加治将一の精神スペース
このページは、作家でセラピストの加治将一さんによるコラムページです。加治さんは、『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)などの歴史4部作が大反響を呼ぶ一方で、『アルトリ岬』(PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(ビジネス社)などのカウンセリング関連の著書も好評です。そんな加治さんが、日々の生活で感じること、皆さまにお伝えしたいことなどを書き綴っていきます。
〜賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ〜
こんにちは。
お元気のことと思います。
加治出演の番組、BS-TBSの『THEナンバー2』、ご覧になっていただけました?
このシリーズの常連でしたが、特に西郷隆盛編はボロボロでありました。
というのも、加治の発言が物議をかもしだすだろうと判断したプロデューサーは、案の定というか、予想通りというか、カット、カットの連続で、とうとう雑談のような意味不明の一時間になっちまったのですね。
まあ期待はしていませんでしたが……。
日本特有の自主規制です。
こうして己を呪縛してしまうのは官僚主義社会の賜物ですが、なかんずく今回は宮内庁の「深入りするな圧力」を敏感に汲み取って、自粛してしまったのです。
「深入りするな圧力」は、小心者の思考停止を招きます。チャレンジ精神を削ぎ、発明や発見、つまり日本国の活力や発展に暗い影を落としているわけです。
東電原発事故でもよく分かったと思いますが、官僚の態度は常に「庶民は知る必要がない、従っていればいいのだ」、というまったくもって由々しき姿勢です。
「民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず」
古来よりあるこの言葉は官僚のモットーですが、庶民は従わせろ、知る必要はないという意味です。このテクニックは天武天皇時代の「大宝律令」(701年)によって確立され、1300年の長きに渡って培(つちか)われた特殊技術なのですよ。
その「大宝律令」によって確立したのが、天皇官僚制です。つまり国は天皇を頂点とする官僚が支配し、その背骨が天皇の万世一系というやつです。
祖を神にして、その子である天皇を数珠つなぎにする。
キリストも神の子ですが、あちらは生まれながらにして罪人(つみびと)である人類の身代りになって十字架にかかり、神に許しを乞うたのです。贖罪(しょくざい)です。ですからキリスト一代で、血は途絶えている。
ところが日本は神の子のくせに支配権を争い、バチあたりにも親子、兄弟、肉親どうしが血で血を洗う殺し合いを演じながら、それでも血が途絶えることなく今日にいたっているという具合です。
歴史をやればだれでも分かりますが、神武天皇から125人も続く「万世一系」など科学的に不可能です。
太平の世を謳歌した徳川家だって、15人目に武力で滅んでいます。いやその15人目の慶喜自身、お父さんは水戸藩主の徳川斉昭ですから、すでに外野席の人でありました。
「世襲のボス」は、「叩き上げのボス」に倒されます。
もし仮に、倒されなくとも、何代目かは子供ができず、養子をもらってこざるをえない。つまり逆立ちしたって血は断絶するわけで、古今東西、医学的にはそうなっております。
ところが日本は2670年に渡って万世一系である、という幻想が未だに支配していますね。
普通の歴史学者や知識人なら、ありえないことくらいだれでも知っていることですが、しかし沈黙です。彼らのヘナチョコぶりも困ったもので、仕事は命懸けでやる、死んでも信念は貫き通す、というガリレオはいないのでしょうねえ。
思ったことがしゃべられないなど、北朝鮮を笑えません。
真実を放棄した者は、人生を放棄した者です。
恰好をつけるわけではござんせんが、加治は言論人の端くれとして「人生=真実」と思っていますから、たとえテレビやラジオ相手であっても、ついしゃべってしまうのですね。
で、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という理(ことわり)どおり、加治史観をざっと述べます。
驚かずに最後までお読みください。
万世一系が定着した理由
支配権は、武力をもって争います。これがつい近代までは常識でした。
こちらも命懸けなら、あちらも命懸け、ヨーロッパでもしかり、チャイナでもしかり、新旧支配者の入れ替わりは常識で、旧支配者は親族もろとも根絶やしにされる運命です。
そうでなければ、旧勢力が盛り返して新支配者を丸ごと抹殺にかかるからです。
で、勝利者は真正面から、世に喧伝します。「我こそは先代の首をちょん切った、新しき支配者である!」
新王は、領民の機嫌を取るために、新しいコインを造ってばら撒いたり、ふるまい酒を施したり、いろいろやるわけです。
では、なぜ日本だけは先王を処刑したという真実を隠そう、隠そうと細工をし、世にもありえない「万世一系」ちゅう偽りを編み出したのか?
