中村陽子の都会にいても自給自足生活
このページは、認定NPO法人「メダカのがっこう」 理事長の
舩井幸雄は生前、中村陽子さんの活動を大変応援していました。
マスメディアの世界では、出演者は事前に「農薬」に言及しないように注意されるようです。農薬や製薬メーカーは大スポンサーだからでしょう。このような状況の中で、佐渡ではJAが稲作に使うネオニコチノイド系農薬の販売を止め、この農薬を使ったお米は、買い取らないという方針を決め実行しています。それもとてもスムーズに誰の反対も受けずに。
どうしてこんなことが出来たのでしょう。JAの担当者に聞いてみて、いくつかの理由と誠実な取り組みと努力のたまものだと分かりましたので、6つにまとめてお話します。
1.トキ野生化復帰という島をあげての大きな目標と生きもの調査が育てた高い環境意識
一度は絶滅したトキの繁殖を開始したのが平成12年、トキを自然に放つときのことを考えて、トキのエサ場となる田んぼが必要だということで、佐渡の農家の方たちが「トキの田んぼを守る会」を作りました。翌平成13年、佐渡の農家を元気づけようと、メダカのがっこう主催で、「トキよ大空へ」というシンポジウムを、新宿の安田生命ホールで開催したことが思い出されます。佐渡の小学生のトキ野生復帰の作文がある新聞社の賞に輝いたのもこの年です。子どもから大人まで環境意識が高くなっていきました。
また、佐渡「トキの田んぼを守る会」の農家の方たちは、平成13年からメダカのがっこうと一緒に始めた田んぼの生きもの調査を通して、全員生きもの調査に参加し、生きもののことをよく知るようになりました。生きものが目に入り、田んぼの仲間としての親しみを持つと、自然と農薬は使いたくなくなります。
2.平成16年の台風、大凶作の試練を乗り越える方法として始まった佐渡米の価値を上げる取り組み
これがきっかけで、佐渡市は、佐渡認証米「トキがすむ里米」として最低でも農薬・化学肥料の5割減を目指しました。
3.ネオニコチノイド系農薬が安全なものではないことを知らせる勉強会の存在
佐渡には「いきものがたり研究所」があり、その勉強会でネオニコチノイド系農薬が、各地で生きものたちの絶滅を招いているなどの事例紹介、またどんな殺虫剤でも安全なものはないということが周知されました。
4.ネオニコチノイド系農薬の排除には7年の年月をかけて農家を説得
平成20年トキ放鳥があり、自然界での繁殖という段階にはいり、平成23年にJA佐渡は最初のアクションを起こしました。ネオニコチノイド系農薬を推奨薬剤から外したのです。
長期に残留するネオニコチノイド系農薬の代替農薬として、以前に使っていた効果が短い農薬の提案をしました。平成26年からは、資材の予約表からネオニコチノイド系農薬を外し、農家説明会を何回も開きました。その後もこの農薬を使用している農家には、ダイレクトメールを出して、ネオニコチノイド系農薬が環境に大きな影響もたらすことを紹介して、在庫も含めて使用しないようにお願いしました。そして、ネオニコチノイド系農薬を使ったお米は佐渡認証米の価格では買い取らないことにしました。これにより、佐渡には慣行農家はほとんどいなくなりました。
5.JAが農薬を売っているホームセンターに協力をお願いした
JAがネオニコチノイド系農薬を売らなくなったとしても、ホームセンターで売っていると、農家が使ってしまうといけないので、ホームセンターを回り、JA佐渡がネオニコチノイド系農薬を使ったお米を通常の価格では買い取らないことを知らせました。この時、ネオニコチノイド系農薬は、いろいろな種類があるので、農薬の商品名の一覧表もつけて周知しました。これにより、ホームセンターの協力を得ることができました。
6.JAは、ネオニコチノイド系農薬を止めることで、カメムシ防除ができず、斑点米が増えた時のために、色彩選別機を多数導入し、佐渡市も補助しました
これらの要因や用意周到な準備が成功への地盤を作り、脱ネオニコは、農薬会社の反対や妨害にも合わず、農家の抵抗もありませんでした。全体の環境意識が高く育てられてきたことが大きいと思います。心配していたカメムシなどの虫の害にも合いませんでした。コメ作りに関しては、ネオニコチノイド系農薬はなくてもできるという段階まで漕ぎつけたようです。
いかがでしたか。今の佐渡のスローガンは、「トキから人へ」です。生きもの調査による環境意識の高まりや、生物多様性の田んぼを作る具体的な取組みや、脱ネオニコ宣言するJAの決断など、全てはトキ野生化のために始まりました。脱ネオニコでトキの産卵率が上がり繁殖が安定しています。ですが、今そのお米が子どもたちの給食に有機米として使われています。一昨年は1か月、昨年は3か月と有機米給食が実施され、子どもたちが落ち着いてきたそうです。
佐渡はトキがいました。豊岡はコウノトリがいました。いすみ市もきっかけはコウノトリでした。でも特に象徴となる生きものがいないところも数多くあります。トキは絶滅の危機にあったので大切にされました。しかし、子どもたちのアレルギーアトピー発達障害など状況は危機的と言えます。トキから人へという順番ではなく、初めから子どもたちを元気に育てることに、全力で向かう時がやってきたと思います。田んぼの生きものに向けてきた情熱を、子どもたちの腸内フローラにも向けて行くと、もっと全国でオーガニックへの動きが進むのではないかと思います。それには、田んぼと人間の腸が直結していることを多くの方に実感していただく必要を感じています。メダカのがっこうのやるべき仕事ですね。がんばりますよ!
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首のタオルにシュレーゲル青ガエルが
いるので、とてもうれしそうな顔を
してい ます。
1953年東京生まれ。武蔵野市在住。母、夫の3人家族。3人の子どもはすべて独立、孫は3人。
長男の不登校を機に1994年「登校拒否の子供たちの進路を考える研究会」の事務局長。母の病気を機に1996年から海のミネラル研究会主宰、随時、講演会主催。2001年、瑞穂(みずほ)の国の自然再生を可能にする、“薬を使わず生きものに配慮した田んぼ=草も虫も人もみんなが元氣に生きられる田んぼ”に魅せられて「NPO法人 メダカのがっこう」設立。理事長に就任。2007年神田神保町に、食から日本人の心身を立て直すため、原料から無農薬・無添加で、肉、卵、乳製品、砂糖を使わないお米中心のお食事が食べられる「お米ダイニング」というメダカのがっこうのショールームを開く。自給自足くらぶ実践編で、米、味噌、醤油、梅干し、たくあん、オイル」を手造りし、「都会に居ても自給自足生活」の二重生活を提案。神田神保町のお米ダイニングでは毎週水曜と土曜に自給自足くらぶの教室を開催。生きる力アップを提供。2014年、NPO法人メダカのがっこうが東京都の認定NPO法人に承認される。「いのちを大切にする農家と手を結んで、生きる環境と食糧に困らない日本を子や孫に残せるような先祖になる」というのが目標である。尊敬する人は、風の谷のナウシカ。怒りで真っ赤になったオームの目が、一つの命を群れに返すことで怒りが消え、大地との絆を取り戻すシーンを胸に秘め、焦らず迷わずに1つ1つの命が生きていける環境を取り戻していく覚悟である。
★認定NPO法人メダカのがっこうHP: http://npomedaka.net/