ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測

このページは、社会分析アナリストで著述家のヤス先生こと高島康司さんによるコラムページです。
アメリカ在住経験もあることから、アメリカ文化を知り、英語を自由に使いこなせるのが強みでもあるヤス先生は、世界中の情報を積極的に収集し、バランスのとれた分析、予測をされています。
スピリチュアルなことも上手く取り入れる柔軟な感性で、ヤス先生が混迷する今後の日本、そして世界の情勢を予測していきます。

2015.09.01(第19回)
戦後日本の裏面史

 前回は、陰謀系ジャーナリストのアレックス・ジョーンズが6月20日に行った警告を紹介しました。ジョーンズは、著名な大金持ちから「君は10月までにアメリカを去ったほうがよい」という電話をもらったのです。ジョーンズはこれは、10月までに経済危機が起こる警告だと理解しました。
 事実、この警告が示唆するように、中国のバブル破綻懸念などが背景となり、8月23日と24日に世界同時株安となり、相場が大きく下落しました。いまは相場は上がっていますが、これから世界的な不況に突入する可能性も否定できなくなっています。アレックス・ジョーンズの警告は的中したと言えるでしょう。
 このような状況ですから、今回のコラムは今後の世界経済の動きについて書こうとも思いましたが、どうしても書いておかなければならないテーマがあるので、そちらを優先することにしました。それは、ほとんど知られていない日本の戦後史の裏側と、いまの政治との関係です。

▼「日本会議」と現代右翼の運動
 それは「日本会議」という組織と、この組織が象徴する現代右翼の運動についてです。
 いまやっと主要紙などを含めたさまざまなメディアで安倍政権の背後にある右翼組織、「日本会議」について取り上げ始めました。イギリスやフランスなどの海外のメディアでも広く紹介され、国粋主義の極右組織ではないかと批判されています。

 ちなみに「日本会議」とは、1997年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」とが統合して結成された組織です。組織の目的は、憲法改正によって戦前のような「天皇制国家」を再興することにあります。「日本会議」には神社本庁、解脱会、国柱会、霊友会、崇教真光、モラロジー研究所、倫理研究所、キリストの幕屋、仏所護念会、念法真教、新生佛教教団、オイスカ・インターナショナル、三五教等、宗教団体や宗教系の財団法人が多く参加していることから、「日本会議」は「カルト」ではないかと紹介されることがあります。
 これは、現在の安倍政権の閣僚、19名のうち安倍首相も含めた16名が「日本会議」に参加しているので、「安倍政権」はカルトに乗っ取られたとする見方です。

●「日本会議」カルト集団説では見えない現実
 「日本会議」を「カルト」とする見方は、明らかに違憲の集団的自衛権の可決を焦り、報道管制を強化して国民を管理するいまの安倍政権に強い違和感を感じている多くの国民から支持されています。この違和感は筆者も共有しているので、気持ちはよく分かります。

 「カルト」と聞くと「オウム真理教」をイメージすると思います。でも、「日本会議」は「カルト」であり、それに安倍政権が乗っ取られたとする見方では、見えてこない現実が存在します。そしてこの現実をいまのうちにしっかりと認識しておかないと、私達ははるかに危険な現実に将来、向き合わざるを得ない状況になる可能性が出て来るのです。

●「日本会議」はプラットフォーム
 一般のイメージとは大きく異なり、「日本会議」とは、最近出て来た極右組織ではありません。「日本会議」が結成されたのは1997年ですが、この組織は日本のあらゆる右翼団体が結集する巨大なプラットフォームのようなものです。それは単一の組織として見るよりも、独自に活動しているさまざまな右翼組織の象徴であり、ハブであると見た方がよいでしょう。
 つまり、「日本会議」そのものは1997年に結成されましたが、これに参加している右翼組織ははるかに長い歴史を持つということです。戦後70年の日本の裏面史を代表するような存在なのです。