必要だったからです。
その理由を問えばチャイナ。チャイナの「冊封(さっぽう)」という制度がそうさせた、と言っても過言ではありません。
『漢委奴国王』
だれでも知っていますね。ピカピカの金印です。
これは超大国の漢が、九州は博多近郊にあった奴国のボスを、おまえさんこそ委(倭)の国王だ、と認めた証拠であります。
これが冊封です。
冊封とは、チャイナ皇帝から「王」の称号を授かって君臣関係を結ぶことでありまして、かの卑弥呼さんも、ちゃんと魏から「親魏倭王」の称号を貰っている。
チャイナが冊封するということは、軍事的に保護しなくっちゃあ示しがつきませんから、対立部族が力勝負に出てきて窮地に陥った卑弥呼さんの邪馬壱国連合を救うべく、救援の軍師をはるばる倭へ送って味方した、と『魏志倭人伝』に記されているとおりです。
軍事的な保護だけではありません。
武器、銅銭、貿易、新技術、支配政治学、新知識……ぜんぶいただいちゃえるわけで、貰った方は桁違いの強国になれます。
皇帝に認められなければ、天下は取れない!
倭の王にならんと欲すれば、まずチャイナの冊封を必要としたのです。
これは近代でも同じことですね。
イスラエルは建国前、大国であるアメリカに承認されるか否かで、深刻な議論がなされ、認められなかったら、独立の道をあきらめるという結論まで出していました。
アメリカがバックにつかなきゃ最新武器が手に入らないばかりか、敵と組まれたらアウトですから、トルーマン大統領と米国議会へのイスラエルによる工作は、そりゃあ苛烈なものでした。
幕末維新もちゃんとやっていますね。戊辰戦争がはじまったとたんに、岩倉と大久保の新政権樹立を認めたのは英米仏など外国勢力です。
その場で外国との窓口、つまり今の外務省を造っているのですが、まだ戦争は口火を切ったばかり、しかし開始早々勝負あった状態でありまして、こうなると武士の忠義など絵に描いた餅であります。諸藩はおろか、肩で風切っていた旗本八万騎までもが、おっかなくて布団を頭からかぶって死んだ真似です。
古代のチャイナは、現代のアメリカそのものです。
ところが日本列島はまだまだ下剋上、冊封を狙うおっかない勢力が九州、出雲、近畿、広島、四国……いたる所にのさばっていました。
当時の様子が宋書(478年)で分かります。倭国王武の上奏文。
〈東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国……〉
つまり武という王は、こんなにたくさんの国をやっつけたんだぞ、だからおいらを倭王にしてくれと頼んでいます。
その辺の小集落も国に勘定した大ボラも混ざっていますが、当時の雰囲気が伝わってきませんか?
外野で強大になったあっちの王、こっちの王がデビューすべくチャイナ通(かよ)いです。だから「倭国の使者は信用できない」などという文も、チャイナの正史には残っています。
「我が君は、倭国王です。ぜひとも冊封を」
使者が訴えます。しかしチャイナにしてみれば、日本列島など遠すぎてよく分からない。
こいつが、ほんとうにふさわしいのか?
