百匹目の猿現象」の幸島の猿の研究も今西先生が始めたのです。
次に紹介するのは、京大学生新聞の昭和56年10月20日号に載ったインタビュー記事ですが、考え方が私とそっくりというか、私には非常に参考になりました。この人のことは知れば知るだけ惹かれます。
日本霊長類研究の祖
今西 錦司 氏 (本学名誉教授)
目標は自然の全体把握
科学はwhyを扱えない
西洋と日本の自然観の違い
自然を考える場合、ダーウィンは生存競争を前提としています。しかし、日本人のいう自然はダーウィンのいう自然とは違うのです。つまり、我々は子供の頃から「一寸の虫にも五分の魂」ということをよく聞かされてきたのです。西洋と日本を比較すると、日本は豊かな自然に囲まれていますが、西洋を代表するキリスト教は砂漠で生まれた宗教なのです。砂漠というのは森林が繁ってないところですから、当然、自然の厳しさがあるし、闘争ということがやはり表に出てきます。それで、動植物と人間とを切り離して、人間が神様を直接知るということになるのです。自然なんてどうでもいいというわけです。結局それが、西洋のあらゆる国のいろんなところに基礎を与えているんですね。
ところが、日本人は豊かな自然に包まれているから、自然を無視して神と結びつくことはできない。それで、八百万の神の住み給う国ということになるのです。多くの神が住み、動植物の種類も非常に豊富である場合、もしそれが闘争に明け暮れれば、そこには混沌以外ない。だから日本人は、自然は調和が取れている、或いは闘争でなくとも平和がもとになっているという見方になる。それで、進化論に至っても、私の住み分け理論はダーウィンとまったく対立的な見方になってしまうんですね。
日本人が自然保護といっているものも、外国人の自然保護と違うかもしれないですね。「自然を破壊したら自分で自分の首を絞めているようなもの」というような理屈でなくて、自然と我々は共存しているので
「自然を破壊すれば忍びない。」というむしろ感情的なものがかなりあるのではないかと思います。
自然科学は原則として生物を物質的に扱っていますが、「一寸の虫にも五分の魂」という考えを持って育った日本人には、生物を物質的にそのまま受け入れることは難しく、自然科学が生物を物質扱いすることができるのは、西洋において「人間と神とは直接に接していて、神のおぼしめしによって人間は自然を利用する」という見方をしているからなんです。
生物は変わるべくして変わった
科学というのは万能ではないんですね。私は大学生の頃、科学だけは無限に進歩して行くもののように錯覚を持っていたんです。しかし、そうでないことがこの歳になってわかってきた。科学というものが、何やかやと約束の上に成り立っているものであり、そういう約束に縛られている自分は、真の意味で自由ではないということがわかってきたんです。つまり、Whyという問題は科学の取り扱う問題ではないということですよ。
科学は専らHowという問題を取り扱えばいいわけですが、Howで満足できる人とできない人があるんですね。Whyというのは物質の起源、つまりどうしていったらそういったものができたんだということですが、それが進化論の一番根本的な問いなんです。ダーウィンにはその気持ちはあったのでしょうが、その後の科学がますます自分のわく内で独走して行くと、Whyに関する問題をみな落として行くんです。本当に、Whyと取り組んだら、今の進化論は成り立たないと思いますよ。進化のプロセスとして、ダーウィンは自然淘汰とか適者生存ということを出したのですが、それはHowという問いに対する答えになっていても、残念なことに彼の頭の中で考えたことで、自然によって検証されてはいないのです。
だから進化というのは検証不可能な問題であると言われているのですが、科学の世界を離れると、哲学や宗教というものは絶えず自由に、Whyを問い続けているんですね。私も十年ほど進化論を取り組んできたのですが、結局、「生物は変わるべくして変わった」と言うことが私の結論になっています。これは少しもプロセスを説明していない。しかし、Whyということに対する説明はちゃんとできているのです。
進化論はHOWとWHYの混同
現在、アメリカの進化論が問題になっているのは、百年ほど科学に抑えられていたWhyに関する問題が再び表に出てきたのです。ダーウィンは、生物は神が造ったものでなくて進化したものだと言いましたが、それで全ての人がすっきりしたのかというと、決してすっきりしていない。本当にすっきりしたのであれば聖書を書き変えなければならないが、そうではないですからね。それが今頃になって、ダーウィンの進化論だけを教えていたのでは片手落ちで、やはり神の創造説も合わせで教えるべきではないかということがかなり問題化しているのです。
しかし、そこのところでも私は、Whyと、Howの混同があると思うのです。それになぜ気がつかないのかと思うんですけどね。神様が造ったというのは、Whyの問題なんですよ。そして、ダーウィンが適者生存、自然淘汰と言っているのは、Howの問題。つまりプロセスの問題だから一緒にしたらいかんのです。
それから、もう一つ言うならば、現在、ビッグ・サイエンスということが盛んに言われていますが、ミクロの世界を調べるために大がかり装置がいるというだけのことで、相手はミクロですよ。遺伝子工学というものもミクロの世界です。科学というものは性格的に分析ということが一つの拠り所になっています。そういうことからすれば科学がミクロの世界に次第に関わるようになることは、運命として最初から決まっていたことかもしれない。しかし、マクロ、あるいは全体を見るという見方も一つの技術なわけで、そういうことが全く場当たり的に行われているのはおかしいですね。そういう全体をつかむということが、今や非常に軽視されていて、大学に入ってもみんな専門に分かれてミクロの仕事を身につけていくでしょう。その人はその人で役に立つのですが、そういう人ばかりであっては困るのです。
自然全体を把握する「自然学」
それで私は「一寸の虫にも五分の魂」というところから出発して、目標は自然全体であったのです。今日の科学はみな自然科学といってもいいのですが、これは全体としての自然がどうであるかということをやっているのではなくして、全体の一部分取り出して研究しているだけなんです。しかし、私が今まで何をやってきたかといえば自然全体を把握しようとする“自然学”ですね。大学にない学問です。私は大学では農学部で昆虫を研究したんです。それから理学部に移って動物をやりました。動物といっても人間に一番近い哺乳類ですね。それからさらに三転して、今度は人文科学研究所で人間を研究したんです。人文科学に入ったのは、人間に対する見方に磨きをかけるつもりだったのですが、これは思いつきと違って自分の進路としてそこまで伸ばそうと思っていたわけで、初めからプログラムはできていたんです。
科学というのは技術を修得して専門家になり、その技術を通して世界に役立てようということですね。しかし、私の歩いてきた道というのは学問の道というもので、これは何も人の為にならなくてもいいんです。自分の疑問としていることを何とか明らかにしたいということですね。ヨーロッパでは、今日の科学の時代になっても、フィロソフィーが学問の根源であるという伝統はありますが、私がやってきたことも哲学というべきもので、いわば「自然哲学」といっていいと思いますね。
【インタビュー・昭和56年10月20日号掲載】(転載ここまで)
分野はちがっても、「考え方」と「生きざま」に共鳴する人に、人は惹かれるのだと思います。結婚もできれば、このような「真に惹かれる人」間で結びつけばいいのですが?
ともかく今西錦司先生のインタビュー記事を読み、私(船井幸雄)が何を考え、何に惹かれて生きているかも、ぜひお知りください。(なお、この記事は今年10月5日の京大学生新聞に再載されたものです。)
=以上=
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