トップが語る、「いま、伝えたいこと」

このページでは、舩井幸雄の遺志を引き継ぐ舩井勝仁と佐野浩一が、“新舩井流”をめざし、皆様に「いま、伝えたいこと」を毎週交互に語っていきます。
毎週月曜日定期更新
2024年8月5日
ピンチはチャンス (※佐野浩一執筆)

「ピンチはチャンス」。
 よく耳にします。
 人は、カンタンにこの言葉を使います。
 そのたびに、私はある違和感を感じてきました。
 これは、ピンチを克服してきた人だけが表現できる言葉なんじゃないかって、心のどこかで思い続けてきたのだと思います。

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「おとといの試合で腕を痛めてしまい、そのギャップで自分の現実を受け入れられないままプレーしていた。きょうも同じような状況だったんですけど、最後ドクターに注射を打ってもらって、もしかしたらいけるかもという感覚があった。それを信じて戦った。試合の5分前までは20、30%の力でどう戦うかだった。注射を打って、100%近くまで戻った」と、試合前の状況を告白。満身創痍の状態に「もちろん金メダルを目指していたので、まさか神様にこのタイミングでいじわるされるとは思ったんですけど」と吐露しながら「でもみんなが支えてくれてどんな結果でもやりきって、銅メダルを、と思って戦いました」と、涙ながらに明かした。石田コーチも「信じられない。直前まで痛いと言っていた。100%ダメだと思っていたが、5分前によくなった。奇跡。朝の練習では卓球できる状態ではないかと思っていた」と、驚いた様子で振り返った。
                   (デイリースポーツ記事より引用)
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 3位決定戦で日本のエース・早田ひな選手(日本生命)が、第4シードの申裕斌選手(韓国)と対戦し、死力を尽くして4―2で制して、見事に銅メダルを獲得しました。負傷を抱えた利き手の左前腕に痛々しいテーピングが施されていました。それはそれは、「死闘」という言葉を使ってよい展開でした。
 その早田選手は、試合後のインタビューで、つぎのように語っています。

「けがをした時は部屋に戻っても1人でお風呂も入れない、何も左手が使えない、そしてドライヤーとかも何もできないっていう状況の中で、いろんな方に支えていただいた。   
 準々決勝の後はもう朝4時までケアしてもらった。本当にみなさんができることを全てやってくれて、ここまで戻ってくることができた。もちろん準決勝、あんな試合(0―4で敗戦)になってしまったのはすごく悔しかったですけど、この状況で銅メダルを取れたっていうのは、金メダルを取るよりも価値がある銅メダルだなと思います」

「金メダルを取るよりも価値がある銅メダル」
 きっと、これも歴史に残る名言となっていくのだろうと思います。
 さらに、早田選手は、つぎのようにも語っています。
 きっと、こういう言葉を発することができるからこそ、彼女は、絶対王者であった伊藤美誠選手に代わって、日本のトップに躍り出ることができたんだろうと想像します。

「(東京五輪からの)3年間の中で、何かの行動か、何かが悪かったから、ここで神様に意地悪されたのかなって。何が原因かはちょっと私は分からないですけど、何かが悪かったんだろうなっていうのは思った。でも、逆に言うと、まだ乗り越えられる試練をある意味、与えてくれたのかなと思った。きょうもほとんど試合前は練習できないような状況でしたけど、やるべきことは最後までやり切りたいと思っていましたし、最後までどんなことになっても諦めずにやると。周りの方がもう本当に必死に動いてくださっていた。もうそういった方のために、最後までコートには立ち続けたいなっていうのは思っていました」と……。

