中村陽子の都会にいても自給自足生活
このページは、認定NPO法人「メダカのがっこう」 理事長の
舩井幸雄は生前、中村陽子さんの活動を大変応援していました。
東京から移住、田舎で子育てをするホームページビルダー
今回は、メダカのがっこうのホームページを作ってくれているYさんのお話です。彼女との出会いは、メダカのがっこうを始めた2001年頃、彼女が主催していた満月の会でした。チェルノブイリ原発事故の後、100万本のキャンドルナイトという市民運動が起こりましたが、彼女はこれにヒントを得て、満月の日は電気を消して月光の下、ローソクの火を囲んでお話ししようと始めた会。場所は井の頭公園の隣にあるジブリの森、メンバーは口コミで誰でも1品持ち寄りならOK、私はおでんやぬか漬けを持って時々出かけましたが、面白い人や意外な人に出会えて刺激的な集まりでした。異業種交流を超えた異次元異人種交流の場とでも言ったらいいでしょうか。
冬水田んぼの生物多様性に魅せられて、メダカのがっこうを始めたばかりの私は、一生懸命感動したこと、これからやりたいことなど、会う人毎に話しました。それを聞いていたYさんは、「私、メダカのがっこうのホームページが作りたい」と言ってくれました。彼女はご夫妻でホームページを作るお仕事している方だったのです。お二人とも頭脳明晰な方たちで、メダカのがっこうの趣旨と膨大な活動内容を理解してくれて、とても良いホームページを作ってくれました。その中で“生きものいっぱいの田んぼのレシピ”なども簡潔にまとめてくれました。
ちょうどそのころ彼女は一人目の子供を妊娠、出産。こどもを育てる場所を考え始めていました。食べるものを自然食品屋さんで買う生活も悪くはないけれど、自分の食べるものは自分で作る生活がしたい。メダカのがっこうなどの自然環境再生の活動を発信するホームページを作りながら、東京の事務所で夜遅くまで仕事をしているという裏腹な生活。また経済的にも都会で仕事を続けるのは大変で、事務所と住居を借り、保育園に通わせ、人を雇うと、2ヵ所の家賃、保育料、人件費などを毎月の支払わなければなりません。仕事の内容は素敵なのに、自分たちが都会でやせ細っていくのは良くないなと思いました。
もちろん実行前には漠然とした不安もありましたが、それと同時に「ひょっとして町に住んでいないと仕事はできないと思い込んでいるだけなのかも知れない」「農業にしても神様はそんなに難しくしていない。やりさえすれば何かしらできるはず。昔からみんながやってきたわけだから、そんなに難しいはずがない。ちょっと忘れているだけ」という思いも頭に浮かびました。「とにかくわからなくても飛び込んでみればいい」という“お金ではない食べていける世界”を信じる気持ちになっていました。
都会暮らしに疑問を感じた決定的な出来事もありました。ベランダのコンポストで生ごみを処理していたらよい土がたくさんできたので、その土を自然に返そうと思い、井の頭公園の係りの人に電話したところ、公園に土を撒いてはいけない決まりがあると言われ唖然としたことです。やはり、都会では循環の輪をとじることはできないのかと思いました。
そうこうしているうちに、2人目が生まれました。このままだとズルズルと東京の生活にからめ捕られてしまう。この子が1歳までに田舎に移住しようと心に決めました。仕事と生活に追われてなかなか本気で探しに行かなかった田舎の古民家を見に行って決めました。
移住先は山梨県北杜市になりました。最低限の改修工事にお金がかかることもあり、お金が底をつく前に移住しなければならず、本当なら春にしたかった引っ越しでしたが、寒さが厳しくなる11月になってしまいました。初めの冬は寒さに泣きました。突然の環境の変化に下の子は喘息やしもやけになりました。ですから春が来たときはうれしかったです。
畑の方は、冬のうちから家の前の畑に枯葉を積んで準備をしてあったので、春になって早速始めました。地元には三井和夫さんという自然農の師匠がいて、研修生になろうと思いましたが、「とにかくやってみなさい。そしてわからないことがあったら、その都度応じていきましょう」と言ってくださり、わからないことは聞きながら始めました。畑は肥料やマルチを買ってくるような余計なことはしないで、何も買ってこないでしようと思いました。すでに与えられているものがあるという感覚がありました。
畑が軌道に乗って4〜5年してから田んぼを始めました。やはり主食を作れれば安心です。田んぼは水の問題があるので、近所の人との関係ができてからでないと無理でした。
今年は無農薬自然栽培だと困る田の草対策のため、深水に耐える畦(あぜ)塗りをし、畔豆(大豆)も植えました。これで味噌を造ります。近所の人は除草剤を使うので深水の必要はなく畔塗などしませんが、また何か面白いことを始めたようだと、Yさん一家を温かく見守ってくれています。ちょっと変わったよそ者として認めてくれているようです。
移住の一番の目的の子育てですが、期待以上です。一度に改修工事ができないため、一部分ずつ家を直しながら住んでいることも、薪を用意する仕事も、また田んぼ作業も、畑仕事も、子どもたちを育ててくれます。お小遣い制度がないため、長男は新聞配達、次男は家族で作ったもち米でチマキを作って売って自分の使えるお金を溜めています。親と学校だけではこういう風には子どもは育たないと思うので、本当に良かったと思っています。
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首のタオルにシュレーゲル青ガエルが
いるので、とてもうれしそうな顔を
してい ます。
1953年東京生まれ。武蔵野市在住。母、夫の3人家族。3人の子どもはすべて独立、孫は3人。
長男の不登校を機に1994年「登校拒否の子供たちの進路を考える研究会」の事務局長。母の病気を機に1996年から海のミネラル研究会主宰、随時、講演会主催。2001年、瑞穂(みずほ)の国の自然再生を可能にする、“薬を使わず生きものに配慮した田んぼ=草も虫も人もみんなが元氣に生きられる田んぼ”に魅せられて「NPO法人 メダカのがっこう」設立。理事長に就任。2007年神田神保町に、食から日本人の心身を立て直すため、原料から無農薬・無添加で、肉、卵、乳製品、砂糖を使わないお米中心のお食事が食べられる「お米ダイニング」というメダカのがっこうのショールームを開く。自給自足くらぶ実践編で、米、味噌、醤油、梅干し、たくあん、オイル」を手造りし、「都会に居ても自給自足生活」の二重生活を提案。神田神保町のお米ダイニングでは毎週水曜と土曜に自給自足くらぶの教室を開催。生きる力アップを提供。2014年、NPO法人メダカのがっこうが東京都の認定NPO法人に承認される。「いのちを大切にする農家と手を結んで、生きる環境と食糧に困らない日本を子や孫に残せるような先祖になる」というのが目標である。尊敬する人は、風の谷のナウシカ。怒りで真っ赤になったオームの目が、一つの命を群れに返すことで怒りが消え、大地との絆を取り戻すシーンを胸に秘め、焦らず迷わずに1つ1つの命が生きていける環境を取り戻していく覚悟である。
★認定NPO法人メダカのがっこうHP: http://npomedaka.net/