トップが語る、「いま、伝えたいこと」

このページでは、舩井幸雄の遺志を引き継ぐ舩井勝仁と佐野浩一が、“新舩井流”をめざし、皆様に「いま、伝えたいこと」を毎週交互に語っていきます。
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2021年9月20日
大丈夫。心配するな。何とかなる! (※佐野浩一執筆)

 一休さんの生きた時代は、応仁の乱などが起こった15世紀、戦乱の時代でした。あわせて干ばつや冷夏、台風など異常気象が起こり、飢饉や疫病も発生し、人々は苦しみの中にありました。さらにその混乱の中、仏教は形骸化して僧侶の多くは堕落していたといいます。そのような時代の中、一休さんは寺を出て各地を行脚しながら自由人として88歳まで生きました。一休さんは説法を行うとともに、歌を詠んだり画を描いたりしながら、奇妙な言動も重ねるような「風狂」の生活を送ったと言われています。ちなみに、「風狂」とは、仏教の戒律などを逸した行動について、その悟りの境地を現したものとして肯定的に評価する言葉です。風変わりな一休さんの行動には、仏教界への批判と抵抗がその背景にあったとされています。

 いまの時代、日本だけでなく世界にも目を移すと、まるでこの一休さんが生きた動乱の時代にとてもよく似ているように感じます。一休さんの言動をとおして、なにかいまの私たちの役に立つことがあるのではないかと思ったのです。
 一休さんといえば、幼いころテレビアニメでよく観ましたが、とんちで有名です。本当のお名前は、一休宗純(そうじゅん)というそうです。天皇の血を引いているといわれますが、権力が大嫌いで、持ち前の頭の良さで、時の権力者をやりこめたことなどは有名なエピソードです。変わった言動が多く、数々の逸話が一休話として残されています。極めつけは、もともと禅宗だったのに、最後は浄土真宗に改宗したこと。実にユニークな生涯です。
 一休さんのお母さまは、藤原照子という方でした。伊予の局といわれて、後小松天皇の御所で寵愛を受けていました。それをねたんだ人から、「懐に短刀を忍ばせて、天皇の命を狙っている」と噂を流されたので、嵯峨野にひきあげて子どもを産みました。それが一休さんです。幼名は千菊丸といいました。
 千菊丸は、お母さまと乳母に育てられましたが、6歳で京都の安国寺という大きな禅宗の寺に入れられ、像外(ぞうがい)和尚のもとに入門することになります。そこで「周建(しゅうけん)」という名前をもらい、小僧の仲間入りをします。本当は小さい頃は「周建さん」ですが、わかりやすいように「一休さん」と呼んでいるのですね……。
 さて、頭がよく、機転の利く一休さんは、繰り出すとんちが評判となり、やがて三代将軍、足利義満の耳にも入ります。

 一休さんが8歳のある日、安国寺に将軍からの使いがきました。
 「周建というとんち小僧を見てみたい。和尚と一緒に金閣寺に参れ」
 和尚さんはびっくりして青ざめたそうですが、一休さんは「すごいご馳走が食べられる」と喜んでいたそうです。
 足利義満は、まさに時の権力者。和尚さんは気が気ではありません。夜も眠れないほど心配です……。
 いよいよ当日、二人は広間に通されると、僧侶の姿をした足利義満が言いました。
「そなたが周建か。噂によると、たいそう賢いそうだな。それを見込んで一つ頼みがある。」
「はい、何なりと仰せのままにいたします。」
 足利義満は近くの屏風を指さして、
「実はこの屏風に描かれた虎のことだ。たいそううまく描けているのだが、夜になると本当に飛び出して、人にとびかかるので困っている!周建よ、この虎をしばってはくれぬか!」と無理難題を投げかけました。
 和尚さんは、周建さんが何を言い出すか、心配でなりません。
 すると、周建さんは、
「承知致しました。それではすぐに虎をしばりますので、たすきと縄をお貸しください」と答えます。
 ぎょっとした足利義満は
「そうか、では誰かたすきと縄を持って参れ!」というと、家来があわてて持ってきました。
 周建さんがたすきをかけて縄を持つと、屏風の前に進み出て、大声で叫びました。
「さあ、いつでもしばりますから、どなたかこの虎を屏風から追い出してください!」
「何?追い出す?」
「はい、夜になると飛び出すそうですが、今は私を恐れてか、飛び出してきません。どなたか追い出してください」
 さすがの足利義満も、言葉が出ません……。
 にっこり笑った義満は、
「周建、もうそれでよい。そなたの賢いのには感心したぞ」
「恐れ入ります。」
 隣で生きた心地がしなかった和尚さんも、ほっと胸を撫で降ろしました……。

