トップが語る、「いま、伝えたいこと」

このページでは、舩井幸雄の遺志を引き継ぐ舩井勝仁と佐野浩一が、“新舩井流”をめざし、皆様に「いま、伝えたいこと」を毎週交互に語っていきます。
毎週月曜日定期更新
2024年7月8日
老荘思想と舩井幸雄 (※佐野浩一執筆)

 教員となってすぐ、いきなりやったことのないテニス部の指導を任されました。
 野球部の監督に憧れ、夢見ていたのですが、一瞬にしてそれは潰(つい)えました……。(本職は、英語科の教員です……。念のため。)
 また、そこで私の反骨心に火が付きました。
 県でも有数の弱小テニス部。
 だから、なんとしてでも、強くしたいと思いました。
 まるでサークルのような緩いテニス部が、いきなり「勝ち」を目指すチームに変貌していくには、もちろん、ここには書き切れない生徒たちとの軋轢、対峙、カオスが毎日のように起こったことは言うまでもありません……。
 でも、まずは、5年かけて手塩にかけたチームが、県のインターハイ団体戦の予選で、当時の強豪校と対戦できるまでになりました。そのチームに勝てば、県でベスト4以上が確定する試合……。
 結果は、玉砕……。
 生徒たちとわんわん泣きました。
 負けるのが当たり前だった5年前。負けるのが当たり前だから、きっと彼らはがんばれなかったのだと思います。がんばって負けたら、傷つくからですね……。それはわかっていました。でも、やっと、本気で勝とうとしてがんばって、本気で負けた……。
 堂々の、団体戦で「県5位」が確定しました。

 実は、この負けた相手は、全国的に見ても強豪校で、ここに勝つ力があれば、全国レベルということは知っていました。そのチームの監督さんは、当時、若造だった私には、雲の上のような怖い怖い存在で、話しかけることすらできなかったのです。

 意を決して、その監督さんのところに歩み寄り、震える声で、話しかけました。
「失礼します。先ほどは、ありがとうございました。強くなりたいです。どうすれば、先生のチームのように強くなれますか?」
(サングラス越しに、ちらっと見て……)
「・・・・・・・・。」
「教えてください!」
「わしのところに教えを請いに来るとは、見込みのある若者やな。1つだけ教えてやろう。君が老荘思想を学ぶことや。」
「老荘思想ですか?」
「そうや。うちのチームは、『木鶏塾』や。君の選手たちは必死によく動いてたな……。だったら、『木猫』を目指せばいい。がんばれよ!」
(なにをおっしゃっているのか、意味もわからないまま……。)
「ありがとうございました!また、大会のときにお話を聴きに来ていいですか?」
「じゃあ、いつでも来なさい。」

「老荘思想」。
「木鶏」。
「木猫」。

 早速、書店に行き、文庫本を買い求めて、読みました。
 (木鶏、木鶏、木鶏……。)

「紀悄子(きせいし)、王の為に闘鶏を養ふ。十日にして而して問ふ、鶏已(よ)きか。曰く、未だし。方(まさ)に虚憍(きょけう)にして而して気恃(たの)む。十日にして又問ふ。曰く、未だし。なお影響に応ず。十日にして又問ふ。曰く、未だし。なお疾視(しつし)して而して気を盛んにす。十日にして又問ふ。曰く、幾(ちか)し。鶏、鳴くもありと雖(いえど)も、已に変ずることなし。之を望むに木鶏に似たり。其の徳全し。異鶏敢て応ずるもの無く、反って走らん」

 これと同じ話が『荘子』外編にありました。

 紀悄子という人が闘鶏の好きな王のために軍鶏(しゃも)を養って調教訓練していました。
 そして十日ほど経った頃、王が「もう闘わせてよいか」と聞いたところ、紀悄子は「いや、まだいけません、空威張りして“俺が”というところがあります」と答えました。
 さらに十日経って、また聞きます。
「まだだめです。相手の姿を見たり声を聞いたりすると興奮するところがあります」
 また十日経って聞きました。
「未だいけません。相手を見ると睨みつけて、圧倒しようとするところがあります」
 こうしてさらに十日経って、また聞きました。
 そうすると初めて「まあ、どうにかよろしいでしょう。他の鶏の声がしても少しも平生と変わるところがありません。その姿はまるで木彫の鶏のようです。全く徳が充実しました。もうどんな鶏を連れてきても、これに応戦するものがなく、姿をみただけで逃げてしまうでしょう」と言いました。

