娘からみた“真(芯)”の船井幸雄
このページは、船井幸雄の実の娘で現在、本物研究所社長の佐野浩一の妻の佐野ゆかりさんによるコラムページです。実の娘だからこそ知っている、家庭での船井幸雄の姿を中心に、過去も振り返り、家族間の様々なエピソードも交えながら本音で語っていただきます。
娘の視点から、“真”の船井幸雄を語っていただき、より深い、船井幸雄の“芯”に迫っていきます。
私の父方のおばあちゃん……すなわち、父の母とは、小さいころからずっと一緒に住んでいた。私が3歳のころに大阪南部から兵庫県の宝塚市に引っ越したが、そのころから私の記憶は所々残っている。
おばあちゃんの部屋には小さな台所があった。庭に出ると小さな畑があって、私の小さな砂場もあった。そして、そこに初代の雑種犬の「ゴン」がいた。兄たちとは年が離れていて、ほぼ一人っ子状態だった私は、庭に出るとおばあちゃんが畑仕事や掃除をしていたし、ゴンちゃんもいたので、よく庭で遊んでいた。おばあちゃんは、私と遊んでくれるという感じではなかったが、でも、自分のことをしながら目の端には私を入れて気遣ってくれている……といった感じだったように思う。
おばあちゃんは戦後、病気のために手術を受けたが、用具や薬の不足などで足が不自由だった。それでも大阪の田舎の農家だったので、ずっと働きづめだったようだ。畑仕事も忙しかったし、料理も得意ではなかったようで、買ってきたおかずを包んであったそのままの新聞紙の上において食べるという感じで、そこに嫁いだばかりの母はとても驚いたとよく話してくれた。
料理をしている時間があったら、農家の仕事をしているほうが好きだったようだ。それに、子どもや孫の面倒を見るよりも、少しでも稼げたほうがええやろ……と内職もずっとしていた。おばあちゃんの部屋に行くと、ぷーんと内職のねじの油のにおいがしたことを覚えている。絶えず動き回って仕事をして……こんなところは、父はおばあちゃん譲りなんだなあと思う。
そんな名残か、私が記憶しているおばあちゃんの晩年も、足が不自由でも絶えず体のどこかを動かしていた。家の中にいるときは、内職をしたり、だいたい針仕事をしていた。
三段の小さな箪笥(たんす)のような針箱で、その引き出しからいろいろなものが出てきた。その宝箱みたいな針箱が私は大好きだった。おばあちゃんの部屋に行くと、「お母さんには内緒やで〜」といいながら、いつもこっそりおばあちゃんはチョコレートをくれた。ためらうと「黙ってたらわからへんがな〜かめへんかめへん……」とおしきられ、私もそれがなんだか秘密を持つようでドキドキして、それを食べながら針箱を触らせてもらって嬉しかったのを覚えている。
あるとき、私の口からチョコレートの匂いがしたようで、母にばれてすごく叱られたことがある。子ども心にとても焦った思い出がある。あと、私たちが留守にしていて、帰る予定よりだいぶ早く帰ったときがあった。
すると、薄暗い二階におばあちゃんがいるはずがないのに立っていて、心臓が止まるかと思うくらいびっくりして飛び上がったことを覚えている。留守をすると、ちょっとみんなのところはどんな感じかなあ? と気になってうろうろしてしまうような茶目っ気もおばあちゃんにはあって、母は嫁姑の関係で結構苦労したようだ。
でも、そんなことはいつの時代もよくあることで、私も主人の母と10年以上同居しているが、私自身、おばあちゃんと母の様子を子どものころから見ていたし、母という嫁姑同居経験者の大先輩がいるし、仲のいい友達の中にも嫁姑同居している子も何人かいる。
私もそれなりに頑張って同居できているなあなんて自負している。家族や親せきがみんな近くに集まって、助け合って生きていけることはとても心強い。
熱海で一緒に暮らさないかと誘ってくれた父に、今、とても感謝している。
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ゴンちゃん(前・♀)と我が家のニュー
フェイスのキャンキャン(後ろ・♂)です♪
船井幸雄の娘で現在は本物研究所社長の佐野浩一の妻。
17歳男子、15歳女子、5歳男子の年の離れた子どもたちや両方の親、そして、ペットの犬やウサギに囲まれて自然あふれる熱海生活を満喫中。元幼稚園教諭。そして元保育士。
現在は家事の傍ら、将来に向けて勉強中。仕事柄、小さな子どもが大好きです!!
著書に『船井家の子育て法』(徳間書店)、『神様、ママを見つけたよ!』(グラフ社)、『もっといいことが起こる今日のヒント』(海竜社)がある。