舩井幸雄の「この人いいよ!」

このページでは、超幅広い舩井幸雄の人脈の中から、舩井幸雄がぜひ皆さまに紹介したいと思う人を、さまざまな角度からご紹介します。

「失敗しても、またゼロから
始めればいいだけです。」

今回は、(株)オリエンタルの代表取締役の尾崎友俐さんを紹介します。尾崎さんは、1999年のノストラダムスの大予言までに"会社をつくりたい"という夢を持ち、その商材を探るため、タイ、インド、エジプト、オランダ、イタリア、メキシコなど約40ヵ国を貧乏バックパック旅行へ出ます。  帰国後、なんと資金たったの180万円で、手作りの炭火焼肉店をオープンさせました。
その事業がどんどん大きくなる中、人気テレビ番組『マネーの虎』に起業家としてご出演されるなど、絶頂だった尾崎さんに、突然大打撃が襲いました。そんな大きな波を、持ち前の機転と行動力で柔軟に乗り切る尾崎さんのパワフルなお話を伺いました。

(株)オリエンタル 代表取締役尾崎 友俐さん

(株)オリエンタル 代表取締役尾崎 友俐さん

プロフィール
尾崎 友俐(おざき ゆり) (株)オリエンタル 代表取締役
1968年東京都生まれ。洗足学園大付属の中学校よりフルート、ピアノに親しむ。高校時代よりヨット部に所属。京都国体・はまなす国体に出場。リクルートでは、鴎翔号乗組員として、リクルート社員に向けて人材研修活動を行う。1999年のノストラダムスの大予言までに"会社をつくりたい"という夢を持ち、世界一周貧乏バックパック旅行へ。タイ、インド、エジプト、オランダ、イタリア、メキシコ、アメリカなど約40ヵ国を放浪し、帰国後起業。自社店舗12店舗・コンビニエンスストアへの弁当納入実績があったが、狂牛病騒動により、業態変換。実体験に基づいた起業家の姿を伝えるべく、女性起業塾を創業。同じ頃より、日本テレビ『マネーの虎』にも飲食の女性虎として出演。有名スポーツ選手のネットカフェや、有名IT企業の集客プロデュース、コンサルティングを手がける。2006年女性総合研究所を創立。次世代を担う真の女性リーダーを育成する機関として社会貢献を行う。
―ご著書の『尾崎友俐の「考え方」革命』(PHP研究所刊)を読ませていただきました。尾崎さんのパワフルさが直に伝わってきて、楽しく読めました。尾崎さんは、1999年のノストラダムスの予言の年を一つの節目と考えられ、それまでに何か事業を興そうと幼い頃から考えられていたのですよね。
尾崎:(本を読んでいただき)ありがとうございます。はい、私は小学校5年生の時に1999年の「ノストラダムスの大予言」を知り、このことが私の人生で大きな影響を及ぼしました。
 幸いにしてこの予言は当たりませんでしたが、それを知った時、「自分の人生が断たれる時がくる」ということをリアルに実感できたのです。それがきっかけとなって、その頃から、「悔いのない人生を送らなければいけない」と考えるようになりました。「悔いのない人生」ということを考えると、この世にせっかく生まれてきたのだから、自分という人間がいたという証・・・、証というか、きちんと自分の役割を果たしてから死にたいと思ったんですね。
『人生がイベントに変わる 尾崎友俐の「考え方」革命』(PHP研究所刊)
『人生がイベントに変わる 尾崎友俐の「考え方」革命』(PHP研究所刊)
 「それじゃあ、自分の役割というのが何なのか探さなきゃいけない」と、小学校5年生の頃から感じ、それを意識しながら生活をするようになりました。だから、逆にノストラダムスの予言というものがあったおかげで、早くからそういうことが考えられてラッキーだったと思っています。
―そうですか。「ノストラダムスの大予言」がきっかけで、小学校5年生の頃からもうすでに、「自分の生き方や人生の役割は何だろう」と意識しながら生活されていたことは、その後の人生に大きな影響を及ぼしたでしょうね。
尾崎:そうですね。私の母方の家族が、宝塚に入団していたり、音大を出たりしていたこともあって、中学は親の勧めるままに音大の付属の学校に通いました。
 高校時代からはヨット部に所属し、大学時代も通してとにかくヨットに熱中しました。
 ヨット部での活動を通して本当にいろいろなことを学びました。私の人生のベースになっていると言ってもいいくらいです。
 その中で、同じように真剣にヨットに向き合っていた友人の一人がヨットで死んでしまうということもありました。そこでまた人の命というのが終わってしまうということを肌で感じ、自分の人生について考えました。
 地上で普通に生活をしている中では、たとえば「それをゴミ箱に入れておいて」というような何でもないような頼み事でも、ヨットの上では命取りになってしまうこともあり得るのです。そんなことをヨットの訓練で経験することによって、人生において何事にも真剣に取り組むという、良い意味でのクセづけされたと思っています。
―そうですか。ヨットの訓練を通じて、普通の日常の一つひとつにも真剣に取り組むクセづけがされたのですね。ところでヨットはどれくらいされていたのでしょうか?
尾崎:15歳くらいから始めて25歳くらいまで真剣にやっていました。
 その後、リクルートの営業社員のための訓練船で、乗組員として、船の中でメンテナンスなどの作業を経験してもらう社員研修の指導を行ったりしていました。
 しかし1999年のノストラダムスの大予言が近づいてきており、「それまでに会社を興したい」という夢がありましたので、起業のための商材を探るために、世界へバックパックの旅に出ることを決意しました。
 世界中をまわることで「何か得られるだろう」と思っていたのですが、本当に期待以上の結果が得られました。いつもありがたいことに、私は期待を持って何かを始めると、期待以上のものを得ることができますね。だから、基本的に"不安"というものがあまりないかもしれません。タイ、インド、エジプト、オランダ、イタリア、メキシコ、アメリカなど約40カ国を放浪している中で、本当にいろいろな経験をしました。

