中村陽子の都会にいても自給自足生活

このページは、認定NPO法人「メダカのがっこう」 理事長の中村陽子さんによるコラムページです。
舩井幸雄は生前、中村陽子さんの活動を大変応援していました。

2019.11.20(第62回)
私の一番の味方でいてくれた母を偲んで

 今月の始め11月4日に母が亡くなりました。大正15年生まれで93歳でした。大正、昭和、平成、令和を生きました。母方の親戚の中で一番長寿の曽祖父と同い年の寿命でした。今回は母のいくつかのエピソードを思い出して、偲んでみたいと思います。

 母の特筆すべきところは、恐れを知らない育ちの良さ、ねたみや嫉妬とは無縁の人だったということ。母は良く自分のことを「我がまま」だと認めていて、「私は両親が結婚して13年目に生まれた子どもだったから、いつも抱っこしてもらっていて、下に置かれたことがなかったからね」とその理由を説明していました。頭が良くて優等生で、3人兄弟の長女で、親の愛や先生から信頼されていて、期待に応えるだけの実力もあって、何も困らなかったせいか、死ぬまで恵まれていて人に大事にされる雰囲気を持っていました。

 生家が入舟町という下町の小間物屋だったので、銀座や日比谷公園が遊び場だったと自慢していました。晩年もっと銀座に連れて行ってあげればよかったな〜と少し後悔しています。府立第一高女を卒業後、進学せず貴族院の庶務課文書係という仕事に就きました。字がきれいだったし、貴族の方のお名前も文字も位も一度聞いたら忘れないから、とてもかわいがられたようです。

 しかし贅沢にも、その仕事に飽き足らず、YMCAで英語と英文タイプを勉強し、新聞の求人欄から気に入った仕事を見つけ転職したのです。大正生まれの女性って、意外と活発で新しいのでしょうか。そして、キリスト教でもないのに、その会社の聖書研究会に入って父と出会い結婚しました。ちなみに父もキリスト教ではありません。でもご縁を繋いでくれたことに私は感謝しなければ。

 母が一番苦労したのは、父の両親と兄を松山から引き取って死ぬまでお世話をしたことです。父のお母様は目が見えず、お父様は認知症で、お兄様は耳が聞こえませんでした。私が5歳から8歳くらいの時でしたが、家の中は常に騒動が起こり、本当に大変でした。母が良く耐え抜いたと感心します。このことを父は死ぬまで母に感謝していました。

 父がだんだん偉くなった時、大変なことが起きました。父の会社が9分9厘まで決まっていた大蔵省からの天下りを白紙に戻したとき、大きなしっぺ返しを受けました。父と銀座のママが移っている写真が週刊誌に載り、スキャンダルにされたのです。しかし、この時の母の対応が凄かった。父のことを信じて疑わず、嫉妬心が皆無な母は、父が会社から帰るなり、「あなた怒らないでくださいね。こんな記事が出てしまいました」と言って、その週刊誌を見せたのです。父はこの対応に驚き、喜び、母への感謝をすぐ記事にして出しました。

 66歳の時、母は原因不明の病気になり、どんどん元気がなくなりました。私はすでに結婚して子どもも3人いましたが、この時同居を決意しました。両親との家は、ただ住んでいるだけで元気になる家を建てようと思い、船井先生に相談しました。そこで、静電三法の理論による炭素埋設でイヤシロチ化し、足立育朗さんの調和のオブジェと正しい原子核の曼荼羅を108枚壁に埋めるなど、工務店に人に怪しまれながら実行しました。お陰様で、大変居心地が良い家を建てることができ、母のことを病院の先生が「この人は良い遺伝子を持っているとしか考えられない」というほどの不死鳥ぶりを見せたのです。しかしこれにはメダカのがっこうの米や味噌やすべて無農薬・無添加の食事がかなり功を奏していると思っています。病院のものを食べない母は、家に帰って来て、みそ汁とご飯を食べるだけで、すぐ元気になりました。