皇帝が派遣していた倭国駐在大使は、カネと女と酒で、骨抜きにされている。あるいは殺されているか、不謹慎にも逃亡独立して一大勢力を築き、ちゃっかりと新王の一人に成りあがっているのか、ぜんぜん音沙汰がない。霧の中です。
「信じてください。我が君こそ……」
「うむ、この間も倭王だと名乗る者が来たぞ?」
「そやつはニセモノです」
「しかし、その前にも別の名前の倭王の遣いが来ておるがの……ならばそやつらを滅ぼしたのか? ……おおそうじゃ、朕(ちん)が認めた先代の倭王はいかがいたした?」
先王は、かりにも冊封を受けていた王、口が裂けても「ぶっ殺した」とは言えない。
で、一番疑わられずに済むのが先代の子供という騙しです。成り済まし。オレオレ詐欺の手口と同じで、分かりっこないのですよ。
「先王は父です。病死する前に、実の子供である我が君に玉座を下賜されました。ほれ、これが証拠の勾玉と剣と鏡です」
でっち上げの三種の神器。これが一番丸く収まる。
「おお、そうであった。三種の神器を持っている王を倭王にする決まりであったな、すっかり忘れておった。ではそちらが倭王じゃ」
次も、その次も、成り済まし王。最初は三種の神器を重くみていたが、盗難が多く、そのうちどうでもよくなってゆく。
それより血脈だ。これは強い。説明不要で順調にいく。
ここに「万世一系」という世界に類を見ない冊封ツールが誕生した。
天皇を神と結び、それからダーッと現天皇までぜんぶつなげちまった。
ようするに万世一系は、出自を盤石にする目的で造ったものであって、裏を返せば、違う血脈だったということです。
倭国とは九州王朝であった
ここに驚愕の証拠があります。
倭の五王。
チャイナの正史によると413年から502年の間に讃、珍、済、興、武の倭の五王が続けて朝貢し、チャイナの東晋や宋の冊封を受けています。
〈使持節都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国軍事安東大将軍倭国王〉
これ全部で一つの称号です。ずいぶん長ったらしい称号ですが、朝鮮半島の支配権を獲得するためのもので、おねだりした結果、実際に下賜されています。
今の北朝鮮と韓国を全部まかせるというのですから、チャイナも太っ腹です。
しかし、奇怪なことに『古事記』や『日本書紀』に五王の名はおろか、その時の朝貢話も出てきません。
チャイナの正史には何度も出てくるのに、奇っ怪な話ですね。
皇帝の冊封は名誉です。朝鮮半島支配だって大自慢です。ならば胸を張って、自分の祖先はこんな称号をもらっていたぞ、すごいだろうと記してもいいはずです。ところがない。これはなんとしても首をひねる。
しかしですね。
五王が、『日本書紀』を編纂した畿内ヤマト政権と無関係だったらどうでしょう。
すなわち、五王が別の国なら、冊封や長ったらしい称号など、知るよしもありませんよね。いや仮に知っていたとしても他国の手柄話など除外します。
日本列島に、別の倭があった。そう考えざるをえないのです。
あるとしたらどこか? 九州しか考えられない。
つまり九州王朝です。讃、珍、済、興、武はその五王だった。ならば『日本書紀』に載らないのは理屈です。
そんな莫迦な! そうでなく、五王はいずれも履中、反正、允恭、安康、雄略の天皇の漢風名だ、という説があります。
しかし各天皇の在位年数と五王は合致しません。
その前に『日本書紀』にチャイナ朝貢の欠片(かけら)も記されていないのは、てんでおかしい。
ということで、最近では「五王=天皇説」がめっきり枯れ、それどころか近年、「五世紀の畿内ヤマト政権の王は、特定の血に固定されていない」と、うれしいことに遠回しですが万世一系を否定する学者が増えてきているのですよ。
「世襲のボス」と「新興叩き上げのボス」が激しく争っていた畿内ヤマト。
しかし加治は、こと五王にかんしては畿内ヤマトではなく、九州王朝の王をさしているという説をとります。
さきほどの金印を思い出してください。
一世紀に漢に冊封された倭王は九州です。これは間違いなく、否定する学者は一人もいません。その流れで、卑弥呼さんはじめ讃、珍、済、興、武の五王までもが九州王朝だった、というのが加治の見立てです。
根拠は、腐るほどありますが詳しくは、拙著『舞い降りた天皇』および『失われたミカドの秘紋』を読んでいただくとして次に進みます。
畿内日本国が出来るまで
で、九州王朝はその後どうなったか?
まずは呪術部門といいますか、司祭の氏族が畿内ヤマトに入ります。なんの証拠があるんだ、と問われれば、状況証拠しかありません。
しかし、しょせん歴史の物証などごくわずか、あとは状況証拠と鋭い嗅覚がたよりです。
それを結集すると、畿内に移れ、という神のお告げもあったと思いますが、なんと言っても魏を恐れた、というのが移動のきっかけだという結論がでます。
なぜ魏を恐れたのか?
種明しをすれば卑弥呼さんを滅ぼしたからです。
ようするに卑弥呼さんの親分は魏だから、子分の卑弥呼さんを殺したらタダではすみませんね。叩き上げのボスは卑弥呼さんを抹殺して九州王を乗っ取った張本人、したがって魏の仕返しを恐れた。
魏に対する防衛ラインはあくまでも九州沿岸です。
王の住む都は、海岸から奥に下った大宰府に置く。ここは昔「都府楼」と称され、文字どおり都だったのですが、中枢の呪術部門がやられてはまずいので、もっと奥深い畿内ヤマトに移動させます。
これが第一陣です。だれが畿内ヤマトに乗り込んだのか?
