トップが語る、「いま、伝えたいこと」
4月6日のこのページで少し書きましたが、「聖書の暗号」研究家のIさんから「船井先生、先生のこれからの生き方には中村天風さんのことが大事だ、…と、聖書の暗号に出て来ていますよ」というような意味のことを言われて、久しぶりに天風先生の本などを数冊読みました。
私は天風先生には、お目にかかったことはありません。
しかし山中竄ウんや上原國男さんから話しを聞き、勉強するように奨められて、天風先生には親しみを持っていました。
しかし、今回あらためて天風先生の著書や述書を読み、いろいろびっくりしました。
少なくとも天風先生は、医師から絶対に治らないと言われた肺結核(30才ごろの発症)と癌(50才すぎに発症)を、彼自身の精神力(?)で完治させたように読めます。
また虎と檻の中に一緒に入っていて平気だったとか、平(たいら)炭鉱ではニワトリを意識で動けなくしたような記述があります。
ともかく常人のできないことを多くやり、それをはっきり広言されています。
一つだけ実例をここに載せます。つぎの文章は’94年に日本経営合理化協会から出た中村天風述『心に成功の炎を』の中の147〜153ページの文章です。
これは自慢してもいいことだから自慢するけど、昭和十七年、北海道から講演を頼まれて、いざ行こうとする三日前に、急に私、声がでなくなっちゃった。
言論家の声のでないのは、ちょうど武道家が試合に行くときに、腕なり腰なりをくじいたか、折ったかというのと同じことだ。これが本当の声患(こえわずら)いだといわれたけれども、確かに声患いだ。
そら、えらいもんですな。朝、いつものとおり、ベランダでコーヒーを飲んでいて、もう一杯おかわりをもらいたいと思ってね、普段なら「おい、もう一杯」とこう言えるのが、「おっ、うっ」…おかしいな。でないんですよ。
そうしたら、うちの者が「どうなすったの?」「うっ」。それからしょうがないから、手でもって「声がでない」と書いた。それでもわからないもんだから、筆をもってきて、紙にチョイと書いた。
講演がとにかく三日後にあるから、北海道へ行かなきゃならない。北海道じゃあ、「日本三大言論家の一人来る」という広告をだしている。大正の初期の日本の三大言論家とは、田中舎身(しゃしん)(仏教運動家)と鵜崎鷺城(うざきろじょう)(評論家)と中村天風だった。とにかくその広告を立て看板でもって、町の辻々に立てている。そこへ私が出掛けていこうとするのに、声がでなかったならば、これは司会者が大恥かくもんね。言論家が声がでねえじゃ、言論じゃありゃしない。
すると、まさか私のほうから出向いて医者にかかるはずはないから、会の野崎さんが医者のほうから来れば別だろうというんで、私の竹馬の友に小野という耳鼻咽喉科の大家が東京神田のニコライ堂の前にいて、そこへ野崎さんが電話をかけたらしいんだよ。
「先生、急に声がでなくなっちゃったんですけれどね。遊びに来た体(てい)にして、ちょっとお出でになって診てくださらない?」といったら、向うじゃ半分ね、「ふだん、あのやろう元気で頑張っていやがるから、ざまあみやがれ、ほんとに。ほんとにひやかしてやれ」ぐらいのつもりで来たんでしょう。
いつものとおり、「こんにちは」。まあ彼は三か月にいっぺんぐらいうちに来るんですよ。
それで、ベランダに入ってきた。いつもだと、「ようっ、入れ」と、こう言う人間が何も言わないだろう、声がでねえんだから。むこうは声のでないの知っていやがんだけど、こっちは知ってきたとは思いやしねえ。
「どうした、元気か」
「うっ」
「おっ、声がでないのか」というから、
「うん」
「人の十人前も二十人前もふだんしゃべりやがるから、天罰だ。さあ、餅は餅屋。こういうときは、友達がいがあるんだ。さあ、口を開けてみな」といわれて、それでまた私も、ヒョイッと口を開けちゃったんだ。相手が親しい友達だから。そうしたら、ガチャッと入れやがったのは、暴れる子供ののどを調べるときの開口器。
舌押さえの先に懐中電灯のついたやつで、最初笑いながら見てたよ。そうしたら、だんだん難しい顔しやがってね、
「こりゃだめだ」と言いやがる。そうしたら、女房と野崎さんがいて、
「何でございます?」