 あまりに有名なエピソードですね。
 このような一休さんのエピソードが『一休ばなし』としてまとめられたのは江戸時代でした。子ども時代から大人になってからの一休さんが描かれていますが、とくに子ども時代の一休さんがスポットを浴びるのは明治時代になってからだそうです。アニメで観た「とんちの一休さん」は、この頃からイメージが作られたものと考えられます。
 さて、88年の生涯を生きた一休さんは、「この先どうしようもなくなって大変困ったときにこの手紙を開けなさい」という遺言を残し、亡くなられました。
 それから数年後、お寺が大変大きな危機を迎えます。そこで、一人の僧侶が一休さんの遺した手紙のことを思い出し、封を開けてみたところ、つぎの3つの言葉が書かれていました。

「大丈夫。心配するな。何とかなる。」

 これを読んだ僧侶たちは、さぞかし拍子抜けしたことと思います。すがるような思いで開けた手紙に書かれていたのは、なんとこれだけだったのです。
 それでも、この言葉を読んだあと、その危機的状況を無事に乗り切ることができたというお話が残されています。真偽のほどはいまなおわからないようですが、一休さんの有名なエピソードに1つとして伝えられています。

「大丈夫。心配するな。何とかなる。」

 読めば読むほどに味が出るといいますか……、人の心の様を見透かし、見事に切り込んだメッセージだと思います。心を静め、穏やかにしてくれると同時に、そのあと「深刻」ではなく「真剣」に向き合い、行動することが大事なんだな……と気づきます。
 いまのように、コロナ禍が長引き、先が見えない危機的状況に長く身を置くと、人は誰しも不安に陥り、物事を「深刻」に捉えるようになります。そして、深刻に受け止めれば受け止めるほど、身動きがとれなくなり、視野も狭くなってしまいます。当然、自分自身のパフォーマンスも低下していきます。
 「深刻」だと、自分がコントロールできることなのかどうかも判断がつかなくなります。心の中は雑念の嵐となります。「真剣」だと、いま、ここに集中し、目の前の自分にできることに注力できます。きっと、一休さんが伝えたかったことは、こういうことなのだろうと想像します。

「大丈夫。心配するな。何とかなる。」

 この3語を心の中で何度か反芻してみると、肩がすっと軽くなったような気がします。
 そもそも「自分ではどうしようもできないこと」に対して使うエネルギーは、想像以上に大きく、なおかつ負担もかかるものです。もちろん、心だけでなく体の緊張感も強くなります。
 「ライフカラ―カウンセラー認定協会」をもう長く運営してきています。カウンセラー資格認定講座やフォロー講座などでもよく話すことですが、やはり「自分自身でコントロールできること」に意識を向けていくと、心も前を向かせることができるということなのです。人と過去は変えることができない……とは、よく人生の先輩たちから教わりました。

 ちなみに、お釈迦さまは『サンユッタ・ニカーヤ』という経典の中で、次のようにおっしゃっています。

 「かれら(清浄な者)は過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、顔色が明朗なのである。ところが、愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、萎れているのである。―刈られた緑の葦のように。」(中村元訳『ブッダ神々との対話 サンユッタ・ニカーヤI』岩波文庫)

