トップが語る、「いま、伝えたいこと」
台湾にいってきました。今回の訪台の目的は従業員15万を要する台湾の統一企業グループ、林蒼生前総裁に船井総研の中国ビジネスの責任者を紹介するための訪問でした。
松山空港に着陸する前にこの国の生まれたいきさつ、今日のあり方、今後の発展の仕方、いろいろなことを心に思い描きながら、空港に降り立ちました。
台湾の大地に足を踏み入れて、まず思ったのはこの国が中華人民共和国(中国)、中華民国(台湾)という2つの国に分割されている実態です。この歴史の背景には、清朝の時代から始まる、孫文、蒋介石を含めた歴史的な民族の葛藤と闘争がありました。結果的には今、金門海峡を挟んで対峙している関係ですが、いわゆる中国の経済的な発展とともに、この行先はどのような結末を迎えるのか私の想像の域を脱しています。
過去には、激しい対立をしている時もありましたが、そこはしたたかな中国人のこと。いまは、いろいろな問題も抱えながら経済的にはかなり緊密な関係を築いており、それが台湾の経済が好調な大きな原因になっています。
日本と台湾との関係は、いわゆる日本が日清戦争の戦勝国として台湾を統治下に入れましたが、その歴史的ないきさつの中には単なる帝国主義を標榜した戦争の結末から発展するも、台湾と日本の関係は、中国との関係とも相まって、ニクソン訪中(1972年)を機に、当時の田中角栄総理時代の日中友好条約に絡んで、台湾を見はなした経緯があります。その後、台湾は脱・共産主義のもと目覚ましい発展を遂げました。
この発展の中で、台湾は日本に統治されていた当時の日本国民及び日本の国力の支援と国家建設のための功績を認めています。その中に、親日派の台頭があり、現在の日台の友好関係の土台が築かれているのです。
滞在中、景勝地を訪ねました。太魯閣(タロコ)国立公園では、大理石を侵食して形成された渓谷の高山、断崖、滝など、その豊かな生態に圧倒されました。
花蓮はかつて「奇菜」と呼ばれていましたが、この南北に細長い地域は西部から東部の移った漢民族のほか、スペイン、日本によって開拓されたようです。なかでも、「松園別館」は、1943年の創建で、この地域で最も完成度の高い日本建築だそうです。さらに現存の建物は、旧日本軍が使用した施設の一つで、特攻隊員が出征前に宿泊所としても利用したとも言われています。
時代の流れのなかで、数多くの若者が散っていった現実を垣間見るとき、底知れぬやるせなさと、憤りを感じるのは私だけではないと、込上げるものがありました。当分忘れることの出来ない私の心に刻みこまれた大切な画像です。
明治の終わりから終戦まで、台湾の各地に多くの日本の農民がまったく気候や環境の異なる土地から天地を求め移住しました。これらの住民を苦しめたものは、マラリアなどの風土病や毒蛇の脅威でした。このような移民村を守るために、守護神として造営された神社の一つが、徳島県から移住した村人が造った吉野神社です。現在は慶修院という真言宗のお寺になっていますが、四国(日本)の八十八ヶ所のお寺のお地蔵さんが祀られ、現在でもここにくると、八十八箇所すべてのお遍路ができるという、台湾の方々の日本に対するシンパシーに向き合うことができました。
そもそも台湾の方々の日本・日本人に対するシンパシーいわゆる感情移入はどこから来るのでしょうか。日本人の歴史的心情の根底には、物質的な幸福よりも、人々の精神的なつながりや、質素な生活がもたらす安寧を重視するところにあったのではないでしょうか。それは、日々の生活の中に様々な形で『美しさ』を持ち込むことを好み求め、繊細で優美なものを愛好する特質があるのではないかと私は考えます。
個人的利益追求より他者への配慮と集団への献身があって、自己への固執よりも無私をよしとする精神なのでしょうか。昨今、急激な社会変化よりも安定した社会の漸進的変化をよしとする精神が芽生えつつありますが、激しい自己主張よりも控えめな態度に価値を見出す。これらは、「日本的なもの」の美質でしょう。そして今日のアメリカ型金融資本主義や個人主義的競争社会、ITに席巻された社会とはまったく異質なものでしょう。
