船井幸雄グループ社員の、日々もの思い、考へる
このページは、船井本社グループスタッフによるコラムページです。 「これからは“本音”で生きるのがよい。そのためには“本物の人間”になることが大事」という舩井幸雄の思想のもと、このページでは、社員が“本物の人間”になることを目指し、毎日の生活を送る中で感じていること、皆さまに伝えたいことなどを“本音ベース”で語っていきます。
名前:ペンネーム:大の歴史好き
一時的に避難が解除されていた九州・新燃岳(しんもえだけ)の噴火状況ですが、まだまだ噴火活動が続いている模様です。2月10日現在でも、すでに農業への大きな被害が出ているのに、今後は雨による土石流の発生が予測されており、まさに宮崎県は、口蹄疫や鳥インフルエンザに続いて“泣きっ面に蜂”の状態です。
私は、こうした「噴火」を目の当たりにすると、父親の仕事の都合で住んでいた、フィリピンのピナツボ山の大噴火を思い出します。
ピナツボ山は、首都マニラから北西に100kmほど離れたところに位置し、1991年6月に噴火しました。後日、「20世紀最大の噴火」と言われたとおり、あまりに凄まじい噴火だったため、その火山灰は大気圏を突き抜けて宇宙空間まで達したそうです。
6月頃のフィリピンは、北西から南東に向かって季節風が吹いているので、火山灰は南方向に広がるはずなのですが、風上に位置する香港や台湾にも火山灰が降り注ぎました。文字どおり、想像を絶する大爆発だったのだと思います。
当時私は小学生で、現地の日本人学校に通っていました。噴火当日は休校になったかどうか忘れてしまいましたが、翌日の昼には、空一面に広がった火山灰に太陽光が遮られ、まだ明るい時間なのに真っ暗になっていたことを覚えています。
ただ、如何せん小学生なので、私は事の重大性をあまり認識せず、噴火翌日から外で遊んでいました(笑)。すると、降り注ぐ火山灰のせいで髪の毛がバリバリに固まってしまい、ようやく「噴火」を実感したのです。余談ですが、「ボルケーノ(volcano)」という単語を覚えたのも、この時です。
後日知ったことですが、ピナツボ火山はフィリピンの歴史をも変えました。もっとも大きいのは、在フィリピン米軍の撤退です。戦前、フィリピンを植民地支配していたアメリカは、太平洋戦争中に日本にフィリピンを奪われたのち、戦後再びフィリピンを支配。それが火山灰で在比米軍の基地がダメになってしまい、アメリカは再建するより放棄することを選択。フィリピンはアメリカから独立しました。
その結果、アメリカにとって在日米軍基地が「太平洋上の最前線基地」となり、その重要性が増大。それに比例するように日本国内の米軍基地問題が膨れ上がり、辺野古だのグアムだのと話は移っていきます。
―-話が大きくなってしまいましたが、20年近く前に経験した事象が、その後の20年に大きな変化をもたらしたと思うと、今回の新燃岳も違った姿に映ります。 喫緊の問題は、被害に遭われた人たちの救済ですが、中長期的に見た場合、「対岸の火事」ではなく「明日は我が身」と思って、心構えだけでもきちんとしておかなければと思う、今日この頃です。
1周目:「一語一句、気持ちを込めて文字を綴る」
2011.02.25: 感無量
2011.02.24: 本音で話をすること
2011.02.23: 〜ビジネスとスピリチュアルの融合を目指して〜 『裸でも生きる』
2011.02.22: 春の体調管理について
2011.02.21: 夢は2度叶う
2011.02.18: web上でのつながりから現実のつながりへ
2011.02.17: 鎌ヶ谷市をご存知でしたか?
2011.02.16: 新燃岳に想う、20世紀最大の噴火・ピナツボ火山
2011.02.15: 心が軽くなった話
2011.02.14: 親修行
2011.02.10: ワクワク健幸博に参加しました!
2011.02.09: 働くことに関する本音
2011.02.08: 皆さまに紹介したい本『O−リングテスト 超健康レッスン』
2011.02.07: ヒツジとヤギ
2011.02.04: 鳥インフルエンザからニワトリを想う
2011.02.03: ヘミシンク体験記
2011.02.02: エジプト暴動から考える私の本音
2011.02.01: にんげんクラブ東京大会で、“よりあい”実現しました。