「癌。珍しい癌だ、こりゃあ。声のでるところのね、すぐ入院しましょう。うちの病院でよろしい。だがしかし、受け合いませんよ。九十パーセントはだめだ、こりゃあ。幸いに命を取りとめられるとしても、一生、もの言うことができないだろう。けど、医者としてはこれは黙っていられないから、すぐ入院」と。
いかがです、あなた方。日本でも一、二を争う、よろしいか、耳鼻咽喉科の大家がそう言ったから、あなた方なら「ああ、大変」と、もう死んだような気持ちになってしまう。
そのとき私は、ものが言えないんだから、筆で書いた。「入院はしない。北海道へ行く」。書いたら、小野、何と思いやがったか、また筆を取りやがって、「入院しなければ死ぬ」と書きやがった。それからまたすぐ筆取って、「おれは耳は聞こえる」と書いてやった。
そうして、だれが何て言おうとね、北海道へ行ったよ。そうして、やっぱり声がでない。
初日、ちょうど幸い、札幌の大きな宿屋、山形屋にたまたま東郷大将(大正年間より天風会員)が来てたよ。そして、東郷さんは、陸軍少将の基田という伝書鳩を日本に広めた少将を一緒に札幌の連れて来ていた。
だから私は、この二人に、「ちょうどいいから、おれのかわりに講演してくれ。おれはこういうわけで声がでないから」と紙に書いて講演の代わりを頼んだんだよ。あの時分にはもう軍人が、まして大将が来るなんていうと、みんな喜ぶんだ。
ところが、札幌でしょ。東京から行った学生がうんと札幌の大学にいますわ。それが、天風先生が来るというんで、とっても憧れの的(まと)にしてたらしくて、三千人以上、今井記念館に集まっちゃった。演壇のすぐ前のところまでもね、それでも入りきれない。そこで、表に拡声器だして、表にもまだ二、三千人いるってぐらいなんだ。
それでいながら、私が出ないんだろ。そら聴衆がわきだしたよ。
「天風先生を出せえ」というと、また東郷大将が、
「いま言うたとおり、お出になってもお話がでけんのじゃ」
そうするとまた、中には、
「顔だけ見せろ」というやつが出てきちゃう。
控え室にいた私はね、そこまで言うのに出ていかなきゃかわいそうだと思って、出ていったよ。でも、声がでないんですから、しゃべれません。しかしね、この何干という聴衆から、とにかくこれだけの憧憬(どうけい)をうけてる以上は、たとえこの場でいま倒れて死んでも構わん、一言ぐらいは言わなきゃと思ってね、はじめてそのとき私は演壇の水を飲んだよ。
そして、クンバハカになって、「しょくーん」と言ったら、大きな血の塊(かたまり)がパーッと飛びだしやがった。それと同時に、スラスラものが言えだしたじゃねえか。そのかわり、コンコン、コンコン血が出る。ハンケチ二枚とてぬぐい一枚がたちまち真っ赤。
そうしたらね、足元にいる学生たちがみんなですがりついて、
「先生、もういいです。もうわかりました。やめてください」というから、
「心配するな。おまえの血が出てるんじゃない。おれの血が出てるんだ。命なくすまでここに立ってないから安心してろ。おれの体はおれが知ってる。悪いもんが出ちまえば止まるから、心配するな」
一時間、血を吐きながらの講演。そらもう自分ながらね、勇ましいと思ったよ。もの言うたびに、ドロドロ、ドロドロ出るんだもん。
それで、その晩は九度近い熱。それでも七日たったらね。けろっと治っちゃった。しかしそのときにもしも、最初に「これはいけねえ、即刻入院、即刻手術。けれどは助かるか、助からねえかはわからねえ」といわれたら、もう入院しない前にあなた方なら死んじまうよ。ちょうど幸い、そこに紙と筆があるから遺言書くだろう。ありもしねえ金のことを。
しかし、ありがたいかな、私は自分の命の正体は肉体でも心でもないと信念していますから、全然びくともしませんよ(転載ここまで)。
このような天風先生のお話しにウソはないと思います。それにしても、常人とちがうところが多くあります。
ともかく私は「びっくり」し、より天風ファンになり、いま、「なぜだろうか」と「びっくり」の答を知ろうと勉強中です。
読者の皆さんも御研究ください。
=以上=
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