 好んでピンチに陥りたい人はおそらくいないでしょう……。でも、どんな人間も人生の中で必ずピンチに陥ることがあります。ピンチは大なり小なり、さまざまな状況が考えられますが、簡潔に表現するならば、「ピンチとは自分の思い通りにならない状況」だと言えます。もちろん、今回の早田選手を襲ったピンチは、こんな軟なレベルじゃありませんね……。にもかかわらず、ここで、早田選手は、「自分自身を見つめ直す」という離れ業ともいえることをやってのけています。
 ここが凄すぎる……と、あらためて、私は、彼女から学ばせてもらいました。
 なぜ自分の思い通りにならない状況であるピンチがチャンスへとつながるのか? これに対する答えはいくつもあると思います。その一つとして、ピンチに陥ると、「自分がこれまでやってきたことや自分のあり方が果たして正しかったのか?」を見つめ直す契機となるから……ということですね。
 物事が自分の思い通りになっているときは、自分のあり方を見つめ直すことはほとんどありません。しかし、いざピンチに直面すると、いままでのあり方を嫌でも振り返らざるを得なくなります。でも、なかなか人は、そこを直視できないで過ごしてしまうんですよね。もちろん、私も……。
 一方、「自分の『思い通り』とは、そもそもいったい何だったのか?」を考える機会にもなります。「思い通り(=欲望)」は非常に厄介なものです。たいてい無意識のうちに、心の中で勝手に肥大化します。「思い通り」が大きくなることによって、さまざまな事柄をありがたいと受け取る感覚が減っていき、気付かぬうちに傲慢になってしまったりするのが、世の常です。
 親鸞聖人は、このような心の様子を「邪見驕慢(じゃけんきょうまん)」と呼んでいます。この心のあり方がピンチを引き起こす直接的な原因になることもたびたびあるので、常に己の心を省みることが大切だと教えていただきます。また、欲望を完全になくすことは不可能ですが、生きていくためには、「欲望のデトックス」のようなことがたびたび必要になります。
 道元禅師が著された『正法眼蔵』の中に、「放てば手に満てり」という言葉が出てきます。これは、「古いモノを手放したら、新しいモノが手に入る」という意味ではありません。「欲望や執着を手放せば、大切なモノに気付き、それに満たされる」という意味が含まれています。平常時では、大事にしていたものを手放すことはなかなかありません。ピンチのときにこそ、それらを手放すチャンスが訪れると考えられます。ピンチという非常時は、自身の欲望を省みて、何らかの執着や欲を捨て去る良い機会となります。ですから、ピンチを迎えたときは、「自分が強く執着しているものが何なのか?」をしっかり見つめてみる……。自分がしがみ付いていたものを手放すことは恐怖を伴いますが、執着から離れてみると、新たな気付きが生まれ、それがある種のチャンスへとつながっていくという教えです。
 「手放す」という言葉がありますが、誤解を恐れずに書くと、きっと早田選手は、何かを手放したに違いない……。それは、カタチのあるものや、なにか言葉に置き換えられるものでもなくて、彼女の中にあった「なにか……」だと想像しています。
 とにもかくにも、いまだに心に残るとてつもない感動を、ここで表現しておきたいと思いました。

 さて、ここからは、一般的なお話です。
 もちろん、誰もがピンチは一度や二度、体験したことがあると思います。経営に携わっていると、「案外、ピンチだらけやん……」と思うこともしばしば……。でも、そのピンチだと思っていたことが、逆にチャンスに変わったという経験も、何度もしているのが人生じゃないでしょうか?
 そもそも、仕事をしていると必ずピンチはありますよね……。それは、経営とて同じです。だからこそ、そのすべてをチャンスに変える……。もしそれができたら本当に無敵です。禅問答のようですが、それはある意味もう、ピンチのない人生となります。
 でも、自らを振り返ってみると、ピンチがピンチのままで終わってしまった……ということも、案外ある気もします。
 もちろん、後から振り返ってみたとき、過去のピンチが自分を成長させてくれた……。そういう意味ではチャンスだった……。そう考えなおせる出来事も存在します。こうした思考の転換を誘う考え方が、舩井流で言えば、「過去オール善、現状オール肯定」にあると思います。実際、過去に数多くの失敗や挫折があるからこそ、今がある……ということは、振り返ってみれば、間違いのない事実です。まあ、これは、どちらかと言えば、「失敗は成功のもと」という格言の方が、意味が近い気もします。
 ただ、今回取り上げた、「ピンチはチャンス」というのは、まさに「いま」と「未来」の話。ピンチを迎えているまさにこの瞬間……、どうチャンスに変えるかという、かなりの力技となるのは言うまでもありません。実際にピンチを迎えている「いま」。これをチャンスだなんて思える余裕はなかなかありませんよね!
 しかも、面白いことに気づいたのです。(実際には、「面白い」という表現は不適切なんですが……)、どうもピンチというものは、スルーしたり、乗り越えられないでいるうちは、何度も同じサイズのピンチが来て、それを乗り越えたら次はもっと大きなサイズのピンチがやってくるものです。そう思われませんか? このピンチは、「波」とも言えますね。その目の前のピンチをチャンスに変えて乗り切っても、次にやってくるさらに大きなピンチを、また乗り越えられるとは限りません。
 人生も経営も、アスリートも一般人も、多かれ少なかれ、この展開は同じじゃないのかなって思えたのです。そして、もう一つ共通するのが、「ピンチはチャンス」として、人生や経営を好転させてきた人は、少なくともピンチを乗り切る成功体験を積んできていること。一つクリアしないと、つぎの波は来ないわけで、そうして乗り越えながらチカラをつけてきて来られていること。それを重ねているうちに、たとえば成功されたり、よい結果を出されたり、レベルを上げたりしてこられているんだと思います。

