船井幸雄グループ社員の、日々もの思い、考へる
このページは、船井本社グループスタッフによるコラムページです。 「これからは“本音”で生きるのがよい。そのためには“本物の人間”になることが大事」という舩井幸雄の思想のもと、このページでは、社員が“本物の人間”になることを目指し、毎日の生活を送る中で感じていること、皆さまに伝えたいことなどを“本音ベース”で語っていきます。
名前:江尻 みゆき
にんげんクラブの江尻です。
フィリピン・ルバング島に戦中戦後の30年間を潜伏したままジャングル生活をした元陸軍少尉で「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎さんが1月16日、心不全のため都内の病院で91歳で死去したそうです。
1944年フィリピンに派遣され、ルバング島でゲリラ戦の指導を命じられたそうですが、終戦後も「任務解除の命令がない」とゲリラ戦を続行し、ジャングルで冒険家の男性に会ったことをきっかけに終戦の事実を知り、74年3月に帰国したそうです。
帰国後、紆余曲折があったそうで、翌75年4月、ブラジルに移住したそうです。牧場を経営する一方、84年、日本で起きた金属バット事件(予備校生の少年が両親を金属バットで殺害した事件)を知り、日本の子供たちに何か自分ができることはないかと思い、キャンプを通して青少年の育成を図る「自然塾」の活動を始めたそうです。
89年には財団を設立し、理事長に就任。福島県塙町(はなわちょう)にキャンプ場を開き、経験を活かして野外活動の指導にあたったそうです。30年後の日本に戻った時、「平和ボケ日本」に驚き、自分は「戦争ボケ」だったのかもしれないといったそうです。
お国のためにと30年間孤独と飢餓と様々なことと戦っていたことは想像を絶します。 帰国後もいろんな批判にあいながらも日本の青少年のために尽力されたこと、最後まで自分の意思を全うされたことは尊敬してやみません。
小野田さんの亡くなられた3日後の1月19日に舩井幸雄が他界しました。
舩井幸雄も日本の経済を支えるのみならず、世の中をミロクの世にすべく活動されてきた方です。その舩井幸雄の残してくれた「にんげんクラブ」で働かせていただけること心より感謝しています。
2012年オープンワールドでお会いした時に私達スタッフにも深々とお辞儀をしてご挨拶してくださったのがとても印象に残っています。2012年オープンワールドで「一人一人が1万人の人に世の中をよくするというみんなの思いを伝えてほしい、にんげんクラブを1万人の会にして続けていってほしい」と言われていました。
私はにんげんクラブを通して世の中をよくするというその思いを伝えていかせていただければと思っています。偉大な方々の功績がまさしく天恵であり、今の世の中を支えてくれているということを忘れずにに生きていきたいと思います。
心からご冥福をお祈りします。
そして本当にありがとうございました。
12周目:「私の自立への第一歩……」
13周目:「世界中の石は繋がっている」
14周目:「2012年変革の年」
15周目:「朝の集団行進」
16周目:「感謝」
17周目:「電車の中での出来事」
18周目:「愛と光のセッション」
19周目:「凛々しくなった先輩である、次男の親友のお兄ちゃん」
20周目:「いい本との出会いは人生を変える」
2014.02.27: すべては、必要・必然・ベスト
2014.02.26: 身体の声を聴く
2014.02.25: 斜45度後方
2014.02.24: 株式会社本物研究所 企業理念“ほんもの”で笑顔をつなぐ
2014.02.21: 舩井幸雄会長の意思を継ぐモノとして
2014.02.20: 舩井会長
2014.02.19: 語って語って語り抜け
2014.02.18: 鬼は内、福も内!
2014.02.17: 最近出会った本物商品、WOX!
2014.02.14: 舩井幸雄が遺してくれたもの
2014.02.13: 食関連の偽装問題について
2014.02.12: 行動を起こす事とは
2014.02.10: かけがえのない日々
2014.02.07: 今年の漢字
2014.02.06: 故郷を想う気持ち
2014.02.05: 舩井幸雄のまわりは笑顔がいっぱい
2014.02.04: 未来への言霊を読んで
2014.02.03: 天恵を受けながら生きる