特定は難しいのですが、宇佐神宮ゆかりの、後に応神天皇と呼ばれる最高司祭権力者以下、ぞろぞろと従ったと想像しております。その頃の畿内ヤマトはまだ小粒ぞろいで衝突より和を選ぶ、意外に平穏な呪術機関設置と相成った。
三世紀半ば過ぎです。
応神さんの資金力は豊富なので、どでかい前方後円墳造りをはじめます。これが流行となり他の様式を消してゆきます。この頃、畿内を中心に前方後円墳が急に増え始めた原因でしょう(応神天皇は三世紀中期ではないという説がある。本当は四世紀中期で、日本書記の編纂以前に存在した書は、この応神からはじまっていたという主張もあり、その信ぴょう性は侮れない)。
ところが呪術部門であっても九州王朝の出先は強い。畿内の旧勢力を婚姻、陰謀、抹殺、統合しながら、めきめき力をつけてゆきます。
150年もたつと九州王朝本部ですら手を焼く始末。
放っておけなくなった九州王朝本部は、軍隊の一部を畿内に差し向けます。これが506年に、畿内ヤマトに武力をもって場外から侵略し、政権を掌握した継体天皇でしょう。
継体は恐ろしく強かった。
名は体を表す。継いだのは体制だけで、血のつながりはない。宮内庁御用達の系図を見ても、すぐ前の武烈天皇とは血縁はなく、応神天皇のひ孫の、さらに孫というものすごく薄い関係になっていますが、むりやりつなげた感いっぱいの怪しげな作文です。
それでもまだ、九州王朝軍の大半は朝鮮に釘付けです。
百済と同盟を結んだ366年から約300年間、朝鮮半島に力を注ぎ、設けた基地に山のような倭軍を張りつけて戦い続けているのです。
むろん畿内ヤマトも、陸兵を送って九州王朝軍本隊、および百済軍と一緒に戦っておりました。
ところが663年の「白村江の戦い」で、倭軍は決定的な敗北をきす。間違えないでいただきたい。畿内ヤマト軍が新羅に負けたのではく、九州王朝の水軍が唐に負けたということです。
これで九州王朝がまずくなった。
大宰府は、さらなる防衛強化をはかりますが、いつ唐が攻め込んでくるか、知れたものではありません。
そこで本格的な九州王朝の畿内移動です。
そのころ継体は死に、十二代後の天武が治めている。
さて畿内ヤマトをほぼ掌握していた天武は、九州王朝を迎え入れるわけですが、すっかり弱体化したのをいいことに反旗を翻し、最後には呑み込んでしまうのです。
この辺は、アメリカ大陸に渡ったイギリス人が、やがて力をもって反逆し、かつての親分と闘って、ついにアメリカ合衆国を建国するのと似ていますね。
イギリスとアメリカ、九州王朝と畿内ヤマト。
司祭部門の出先機関にすぎなかった畿内ヤマトが巨大化し、親分の九州王朝を腹の中に納める。
日本書紀では天智の弟が天武になっています。
しかしこれまた天智とは血縁がないというのは学問の世界では大勢を占めていて、加治は百済系ではないかと思っている。
同盟国百済が新羅に敗北し、畿内ヤマトが莫大な百済人の亡命を受け入れたという事実に目を向けてみてください。
仏教徒の百済人は文明人です。どんどん増えた亡命百済人が生み出す力。それが一大勢力となってそのボスの天武が天智を滅ぼしたと推測しています。
天武の名は大海人(おおあまのおおじ)で、言うまでもなく渡来系ですね。
この天武こそ「日本書紀」編纂を企んだ張本人、そして天皇という称号を発明し、日本国の名付け親です。
天武と先王たちの血脈の断絶。外部の天武が天智も九州王朝も滅ぼして天下人になったのですから、しゃかりきになったのが体制固めだ。道理です。
不安は、残党の復活と民族的な対立でありましょう。
そこで国内的には、俺は先王の弟だから安心しろと民族融和に腐心し、対唐としては、唐と海戦をやらかした九州王朝とはまったく違う国で、倭国ではない。我々は日本だと名乗り、でも昔からチャイナとは上手くやっていた卑弥呼さんの流れをくむ正統かつ高貴な血が流れている、などと気に入られる要素ならぜんぶ突っ込んだ万世一系の『日本書記』の編纂を急ぎました。
たいした芸当です。
ですから『日本書記』に書かれている673年に起った壬申の乱は、畿内ヤマトを掌握し、そのうえ九州王朝の倭王を殺した実際のシーンを偽装した、ハリウッド並みの大作リメーク版だと確信しているのであります。