 少し恨み言を言うとすれば、母は生きものが全くダメな人で、虫もダメ、犬も猫もダメ、鳥もダメ。本人は、戦時中防空壕の壁にいっぱい張り付いていたコオロギが気持ち悪かったとか、実家で晴れ着を着て座っていたところ猫にオシッコをかけられたとか、子どもの頃、学校帰りに鶏に追いかけられたのが怖くて忘れられないとか、悪い思い出ばかりを挙げていました。おかげで、小学校時代、私が捨て猫を拾って帰ると、目を三角にして「今すぐ捨ててらっしゃい」と絶対飼うことを許してくれませんでした。
 メダカのがっこうを始めて、私が田んぼの生きもの調査をしているのを見ると、「なんであなたはイトミミズがかわいいの?」と不思議に思っていたようです。

 母は私の一番の味方でした。私の周りの人で、私にとって良くない人が直観で分かるようでした。私と誰かが言い争いをしていると、そばで黙って聞いているのかいないのか眠っているように見える時でも、その人が帰ると「どうぞ陽子のやろうとしている事がうまくいきますように」と手を合わせて祈っているのです。その姿に周囲の人も涙しました。私は最大の味方を亡くしてしまったのだなと思うと悲しいですが、今度は私が次世代の方たちの最大の味方になる時が来たのだと思うことにします。
(おわり)

お知らせ@ 私が今一番応援しているのが、「いただきます みそをつくるこどもたち」と「いただきます2発酵の楽園」の映画です。これほど、土と食と内臓の関係が分かる映画はありません。1月24日から吉祥寺アップリンクで上映します。メダカのがっこうに前売券1300円があります。子どもたちが元気に育たなければ日本の未来はありません。この映画をぜひ観に行ってください。1800円ですが当日行っても大丈夫です。

お知らせA 私のグリホサート頭髪検査は、検出しませんでした。日本人の7割は検出されるはずなので、皆さんもやってみてください。

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Profile:中村 陽子(なかむら ようこ)
中村 陽子(なかむら ようこ)
首のタオルにシュレーゲル青ガエルが
いるので、とてもうれしそうな顔を
してい ます。

1953年東京生まれ。武蔵野市在住。母、夫の3人家族。3人の子どもはすべて独立、孫は3人。 長男の不登校を機に1994年「登校拒否の子供たちの進路を考える研究会」の事務局長。母の病気を機に1996年から海のミネラル研究会主宰、随時、講演会主催。2001年、瑞穂(みずほ)の国の自然再生を可能にする、“薬を使わず生きものに配慮した田んぼ=草も虫も人もみんなが元氣に生きられる田んぼ”に魅せられて「NPO法人 メダカのがっこう」設立。理事長に就任。2007年神田神保町に、食から日本人の心身を立て直すため、原料から無農薬・無添加で、肉、卵、乳製品、砂糖を使わないお米中心のお食事が食べられる「お米ダイニング」というメダカのがっこうのショールームを開く。自給自足くらぶ実践編で、米、味噌、醤油、梅干し、たくあん、オイル」を手造りし、「都会に居ても自給自足生活」の二重生活を提案。神田神保町のお米ダイニングでは毎週水曜と土曜に自給自足くらぶの教室を開催。生きる力アップを提供。2014年、NPO法人メダカのがっこうが東京都の認定NPO法人に承認される。「いのちを大切にする農家と手を結んで、生きる環境と食糧に困らない日本を子や孫に残せるような先祖になる」というのが目標である。尊敬する人は、風の谷のナウシカ。怒りで真っ赤になったオームの目が、一つの命を群れに返すことで怒りが消え、大地との絆を取り戻すシーンを胸に秘め、焦らず迷わずに1つ1つの命が生きていける環境を取り戻していく覚悟である。
★認定NPO法人メダカのがっこうHP: http://npomedaka.net/

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