●まったく知られていない戦後右翼の歴史
 ところで、ほとんど知られてないことですが、戦後日本の右翼の歴史は思った以上に古いのです。
 周知のように、1945年8月15日、日本はポツダム宣言の受諾をもって連合国に無条件降伏しました。日本を占領したGHQは日本の統治を円滑に行うために天皇制を温存してこれを利用することを考え、次の3つに基づく日本の国際社会復帰のシナリオの受け入れを迫りました。

1)戦前の日本の戦争はアジアに対する侵略戦争である。

2)これを主導したのは軍部とこれに連なる一部の政治家である。

3)天皇も日本国民も軍部が引き起こした戦争の被害者である

 この3つのシナリオで、天皇と日本国民は戦争責任から赦免されました。そして極東軍事裁判で具体的な判決として踏み固められ、サンフランシスコ講和条約の基本的な認識となったのです。これに日本は調印することで国際社会に主権国家として復帰しました。
 GHQの要請で作成された現行の日本国憲法は、「象徴天皇制」の規定と戦争と軍隊を永久に放棄した9条を含むことによって、日本が二度と戦争を起こさない国際的な保証として機能しています。
 これが戦後の日本の出発点となった取り決めでした。この取り決めのパッケージは、当初は驚きをもって受け取られたものの、時間が立つにつれ多くの日本国民によっても自然に受け入れられ、現在に至っています。

 一方、この戦後の取り決めを拒絶し、自主憲法の制定による「天皇制国家」復興を目指す運動が戦後すぐに始まりました。これが戦後日本の右翼運動です。憲法9条を守ることを骨子とした左翼系やリベラル系の運動の歴史はよく記録され、研究されているものの、右翼の運動史に関してはほとんど研究も報道されていないのが現状です。その意味では、右翼の歴史は70年の戦後史の裏面史であると言うことができます。

●すぐに運動を開始した「神社本庁」
 ちなみに戦前には軍部と協力し、軍部の国粋主義的な政策の支援をしていた多くの草の根右翼の組織がありました。しかし、こうした組織の中心的な教義は「天皇崇拝」であったため、昭和天皇の「人間宣言」を機に信仰の根拠をなくし、解体しました。
 一方、1946年、天皇の「人間宣言」と前後して、戦後日本の出発点となった取り決めを拒絶し、自主憲法制定による「天皇制国家」の復興を目標とする組織が立ち上がりました。それがいま「日本会議」の中核となっている宗教法人「神社本庁」です。いま日本では「神社本庁」も「天皇制国家」の復活を目指す風変わりな団体として解説されているので、「神社本庁」が敗戦直後の1946年から活動していることを知って驚くかもしれません。
 でも、1940年代と50年代は日本では左翼運動が席巻しており、こうした右翼の運動は極めて低調でした。見向きもされないアングラの政治組織としてとどまりました。

●岸政権と右翼集団の暴力団化
 そのような地下に潜ったアングラ運動としての右翼に大きな転換になったのが、1960年の「安保反対闘争」です。この運動をきっかけとして、右翼は政治との明確なかかわりを持つようになりました。
 いまの集団的自衛権の強行採決と同じように、1960年、安倍晋三氏の祖父にあたる岸信介政権は、改定された「日米安保条約」を強行採決しようとしていました。これに抗議した数十万を越えるデモ隊が国会を包囲し、警察部隊と一触即発の状況になりました。
 岸政権は、こうした抗議運動を弾圧するために右翼と暴力団を国会内に入れ、暴力を用いて抗議運動の沈静にあたりました。これは逆に大きな抗議を引き起こし、岸政権の退陣を早めたものの、これを機会に右翼と暴力団と自民党との間に強い政治的なパイプができ、自民党がこうした勢力の暴力を権力維持のために利用するようになったのです。

 また右翼のほうも、運動資金確保のために八百屋から政治家まで脅しで「会費」を巻き上げる暴力団と変わらぬ活動をするようになりました。これは同じ時期、めかじめ料を徴収するために政治運動であることを口実にしていた暴力団も右翼化していたので、右翼と暴力団が実質的に区別がつかない状況となったのです。街宣車で国粋主義とヘイトスピーチを、言論の自由と称して最大ボリュームで垂れ流すいまの街宣車のスタイルは、この時期に出現しました。