 すべてのピンチに、必ずチャンスが隠されていることに確信を持つこと。
 なぜピンチが起きたのか、それを受け止めて、自分が本当に変わること。

 この2つは、早田選手から学んだことです。
 「がんばれ!ニッポン!」
 「がんばれ!あなた!」
 そして……、「がんばれ!私!」
                        感謝

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2024.08.05:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】ピンチはチャンス (※佐野浩一執筆)
舩井 勝仁 (ふない かつひと)
株式会社船井本社 代表取締役社長
1964年大阪府生まれ。1988年(株)船井総合研究所入社。1998年同社常務取締役 同社の金融部門やIT部門の子会社である船井キャピタル(株)、(株)船井情報システムズの代表取締役に就任し、コンサルティングの周辺分野の開拓に努める。
2008年「競争や策略やだましあいのない新しい社会を築く」という父・舩井幸雄の思いに共鳴し、(株)船井本社の社長に就任。「有意の人」の集合意識で「ミロクの世」を創る勉強会「にんげんクラブ」を中心に活動を続けた。(※「にんげんクラブ」の活動は2024年3月末に終了)
著書に『生き方の原理を変えよう』(2010年 徳間書店)、『未来から考える新しい生き方』(2011年 海竜社)、『舩井幸雄が一番伝えたかった事』(2013年きれい・ねっと)、『チェンジ・マネー』(はせくらみゆき共著 2014年 きれい・ねっと)、『いのちの革命』(柴田久美子共著 2014年 きれい・ねっと)、『SAKIGAKE 新時代の扉を開く』(佐野浩一共著 2014年 きれい・ねっと)、『聖なる約束』(赤塚高仁共著 2014年 きれい・ねっと)、『失速する世界経済と日本を襲う円安インフレ』(朝倉慶共著 2014年11月 ビジネス社)、『智徳主義【まろUP!】で《日本経済の底上げ》は可能』(竹田和平、小川雅弘共著 2015年 ヒカルランド)、『日月神示的な生き方 大調和の「ミロクの世」を創る』(中矢伸一共著 2016年 きれい・ねっと)、『聖なる約束3 黙示を観る旅』(赤塚高仁共著 2016年 きれい・ねっと)、『お金は5次元の生き物です!』(はせくらみゆき共著 2016年 ヒカルランド)がある。
佐野 浩一(さの こういち)
株式会社本物研究所 代表取締役社長
株式会社51コラボレーションズ 代表取締役会長
公益財団法人舩井幸雄記念館 代表理事
ライフカラーカウンセラー認定協会 代表
1964年大阪府生まれ。関西学院大学法学部政治学科卒業後、英語教師として13年間、兵庫県の私立中高一貫校に奉職。2001年、(株)船井本社の前身である(株)船井事務所に入社し、(株)船井総合研究所に出向。舩井幸雄の直轄プロジェクトチームである会長特命室に配属。舩井幸雄がルール化した「人づくり法」の直伝を受け、人づくり研修「人財塾」として体系化し、その主幹を務め、各業界で活躍する人財を輩出した。 2003年4月、(株)本物研究所を設立、代表取締役社長に就任。商品、技術、生き方、人財育成における「本物」を研究開発し、広く啓蒙・普及活動を行う。また、2008年にはライフカラーカウンセラー認定協会を立ち上げ、2012年、(株)51 Dreams' Companyを設立し、学生向けに「人財塾」を再構成し、「幸学館カレッジ」を開校。館長をつとめる。2013年9月に(株)船井メディアの取締役社長CEOに就任した。 講演者としては、経営、人材育成、マーケティング、幸せ論、子育て、メンタルなど、多岐にわたる分野をカバーする。
著書に、『あなたにとって一番の幸せに気づく幸感力』(ごま書房新社)、『ズバリ船井流 人を育てる 自分を育てる』(ナナ・コーポレート・コミュニケーション)、『私だけに教えてくれた船井幸雄のすべて』(成甲書房)、船井幸雄との共著『本物の法則』(ビジネス社)、『あなたの悩みを解決する魔法の杖』(総合法令出版)、『幸感力で「スイッチオン!」』(新日本文芸協会)がある。
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