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このページでは、舩井幸雄が(2014年1月19日の舩井幸雄の他界後は舩井勝仁が)いま一番皆様に知ってほしい情報をタイムリーにお伝えしていきます。
毎週月曜日定期更新
2014年7月21日
教育勅語 (※舩井勝仁執筆)

 いま二冊の本の出版の準備をしています。
 一冊は、イスラエルに一緒に行った赤塚高仁さんとの共著です。赤塚さんからは、一度滅んだ国を再建国した国の根本にある「ユダヤの精神」と、明治維新後に日本国再建のために掲げられた「教育勅語」など、数多くの面で触発されました。

 もう一冊は「死生観の本」です。この本は“看取り士”の柴田久美子さんとの共著です。この本のなかでは、日本人の宗教観を変える革命的な思考と向き合ってみたいと思っています。

 この両者からの導きは何だったのでしょうか。
 赤塚さんからは、日本人として一人の国民として、それぞれの思想信条とは別に、国の礎となる国民共通の精神的心情のあり方を学んでいます。そして、柴田さんからは、私たちの歴史のなかに育まれてきた、習慣や風習、さらには社会制度に、立ち止まった目線で問い直し、自らを覚醒し改革する覚悟のあり方を学んでいます。

 今日はその中の教育勅語について、私の考え方を少し記してみようと思います。赤塚さんに出会うまでは、正直に言うと教育勅語には抵抗がありました。軍国教育の要みたいに感じていたのですが、赤塚さんの「教育勅語を批判する人は、教育勅語をきちんと読んだことがない」という一言でまったくその通りだと思い、じっくり読んでみたらものすごく共鳴したというわけです。

【教育勅語 参照】
●教育勅語 原文●
http://www.meijijingu.or.jp/pdf/houdoku.pdf(明治神宮HPより)

●教育勅語の口語文訳●
(明治神宮HPより http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html
 
〜〜私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 

国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。〜〜
《国民道徳協会訳文による》


 教育勅語は、1868年の明治政府の成立から約23年の月日が経過した1890年(明治23年10月30日)に発表されました。その背景には、明治維新という『革命』の後、明治政府は欧米に追従する近代国家の建設にあたって、“人材の育成”が急務であるとの基本的政策のなかで、明治5年に欧米の教育制度に倣った学制を公布し、全国的に学校を設置、義務教育の制度を確立しました。
 しかし、その教育内容は欧米の教科書を直訳したものを使ったため、「学問は身を立てる財本(もとで)である」といった欧米流の功利主義が蔓延し、このような日本の伝統的文化道徳の衰退に心ある人々は憂いました。当時、道徳教育のあり方について国民のなかに改善を求める動きが起こりました。
 ちょうどその頃(1886年)明治天皇が帝国大学に行幸されて“教育における人格教育、ことに我が国の歴史と伝統文化について軽視の風潮に重大な懸念を示された”という経緯もあるようです。

 教育勅語は正式には『教育ニ関スル勅語』(法律ではありません)といいますが、終戦(第2次世界大戦)までの日本の教育の根幹となった綱領的位置づけとして捉えることができます。教育勅語の起案は井上毅、元田永孚によって起案されましたが、両者の間に若干の対立や当時の帝国議会の神道に対する配慮などがあったようです。
 しかし、その内容はその根幹に儒教道徳を取り入れながらも、時代的に培ってきた日本人の道徳文化に根ざしたものだったと思います。
 その内容を要約すると、12の項目に整理することができます。

1. 親孝行しましょう(孝行)
2. 兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
3. 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
4. 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
5. 自分の言葉をつつしみましょう(謙遜)
6. 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
7. 勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
8. 知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
9. 人格の向上につとめましょう(徳器成就)
10. 広く世の人々や社会のためになる仕事にはげみましょう(公益世務)
11. 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
12. 正しい勇気をもって国のため真心をつくしましょう(義勇)

 といった内容です。
 先に述べましたが、いわゆる儒教(朱子学)は、五倫五常の徳を説いています。

○五倫の徳=君臣の義、父子の親、夫婦の別、兄弟の長幼の序、朋友の信
○五常の徳(八つの徳)
・「仁」=思いやり(惻隠の情)・「義」=正しい行動・「礼」=礼節
・「智」=叡智工夫・「信」=信頼(これまでが五常の徳)
・「忠」=誠を尽くす・「孝」=目上の人を大事に・「悌」=兄弟仲良く

 と徳目を挙げています。

 そして、教育勅語は終戦後(1948年6月19日)に国会において衆議院では排除決議、参議院では失効確認決議がなされました。それは当時の「GHQ」の指示(当初GHQは積極的な廃止ではなく、教育勅語の改定構想もありました)によるものでした。
 しかし、「GHQ」の占領政策以前に敗戦という事実を迎えた国民に対して、第二次世界大戦末期の過剰なまでの神聖化、思想や良心の自由の否定、軍事教育や軍国主義の経緯に結びつけ排他的に否定された一面もあったと思います。
 戦後の教育で、『教育、体育、徳育』の中で、『徳育』の教えは重きを置かれませんでした。敗戦に対する自虐的発想があったのでしょうか。現在の我が国の倫理道徳観は著しく低下しています。その結果だと思われるのですが、日々の新聞報道には道徳が欠如したとしか思われないような驚くことばかり報道されています。
 極端な個人主義と共生の意識の欠如、それらは、教育現場はもとより、地域社会、家庭にまでも深刻な問題が提起されています。今一度、日本人としての源流をさかのぼり、教育のあり方について私たちは目覚める必要があります。
 まさに、父・舩井幸雄が常に言っていた日本民族の道徳意識の根底にある大和民族の魂、『良心の掟』をもう一度かみしめてみたいと思い、ここに記します。

○人には優しくあれ
○正直であれ
○嘘をつくな
○約束を守れ
○弱い者いじめをするな
○卑怯なことをするな
○誠意をつくせ
○親孝行をしろ
○兄弟仲良く

 話は変わりますが、11月の舩井☆SAKIGAKEフォーラムの準備も着々と進んでいます。
 ゲストに来てくださる神田昌典先生が監修され、はせくらみゆきさんが開発された日本語の言霊から自分の秘められた才能を探る「おとひめカード」の活用セミナーを先日受講してきましたが、とても強くて良いパワーを感じました。
 神田先生のお客様である実際にビジネスの現場におられる方々も多数参加されていましたが、「これはすごい!仕事の場でも使える!」「日本語のパワーは奥深く、底知れない……」とたくさんの驚嘆の声が聞かれました。
 舩井☆SAKIGAKEフォーラム当日は、神田先生、はせくらさんのお二方からは、精神世界の枠組みを外した現実的な人生のヒントをたくさんいただける濃密な時間になる予感がいっぱいです。
 私も「有意の人」と手を携え、微力ながら日本をもっと素晴らしい国にするため、この夏は舩井☆SAKIGAKEフォーラムの準備に全力投球したいと思います。
                                            =以上=

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