トップが語る、「いま、伝えたいこと」
長女が4歳ぐらいの頃だったと思います。
ある日、「ゆみこは、どこから来たの?」って聞いてみました。
「あのね、雲の上にいたんだよ…。」
「胎内記憶」については、教育学者であり右脳教育の大家であった七田眞先生や、世界的権威でいらっしゃる池川明先生からも伺っておりました。
いつか子どもに聞いてみようと思っていたのですが、長男のときにはそのチャンスがなく、2番目の娘、長女とのやり取りからこの胎内記憶というものに直接触れていくことになりました。
とても本人が知っていると思えないような、後で確認すると事実であったという風なことも含めていろいろとお話をしてくれました。その時に彼女の兄、私の長男がどうしてそのタイミングで生まれてきたのか……。そういうことまで娘は知っていたのです。こうして、この子のお話は「事実」に違いないと確信したのです。そこから、この胎内記憶というものがどのようなものであるのかということも、また勉強していくことになります。
「あのね、雲の上にいたんだよ…。神様がいたの。」
「へえ、神様がいたんだ…。」
「女の神様はね、男の子にはお星様がついたお洋服、そして女の子にはハートのついたお洋服を作ってくれるの。」
「そうなんだ。神様って優しいの?」
「とっても優しいよ。」
「男の神様はどんなことをしてくれる?」
「男の神様はみんなにお家を作ってくれるんだよ……。」
こうして、雲の上のお話は核心に迫っていきます。
「お空から見ていると、ピアノを弾いていて、小さな子どもたちと一緒にお歌を楽しそうに歌っている優しいママがいたの……。それでね、神様に私、あのママのところに行きたいってお願いしたの。」
実は、長女が生まれた頃、妻はもう幼稚園の先生を辞めていました。ですから、幼稚園の先生をやっていたということは本人は知らなかったはずです。だからこれを聞いてびっくりしたわけです。(どうもパパのことはお願いしなかったようで、ちょっとヤキモチを焼いてしまいました……。)
そして、ここからが驚きの事実です。
「ある日、お兄ちゃんが、『ぼく、早くあのママの所に行かなきゃいけないんだ!』って、男の神様に駄々をこねていたのよ。」
「そうだったんだ……。」
長男が生まれたのは1995年2月5日。
ちょうどその少し前、1995年1月17日は阪神大震災が起こった日。
たまたまこの日は、東京の実家に里帰りしていた妻に会うため、関西を離れていました。早朝に、大阪の実家にいる母から、電話がかかってきました。
「浩一! 大地震で神戸が燃えとる。えらいこっちゃ!テレビつけてみ!」
すぐさまテレビをつけると、その地震の大きさを認識するのに、そう時間はかかりませんでした。そこから急ぎ空港に向かい、飛行機をキャンセル待ちして、5、6時間待機して、羽田から大阪伊丹空港まで飛びました。
ところが到着すると、もう空港は人だかり……。
大混乱の様子。人の山山山……。空港から先のアクセスが全部分断されていました。空港を何周かするんじゃないかと思うくらいの行列で、待つこと数時間。いつもなら15分で帰れるところを約6時間かけて家に到着しました。
マンションは建っていましたが、部屋のドアを開けて中を見ると、もう悲惨な状況でした。電気温水器はどーんと転がっているし、ピアノは移動しているし、タンスなどは倒れているし……。新婚でいただいたいろんな食器なども、ほぼ全部割れて散在していました。
もし私が、私たちが大阪にいたら、命はどうだったんだろうか……。
ふとそう感じたのです。
長男は、その19日後に誕生しました。
へその緒を巻きつけて、しばらく鳴き声も出ないような状況で生まれてきました。実のところ結婚してまもなく妊娠が分かり、そして出産へ……。まだ少し先のことと考えていた私たちにとって、望んだタイミングでなかったことは事実です。
なぜ、このタイミングで来てくれたのか?
(「え!?」)
「ぼく、早く行かなきゃ……。」
(「え!? そういうこと?」)
ここで、理解できました。
彼は、私たち夫婦の命を救うために、神様に早く生まれることを望んだ???
