船井幸雄グループ社員の、日々もの思い、考へる

このページは、船井本社グループスタッフによるコラムページです。 「これからは“本音”で生きるのがよい。そのためには“本物の人間”になることが大事」という舩井幸雄の思想のもと、このページでは、社員が“本物の人間”になることを目指し、毎日の生活を送る中で感じていること、皆さまに伝えたいことなどを“本音ベース”で語っていきます。

書:佐野浩一
船井幸雄グループ社員の日々もの思ひ、考へる あの社員の一日を公開!
歴史は続くよどこまでも(3)
2011.11.21(Mon)
社名:イリアール(株)
名前:【匿名】

魏志倭人伝(280〜290年頃編纂)。わずか2000文字の記録が、3世紀頃の日本を現代に伝えています。赤線の箇所が、卑弥呼の死についての記録です。

太陽を隠し、世界を真っ暗にしてしまう皆既日食は、太陽を崇拝していた古代日本では「世の終わり」とも取れるほどの衝撃を与えたことでしょう。

天の岩戸伝説。日本最古の歴史書「古事記」にその伝承が記録されていました。この出来事は、当時起きた皆既日食に基づいていると言われています。

神々が、天照大神を岩戸から出すための作戦会議を開いたとされる天安河原(宮崎県)。現在、そこには社が建てられています(天岩戸神社西本宮)。

天皇家の祖先神・天照大神をまつる伊勢神宮。内宮が高床式建築であることは、卑弥呼との関連性を示しているのでしょうか。

邪馬台国「九州」説の最有力候補の吉野ヶ里遺跡(佐賀県)。「倭人伝」の記述と符合する位置にあるとされ、その規模の大きさから邪馬台国跡と見られている。

邪馬台国「近畿」説の最有力候補の纏向(まきむく)遺跡(奈良県)。遺跡内にある箸墓(はしはか)古墳は、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とも言われている。

 みなさん、こんにちは。
 毎回書いていますが、私は大の歴史好き、日本史好きです。
今回も、「何となく知っていたけど、そんな意味があったんだ!」と、ちょっとしたらびっくりを味わっていただけたらと思います。なお、これは一介の「歴史好き」が書くことなので、「そういう見方もあるんだな」程度に読んでいただければ、幸いです。

 今回も、前回に引き続き古代を取り上げます。それも、古代も古代、卑弥呼(ひみこ)の時代です。
 私の古代好きは卑弥呼のおかげ(?)と言ってもいいくらいで、卑弥呼にまつわるミステリーは、私をググッと歴史へと引き込んでくれました。

       ◆   ◇   ◇   ◇
          卑弥呼とは?

 まず卑弥呼という人物ですが、西暦170年頃に生まれ、247〜248年頃に亡くなったと言われています(結構長生きだったんですね)。つまり3世紀に生きていた人です。現代の私たちがその事実を知ることができるのは、当時の中国の歴史書「魏志倭人伝」にそのことが記録されているためです。
 一方、大和朝廷の存在が確認されるのは5世紀のことなのですが、邪馬台国から大和朝廷ができるまで何があったのかということは、残念ながら中国側の記録にはありません。その頃は中国国内が混乱していたため、とても極東の島国の記録を残す余裕がなかったのです。
 したがって、日本建国の原点となる部分が未だに不明であり、「謎の4世紀」と言われています。

 ところで、意外と知られていないことなのですが、「卑弥呼」という名前は個人名ではなく役職名(職業名?)です。なぜなら時代を遡るほど、「人に名前(本名)を知られる」ことは、霊的にとても重い意味があったからです(※和歌の世界では、愛情表現として「本名を教える」ということがありました)。
 当時の様子をイメージすれば、邪馬台国に中国の役人が訪れ、「お前の国のボスは誰だ?」と聞いたとき日本人は、普通に「ヒミコです」と答え、「倭人伝」の中に「卑弥呼」と記録されたというわけです。そして今も昔も中国語(漢字)には、アルファベットやカタカナのような「音」だけを表す文字がないため、聞いた音に近い漢字を“当て字”するしかなく、「卑弥呼」と記録されたのです。
 敢えて本来の意味で漢字を当てるなら、「日御子」や「日巫女」というのが正しいと言えるでしょう。

       ◇   ◆   ◇   ◇
          卑弥呼の死

 卑弥呼にまつわる最大のミステリーは、その死についてです。
 「倭人伝」に記録されている彼女の死は、
「卑弥呼は、狗奴国(くなこく)と戦争状態にあった。そして、卑弥呼には(朝鮮半島に設置された中国の出先機関である)帯方郡に人を派遣させて戦況を報告させるとともに、中国側から張政という人物を邪馬台国に遣わした。張政は、卑弥呼の家来に皇帝からの書状と旗を授け、教え諭した。よって、卑弥呼は死んだ――とあります。
 もちろん原文は漢文ですが、最後の一文に、唐突に「卑彌呼以死(卑弥呼、以って死す)」とあり、この「以って(○○のため)」の「○○」の内容が不明で、大勢の学者先生から古代史マニアまで、やきもきさせているのです。
 このミステリーについて、次のような、とても興味深い説があります。

 この時代、「政情不安や天変地異などが起きたとき、状況を改善するために、王を殺し、取り替える」という習慣が中国東北部にあったことから、張政は「王の取り替え」法を卑弥呼の家来に教え諭し、その結果「卑弥呼は殺されたのではないか」という説です。つまり「他殺説」です。

