船井幸雄グループ社員の、日々もの思い、考へる
このページは、船井本社グループスタッフによるコラムページです。 「これからは“本音”で生きるのがよい。そのためには“本物の人間”になることが大事」という舩井幸雄の思想のもと、このページでは、社員が“本物の人間”になることを目指し、毎日の生活を送る中で感じていること、皆さまに伝えたいことなどを“本音ベース”で語っていきます。
名前:松本 大
舩井幸雄ドットコムをご覧のみなさま、こんにちは。
-36kgのダイエットに成功したオリエンタルベジタリアン
本物研究所の松本大です。
2年程前、
伊丹万作(伊丹十三の父)の書かれたものを、
ふとしたきっかけで読むことがありました。
その当時の社会状況で感じるところは、
人それぞれではあったのでしょうが、
時期などは関係なく、
人が生きていく中で自分の人生に対して、
どれだけの責任と感謝を感じているのか。
それを考えるには、
良いきっかけになる気がしました。
今、ここ数年で自分の起こした行動が
どのようなものであったか、
それを考えるきっかけにもなるなと思いました。
簡単にですが、一部を抜粋します。
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『戦争責任者の問題』より抜粋
初出:「映画春秋 創刊号」1946(昭和21)年8月
さて、多くの人が、
今度の戦争でだまされていたという。
みながみな口を揃えてだまされていたという。
私の知つている範囲ではおれがだましたのだと
いつた人間はまだ一人もいない。
ここらあたりから、
もうぼつぼつわからなくなつてくる。
多くの人は
だましたものとだまされたものとの区別は、
はつきりしていると思つているようであるが、
それが実は錯覚らしいのである。
たとえば、
民間のものは
軍や官にだまされたと思つているが、
軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、
上からだまされたというだろう。
上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうから
だまされたというにきまつている。
すると、最後にはたつた
一人か二人の人間が残る勘定になるが、
いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で
一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、
一般に考えられているよりもはるかに
多かつたにちがいないのである。
(中略)
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、
新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、
さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつた
ような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的に
だます側に協力していたかを思い出してみれば
直ぐにわかることである。
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、
ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られない
ようなこつけいなことにしてしまつたのは、
政府でも官庁でもなく、
むしろ国民自身だつたのである。
私のような病人は、
ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを
持たずにすんだが、たまに外出するとき、
普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、
たちまち国賊を見つけたような
憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、
親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。
もともと、服装は、実用的要求に
幾分かの美的要求が結合したものであつて、
思想的表現ではないのである。
しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて
唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、
そうでなかつたら思想をカムフラージュする
最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。
そしてたまたま
服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、
彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、
眉を逆立てる演技をして見せることによつて、
自分の立場の保鞏(ほきょう)につとめていたのであろう。
(中略)
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。
「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子に
うそをつかなかつたか」と。
たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、
戦争中、一度もまちがつたことを我子に
教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、
もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、
彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず
戦争責任者に見えるにちがいないのである。
(中略)
だまされたということは、
不正者による被害を意味するが、
しかしだまされたものは正しいとは、
古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。
だまされたとさえいえば、
一切の責任から解放され、無条件で正義派に
なれるように勘ちがいしている人は、
もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
(中略)
「だまされていた」といつて
平気でいられる国民なら、
おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
いや、現在でもすでに別のうそによつて
だまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする
真剣な自己反省と努力がなければ
人間が進歩するわけはない。
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なんだか、過去の話ではないなと思うのは、
私だけでしょうか。
この数年、おそらく「騙されていた」人が
大多数なのだと思いますが、
そのままではきっと書かれているように
何度でもだまされてしまうのでしょう。
やはり、大事なのは、
世のため後のために何を思い描き、
選択し、行動するか。
そして、誰と共にその道を
歩んでいきたいかなのだと感じています。
58周目:「自分自身の使命を感じながら」
59周目:「腑に落ちる選択の繰り返し」
60周目:「楽しみが広がること」
61周目:「『あの命、この命』」
62周目:「とある週末の夜」
63周目:「その時その時の縁」
64周目:「経験」
65周目:「プロレスの完全復活に隠された秘密」
66周目:「自身に問う」
67周目:「トワニワカク」
68周目:「だったらあげちゃえよ」
69周目:「明日また陽が昇るなら」
70周目:「逆境にくじけるな」
71周目:「あたりまえはもはや、あたりまえじゃなくて」
72周目:「love me, I love you」
73周目:「あなたがいなけりゃ、悔しさに泣くこともない」
74周目:「すくわれる」
75周目:「Whole Lotta NEW LOVE」
76周目:「有頂天」
77周目:「SIGNAL」
78周目:「plantbased underfoot」
79周目:「流行過多」
80周目:「『3 ERAS』」
81周目:「ROOTS」
82周目:「『YES YES YES』」
83周目:「『Fake my mind』」
84周目:「『Wonderful Opportunity』」
85周目:「価値観を繰り返すこと」
86周目:「理解」
87周目:「SNSの世界」
88周目:「『根っこ』」
89周目:「二極化、分断を防ぐ方法」
90周目:「究極のハッピーエンド」
91周目:「ベースライン」
92周目:「周りを見ること、自分を見ること」
93周目:「無畏施(むいせ)」
94周目:「あそび」
95周目:「自身の行くべき道」
96周目:「『先にあるのは、今この瞬間の連続』」
97周目:「『UNITE』」
98周目:「「そもそも」から考える」
99周目:「核心」
100周目:「『自分が打ち震えるのは』」
101周目:「隣の芝生はパラレルワールド」
102周目:「『思考と配慮と想像と』」
103周目:「被害者意識の中の盲点」
104周目:「意図をすること」
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