娘の胎内記憶によって、命にタイミングや理由があるということを知りました。
衝撃的な「学び」でした……。
実はその長男は、14歳で脳腫瘍、26歳で脳梗塞と大病を2回も経験して、今は車椅子で生活しています。そこに“天使”があらわれて、結婚し、先日パパになりました。
あるとき、とてもお世話になっているお医者さまが、本当に優しく「純平くんも大変な人生を選んできましたね……。でも、それを乗り越えるために、きっとお父さんお母さんを選んで生まれてきたんでしょうねえ」と私たちにそっと言ってくれたことがあります。
いろんなことが山ほどありましたが、きっと、そうなんでしょうね……。
受け入れるには、少々時間がかかりましたが……。
さて、娘の話はまだまだ続きます。
当時いっしょに遊んでいた女の子のおともだちのこと。
性格も雰囲気もぜんぜんちがうのに、出会ってからものすごく仲良しになった女の子。実はその子とも雲の上で会っていて、とっても仲良しだったそうなんです。
「もう一度会えたね!」
こんなふうに心で感じていたようです。
(このあたりのストーリーは、船井ゆかり著「神様、ママを見つけたよ」(ルックナウ(グラフGP)) に書かれています。)
こうしたお話を、ご縁あって、池川明先生にじっくり、ゆっくりお聴きいただいたことがあります。あの、映画「生まれる」が制作されたずっと前のことでしたので、映画に登場することはなかったのですが……。
子どもたちは、どうして自分たちに授かるのか?
そしてどのようなタイミングで、どのような意味で生まれて来てくれるのか?
私たちは、その子どもたちの誕生によって、いろんな意味やメッセージを受け取ることを教わりました。子どもたちは親を育てるために、親を教育するために、親の人間性を高めるために、きっと生まれてきてくれるんだと……。
娘のお空の上でのお話を聞いてからというもの、私のなかにはいろんな変化や、考えの積み重ねみたいなものがありました。
当時、私は学校の先生をしていました。先輩教師からはよくこんなことを教わりました。子どもたちの後ろには四つの目、つまり親の目が二つずつあるということです。さらにその向こう側にはまた二つずつの目があって……。おじいちゃん、おばあちゃんですね。そのことをぜったいに忘れないで接しなさいと……。つまり、子どもたちは「親からお預りしているんだ」という感覚を持って接しなさいということです。
それはそうですよね。どの子たちも皆、親を選んで、そして自分の人生をある意味決めて、生まれてくる……。そんな貴重な命です。尊重し、大事にしないといけません。そうした責任が教員にはあると、常々感じていたものです。
彼ら、彼女たちはまだまだ未熟ですし、思春期ということもあっていろんな課題を持ちます。いろんな悩みを持ちます。親との軋轢があったり、葛藤があったり、あるいは自分に対する葛藤があったり……。こうして、体験、経験を積み重ねていきます。ときには、問題行動を起こしたりもします。そんな中で親たちと関わっていますと、「どうもこれは子どもたちだけの問題じゃないな……。後ろにいる親の問題も十分にあるんじゃないだろうか」。そんなふうに感じることもよくありました。
子どもたちの環境を作るのは親であり、そして子どもたちをどのように包み込んであげるかということも親次第です。そうなると大人の存在って大事ですよね!
日本には、古くから、「子どもは親の背中を見て育つ」という言葉があります。親の生き様、たとえば人との接し方や、親の使う言葉遣いであったり、親の考え方であったり……。そういったものを、子どもたちは常にキャッチして、自分の中に取り込みながら成長していくんですね。「だから、親として大人としてしっかりしなさい」というのがこの言葉に込められたメッセージだと、いまではそう理解しています。
さて、7月28日(日)に、ステーションコンファレンス東京にて、「公益財団法人舩井幸雄記念館 開館8周年記念イベント」を開催します。時間は、12:30〜16:30です。
ゲストは、「胎内記憶」の権威である池川明先生。
そして、このたび、映画「ママのおなかで笑っていたよ〜パパも育児上手になる魔法」を制作された荻久保則男監督。
今回、同作品の上映もさせていただきますが、世界でも高い評価を受けています。インド、ブームブカー独立映画祭・特別賞受賞。フランス・パリ、ジール国際映画祭・最優秀ドキュメンタリー映画賞受賞……。
荻久保監督、おめでとうございます!心よりお祝い申し上げます。
命の奇跡と大切さについて、あるいは、生きる、生まれるということについて、一緒に感じたり、考えたりする豊かな一日にしませんか?
