トップが語る、「いま、伝えたいこと」
いま、私のもっとも好きな人の一人に副島隆彦さんがいます。本当にアタマがよく分析力は天才的で、いろいろ教えられています。
『預金封鎖』(祥伝社刊)や『老人税』(祥伝社刊)という著書で有名な人で、私とは今年『日本壊死』(ビジネス社刊)という共著を出しています。
ところで現在の「日本の状態と今後を解明する」新著を、2人の対談の形で出したいと思い、「昭和の文化史」について本音で語りあいました。多分、来年2〜3月には、ビジネス社から本になると思います。
その準備のために、私と親しい岡崎久彦さんが編者になっている今年出た『歴史の教訓』(PHP研究所刊)を読みました。
これは岡崎さんを中心に御厨貴 東大教授、坂元一哉 阪大教授、北岡伸一 東大教授、井上寿一 学習院大教授、五百旗頭真 神戸大教授が「日本外交・失敗の本質1と21世紀の国家戦略」を主題に大激論をたたかわせたのを、そのまま一冊にまとめたもので、明治以来の日本の戦略の方向をつかむ上で非常に参考になりました。
たとえば、その書中で岡崎さんは『いまの日本のデモクラシーは3回目』ということでつぎのように言っています。大事なことなので少し長文ですが、ここへ転載します。
大正デモクラシーがまだ不完全であるとか、どうして駄目になったかという疑問がいま提議されておりますけれども、私にいわせれば、立派なデモクラシーなんです。このデモクラシーが滅びたのは、デモクラシーみずからが滅ぼしたのだと私は思っております。アメリカでは、デモクラシーは初めからずっと不変のようでありますが、第二代大統領のジョン・アダムスは、「デモクラシーなどは続かない。デモクラシーというのは自分で自分をむさぼり食ってしまう。だから長持ちしないものだ」といっております。
日本の場合も、まず原 敬(はらたかし)がデモクラシーを実現した。これが二年も続きますと、もうみんな嫌になったんですね。藩閥政治がやっとなくなって、ついに民主政治がきたと思ってみんな期待したんですが、デモクラシーをやると、政党員はみんな国利よりも党利を重んじる。権限争いをする。ポスト争いをする。利権争いをする。そんなことは当たり前の話ですね。これはいまの民主主義がみんなやっていることなんです。
ところが、その前の薩長藩閥政治はさむらいの政治ですから、どこか廉潔(れんけつ)なところがあって、それと比べるとがっかりしたんですね。それが終わるころ、吉野作造(よしのさくぞう)が「いくら私が厚顔無恥でも、これを続けろとはいえない」といった。そこで、また超然内閣に三代戻るんです。加藤友三郎(かとうともさぶろう)、山本権兵衛(やまもとごんべえ)、清浦奎吾(きようらけいご)。これはデモクラシーの普通のサイクルなんですね。
いまの日本のデモクラシーは三回目
デモクラシーというのは、チャーチルがいっていますけれども、「これは最悪の政治である。こんなひどい政治はない。うんざりするような政治だ。だけれども、かつて現実に存在したほかの政治よりはましだ」。ということは、ほかの政治を全部経験しないと、デモクラシーがよいということがわからないんです。
アングロサクソンはこれを500年やっています。500年の試行錯誤をやって知っている。アングロサクソンの伝統をアメリカは受け継ぎ、インドも受け継いでいます。けれどもそれ以外は、一回目のデモクラシーが生き延びたためしはないですね。世界中全部、二回目か三回目です。
日本は、一回目は駄目になって、二回目に大正デモクラシー。大正デモクラシーをやっていて、大陸で中国の国権回復運動が強くなったり、不況が来たりすると、日本人はほかの制度が全部駄目ということを知りませんから、ひょっとしたら軍人のほうがよいのではないかと思う。軍人というのは廉潔ですし、国のためを思っているし、行動力があるし、これに任せたほうがよいのではないかと考える。
ですから、デモクラシー自身が不備だったから軍に取って代わられたというのではなしに、デモクラシー自身の本来的な性質としてそうなったわけです。国民が原 敬のデモクラシーを支持した結果、その次の超然内閣を支持しているわけです。その次はまた、デモクラシーを支持している。そして国民がそのあとの軍を支持したんですね。あのころを見ていますと、軍が先に立って政権をとったということではないですね。新聞と国民が先に立って、もう政党は嫌だ、ということになったんだと思います。
日本でもアメリカでも、学者の中には大正デモクラシーが、未熟だったとかフレッジング(生まれたばかりの幼い)という人が多いのですが、大正デモクラシーはいまのデモクラシーと本質的に変わらない立派なデモクラシーだったと思います。現に、いまの自民党代議士の日常など、かつての政友会代議士とちっとも変わっていません。
ですから、大正デモクラシーが未熟だったということではなしに、要するにあれは日本の二回目のデモクラシーだったということです。現在のデモクラシーは三回目のデモクラシーです。三回目で、もう誰もこれ以外選択肢があるとは思っていません。戦後何十年間で、もし軍という選択肢があったら、もうそろそろクーデターが起こってもいいのではないかということがいくらでもありましたが、軍にとらせたらまたああなってしまうということはよく知っています。そうすると選択肢がないんです。選択肢がまったくないということになると、デモクラシーが残る、安定する。私は、ただそれだけのことではないかと思っているんです。
その意味で戦前からのデモクラシーをずっと書いてくると、その結果として、いまの日本のデモクラシーが非常に強いことがわかる。これは新憲法があるとか、そういう問題ではないんです。歴史的経験を知っているからです。ですから、幣原がやりすぎたとかそういうことでもなしに、デモクラシー自体がみずからを破壊したんだろうと、私は思っております。
この流れは全部、東京裁判史観に対する反論だと考えていただいてもいいです。東京裁判史というのは、満州事変の前の田中義一の1928年からあとは、日本の指導者がみんな共同謀議をして全世界の侵略に乗り出したという。そんな馬鹿な話はない。田中義一のときに張作霖爆殺で失敗してから、今度はまた幣原外交が復活していますからね。その一事をもってしても、共同謀議というものは成立しない。共同謀議が成立しないと、7人を死刑にした理由がなくなってしまうんですね。ということで、もうその一事をとっても、東京裁判史観はおかしい(抜粋ここまで)。
岡崎さん編のこの本を読んだり、副島さんの話しをきくと、私は自分の歴史認識の甘さに恥ずかしくなりました。(副島さんの話しのポイントは、私との新しい共著をお読みください。)
ともかく自分の意見を、結論的にいう時は、やはり充分に調べて、正しいことを知ってから発言するべきだと思いました。
副島さんや岡崎さんは、NHKの大河ドラマや一般の人に人気のある司馬遼太郎さんの歴史小説などについては「あれらは、あくまでも小説である・・・と考えて楽しむべきで、事実だと思うと大間違いをする」という意見のもようですが、私も同感です。
批判はもとより、議論とか戦略、経営の方向づけなどは事実を知り、正しく理解してからやるべきだ・・・それができない時はむやみに発言するべきではない・・・と言えるでしょう。われわれは知らないのに、知ったかぶりをして論じすぎているようです。これは誤ちのもとになります。気をつけたいものです。
=以上=
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