「なるほど……。それで、『木猫』なんや……。」

 そこから、わがチームは、「瞑想」と「イメージトレーニング」をベースにしながら、とにかく動く……、相手にかかわらずしっかり球を打ち込む、とにかく拾う……、そんな選手像を皆で追い求めていくことになりました。

 さて、「老荘思想」。
 ご承知のとおり、中国の哲学者である老子と荘子によって提唱された思想体系を指すと言われています。古代中国の春秋時代から戦国時代にかけて活動したそうですが、それも定かではないという説もあります。儒教の始祖である孔子の前に生きていて、孔子は老子の弟子だったという説もあれば、孔子の後に生きていた……という説もあるそうです。
 でも、世の中が混沌としていた時代に生きたことは間違いないと思います。いかに権力者となるか……、がむしゃらに人を蹴落とすことが当たり前だった時代。
 老子は、きっとそんな時代にうんざりしていたのだと想像します。
 それで、国を出て行ってやろうと関所を通ろうとしたときに、
「あれ。そこにいらっしゃるのは高名な方ではありませんか? ぜひ、書を残してください!」と請われて、サラサラと書いた書物、それが『道徳経』(または『老子』)として知られる著書だということです。
 一方、釈迦に説法ですが、荘子は、『荘子』として知られる著書でその思想を伝えました。老子の教えを継承しつつ、さらにそれを発展させ、相対主義、自由奔放、夢遊などの概念を提唱しました。荘子は、人間が自然と一体化し、自由に自己を表現することを強調しました。また、その書に記された寓話や譬え話は、思想を理解するのに重要な手がかりとなっています。
 老荘思想は、道家思想の中心的な一派であり、儒教や法家など他の古代中国の思想とは異なる視点を持っています。人間や社会に対する自然主義的なアプローチや、相対主義的な価値観、非行為主義、無為自然などの概念を通じて、人々に平和と調和を求める道を示唆している点が、いまの時代にも求められる理由だと考えます。
 勉強していくうちに出会った、いまも大好きな言葉が、「上善如水」。「老子」の八章に見える有名な言葉です。その本文をたどってみると、次のようになっています。

「上善は水のごとし、水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る。」
 つまり「最高の善は水のようなものでなければならない。水は万物を助け、育てて自己を主張せず、だれもが嫌うような低い方へと流れて、そこにおさまる」と、述べています。ほかにも、「水は方円の器に従う」「流水先を争わず」など水の性質を、「自由で流動的なものであるとする格言がみられます。
 いずれにしても、なにが人間にとって大切かといえば、自由無碍でフリーに動け、しかも自分の存在を主張しないで、人のいやがることも自然に受け止めることだと教えてくれる言葉です。
 舩井幸雄が尊敬した人物は何人かいるのですが、その一人が黒田官兵衛。
 ときに、「わしは、黒田官兵衛の生まれ変わりや……」などと、微笑みながら話してくれたものでした。
 官兵衛の隠居後の法名は「如水」、すなわち水が如く……。
 「如水」は、老子が唱えた「上善如水」と通ずるものがあります。
 官兵衛が伝えた「水五訓」は、よく舩井幸雄も引用していました。

 [水五訓]
一、自ら活動して他を動かしむるは水なり
二、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
三、常に己の進路を求めて止まざるは水なり
四、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり
五、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)たる鏡となりたえるも其(その)性を失はざるは水なり

 戦国時代を生き抜いた一人の人物が導き出した「権力者になるため」の教えといわれていますが、私は必ずしもそうではないと感じています。
「水の如く生きていく……。」
 ただ流されるのではなく、あらゆるものを包み込み、「柔軟に、時に強く」生きるありさまが示されているように感じます。
 水は変幻自在であるということ。自分では選べない環境が与えられる中で、そのめくるめく環境の変化に順応しながらも、水は水、その本質は変わらず……。
 水は低きに流れる……。どう変化するかわからない環境の中で常に低きを目指す、つまり謙虚さを忘れず。
 そして最後に、水は清濁を併せ呑む……。清濁が常に混在する環境の中で、その清濁を分け隔てなく集めうる水は川となり、海となる、つまり清濁を容れる器となります。
 このような水となるということは、いったいどういうことなんでしょうね……。
 水にならんとすることはつまり「柔らかい心」を持つということ。心が柔らかいがゆえに、何事にもこだわらず、またとらわれないがゆえに変化でき、謙虚となり、器が備えられる……。
 そして柔らかい心であれば、容易に折れない……。いかなる環境がもたらされようとも、順応でき、かつ自分の本質は変わっているのではない。氷や蒸気となっても、水に戻ることができるということ。そうすると、ストレスもたまりにくくなりますね。衝突しないからです。
 きっと、「自然の摂理にしたがう」という、舩井の哲学も、紐解けばここからきているように思います。舩井幸雄が老荘思想の影響を多分に受けていることがよくわかります。
 舩井幸雄を学び進めていくと、いろんな学びがあります。
 面白くてなりません……。
                         感謝

