中村陽子の都会にいても自給自足生活
このページは、認定NPO法人「メダカのがっこう」 理事長の
舩井幸雄は生前、中村陽子さんの活動を大変応援していました。
30年ほど前、母が66歳の若さで原因不明の病気になり、両親と一緒に住む家を建てることになった時、「住んでいるだけで元気になる家が建てたい」と相談したのが、舩井先生でした。先生はその場で、静電三法の炭素埋設を紹介してくださり、私は父を説得し、建築前の敷地をイヤシロチにする施行を行いました。具体的には敷地と建物全体が良い波動になる正三角形の位置を設計し、その3か所に深くて大きな穴を掘りそれぞれ1トンずつの炭を埋めるというものです。おかげさまで母は94歳まで生きることが出来ました。舩井先生からはこの時、宮下正次さんの本「炭は地球を救う」(リベルタ出版)を頂きましたが、この意味が後になってわかることになります。
20年ほど前、父が悪性リンパ腫を患った時、若杉友子さんが梅干しの黒焼きと、黒焼き玄米茶の作り方を教えてくれました。私の技術がまだ未熟で未完成のものしか作れませんでしたが、それでもかなり効果がありました。当時、父の病気を心配して、全国からこれが良いのではとサプリメントが集まり、とても全部飲むことが出来ない状況でした。そこで、スジャータの方に病院に来ていただきMRAで最も効果があるものを探していただいたところ、父との相性は梅干しの黒焼きが1番でした。父は現代医療を選んだので、梅干しの黒焼きと併用したところ、2か月の命と言われたのに、4か月後には寛解になったのです。
その後、若杉さんは、それまで玄米で作っていた黒焼き玄米茶を、もみ付き玄米の方がケイ素が多くてさらに体に良いことを発見し、もみ付き玄米の黒焼きを教えてくれました。そして、「あんたは黒焼き屋になりなさい」と言ってくださったので、私はメダカのがっこうと同時進行で、もみ付きの黒焼き玄米茶と梅干しの黒焼きを作り始めました。
私が黒焼き屋を始めたころ、伊豆大島のシホの阪本章裕さんから、昭和7年に出版された「黒焼き五百種」の本をお借りしました。その中で、黒焼きは単にそのものを炭素にするのではなく、すべての成分を密閉した土鍋の中で蒸し焼きにし閉じ込めることが肝心であることを知りました。それ故、そのものが持っているミネラルバランスがそのまま炭になっているので、何に効くのかが黒焼きの原料によって違いがでてくるのです。
10年ほど前、大地の再生の矢野智徳さんに出会いました。そして、日本中の山や河川にダムや砂防堰堤(えんてい)や護岸工事でコンクリートが差し込まれ、地下の水と空気の流れが遮断され、呼吸が出来なくなり、地下がヘドロ化していることを知りました。矢野さんの施工方法は、溝を掘り、枝葉や炭を入れ、大地の呼吸を取り戻すことです。ここでは炭の銀爺こと杉浦銀治さんを知りました。
6年ほど前、すべてアスファルトとU字溝などで埋め尽くされた吉祥寺の都会の中で、自宅兼メダカのがっこうを中心に地下の改善を地上に良い風が吹くようにという目的で、矢野さんにお願いして大地の再生の手を入れました。田んぼカフェの庭に縦横無尽に溝を掘り、穴の開いたコルゲート管を入れ、枝葉と炭を大量に敷き詰め、天穴をたくさん掘り、この周辺に滞っているガスが出ていけるようにしたのです。
5年ほど前、竹炭のめぐ爺こと新野恵さんに出会い、竹炭の浄化力と結界力を知りました。
竹を高温で焼き微粉末にした竹炭リセットパウダーは、水に溶かして飲むと、腸がきれいにリセットされます。子どものころから西式健康法で育ったので、「腸のきれいなものは長生きする」と聞いてきましたが、リセットパウダーは本当に腸をきれいにするので、惚れ込んでしまい、便秘や下痢の解消の体験を多くの人にしてもらうことが出来ました。考案者のめぐ爺は今年7月に亡くなってしまいましたが、炭の浄化力と結界力を教えてくれた新野恵さんに感謝しております。
3年ほど前、炭女(すみおんな)こと田中優子さんと出会い、彼女が宮下正次さんに育てられ継承者になろうとしていることを知りました。もう一人、宮下さんの後を継いで、佐渡に籾殻燻炭を撒き続けている優子さんのお友達が、昔メダカのがっこうを手伝ってくれていた牧麗花さんであることを知り、佐渡の現場を見に行ってきました。そこには清浄な水と空気が流れていました。その後、メダカのがっこうでは、隔月で田中優子さんの炭の勉強会を開いていますが、炭に目覚めている方たちが続々を集まって来ています。
30年前に宮下正二さんのご本を私に手渡してくださった舩井先生の思いをようやく私が形にする段階に来たのだと思います。「炭を焼いて大地に撒く」宮下さんの継承者がどんどん育つ場にして行こうと思います。
今年に入り、田の草フォーラムで発表者の杉山農場の杉山さんが、籾殻を食用に高温で焼いて微粉末にしたものをいただきました。籾殻炭です。その成分は炭素よりもケイ素が多いというもので、素晴らしいものであると思います。竹も稲もどちらもイネ科で日本中に生え、竹害を引き起こしています。また、米は日本中で作れます。日本中の方が炭に目覚めれば、炭はあらゆる菌に隔てなく住処を提供するものなので、殺菌の必要もなくコロナも問題ではなくなるでしょう。
今回は長年私が炭に導かれてきたご縁をお話しました。次回は私の炭生活をご紹介します。まだまだ炭と黒焼きの世界は面白いですよ。
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首のタオルにシュレーゲル青ガエルが
いるので、とてもうれしそうな顔を
してい ます。
1953年東京生まれ。武蔵野市在住。母、夫の3人家族。3人の子どもはすべて独立、孫は3人。
長男の不登校を機に1994年「登校拒否の子供たちの進路を考える研究会」の事務局長。母の病気を機に1996年から海のミネラル研究会主宰、随時、講演会主催。2001年、瑞穂(みずほ)の国の自然再生を可能にする、“薬を使わず生きものに配慮した田んぼ=草も虫も人もみんなが元氣に生きられる田んぼ”に魅せられて「NPO法人 メダカのがっこう」設立。理事長に就任。2007年神田神保町に、食から日本人の心身を立て直すため、原料から無農薬・無添加で、肉、卵、乳製品、砂糖を使わないお米中心のお食事が食べられる「お米ダイニング」というメダカのがっこうのショールームを開く。自給自足くらぶ実践編で、米、味噌、醤油、梅干し、たくあん、オイル」を手造りし、「都会に居ても自給自足生活」の二重生活を提案。神田神保町のお米ダイニングでは毎週水曜と土曜に自給自足くらぶの教室を開催。生きる力アップを提供。2014年、NPO法人メダカのがっこうが東京都の認定NPO法人に承認される。「いのちを大切にする農家と手を結んで、生きる環境と食糧に困らない日本を子や孫に残せるような先祖になる」というのが目標である。尊敬する人は、風の谷のナウシカ。怒りで真っ赤になったオームの目が、一つの命を群れに返すことで怒りが消え、大地との絆を取り戻すシーンを胸に秘め、焦らず迷わずに1つ1つの命が生きていける環境を取り戻していく覚悟である。
★認定NPO法人メダカのがっこうHP: http://npomedaka.net/