トップが語る、「いま、伝えたいこと」
私の出身校は、大阪府立河南高等学校です。8月に入って、ここから1冊の本が届きました。2012年に創立100周年を迎えたのでその記念号として『100年の歩み』を謹呈するというのです。
もちろん、ここの新制第3期生なのですが、男子としては最初の生徒だったし、私の書いた記事も載っているからですが、お盆休みに、ゆっくり読みました。
もと高等女学校だったこの母校のことは、これまでほとんど知らなかったのですが、人生と同様、学校も100年で、いろいろ変るのにびっくりしました。大変ですね。人生よりすごいもようです。
「変化こそ不変の原則」と言いますが、そうかも知れないとも思いました。
とりあえず、この中に載っている私の文章をまず読んでみてください。
【第3章 新制高校卒業生】
『河南高等学校の卒業生なんだが?』 第3期生 舩井 幸雄
私の卒業した学校は、現在の松原市にある恵我國民学校、大阪府立富田林中学校併設中学校、河南高等学校、そして京都大学の四つだが、この中で河南高等学校だけは、その本来の校舎に一度も行ったことがない。これは第3期生の男子生徒だったほとんど大半の人が同様だと思っている。
1945年(昭和20年)4月に、私たち男子生徒は旧制の富田林中学校に入学したのだが、学制改革で富田林高女と生徒を交換して男女共学になった。女学校側へだれが行くかは抽選で決められたのである。こうして私たち第3期生は河南高校の最初の男子生徒になったのだ。しかし中学、高校の6年間、私たち男子生徒は一貫して、現在の富田林高等学校の校舎で学んだのである。女学校の校舎は占領軍が使用していたからだと思う。高校時代は上級の1、2期生も全員が富田林高校の校舎で学ばざるを得なかったが、彼女らは男女共学にはならなかった。それに、富高の校舎も1/4くらいは米軍が同居して使っていたから、私の河南高校時代は、実にややこしい環境下にあった。
とはいえ、若さと、すばらしい先生方のおかげで良く学んだし、女子生徒のことも少しは分ったようだ。第4期生も同様だったと思う。3期生、4期生は京大、阪大、東大、大阪市立大などに何十人も進んだと思うが、よく学び、たのしい高校生活を送ったといえそうだ。戦時中の不自由さのあとゆえでもある。
他人のことは分らないが、第3期生の男子は、私同様のびのびと高校生活を送っていたと思う。
私は高校1年生の時に、生徒自治会の会長になったり、上級生のお姉さんたちにかわいがられたり、同期生の女性に淡い恋心を持った記憶ぐらいしかないが、ともかく自由をたのしんでいた。よい日々だった。
その後、日本の経営コンサルタントの草分けのようになったり、船井総研など多くの会社を創り、著書を約400冊も出す社会人になった。
この私が河南高校卒で良かったと思っているのは第21期生の飛鳥昭雄氏(ペンネーム)と特に親しくなったことである。
彼は実にアタマがよく広く深い知識、情報人として国際的に大活躍している。特にアメリカ人との情報人脈はすごいと言える。すでに150冊くらいの著書もあり、常に教えられている。
こんな人もいるのが河南高校の卒業生である。
=以上=
ちなみに、飛鳥氏は「3.11大震災は、アメリカの環境兵器で起こされた可能性が強い」と発言して、いま注目されている。(転載ここまで)
この『100年の歩み』は、半分はPR誌を兼ねていますが、ゆっくり読んだわりに、あまりにも私らの在校中といまがちがっていて、なかなかぴんと来ません。
やはり、本当に親身になるには、私どもの在校中と余りにも変りすぎた現在の母校があるもようです。もちろん在校前のことも、さっぱり親身になれませんでした。
その点、私の出身校でも京大というと、「自由」というように何かがあるのですが、それがこの一冊の本では見つけることができなかったのでしょうね。
平凡な大阪府下の府立高校ですが、それでも変化の重みと現状にはおおいに関係があるもようです。
ともかく最近、珍しく時間をかけて読んだ本ゆえ、いまその成果を求めあぐねています。
これは、いま私が病気中だからかも知れません。
ともかく、出身高校として関係があったところでも、これですから、読書というのはむづかしいものですね。いろいろな条件が必要なようです。
それでは、きょうはこの辺でペンをおきます。
そして、こんがらがっているアタマをゆっくり整理したいと思っています。
=以上=
2013.09.23:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】母校(高校)の『100年の歩み』を読んで
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