 まさに、「いま、ここ」を生きる術を説かれていると理解できます。
 いまできることは、「いま、ここ」を「真剣」に生きることですね……。そうすると、顔色も明朗になる……と。たとえ一休さんのようには振舞えなくとも、少しばかり肩の力を抜き、笑顔で、「いま、ここ」を存分に愉しめたらとあえて思う今日この頃です。

「大丈夫。心配するな。何とかなる。」

                        感謝

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舩井 勝仁 (ふない かつひと)
株式会社船井本社 代表取締役社長
1964年大阪府生まれ。1988年(株)船井総合研究所入社。1998年同社常務取締役 同社の金融部門やIT部門の子会社である船井キャピタル(株)、(株)船井情報システムズの代表取締役に就任し、コンサルティングの周辺分野の開拓に努める。
2008年「競争や策略やだましあいのない新しい社会を築く」という父・舩井幸雄の思いに共鳴し、(株)船井本社の社長に就任。「有意の人」の集合意識で「ミロクの世」を創る勉強会「にんげんクラブ」を中心に活動を続けた。(※「にんげんクラブ」の活動は2024年3月末に終了)
著書に『生き方の原理を変えよう』(2010年 徳間書店)、『未来から考える新しい生き方』(2011年 海竜社)、『舩井幸雄が一番伝えたかった事』(2013年きれい・ねっと)、『チェンジ・マネー』(はせくらみゆき共著 2014年 きれい・ねっと)、『いのちの革命』(柴田久美子共著 2014年 きれい・ねっと)、『SAKIGAKE 新時代の扉を開く』(佐野浩一共著 2014年 きれい・ねっと)、『聖なる約束』(赤塚高仁共著 2014年 きれい・ねっと)、『失速する世界経済と日本を襲う円安インフレ』(朝倉慶共著 2014年11月 ビジネス社)、『智徳主義【まろUP!】で《日本経済の底上げ》は可能』(竹田和平、小川雅弘共著 2015年 ヒカルランド)、『日月神示的な生き方 大調和の「ミロクの世」を創る』(中矢伸一共著 2016年 きれい・ねっと)、『聖なる約束3 黙示を観る旅』(赤塚高仁共著 2016年 きれい・ねっと)、『お金は5次元の生き物です!』(はせくらみゆき共著 2016年 ヒカルランド)がある。
佐野 浩一(さの こういち)
株式会社本物研究所 代表取締役社長
株式会社51コラボレーションズ 代表取締役会長
公益財団法人舩井幸雄記念館 代表理事
ライフカラーカウンセラー認定協会 代表
1964年大阪府生まれ。関西学院大学法学部政治学科卒業後、英語教師として13年間、兵庫県の私立中高一貫校に奉職。2001年、(株)船井本社の前身である(株)船井事務所に入社し、(株)船井総合研究所に出向。舩井幸雄の直轄プロジェクトチームである会長特命室に配属。舩井幸雄がルール化した「人づくり法」の直伝を受け、人づくり研修「人財塾」として体系化し、その主幹を務め、各業界で活躍する人財を輩出した。 2003年4月、(株)本物研究所を設立、代表取締役社長に就任。商品、技術、生き方、人財育成における「本物」を研究開発し、広く啓蒙・普及活動を行う。また、2008年にはライフカラーカウンセラー認定協会を立ち上げ、2012年、(株)51 Dreams' Companyを設立し、学生向けに「人財塾」を再構成し、「幸学館カレッジ」を開校。館長をつとめる。2013年9月に(株)船井メディアの取締役社長CEOに就任した。 講演者としては、経営、人材育成、マーケティング、幸せ論、子育て、メンタルなど、多岐にわたる分野をカバーする。
著書に、『あなたにとって一番の幸せに気づく幸感力』(ごま書房新社)、『ズバリ船井流 人を育てる 自分を育てる』(ナナ・コーポレート・コミュニケーション)、『私だけに教えてくれた船井幸雄のすべて』(成甲書房)、船井幸雄との共著『本物の法則』(ビジネス社)、『あなたの悩みを解決する魔法の杖』(総合法令出版)、『幸感力で「スイッチオン!」』(新日本文芸協会)がある。
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