中村陽子の都会にいても自給自足生活

このページは、認定NPO法人「メダカのがっこう」 理事長の中村陽子さんによるコラムページです。
舩井幸雄は生前、中村陽子さんの活動を大変応援していました。

2015.03.20(第6回)
醤油造りのご先祖様

 3月はメダカのがっこうでは醤油搾りと醤油仕込のシーズン。みんな1年間育てた醤油モロミの樽を持って、ワクワクしながら集まってきます。手造り醤油の指導者であり、搾り師である岩崎洋三氏と彼が育てた搾り手たちに、おいしい醤油に搾ってもらうためです。
 搾り手は、モロミの状態を見ながら熱いお湯で溶き、搾り袋に入れ、搾り舟にたたみ入れ、ゆっくりと重しをかけていきます。すると搾り舟からタラタラと醤油が流れ出てきます。

 今年の味はどうかとドキドキしながら流れ出てきた醤油をなめます。期待通りおいしいと嬉しくなります。一度に4台の搾り舟で搾っているので、ほかの樽の味も見に行ってなめます。みんなでみんなの醤油をなめっこして、感想を言い合ったり、褒め合ったりします。そして自分の醤油が一番おいしいと内心思ったりします。楽しい時間です。

 醤油を搾りきると、今度は火入れです。60度以上になってから90度近くまで温度を上げ、アクを除きます。アクと言っても悪いものではなく、醤油の中の軽い不純物です。
 とてもおいしいものなので、刻んだ大根や白菜を入れるとアク漬になります。火入れ後のボーメと言って濃度の基準があるのですが、ボーメが17前後だと、搾り師さんもみんなも上手く搾れたという証なので、おいしい醤油の誕生を喜び合います。

 後片付けもみんなでやります。搾り袋の中から搾りカスを出して、袋を洗って干します。
 カスをまとめたり醤油を持ち帰る樽に移したり、車に乗せたり、力を出し合い、協力しなければ作業はすすみません。昔の村仕事です。実は私はこの共同作業が好きです。自給自足と言っても一人で自分の分を造るのではなく、みんなでみんなの分を造ることが素晴らしい。みんな全体の流れを考えて頭を使い動きます。協力する心が育っていくのを見ているとうれしくなります。

 搾りが終わると今度は来年の分を仕込みます。都会にいても自給自足生活を目指しているメダカのがっこうのメンバーにとって、醤油造りは核になる仕事であり、大変な楽しみです。1樽の仕込に必要な原料は、大豆15kgに小麦15kgと塩12kg。これだけです。私たちは、仲間の作ってくれた無農薬・無化学肥料の原料に、醤油の醸造店で麹を漬けていただき、伊豆大島の海塩で塩切りをし、33Lの水と混ぜてモロミを仕込みます。

 私たちの醤油の造り方は醤油屋さんからは異端だと言われます。醤油屋さんでは、暗いところで毎日かき回して2年から3年かけて醸造するのに、私たちの方法は、太陽がさんさんと照り付けるところに置き、風にも当てて、1ヵ月に1回かき混ぜるだけで1年でできるからです。

 この醤油造りの技術を発見し、研究してくれた方がいます。15年前に92歳で亡くなられた荻原忠重さんという方です。彼がいなかったら、各家庭でこんなに小ロットの醤油造りを失敗なく出来る方法は生まれませんでした。醤油造りのご先祖様です。彼は戦後の物資がない時代、醤油が手に入らなくて困っていた主婦の姿を見て、なんとかしてやろうと醤油造りの研究を始めたのです。

 はじめは醤油屋さんに勉強に行き、暗いところで毎日かき回す方法を試してみましたが、これでは苦労多くしておいしいものが出来ないので、独自で研究を始めました。そして醤油の醸造には温度と風が必要だということを発見し、今までと180度反対の、太陽の光の下で醸造する方法を編み出していったのです。そしてほぼ失敗なくできるところにこぎつけたのは87歳の時、研究を始めてから40年近く経っていました。

 彼が90歳の時、信州放送で『90歳醤油造りの詩』という番組が制作されました。その中の言葉で心に深く残ったのは、「独学だわね。独学でなかったら本気になれないじゃない。失敗すればまた人に聞けばいいってもんじゃ」というくだりです。この覚悟。この自立心。この心があったから彼は醤油造りに新たなる1ページを開けたのです。ご先祖様になれたのです。

 メダカのがっこうの目標の一節に、「生きる環境と安全な食料に困らない日本を次世代に残せるようなご先祖様になります」というくだりがあります。今私たちに最も必要なのは、大切なことを人任せ、企業任せにしない自立心です。
 「都会に居ても自給自足生活のおすすめ」というスローガンも、高速道路のお世話になり、エネルギーも水も何もかも自給できていない中でも、大切な米、味噌、醤油、梅干し、たくあん、油だけでも仲間で作れるようになろうという自立への一歩として打ち出しました。例え業者に頼むことになっても、原料が作れて造り方が分かっていること、努力すれば作れる知恵と力を持っていることが大切です。もし賛同して下さる方は、一緒に何らかの分野のご先祖様を目指しましょう。

 さて、みなさんに聞いていただきたいお話があります。安部司さんの『みんな大好き食品添加物―食品の裏側』という講演です。「きれいで便利で安い」と引き換えに私たちが失っているものの大きさが分かります。人任せにしない覚悟ができます。メダカのがっこうと一緒に農家と繋がって自給自足を目指したくなります。
 日時は3月29日(日)13:00から 場所は渋谷のエボリューションフィナンシャルセンタ―3階大会議室です。中村陽子さんの紹介と言えば会員扱いで、4,000円(お弁当付き)二人以上なら3,000円です。中村陽子までお電話ください。090-3472-2038中村携帯です。自立して繋がりましょう!

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Profile:中村 陽子(なかむら ようこ)
中村 陽子(なかむら ようこ)
首のタオルにシュレーゲル青ガエルが
いるので、とてもうれしそうな顔を
してい ます。

1953年東京生まれ。武蔵野市在住。母、夫の3人家族。3人の子どもはすべて独立、孫は3人。 長男の不登校を機に1994年「登校拒否の子供たちの進路を考える研究会」の事務局長。母の病気を機に1996年から海のミネラル研究会主宰、随時、講演会主催。2001年、瑞穂(みずほ)の国の自然再生を可能にする、“薬を使わず生きものに配慮した田んぼ=草も虫も人もみんなが元氣に生きられる田んぼ”に魅せられて「NPO法人 メダカのがっこう」設立。理事長に就任。2007年神田神保町に、食から日本人の心身を立て直すため、原料から無農薬・無添加で、肉、卵、乳製品、砂糖を使わないお米中心のお食事が食べられる「お米ダイニング」というメダカのがっこうのショールームを開く。自給自足くらぶ実践編で、米、味噌、醤油、梅干し、たくあん、オイル」を手造りし、「都会に居ても自給自足生活」の二重生活を提案。神田神保町のお米ダイニングでは毎週水曜と土曜に自給自足くらぶの教室を開催。生きる力アップを提供。2014年、NPO法人メダカのがっこうが東京都の認定NPO法人に承認される。「いのちを大切にする農家と手を結んで、生きる環境と食糧に困らない日本を子や孫に残せるような先祖になる」というのが目標である。尊敬する人は、風の谷のナウシカ。怒りで真っ赤になったオームの目が、一つの命を群れに返すことで怒りが消え、大地との絆を取り戻すシーンを胸に秘め、焦らず迷わずに1つ1つの命が生きていける環境を取り戻していく覚悟である。
★認定NPO法人メダカのがっこうHP: http://npomedaka.net/

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