 そして帰国後、念願どおりに起業しました。炭火焼肉のお店をオープンさせたのです。
 1995年に横浜にオープンさせたのですが、その店舗は本当に手づくりで、そのお店を借りる費用から、工事費用もすべて含めて、180万円でおつりが出るくらいで開店したのです。夫(現在は元・夫)とともに起業したのですが、配線も水道管なども全て自分たちで行いました。海外でいろんな面白い楽しいお店を見てきていたのもあって、さまざまな工夫を凝らすことで、普通ではあり得ないくらいコストカットができたのです。力を合わせて手づくりでつくったお店でした。
 それにしても本当に、簡単に店をオープンさせてしまったという感じなのですね。1999年は目の前に来ていたのもあって、正直「失敗してもいいや」という気持ちもありました。「失敗した時はまた一文無しになればいいや」というような思いでした。
―失敗を怖がらない、思いきりがいい性格ですね。それは昔からなのですか?
尾崎:そうですね。昔からけっこう失うことをそんなに怖がらない性格かもしれません。「何かあったらまたゼロにもどればいいや」と考える性格です。これまでに、そういう気持ちになれない時期もありましたが、基本的には、ずっとそういう気持ちでいます。迷っている時間の方がもったいないと考えますから。
大絶頂でのいきなりの大打撃
尾崎:そんなふうに焼肉店をオープンさせて、それがどんどん軌道に乗っていきました。私たちの努力がダイレクトに売り上げとなって跳ね返ってきて、どんどん大きくなっていくので、面白くてしょうがなかったのです。店舗数は最高の時で12店舗にもなり、コンビニエンスストアへの弁当の納入をやっていた時期もありました。また焼肉店以外にも、エジプトやレバノンのビールやワインを輸入・販売もしていました。それらを輸入していたのは日本で唯一私たちの会社だけで、その売り上げもけっこうありました。
 そんな上りつめていた時期にはさすがに、「失うこと」を怖れていました。周りからは「成功した女社長」と持ち上げられ、「マネーの虎」というテレビ番組にも起業家として出演していました。 
 本当に、今の自分とは正反対でしたね。物に執着するし、宝飾品や洋服、高級車や住むところにこだわり、お金の群がっている人たちとのコミュニティから外されるのが怖いと感じていましたから。
 そんな中、順風満帆だった焼肉店が一気に崩れ落ちるでき事が起こったのです。
 2001年に起こった狂牛病騒動です。狂牛病の騒動で私達の焼肉店は大打撃を受けました。
 その当時、2億円くらいあった月商が、あっという間に800万円くらいになってしまったんです。
『通いたくなるレストラン』(しののめ出版刊)
『通いたくなるレストラン』(しののめ出版刊)
―それは大打撃ですね・・・。
尾崎:本当に。さらに、狂牛病の報道が2001年9月10日にあって、その様子を見ていようとテレビにかじりついていたら、その次の日にはなんとアメリカで「9・11」のテロが起こりました。これの影響で、輸入していたエジプトやレバノンのビールやワインの輸入がストップしてしまい、ダブルで打撃を受けました。本当に悪夢の二日間でした。その時は「もう終わった・・・」と思いましたね。
 でも、その頃大勢の従業員を抱えていましたし、そんなにメソメソもしていられないと思い、気持ちを切り換えました。
―その後、尾崎さんは、狂牛病騒動で「もう焼肉店は無理だ」と判断し、なんと三日で焼肉店から焼き鳥店をリニューアールオープンさせ、メディアの話題を呼んだのですよね。その決断力と行動の素早さに感動してしまいました。
尾崎:ええ、そうですね。もうあの時はやるしかなかったんですよ。とりあえずその時持っていたものをお金に替えていかなければいけないと思ったので、店舗を一つひとつ売却していくことを考えました。ただ、焼肉店を売却しようとしても、狂牛病騒動で売り上げが落ちている焼肉店を誰も買うわけがありません。
 だから焼肉店ではなく、焼き鳥店とかカフェとか、何でもいいから業態変更をして、新しいお店につくり替えてから売却するしかなかったのです。それで、「新しい店がオープンした」ということで、オープニングの日には行列をつくるように計画しました。行列をつくるようにするためのノウハウは、ヨット時代に学んだ「巻き込み手法」というのがあります。大変ではあるのですが、街中の人を巻き込むノウハウを知っているので、やろうと思えば可能なんですね。だからそれをして、とりあえず新しくオープンさせるお店に行列ができることに集中しました。