 では、卑弥呼が殺されるような「政情不安や天変地異」は何かといえば、当時の状況を踏まえれば、前者は他国との戦争ですが、これは今日昨日に始まったことではなく、むしろ「天変地異」の方に着目した説があります。それが、247〜248年に起きた皆既日食です。

       ◇   ◇   ◆   ◇
       神話化された皆既日食

 地球と月と太陽の動きは、1800年前も変わりませんから、どこで皆既日食が起きたか(見られたか)ということは、記録に残っていなくても計算すれば割り出せます。そして、卑弥呼が死んだ247〜248年には、北九州で皆既日食が見られたというのです。
 暦(こよみ)がある程度発達していれば、皆既日食は予測することが可能であり「奇跡」にはなりませんが、当時の日本に暦法があるはずがなく、皆既日食は“奇跡そのもの”だったはずです。しかも、古代日本は太陽信仰の国だったことを踏まえると、「太陽が消えてなくなる」皆既日食は、不吉以外の何物でもなかったことでしょう。
 まさに、卑弥呼を殺し、新しい卑弥呼を打ち立てるには十分の「天変地異」だったのではないでしょうか。

 もちろん、「皆既日食が起きたため、卑弥呼を殺し、新しい卑弥呼を即位させました」などといった記録は残っていません。しかしこのことは、神話となりました。
「天の岩戸伝説」です。
 この伝説は、「乱暴ばかり働くスサノオに怒ったアマテラスは、岩戸の中に閉じこもった。(太陽神である彼女が隠れてしまったため)世の中は真っ暗となり、困った神々は岩戸の前で宴を催した。気になったアマテラスが岩戸を開けたところをスサノオがこじ開けて、二度アマテラスが岩戸に戻れないようにし、再び世界は平和になった」――とまあ、こんなお話し。

 そもそも神話とは、古今東西、まったく事実無根というものではなく、何らかの歴史的事実にもとづいて作られるのが一般的です。つまり「天の岩戸」伝説のストーリーは、247〜248年の皆既日食にまつわる一連の出来事を神話化したのではないかというわけです。
 符合する部分を挙げれば、「乱暴ばかり働くスサノオ」は、邪馬台国と戦争をしていた狗奴国を、「岩戸に隠れたアマテラス」は殺された卑弥呼を、「岩戸から出てきたアマテラス」は新しい卑弥呼(「倭人伝」には壱与という名前が記録されています)と符合します(※余談ですが、古語においては、「隠れる」とは「死」の意味も含みます)。

                       ◇   ◇   ◇   ◆
                      アマテラスとなった卑弥呼

 これまで私は「なぜ、天皇家は現代まで続くことができたのか?」というテーマで書いてきましたが、その理由を一言で片づけてしまうなら、「天皇家は、天照大神(アマテラス)の子孫である」からです。3段落目ではサラッと書きましたが、もし「卑弥呼=天照大神」が事実とすれば、「謎の4世紀」についても、ある程度は解明されるのではないでしょうか。

 例えば、邪馬台国大和朝廷の関係です。
 邪馬台国は卑弥呼が支配し、大和朝廷は天皇が支配していました。そして天皇の祖先神が天照大神であり、天照大神が卑弥呼ならば、「邪馬台国=大和朝廷」はほぼ決まりと言っていいのではないでしょうか。
 そもそも国名からして、現代の私たちは「邪馬台」を「やまたい」と訓読みしていますが、「卑弥呼」と同じく中国側の当て字にすぎません。中国読み(音読み)では「ヤマドゥ」に近く、もともと「ヤマト国」と言っていたのではないでしょうか。

 次に、日本の古代史で1番ホットな話題と言える、邪馬台国の場所です。
 「近畿」説と「北九州」説がありますが、これまでの話の中から推理をすれば、前述した皆既日食が「きちんと太陽が隠れる形で見ることができたのは北九州」ということなので、微力ながらも邪馬台国=北九州説を裏付けているのではないでしょうか。
 また天の岩戸伝説では、アマテラスが岩戸に隠れて困った神々が作戦会議を開いたのが天安河原(宮崎県)と伝えられています。宮崎は「北九州」ではありませんが、これもまた邪馬台国が、少なくとも九州にあったことを物語っているのではないでしょうか。

 もちろん、専門家の方々による「近畿」説と「北九州」説それぞれに説得力があるのですが(「北九州にあったものが近畿に領土を広げた」という説もあります)、それでも私は、上記のように「当時の人々が子孫に伝え、残そう」とした神話や伝説には、それなりの説得力を感じます。
 最初に話が戻りますが、私が古代史に惹かれるのは、現代の私たちでは到底理解が及ばない常識の中で「彼ら」は生活を営み、しかし「彼ら」が子孫に残そうとした神話や伝説が現代にも伝えられている。この何とも言えない、長大な時間を感じさせてくれるのが古代史だと思うからです。

 卑弥呼にまつわるストーリー、または邪馬台国が大和朝廷に発展するまでのストーリーについては、まだまだ書ききれないほどたくさんあるのですが、今回はこの辺で終わりたいと思います。

 ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。


1周目:「一語一句、気持ちを込めて文字を綴る」
2周目:「新燃岳に想う、20世紀最大の噴火・ピナツボ火山」
3周目:「わたし流 歴史・時代の眺め方」
4周目:「歴史は繰り返す? 実はニッポン人はお金にルーズ?」
5周目:「歴史は続くよどこまでも」
6周目:「歴史は続くよどこまでも(2)」

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