このような認識を我々は深く自覚する必要があるのではないでしょうか。今日の世界は外形上はアメリカ型のグローバリズムによって支配されているかのように見えますが、その限界を世界の人々は気づき始めています。この混沌とした世界風の中で、どの国も、その国の「依って立つ所以」を確認しようとしています。政治にせよ、経済にせよ、その国の基盤になるものは、その国の精神的文化ではないでしょうか。
その国民の「依って立つ所以」はその国民の精神的価値のことであり、流行や即物的に植えつけられたものではないでしょう。まさしく歴史的伝統の中に保持され育まれて行くしかないのです。日本社会の再建は、日本人が潜在的に保持している、死生観、自然観、歴史観などを根本とした精神の拠り所を改めて想起しなければならないと思っています。
この週末は、大磯でにんげんクラブ神奈川支部が主催する大人の学園祭に出席してきました。会員の皆さんが様々な趣向を凝らしたブースを出展し、盛況となりました。会場をご提供いただいたエピナールの中里征美さんの心意気にうたれたひとときでした。中里さんは、サザビーやレナウンなど大手企業の営業をされたあと、大変な苦労をして大磯の山里を大人のカルチャースペースに作り替えました。
びっくりするような金額の輸入家具をいくつもさりげなくパブリックな空間におき、気取らずにおもてなしをしてくださるその心に、包み込みの発想を感じました。
私の父・舩井幸雄がスピリチュアルを卒業したということを遺稿に書き、各方面で大きな反響を呼んでいます。父のスピリチュアルへの探求は知的好奇心から生まれました。そもそも、人間には「○○すると雨が降る」のようなことを予知する原始的な感覚が備わっていました。昔の人は天気予報などを見なくても、天気や気温をきちんと予測し、生活をしていました。天気のみならず、原点に立ち返った人間の叡智を持ち合わせていたということです。現代人に消えつつある、そんな人間の叡智を知りたい、探りたい、父の「目に見えないものを見る力」に対する勉強はそこから始まりました。
仏教学者の佐々木閑さんは「これからの宗教関係者は信じることの重要性と同時に、信じないことの重要性も認識しなければならない」と言っています(「生物学者と仏教学者 七つの対論」斎藤成也さんとの共著)。「信じないことの重要性」、私も、これはスピリチュアルにも全く同様にいえると考えます。
スピリチュアルは精神性という意味で、何も特別な能力のことだけを指すのではありません。もともと誰にでも備わっている基本的な力です。昨今のスピリチュアルブームは、一種「当てもの」のように軽々しく捉え、さも万能な魔法の杖を獲得できるかのように持ち上げる。結果、依存する。もちろん依存するほうにも、依存させるほうにもどちらにも問題があります。人間性の高い人の教えに謙虚に耳を傾ける、自身の課題に向き合ってひたむきに努力をする、そんな至極当たり前のことを飛ばして、やすやすと「耳あたりのいいもの」に飛びつく風潮はそろそろやめにしませんか。お金儲けのためのスピリチュアルに利用されるのではなく、自分自身の精神性を高め、自分とまわりの人の幸福のために役に立つ生き方をする。そんな本物のスピリチュアリストと良い関係を築いていきたいと思っています。
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★4月発売の新刊、舩井勝仁とはせくらみゆきさんの共著『チェンジ・マネー』(きれい・ねっと)が、現在大好評発売中!
2014.05.19:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】親日国台湾 (※舩井勝仁執筆)
2014.05.12:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】お金で買えないもの (※舩井勝仁執筆)
2014.05.05:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】赦しと悟り (※舩井勝仁執筆)