●60年安保の結果と新右翼の出現
 周知のように「60年安保闘争」では「日米安保条約」の締結は実現したので、国民の抗議運動は敗北したかのように見えます。
 しかしながら、実際はかなり違っています。これまで自民党は「憲法改正」を基本方針としていましたが、「60年安保闘争」の激しい抵抗と岸政権の退陣で、「憲法改正」を基本方針から削除し、封印したのです。さらに、自民党最右翼の代表であった岸信介氏を政界から実質的に永久追放しました。そして次の池田隼人政権は、政治的な対立を避けるため、経済を自民党の基本方針の中心にし、「高度経済成長政策」を立ち上げたのです。
 こうした変化のなかで、右翼は「自主憲法制定による天皇制国家の復興」というスローガンは次第に有名無実化し、ほとんど実体のないものになって行きました。そして右翼はさらに暴力団化して行ったのです。

 このような右翼の堕落した状況を打破し、同じ時期に大学を席巻していた「新左翼」の運動に対抗する目的で新しいタイプの右翼組織が出現しました。さまざまな組織があり、これらを一括して「新右翼」と呼ばれています。
 「新右翼」が「旧右翼」と大きく異なる点は、「旧右翼」が戦前からの右翼や特攻の生き残り、また戦前の軍部出身者の作る組織であったのに対し、「新右翼」の多くが宗教団体を背景にした集団だという事実です。

●建国記念日の制定と「神社本庁」
 「新右翼」が出現する前に、宗教法人を主体とした政治運動で大きな成功を収めたものがあります。それは、1966年の「建国記念日」の法制化です。
 周知のように戦前は、元号とともに日本国の公式の年号として「紀元」が使用されていました。「日本書記」の創造神話で日本国を建国したとされる神武天皇から年号を数える方法です。「紀元」は天皇が神武天皇の血統を引き継ぐ「万世一系」の存在であることを強く印象づけるために、戦前の「天皇制国家」によって利用された年号でした。もちろん神武天皇は、神話上のフィクションの存在で、実在していた証拠は発見されていません。
 戦前は、神武天皇が2675年前に即位したとされる2月11日が「紀元節」として国家の祝日となっており、これを記念する国家神道の行事が多く開催されていたのです。ちょうど紀元2600年にあたる1940年には、ナショナリズムを鼓舞する特に大きな国家的な儀式が開催されました。

 このような経緯もあって「紀元節」は戦後は廃止されていましたが、1960年前後から宗教法人の「神社本庁」を中心に「紀元節」の復活を求める運動が始まりました。全国の神社を統括する「神社本庁」の全国組織を使い、「紀元節」復活の一大キャンペーンが実施されたのです。これは、暴力団化した右翼集団とは一線を画した国民運動となり、1965年には全国598箇所で復活を求める行事が行われました。この全国的なキャンペーンに押される形で政府は「紀元節」を「建国記念日」と名称を変えて法制化し、国民の祝日としたのです。
 これは、宗教法人の右翼組織のよる運動の成功例となりました。

●「生長の家」と谷口雅春氏
 このような「紀元節」法制化の成功を追い風として出てきたのが「新右翼」である。そうした「新右翼」の集団の母体となった宗教こそ、谷口雅春氏の主催する「生長の家」でした。
 谷口雅春氏は、太平洋戦争に敗れたのは、迷いと島国根性に凝り固まった「偽の日本」であって、本当の「神洲日本国」は敗れたのではない主張し、1945年は日本は精神的には敗戦していないと主張しました。
 そして、日本国憲法は、GHQが日本を弱体化するために日本に押し付けた無効の憲法であるので、日本国憲法を即時に破棄して明治憲法に基づく「天皇制国家」を復元しなければならないと訴え、「明治憲法復元運動」を起こしました。
 これを実行するための組織として結成されたのが「日本会議」の前身である「日本を守る会」です。

