日日日是好日 〜熱海だより〜 -熱海秘書 相澤智子-
日々、船井幸雄やまわりの人たちと接する中で気づいたこと、学んだことなどを皆さまにお伝えしていきます。
船井は、「いまの政治家や役人たちは経営をよく知らないようだ。だから景気はよくならないだろう」と言っています。
そんな中で、「川口博さん(衆議院議員)は、経営のコツを知っためずらしい政治家の一人だ」と言っています。
川口さんには現在、にんげんクラブの会報誌内の「一問一答」のコーナーで毎月船井にご質問をしていただいています。
川口さんと船井は、川口さんが秋田県小坂町の町長であったときに、「まち再生」の仕事で知り合ったそうです。
船井はこれまでに300例以上の「まち再生」を手がけてきました。船井が再生を任されて最後まで付き合ってくれた町については、そのほとんどを成功に導くことができたそうです。小坂町もその中の一つでした。
秋田県小坂町は、明治、大正、昭和にかけて日本最大の銅山の町として有名で、とても栄えていた町した。全盛期は秋田県の年間予算の8倍の売上げがあったそうです。
しかし1970年代以降、小坂町は、鉱山資源の枯渇化や、安い輸入銅鉱のために衰退が急激に進み、鉱山経営にだけに頼っていた小坂町は、鉱業が衰退するにつれて雇用の場がほとんどなくなってしまったそうです。小坂町の人口はどんどん減少していき、町はゴーストタウンと化していきました。
そんな苦しい状況のなか、小坂銅山が閉山した年に町長に就任したのが川口さんでした。
どうしたら小坂町を生き返らせることができるか、川口さんはさまざまな人たちからよい知恵をもらうため、経済人や評論家の人などを小坂町に呼び、勉強会や講演会を開いたそうです。その中にいた一人が船井でした。
川口さんは船井に小坂町の苦しい状況を話し、どうしたらこの町が改善に向かうかを相談したそうです。
すると、船井は次のように話しました。(『ミスターリサイクル―資源循環にかける男』川口博著 インターナショナル・ラグジュアリー・メディア刊)
「ないものねだりはせずに、あるものを使ってやる気を出し利益を満たせばいいのではないでしょうか。ないものというのは、いまの世の中が必要としていないものです。でも、あなた方の足元にはけっこういいものがあるはずです。これはほとんどの町や会社にも言えることなのですが、意外に誰も気づかない。
下手に焦らず、将来を見据えて、世の中に役立つような仕事をきちっとやってください。そうすれば自治体の再生は必ずできます。」
“目から鱗が落ちる”とは、このことだろう。“ないもの”を嘆くより“あるもの”を活かすことが大事なのだと、船井氏は言うのだ。さらに、
「自治体というのは、なかなか難しいものです。選挙もありますから、票がほしくて町民に迎合するようなことも言いたくなるでしょう。しかし、そうじゃないのです。政策は信念に従って本物志向でいくことです。
と言っても、絵に描いた餅では仕方ありませんから、自分たちがいま持っているものを使うべきだと言っているのです。それをきちんと積み重ねることで、必ず再生の曙光(しょこう)は見出せるでしょう。努力というものは必ず報われるものですよ。
将来に残すべきもの、継承し練磨していくべき技術、環境問題や資源、エネルギー、食料、そしてもっとも大事な健康など、それらの分野で小さくてもいいですから何かひとつかふたつ、日本のみならず世界のモデルとなるような町づくりを考えてみてください。」(転載ここまで)
船井のアドバイスは、争い競い合うことではなく、「一番主義」を行なうことでした。
川口さんは、船井の話を聞き、「世の中がいま必要としていることは何か、そしてその必要としていることに対して小坂町ができることは何なのか‥」を考えたそうです。そして「小坂町が循環型社会のモデルになれるようになろう!」という考えに行き着きます。
具体的にどのようにビジネスに結びつけたかというと、小坂町が持っているハイレベルな製錬技術をリサイクル技術に活かすことでした。
日本には、携帯電話、パソコン、家電、自動車などの工業製品の廃品が多くあります。
一見ゴミのようにも見えますが、それらには、金、銀、プラチナ、などのレアメタルが含まれています。これは「都市鉱山」と呼ばれています。
川口さんは、小坂町の製錬技術を活かして、この都市鉱山からレアメタルを取り出すことに取り掛かりました。
世界的に質のいい鉱山でさえ、1トン当たり50グラムほどしか金は取れないそうなのですが、廃品ケータイの1トンからは、300グラムも金が取れるそうです。
現在、小坂製錬では1日に2本(1本13キログラム)の金の延べ棒が作られています。
小坂町の基盤産業の小坂製錬は、「世界で最も革新的な企業」の14位に選ばれるほどになりました。
そしてこんな厳しい時代にもかかわらず、小坂町の町民所得は伸びており、2007年の住民の平均所得は1991年の2倍にも上がったそうです。
私たちはいままで、大量のものを生産し、消費し、ゴミを捨てる。このような生活を行ってきました。ないものに意識を向け、「もっともっと」と欲に向かって走ってきました。
いま私たちは生き方を見直すとききています。
「ないものを嘆くよりも、あるものを活かす。」この考えがこれからは大事になってくるようです。日本には、すばらしい技術があります。日本がこれからどのように進んでいったらよいか、川口さんの小坂町のまち再生のお話には多くヒントがあるように思いました。
2011.06.21:32年前の船井の本を読んで
2011.06.14:船井がアドバイスした川口博さん(現衆議院議員)のまち再生について
2011.06.07:「量子医学」を研究されている島博基先生がいらっしゃいました
船井家の愛犬ゴンちゃんと一緒に。
1981年仙台市生まれ。6年間美容室に勤務後、一転して、2008年に船井幸雄グループに入社。学生時代から、船井幸雄の著書を愛読し、2007年の「船井幸雄オープンワールド」に参加。その後、すぐに「にんげんクラブ」に入会。2009年11月より、(株)船井本社の熱海本社にて、船井幸雄の秘書業務に携わる。現在、大好きな船井幸雄のそばで、いろいろな刺激を受けながら楽しく働いている。好きなものは、音楽鑑賞、ジブリ映画、犬。