 行列をつくるためには、中途半端なことをやってもダメです。だからまったくの新規オープンに見せるために、すべてを一新しました。お店の名前から内装、外装の雰囲気、制服、メニューもすべて変えることにしたのです。お店の工事のために、塗料やセメント、接着剤などが乾くのに最低3日はかかると思ったので、1店舗につき3日で業態変換しようと決めたのです。
 徹夜の工事を自分達で行い、「新しいお店ができます」と、街頭に出てパフォーマンスをして宣伝し、行列ができるための戦略を立て、実行しました。
 その作戦がうまくいったこともあり、ありがたいことに「3日で焼肉店から焼き鳥店へ生まれ変わった店」として、ニュースで大きく取り上げられ、話題を呼びました。
 そうこうしながら、なんとかリニューアルさせた店舗を売却していき、取引先のお肉屋さんや酒屋さんにはひたすら謝罪にまわり、借金の支払いスケジュールの変更をお願いしたり、それに関わる訴訟のため、一人で裁判所に通ったりもしました。
 手づくりしてきた愛着のある店舗でしたから、それらを一つひとつ売却していくのは本当に身ぐるみが剥がされるような、つらい経験でした。
 でも、私にとって、あの狂牛病騒動が起こる前というのは、物やお金に執着し、お金に群がっている人たちとのコミュニティから外されるのが怖いと感じ、そこからの「転落」を恐れているような、本当に執着心の集大成のような時期でした。だから自分にとって、ある意味、軌道修正のために起こるべくして、あの狂牛病騒動が起こったのではないかなと今では思えます。
 狂牛病騒動が起こり、本当にそれまで築いたものが一気になくなってしまいました。
―狂牛病騒動が尾崎さんにとっての大きな転機になったのですね。そういう経験を経て、現在はどういうことをされているのでしょうか?
尾崎:いまはもう、それまで持っていた飲食関係の店舗はすべて売却して、(株)オリエンタルの中で、コンサルティングをメインの事業として行っています。コンサルティングとプロデュースとプロモーションの3つをセットにして行っています。そのコンサルティングの対象は、飲食の分野にかぎらず、芸能人や作家などの人物、物(商品)、企業など、多岐に渡っています。
 焼肉店の後始末の作業などで、本当に最近まで大変でした。その後、悩んだ時期が2年くらいあり、そして、「これからは自分の人生を好きなように生きよう」と思えた頃に、舩井との出会いがありました。舩井とお話をする機会があったり、著書を読む中で、地球環境がこのままではまずいとか、スピリチュアルな点からもいろいろなことを知り、勉強するようになりました。舩井が主宰する「トップ塾」にも2年前から入らせていただいています。直感力の優れたいろいろな方との良い出会いもあります。
 10月に参加した、舩井主宰の沖縄『本物堪能セミナー』では、本当に不思議なすばらしい能力をお持ちの方が大勢いらっしゃり、貴重な体験ができました。
―そうですか。それまで、スピリチュアル的なことにはそれほど関心がなかったのでしょうか?
尾崎:いえ、実はスピリチュアル的なことには昔から興味があったんです。先祖に姓名判断の大家がいたり、その子孫ということもあって、勉強して入門もしましたし。子供の頃から野生の勘を信じていましたし、超能力が自分にはあると信じていたり(笑)。
 だから、今後の自分の変化が楽しみでもあるのです。
―尾崎さん、今日は興味深いお話を聞かせていただき、本当にどうもありがとうございました。
舩井幸雄よりのコメント
 まだ30代。しかし多くの経験を積み、世の中や人生をよく知っている人だ。明るく前向きである。会って話すと、それだけで元気が出てくる。何か大きな使命と役割を持っている人のように思う。
 いつもキラキラしているかわいい人で、私は彼女が大好きだ。
舩井幸雄よりのコメント
★(株)オリエンタルホームページ: http://www.oriental-japan.co.jp
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