●「新右翼」の中心「日本青年協議会」
 このような谷口雅春氏のナショナリスティックな思想に共鳴した学生の集団が1970年に結成したのが「日本青年協議会」です。もともと「日本青年協議会」は、左翼の全学連によって占拠された長崎大学のキャンパスを奪還するために結成された、「新左翼」の対抗組織でした。
 しかしながら、学生運動が退潮した1970年代に入っても、「日本青年協議会」は右翼の政治運動の中心的な主体として活動を展開しました。もちろん、これは暴力団化した「旧右翼」とはまったく別ものの政治組織です。

●元号法制化運動と椛島有三氏
 「日本青年協議会」が一躍注目されることになったのは、「元号法制化運動」でした。いまでは当たり前のように「元号」が使われますが、戦後30年以上にわたって「元号」の使用は法制化されておらず、「西暦」と「元号」のどちらを使うかは使用者の自由に任せられていました。「元号」を日本国の正式な年号の記録の方法として法制化しようとしたのが「元号法制化運動」です。この運動は「日本青年協議会」が結成される2年前の1968年に「神社本庁」などが中心となってすでに始まっていました。
 しかし、「日本青年協議会」がこの運動の中心的な団体として参加するにつれ、運動は大変な勢力になって行きます。「日本青年協議会」を率いた人物は、長崎大学出身の椛島有三(かばしまゆうぞう)氏でした。椛島有三氏は左翼の大衆動員の方法からヒントを得て、地方自治体と地方議会に働きかけ、地方から「元号法制化」の決議をしてもらい、政府に圧力をかけるという手法を展開しました。  また「日本青年協議会」は、地方の力を結集するために西日本などにキャラバン隊を組みました。講演会を開き、映画を上映して元号法制化を啓蒙すると同時に、地方議会に決議を促すように要請したのです。

 この結果、1968年の運動開始から元号が法制化された1979年まで、47都道府県議会の46の議会と、日本全国の市町村議会の半数以上の約1600の自治体が、国会に元号法の制定を促す決議案を採択したのです。
 そしてついに1979年、元号は国会で正式に法制化しました。

●「日本会議」の中核組織「日本青年協議会」
 私たちの多くにとって「右翼」と聞くと、街宣車でがなる暴力団系の右翼しかイメージできません。ときおりテレビなどに出てくる「右翼」も、明らかに脅しと暴力を手段として用いる暴力団系の右翼です。それらは普通に生きる私たちの日常とは異なる世界のものとして、私たちは自然に無視し排除してしまうことに慣れてしまっています。「また騒いでいる。勝手にやらしておけ」という態度です。
 しかし、実際に政治的な影響力を持つ「右翼」とは、表面に現れたこうした暴力団系の右翼ではありません。「日本青年協議会」のように、全国を網羅する巨大なネットワークを持つ組織こそ、本当に政治的な力を持つ「右翼」なのです。
 ところで「日本青年協議会」ですが、「元号法制化運動」の成功以後も組織を堅持し、特に90年代に日本全体の右傾化の波に乗り、さらに拡大しました。そして1997年、右翼団体が総結集したプラットフォームである「日本会議」の結成では、中核団体として「日本会議」の実務全般を担う位置にいます。

 「日本会議」には289名の国会議員、1000名の地方議員、そして各界を代表する人物が数多く参加しています。47都道府県のほとんどに支部を持ち、末端に裾野を広げる活動にも余念がありません。現在でも椛島有三氏が「日本青年協議会」の中心におり、「元号法制化運動」で培った全国組織を「日本会議」の組織としてさらに拡大しています。
 言うまでもなく、これは巨大な組織です。でも、「日本青年協議会」も「日本会議」も草の根的な地道な運動を中心にしており、目立った宣伝活動は一切行っていません。静かに目立つことなく活動しています。また報道されることもほとんどありませんでした。暴力団系右翼のイメージに捕らわれている私たちの目からは、完全に抜け落ちた存在です。

