中村陽子の都会にいても自給自足生活
このページは、認定NPO法人「メダカのがっこう」 理事長の
舩井幸雄は生前、中村陽子さんの活動を大変応援していました。
今回は、1年半前に緑内障がきっかけで、若杉友子さんに出会い、メダカのがっこうの活動にかなりディープに参加されるようになったIさんをご紹介します。
彼女は大手企業の経理部長までされたキャリアウーマンで、仕事で生きていこうと思っていたそうですが、よくよく考えてみると結婚は人生の選択科目ではなく必修科目ではなかったかと思い、10年ほど前に婚活を開始。3年半前に今の音楽家のご主人と結婚されました。それまで一人暮らしの時には、自分の健康を考えて肉を少なめに野菜中心の食生活を心掛けていたのですが、慣れない結婚生活でのストレスは相当なもので、それが崩れてしまいました。豚肉の美味しい群馬県に嫁いだこともあり、しゃぶしゃぶやらアイスクリームや甘いものが止められなくなったのです。
そうこうしているうちに1年半前、緑内障が発覚。本屋で若杉友子さんの『長生きしたけりゃ肉は食べるな』(幻冬舎)に出合い、全著書を読破。その時、メダカのがっこうの存在を知りました。さて本格的な食による心身の立て直しを始めましたが、肉を止め、ストイックな生活はどこか違うと感じ、「あなたと健康」の東城百合子さんの料理教室に1年通ったり、マクロビオティックの久司道夫さんの講演を聴いたり、兎龍都さんの教室に行ったりしているうちに、偏ったことはしないで、祖母の時代の生活に近づければよいのではないかと思うようになりました。祖母の時代は晴れの日には肉も食べ、週に1度はお魚も食べていました。飽食の現代ですが、昔を思い出し、玄米とお味噌汁中心の一汁一菜を基本に、バランスのとれた食生活をしようと頑張り始めました。
彼女はこれ以前にも何回か大変な努力をしたことがありました。10年前に婚活を始めるまでに、タバコをやめておこうと、1カートンを持ち歩くほどヘビースモーカーを止めた時はとても苦しかったです。また頭皮にアトピーもありステロイドを10年くらい使用していましたが、それを止めた時も大変でした。
しかし今回の食生活改革は、メダカのがっこうの自給自足くらぶの活動の中で、仲間と一緒にチャレンジしていくことばかり、本当に楽しいそうです。
彼女曰く、「以前から味噌は作っていましたが、いつも食べているメダカのがっこう米で麹造りからする味噌造りの2泊3日の合宿は、麹の温度管理を交代でしたり、育っていく様を素手で感じたり、思いが似ている他の参加者の話を聴いたりと本当に楽しかったです。
また醤油のことですが、まさか自分が醤油麹とこだわりの塩でモロミを作り、1樽の醸造の世話ができるとは思わず、これで3月には30升の醤油が搾れるとは本当に驚きです。
12月のたくあん作りも青首大根ではなく首まで土に埋まっている漬物用の大根と、擦りたてのメダカのがっこう米の糠と昆布と無農薬のみかんの皮など吟味した原料だけで、砂糖ゼロなのにほんのり甘いたくあんができるのも本当にうれしい。6月にメダカのがっこうで教えてもらった梅干し作りで、自分の家の庭の梅を60kgも漬けましたとのこと。何から何まで手造りの贅沢な粗食生活は、楽しくてやめられません。
実は彼女は「都会に居ても自給自足生活」のパターンではなく、群馬県の庭の広い家に嫁いだので、田舎で自給自足生活ができる人なのです。しかし、3年前に嫁いだときには、広い庭をもてあまし、草むしりが大変だと厄介に思っていました。しかしメダカのがっこうで野草の料理の仕方を知ると、ミョウガとかフキの自生している場所や、野草の存在に気が付き、この庭が宝の山に見えてきました。ビワの葉もスギナもふんだんにある庭です。
梅干しも家の庭にある無農薬の梅の実で梅干しを漬けることができましたし、たくあん漬けも昨年覚えたので、今年は畑で栽培した大根でたくあんを漬ける予定です。
緑内障ですが、2ヵ月に1回の検診を受けつつ、昨年の12月に薬を止めましたが進行は止まっており、徐々に明るい光が戻りつつあります。これには食養や手当法だけでなく、塩と苦汁で作った塩ローションを目薬にしていることも効果があるかもしれません。また糖尿病であった主人は、体重が10kg近く減り、6以上で糖尿病だと言われているチェック数値HbA1c(ヘモグロビン・エイワンシー)が7.8から5.8に下がりました。
結婚して3年半、彼女は最近結婚して本当によかったと思うようになりました。こうして人生のパートナーとして人と関わることの大切さと良さが分かるようになり、それを体験できてよかったと思っています。また子どもも育ててみたかったのですが、自分たちの子どもはいないので、親戚の喘息の親子を何日か食養と手当でお世話したりしています。
これには、自分が今まで体験した食養や効果があった手当法を自信を持ってさせていただいているとのこと、そしてこういうものに出合えたのは緑内障になったおかげだと思うと、緑内障になってよかったのだと考えるようになりました。
最近、彼女は自分の7年余りにもなった婚活の豊富な経験を活かし、おせっかいおばさんを始めました。結婚しない幸せは大きな勘違いだと彼女は言い切ります。そして、いろいろな教室にやってくる以前の自分のような仕事人間の独身女性に、結婚の良さを伝え、パートナーを探している将来有望な農家の後継ぎの方などに引き合わせたり、迷っている人の背中を押したりしています。素晴らしいおせっかいおばさんの誕生秘話でした。
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過去年 | |
首のタオルにシュレーゲル青ガエルが
いるので、とてもうれしそうな顔を
してい ます。
1953年東京生まれ。武蔵野市在住。母、夫の3人家族。3人の子どもはすべて独立、孫は3人。
長男の不登校を機に1994年「登校拒否の子供たちの進路を考える研究会」の事務局長。母の病気を機に1996年から海のミネラル研究会主宰、随時、講演会主催。2001年、瑞穂(みずほ)の国の自然再生を可能にする、“薬を使わず生きものに配慮した田んぼ=草も虫も人もみんなが元氣に生きられる田んぼ”に魅せられて「NPO法人 メダカのがっこう」設立。理事長に就任。2007年神田神保町に、食から日本人の心身を立て直すため、原料から無農薬・無添加で、肉、卵、乳製品、砂糖を使わないお米中心のお食事が食べられる「お米ダイニング」というメダカのがっこうのショールームを開く。自給自足くらぶ実践編で、米、味噌、醤油、梅干し、たくあん、オイル」を手造りし、「都会に居ても自給自足生活」の二重生活を提案。神田神保町のお米ダイニングでは毎週水曜と土曜に自給自足くらぶの教室を開催。生きる力アップを提供。2014年、NPO法人メダカのがっこうが東京都の認定NPO法人に承認される。「いのちを大切にする農家と手を結んで、生きる環境と食糧に困らない日本を子や孫に残せるような先祖になる」というのが目標である。尊敬する人は、風の谷のナウシカ。怒りで真っ赤になったオームの目が、一つの命を群れに返すことで怒りが消え、大地との絆を取り戻すシーンを胸に秘め、焦らず迷わずに1つ1つの命が生きていける環境を取り戻していく覚悟である。
★認定NPO法人メダカのがっこうHP: http://npomedaka.net/