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舩井 勝仁 (ふない かつひと)
株式会社船井本社 代表取締役社長
1964年大阪府生まれ。1988年(株)船井総合研究所入社。1998年同社常務取締役 同社の金融部門やIT部門の子会社である船井キャピタル(株)、(株)船井情報システムズの代表取締役に就任し、コンサルティングの周辺分野の開拓に努める。
2008年「競争や策略やだましあいのない新しい社会を築く」という父・舩井幸雄の思いに共鳴し、(株)船井本社の社長に就任。「有意の人」の集合意識で「ミロクの世」を創る勉強会「にんげんクラブ」を中心に活動を続けた。(※「にんげんクラブ」の活動は2024年3月末に終了)
著書に『生き方の原理を変えよう』(2010年 徳間書店)、『未来から考える新しい生き方』(2011年 海竜社)、『舩井幸雄が一番伝えたかった事』(2013年きれい・ねっと)、『チェンジ・マネー』(はせくらみゆき共著 2014年 きれい・ねっと)、『いのちの革命』(柴田久美子共著 2014年 きれい・ねっと)、『SAKIGAKE 新時代の扉を開く』(佐野浩一共著 2014年 きれい・ねっと)、『聖なる約束』(赤塚高仁共著 2014年 きれい・ねっと)、『失速する世界経済と日本を襲う円安インフレ』(朝倉慶共著 2014年11月 ビジネス社)、『智徳主義【まろUP!】で《日本経済の底上げ》は可能』(竹田和平、小川雅弘共著 2015年 ヒカルランド)、『日月神示的な生き方 大調和の「ミロクの世」を創る』(中矢伸一共著 2016年 きれい・ねっと)、『聖なる約束3 黙示を観る旅』(赤塚高仁共著 2016年 きれい・ねっと)、『お金は5次元の生き物です!』(はせくらみゆき共著 2016年 ヒカルランド)がある。
佐野 浩一(さの こういち)
株式会社本物研究所 代表取締役社長
株式会社51コラボレーションズ 代表取締役会長
公益財団法人舩井幸雄記念館 代表理事
ライフカラーカウンセラー認定協会 代表
1964年大阪府生まれ。関西学院大学法学部政治学科卒業後、英語教師として13年間、兵庫県の私立中高一貫校に奉職。2001年、(株)船井本社の前身である(株)船井事務所に入社し、(株)船井総合研究所に出向。舩井幸雄の直轄プロジェクトチームである会長特命室に配属。舩井幸雄がルール化した「人づくり法」の直伝を受け、人づくり研修「人財塾」として体系化し、その主幹を務め、各業界で活躍する人財を輩出した。 2003年4月、(株)本物研究所を設立、代表取締役社長に就任。商品、技術、生き方、人財育成における「本物」を研究開発し、広く啓蒙・普及活動を行う。また、2008年にはライフカラーカウンセラー認定協会を立ち上げ、2012年、(株)51 Dreams' Companyを設立し、学生向けに「人財塾」を再構成し、「幸学館カレッジ」を開校。館長をつとめる。2013年9月に(株)船井メディアの取締役社長CEOに就任した。 講演者としては、経営、人材育成、マーケティング、幸せ論、子育て、メンタルなど、多岐にわたる分野をカバーする。
著書に、『あなたにとって一番の幸せに気づく幸感力』(ごま書房新社)、『ズバリ船井流 人を育てる 自分を育てる』(ナナ・コーポレート・コミュニケーション)、『私だけに教えてくれた船井幸雄のすべて』(成甲書房)、船井幸雄との共著『本物の法則』(ビジネス社)、『あなたの悩みを解決する魔法の杖』(総合法令出版)、『幸感力で「スイッチオン!」』(新日本文芸協会)がある。
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