●自民党の変質と「日本会議」との合体
 しかし、それにしても、19人の閣僚のうち総理自身も含めた16名が「日本会議」のメンバーというほど、いまの安倍政権は「日本会議」と近い関係にあるのです。かつての自民党は、さまざまな利益団体の利害を代表する「派閥」が存在し、「派閥争い」と呼ばれる権力闘争が存在しました。この権力闘争のため、どの政権も派閥のバランスを考えた閣僚人事を組むことが当たり前でした。そのようなかつての状況から見ると、閣僚の大半が「日本会議」のメンバーであるというのは、それこそ自民党全体が「日本会議」に吸収されてしまったかのような状況です。

●本当に自民党をぶっ壊した小泉政権
 実は、本当に自民党全体が「日本会議」に吸収されてしまったに近い状況なのです。そのような状態に追い込んだのは小泉政権でした。
 「自民党をぶっ壊す」をスローガンにして出てきた小泉政権は、既得権益の温床となっている公共投資を大幅に削減したり、公団を民営化しました。一方、「族議員」と「派閥」は、公共投資の地方への配分に口を聞いてやり、その見返りとして地方の利益団体の支援を受ける構造になっていました。そのため、小泉政権の公共投資の大幅な削減はこうした構造を解体へと追い込み、「族議員」と「派閥」も同様に解体されたのです。
 しかし、その結果として自民党は地方の地盤や利益団体の支持を失いました。これが2009年の選挙の大敗と政権交代の大きな背景となったことは間違いありません。そして、野党の位置に甘んじなければならなかった3年間、自民党の新しい支持基盤となったのがまさに「日本会議」でした。

 もちろん、311以降の民主党のあまりの失政が追い風になったことは間違いありません。でもいまの自民党は、「日本会議」の全国組織を基盤にして与党になったと言ってもよい状況です。要するに自民党は「日本会議」に吸収されたのです。

●「日本会議」はカルトではない
 さて、これが「日本会議」と自民党の実態です。「日本会議」をカルトとして考え、カルトの影響が強い特殊な政権として現在の安倍政権を見ると判断を誤ることになります。これまで見てきたように、「日本会議」は「オウム真理教」のような日本社会から孤立したカルトではありません。日本の市民社会のある部分にしっかりと根を張った政治組織です。
 また、安倍政権は「日本会議」の強い影響下にあるというのではありません。自民党全体が「日本会議」に吸収されてしまったかのような状態なので、これから現れるどの自民党の政権も「日本会議」が作った政権となる可能性が極めて高いのです。

 「日本会議」が目標としているものは憲法改正による「天皇制国家」の復活です。「生長の家」の創始者の谷口雅春氏の理想は、いまも「日本会議」に強く受け継がれています。
 自民党が「日本会議」に吸収され、その政治部門と化しているのならば、安倍政権以降に現れるどの自民党の政権も、「天皇制国家」の復活を目指し、同じような目標を掲げることでしょう。これを阻止できるのは、本格的な政権交代だけだということになります。

 これはまさにこのコラムのテーマである「抑圧されたものの噴出」です。「日本会議」が象徴するものは、戦後70年間首尾よく人目につかないように抑圧されてきた、敗戦という事実を否定して「天皇制国家」を復活させる野望の噴出なのです。

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Profile:高島 康司(たかしま やすし)
高島 康司(たかしま やすし)

社会分析アナリスト、著述家、コンサルタント。
異言語コミュニケーションのセミナーを主宰。ビジネス書、ならびに語学書を多数発表。実践的英語力が身につく書籍として好評を得ている。現在ブログ「ヤスの備忘録 歴史と予知、哲学のあいだ」を運営。さまざまなシンクタンクの予測情報のみならず、予言などのイレギュラーな方法などにも注目し、社会変動のタイムスケジュールを解析。その分析力は他に類を見ない。
著書は、『「支配−被支配の従来型経済システム」の完全放棄で 日本はこう変わる』(2011年1月 ヒカルランド刊)、『コルマンインデックス後 私たちの運命を決める 近未来サイクル』(2012年2月 徳間書店刊)、『日本、残された方向と選択』(2013年3月 ヴォイス刊)他多数。
★ヤスの備忘録: http://ytaka2011.blog105.fc2.com/
★ヤスの英語: http://www.yasunoeigo.com/

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