天武は、日本国を名乗ります。
日本建国宣言など「叩き上げ」だから出来るのです。血がつながっていれば、正しい手順に則(のっと)って祖先の敷いたレールを歩むだけですね。
『旧唐書』に「倭と日本は別だ。かつて小国だった日本が倭を呑み込んだ」と書かれている通りです。
日本は、九州王朝を壊滅させました。そのために技術の多くは継承できなかった。
その一例が海洋航海技術です。
九州王朝は伝統的に海洋国家。紀元前の古くから壱岐、対馬を通じて、何万人という軍勢をお手軽に朝鮮半島に繰り出す外洋船と航海術を持っていました。
しかし畿内日本は違います。
だからこそ畿内日本が派遣した遣唐使は、航海成功率50パーセントというお粗末さなのですね。
その後、日本は大津京、藤原京を造ってゆくわけですが、九州王朝が滅んだ理由はただ一つ、唐の冊封を受けなかったからです。
冊封を受けていれば、白村江での唐との武力衝突はなかった。
ここで疑問が浮かびます。
九州王朝の五王が冊封を受けてうまくやっていたのに、それ以降の王はなぜ受けなかったのか?
いい質問ですが、答えはしごく簡単です。
チャイナは戦国の世が深まって、どの国が大陸の盟主なのか混沌として、手が出せなかったのですね。
まごまごしているうちに、いつの間にか隋が興(おこ)ります。
ところが九州王朝は、ダラダラと無駄に朝鮮戦争にかかりっきりですから、その隙に畿内ヤマトが遣隋使(600年)を派遣します。そのころの畿内は九州王朝と微妙に対立しており、抜け駆け的に隋の冊封をゲットしようとした、と加治は推測しているのです。
〈外交儀礼に疎(うと)く、国書も持たず来た〉(隋書)
その証拠に倭国の使者は外交儀礼を知らなかったし、国書も持ってこなかったというのです。
九州王朝なら五王時代から朝貢慣れしているから儀礼はお手のもので、万事怠ることはない。外交初デビューの、畿内ヤマトだから疎かったのです。そして畿内ヤマトは独立していないから国書はなかった。
ね、全部合点がいくでしょう?
畿内ヤマトは、いよいよチャイナへ接近すべく体勢を整えていきますが、その過程でチャイナは隋から唐へと変わります。
畿内ヤマトは唐へも遣唐使を派遣します。遣唐使は朝貢と同じ感覚と思ってよい。事実上の冊封です。俄然、自信がつきました。
しかしまだ畿内ヤマトは、まだ正面切って九州王朝と闘えるほどの力はない。だから表向きは九州王朝と足並みをそろえて新羅と闘っていたのですが、裏では唐とつながっているのですよ。だから突如、唐の水軍が出てきて白村江の戦いで九州水軍を壊滅させた瞬間に、九州王朝は畿内ヤマトに謀(はか)られたと感じたはずです。
衰退の九州王朝、百済亡命人を引き入れ巨大化する畿内ヤマト。力関係の逆転です。
で、再起動できなかった九州王朝を滅ぼし、畿内ヤマトは唐との関係を強化します。
この説を信じない人は、次のへんてこな事実をご覧ください。
遣唐使 | ||
一回 | 630年 | |
二回 | 653年 | |
三回 | 654年 | |
四回 | 659年 | |
663年 | 白村江の戦いで唐が倭国の水軍を殲(せん)滅する | |
664年 | 大宰府水城着工 | |
五回 | 665年 | |
六回 | 667年 | |
七回 | 669年 | |
八回 | 702年 | 大海人皇子(天武)が吉野で挙兵勝利 |
− | 天武がはじめて天皇を名乗る | |
↓ | 天武がはじめて新嘗祭を行う | |
一九回 | 839年 |
倭国は一つだったという主張があります。
では、平和的な遣唐使を送っている最中、一方では倭の水軍が唐軍に襲いかかり全滅した事実はどう説明するのでしょう。従属的な遣唐使とスパイシーに唐を攻撃的した倭水軍は一致しません。
しかし畿内ヤマトと九州王朝が別々の国ならば辻褄が合います。
で、九州王朝は消滅。すると九州王朝と王の存在はすべて隠蔽(いんぺい)し、何食わぬ顔で、気品ある独自の万世一系を都合よく捏造し、天皇とゴージャスで根暗な朝廷を発明して、国家の背骨にしちまったのです。
スピーディーに解説しましたが、お分かりですか?
