トップが語る、「いま、伝えたいこと」
私は、まず日本人は「仁義礼智信」的生き方をしよう・・・と、言っています。
そのうえで、自分の正しい生き方を見つけるのが、日本人にとってもっともよい・・・と思うからです。それはどんなことかを月刊誌『にんげんクラブ』の7月号に同誌の編集担当の兒玉裕子さんがまとめてくれました。つぎのとおりです。
なぜ、私がこんなことをいうか? そして、どうしていまのような「生きざま」を志すようになったかを読者にも知ってほしいのです。皆さまも自分なりの正しい生き方を考えてください。お願いします。
秘書から見た船井幸雄 「仁義礼智信」的な生き方
「にんげんクラブ」5月号の巻頭言にも掲載しましたが、船井がよく使う言葉で「仁義礼智信」という言葉があります。
これは儒教から来る言葉で、戦前に「修身」の授業を受けた年配の方々は、この言葉に沿った生き方がしっかりと刻み込まれているようです。しかし、戦後GHQにより日本の制度は教育を含め、ことごとく変えられました。日本人としての正しい生き方である「仁義礼智信」に沿った生き方はいつのまにか忘れ去られてしまいました。船井がまだ学生の頃には、旅館に宿泊する際にまったく見ず知らずの男女が、ふすまや障子一枚を隔てて泊まることがあっても、何も事件はおこらず、それがあたりまえのことだったそうです。現在では、ホテルの各部屋に鍵がかけられ、内側からは、チェーンの鍵がかけられ、さらに各部屋に金庫があるのがあたりまえの時代です。
さて、戦後の教育を受けた方の中で、仁義礼智信について正しく理解し、説明ができる方はどのくらいいらっしやるのでしょうか。恥ずかしながら、勉強不足な私は、はじめて船井から仁義礼智信の言葉を聞いたときに、「??????」と、クエスチョンマークが頭の中を駆け巡りました。言葉を知らないどころか、船井に意味を教えてもらっても、いまひとつよくわからないのです(余談ですが、船井は職業柄か、結論を先に言う特性があるため、普通の人が30くらいの単語を使って説明してくれることを「ひとこと」で説明します。たとえて言うならば、簡潔で美しい数学の公式のようなのですが、理屈っぽくて頭が固い私は、その答えのシンプルさゆえに「???」となってしまうことがよくあります)。
船井の講演会に同行することの多い私は、何度も仁義礼智信について船井が語るのを聞きました。しかし、講演を聴かれるお客様も私と同様に「??????」と順にクエスチョンマークが巡る方がいらっしゃるようでした。言葉としてわかっても、具体的にどんなものかいまひとつ想像ができない、というところでしょうか。
そんなあるとき、仁義礼智信が具体的にどんなものかがわかる出来事がありました。ある方と船井が一緒に食事をとっていた時のこと、その方は驚くほどの早さであっという間に食べ終えました。船井もわりと食事時間が短いほうなのですが。その方は船井よりも遥かに早く食べるのです。「随分早く召し上がるのですね」とびっくりしてその方に声をかけると、「自分の目上の人と食事をするときには、先輩よりも後から箸を持ち、先輩よりも先に箸を置くのが礼儀ですよ」とのことでした。ポカンとしている私に、船井は笑いながら、「これが仁義礼智信がしっかりと身についている人の行動ですよ」と教えてくれました。
さて、ここで私と同様「仁義礼智信」について、いまひとつよくわからない方のために、少しこの言葉の説明をしたいと思います。
「仁義礼智信」とは、儒教の基本的な五つの徳目、「五常」と言います。五常は孔子(紀元前551〜紀元前479)が確立したものではありません。孔子は「仁」と「礼」を説き、孟子(紀元前372〜紀元前289)が「仁義礼智」の四つを説きました。さらに漢の董仲舒(紀元前176〜紀元前104)がこれに信を加え、「五常」を確立したのです。
五常の意味を簡単にまとめると、以下のような意味だそうです。
仁・・愛、慈しみ、思いやりの心、慈悲の心
義・・人の生きる正しい行い、判断力、恩義、義理(孟子は、「義とは人の正しい道、もし生と義が両方満たされない場合は、生を捨て義を取るもの」と教えました。)
礼・・礼節を重んじる、辞譲の心、謙虚に、社会秩序に従い、人を敬うこと
智・・考え学ぶ力、是非の心、知識や経験を通じた正邪の区別ができる知恵
信・・信頼、信仰、自分を信じ、人を信じる心。うそをつかない、約束を守ること
船井は、社会人になり、世の中を知ると、できるだけこの五常に沿った生き方をしよう、と実行しました。しかし、「五常」を実行した後に、どうも自分にとってはこの生き方は「窮屈」である、と判断したそうです。そこで、三つのことだけを実行することにしたと言います。
・約束を守る
・他人の足はひっぱらない
・恩義は忘れない
一見簡単に見えますが、この三つだけでも確実に守るのはなかなか難しく思います。特に、謙虚さを失ってしまうと、守ることはできないでしょう。
船井のように仁義礼智信がしっかりと身についた後は、この三つを守るのがいいようですが、私のように仁義礼智信の身についていない世代の日本人は、まずは五常を徹底的にやってみるのがいいだろうとのことでした。
最後に仁義礼智信について、戦国時代の武将、伊達政宗(1567〜1636)の残した言葉をご紹介します。
「仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎれば諂(へつら)いとなる。智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする」
伊達政宗
伊達政宗の時代には、きっと日本国民のほとんどすべてが、仁義礼智信に沿った生活ができていたのでしょう。しかし、伊達政宗も船井と同じように五常に沿った生き方は少し窮屈だと思ったのでしょうね。 (文 兒玉裕子)(転載ここまで)
=以上=
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