詳細と参加のお申込みは、コチラから!
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感謝
2024.06.17:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】神様に応援される人になる (※舩井勝仁執筆)
2024.06.10:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】「神様、ママを見つけたよ!」 (※佐野浩一執筆)
2024.06.03:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】宇宙(そら)の足跡 (※舩井勝仁執筆)
舩井 勝仁 (ふない かつひと)
株式会社船井本社 代表取締役社長 1964年大阪府生まれ。1988年(株)船井総合研究所入社。1998年同社常務取締役 同社の金融部門やIT部門の子会社である船井キャピタル(株)、(株)船井情報システムズの代表取締役に就任し、コンサルティングの周辺分野の開拓に努める。 2008年「競争や策略やだましあいのない新しい社会を築く」という父・舩井幸雄の思いに共鳴し、(株)船井本社の社長に就任。「有意の人」の集合意識で「ミロクの世」を創る勉強会「にんげんクラブ」を中心に活動を続けた。(※「にんげんクラブ」の活動は2024年3月末に終了) 著書に『生き方の原理を変えよう』(2010年 徳間書店)、『未来から考える新しい生き方』(2011年 海竜社)、『舩井幸雄が一番伝えたかった事』(2013年きれい・ねっと)、『チェンジ・マネー』(はせくらみゆき共著 2014年 きれい・ねっと)、『いのちの革命』(柴田久美子共著 2014年 きれい・ねっと)、『SAKIGAKE 新時代の扉を開く』(佐野浩一共著 2014年 きれい・ねっと)、『聖なる約束』(赤塚高仁共著 2014年 きれい・ねっと)、『失速する世界経済と日本を襲う円安インフレ』(朝倉慶共著 2014年11月 ビジネス社)、『智徳主義【まろUP!】で《日本経済の底上げ》は可能』(竹田和平、小川雅弘共著 2015年 ヒカルランド)、『日月神示的な生き方 大調和の「ミロクの世」を創る』(中矢伸一共著 2016年 きれい・ねっと)、『聖なる約束3 黙示を観る旅』(赤塚高仁共著 2016年 きれい・ねっと)、『お金は5次元の生き物です!』(はせくらみゆき共著 2016年 ヒカルランド)がある。 |
佐野 浩一(さの こういち) 株式会社本物研究所 代表取締役社長 株式会社51コラボレーションズ 代表取締役会長 公益財団法人舩井幸雄記念館 代表理事 ライフカラーカウンセラー認定協会 代表 1964年大阪府生まれ。関西学院大学法学部政治学科卒業後、英語教師として13年間、兵庫県の私立中高一貫校に奉職。2001年、(株)船井本社の前身である(株)船井事務所に入社し、(株)船井総合研究所に出向。舩井幸雄の直轄プロジェクトチームである会長特命室に配属。舩井幸雄がルール化した「人づくり法」の直伝を受け、人づくり研修「人財塾」として体系化し、その主幹を務め、各業界で活躍する人財を輩出した。 2003年4月、(株)本物研究所を設立、代表取締役社長に就任。商品、技術、生き方、人財育成における「本物」を研究開発し、広く啓蒙・普及活動を行う。また、2008年にはライフカラーカウンセラー認定協会を立ち上げ、2012年、(株)51 Dreams' Companyを設立し、学生向けに「人財塾」を再構成し、「幸学館カレッジ」を開校。館長をつとめる。2013年9月に(株)船井メディアの取締役社長CEOに就任した。 講演者としては、経営、人材育成、マーケティング、幸せ論、子育て、メンタルなど、多岐にわたる分野をカバーする。 著書に、『あなたにとって一番の幸せに気づく幸感力』(ごま書房新社)、『ズバリ船井流 人を育てる 自分を育てる』(ナナ・コーポレート・コミュニケーション)、『私だけに教えてくれた船井幸雄のすべて』(成甲書房)、船井幸雄との共著『本物の法則』(ビジネス社)、『あなたの悩みを解決する魔法の杖』(総合法令出版)、『幸感力で「スイッチオン!」』(新日本文芸協会)がある。 |