支配階級は、知的生産手段とその伝達手段を独占します。
それらを持たない庶民は、歴史ごと隷属させられるのです。
つまり物質を支配する階級は、庶民の精神文化をも縛っちまうのですよ。
しかし、いくら万世一系を手塩にかけ、国家の背骨にしたところで、所詮はつまらない造り物。「偽装」は常に災いを孕(はら)むものです。
偽りの幻想を背負い込んだままでは、国家の近代化は不可能です。
東電偽装、検察調書ねつ造、大津中学生自殺調査隠し……我国は例をあげたら枚挙にいとまがないほどの隠蔽国家です。その根底には大宝律令以来の天皇官僚制がある。
「民はこれに由(よ)らしむべし、知らしむべからず」
従わせよ、庶民に知らせる必要はない。
日本にはそれを許す肥沃な土壌がありました。そう暗記中心の決して考えさせない、一億総白痴化教育です。しかし昨今、そこから抜け出て、自分の頭で考える人達が増えてきたと信じたい。
民主主義とは、国家があらゆる情報を白日のもとにさらし、国民がそれを知り、国民の判断によって成すものです。
1300年間、官僚が練りに練って造り上げた偽装のタイム・カプセルが日本の歴史です。一介の物書きが、それに挑むなど、まるでドン・キホーテですが、見果てぬ夢とは知りながら、あきらめずに再起動の連続で真実を追うことが、心の安らぎであり、自分の宿命のような気がしてなりません。
これからもどうか応援していただきたい。みな様の励ましがエネルギーです。
幸せを祈りつつ……。
加治
今月末に拙著の新刊『ビジュアル版 幕末 維新の暗号』(祥伝社)が書店に並びます。
その前にどうか、『幕末 維新の暗号』→『舞い降りた天皇』→『失われたミカドの秘紋』→『西郷の貌』の順番で、望月先生シリーズをお読みください。人生が100倍楽しめて、1000倍役に立ちます。
船井幸雄先生、直々の御推薦もいただき、おかげさまで投資思考に100倍貢献する拙著『カネはアンティーク・コインにぶちこめ!』(東洋経済新報社)が好評です。ありがとうございます。
★『カネはアンティーク・コインにぶちこめ!』(東洋経済新報社、1,500円(税別))
おかげさまで発売10日目で増刷になりました。ありがとうございます。
だれにでもできるコイン投資。この本で、コイン業界は盛り上がりを見せております。
当てにならない「年金」代わりに、コインで老後を悠々と乗りきっていただければ幸いです。
加治が特定した本物の西郷隆盛の顔写真。それが載っている小説『西郷の貌』(祥伝社、1,800円(税別))も重版を重ねて4刷りです。ありがとうございます。
〈賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ〉
加治の歴史ロマンで、豊かにお暮らしくださいまし。
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作家・セラピスト。1948年札幌市生まれ。1978年より15年間、ロサンゼルスで不動産関係の業務に従事し、帰国後、執筆活動に入る。ベストセラー『企業再生屋が書いた 借りたカネは返すな!』(アスキー)、評伝『アントニオ猪木の謎』、サスペンス小説『借金狩り』、フリーメーソンの実像に迫った『石の扉』(以上三作は新潮社)など多数の著作を発表。『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』、『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)の歴史4部作は大反響を巻き起こし、シリーズ 50万部の売上げ更新中である。その他、カウンセリング小説『アルトリ岬』(2008年 PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(2010年 ビジネス社)などがある。
2011年4月に『陰謀の天皇金貨』(祥伝社刊)を、2012年1月に『倒幕の紋章』(PHP文芸文庫)を文庫版として発売。2012年2月に『西郷の貌(かお)』(祥伝社刊)を、2012年4月に新刊『カネはアンティーク・コインにぶちこめ!』(東洋経済新報社)を発売。
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