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国家防衛の勤めの最後の日に

21世紀 ヤマトごころの部屋

このページは、元幹部陸上自衛官で、2010年の12月に40年間に及ぶ自衛官生活にピリオドを打った池田整治さんによるコラムページです。池田さんが自衛官在任中に書かれた著書『マインドコントロール』(ビジネス社)は大変好評です。このコラムでは主に、“社会の真実”“家族愛”“自然との共生”をテーマにお届けします。

2011.9(第11回)
背番号14番…白球からの多生の縁(番外編)

(※この原稿は7月に書かれたものですが、今回特別に掲載させていただきます。)
 「背番号14番、池田悠人」
 「はい!」

 7月6日夕方、武南高校食堂で野球部父母会主催による恒例の「カツ丼会」が行われた。高校野球の総決算、夏の甲子園・埼玉県大会を前に、選手・指導者・父母等が一同に集い、カツ丼で会食しながらの激励会である。
 校長先生も来賓で見えられ、「野球部員の挨拶は非常に良い。学校の誇りである。勉強が少しばかりできるよりも社会で一番役に立つ」「グランドがないが、学校も考えている、諦めてない。是非、ハンディを乗り超えてがんばってほしい」と激励。
 その壮行会のメインはなんと言っても、監督からの背番号の授与。60名近くの部員のうち、グランドに立てるのは背番号をもらえる20人のみ。21番以降、つまり背番号をもらえなかった大半の部員の中でも、特に3年生にとっては小学校時代から続けてきた野球人生を閉じる瞬間でもある。全員進学の武南高においては、背番号をもらえない3年生は翌日からは臨時の応援団員になるか、受験勉強に入るかの二者択一しかない。
 もっともこれまでの練習試合等でAチームに入ったこともなく、もともと背番号に縁遠い選手は特にこの時を迎えてもあまりショックはないだろう。問題は、AチームとBチームを何度か往復し、「ひょっとして20番に入れるのでは…?」と期待していた3年生である。
 ちなみにこの時にもらった背番号を、その夜母たちが万感の思いで試合用ユニフォームに縫いつけるのである。

 5年前、次男聖人のこの時、選ばれて整列した20人を代表して主将が挨拶する中、惜しくも落ちたA君は、テーブル席で肩をふるわせて泣いていた。その両親の目から、もらい涙が流れていた。そのA君が、翌日から応援団長に名乗り出て、僅かの日数で、ベンチ入りできない野球部員・吹奏楽部員・チアガールをみごとにまとめ、感動的な応援をスタンドでみせてくれた。グランドで熱戦を繰り返す次男たちのみならず、必死で応援するA君たちに深く感動し、改めて高校野球に魅せられていた。また、野球を通じた人間形成という本来の教育効果を再認識していた。



 ところで同じ兄弟でも、次男聖人と三男悠人は、性格も体格も全く別人である。次男は、いわゆる優等生で、勉強も野球もできた。その分、左脳人間的神経質なところがあり、人に対しても好き嫌いがハッキリしている。スポーツクラスのチームメイトと一緒に遊ぶということは最後までなかった。次男を3年から急遽捕手にコンバートした監督が、「使いづらかった」と今でも正直に話している。
 逆に悠人は、体格も一回り小さく、運動神経も兄には及ばない。その次兄と同じ部屋で育ったので、反発心があったのだろう、全く勉強しない。兄は早実の野球推薦試験に落ちたあと、受験で武南高特進科に入ったが、悠人は「野球7人枠」のいわゆるスポーツ枠がなければ武南高に入学はできなかった。しかしながら、小さいときから友達などの悪口は絶対に言わない。周囲が「ワル」と評価している同級生などのことも、いい面しか親の私たちにも言わない。思いやりが強く、いわゆる人間関係をつくるのがうまい。つまり、勉強はしないが「人間力」は高い。一番の親友が特進学級のチームメイトというところが兄とは全く逆である。
 悠人曰く「彼らは勉強はできるが生活力がない」^^;。もっとも3年間の担任が同じ監督であり、数学の担当でもあるので、「5」をとると、珍しく数学だけは試験前日勉強をやるようになった。
 一方、聖人はもって生まれた体格と運動能力で野球も小さいときからうまかった。親としては後ろからそっと支えるだけで良かった。

 だから、体格も運動能力も劣る悠人に、単身赴任を中断した小3春からの2年間、ルーフバルコニーに電灯を引いて、バトミントンシャトルによるバッティング、タオルとゴムのシャドーピッチング、素手によるゴロのキャッチング等の「夜のトレーニング」をほぼ毎晩行った。もちろん単身赴任になっても、週末等で帰宅したときには、必ずこのトレーニングを行った。弟をオヤジが鍛えていると、兄は黙っても素振り等を行うこともわかっていた。悠人が中学に入るときには、シャトルを投げる私の肩はもうボロボロになっていたが、痛みを隠して投げ続けた。今でもこの時痛めた右肩は完全には使えないが、いい思い出の形見のようなものである。私は悠人に、ロッテのアンダースローエースの渡辺投手のように、「普通の人でも努力によって天才になれる」ことを、親として教えてやりたかったのである。
 だから悠人は、ゴロを捕る基本、肩の強さはチームでも指折りとなった。特に、夜に風で不規則に動くシャトルを打ち続けたので「動態視力」は抜群に発達したと言える。三振がほとんどないのはこのためであろう。高校2年となった今では、確かに身長165センチはチーム一小さいが、ボールに当てる技術力はチーム一だと思う。あとは、自分でどれだけパワーをつけるかにかかっている。

 武南高校では、入学した4月早々に、新入生全員の二泊三日の林間学校がある。
一気に「勉強モード」に入れるわけである。この時、あらかじめ父兄が息子へ書いた手紙が先生から渡される。そして父母へと題した返事の手紙を書く。
 我が家では、子どもの寝る前の本読みや「文書」に関する役割は私である。悠人への手紙の中で、「聖人は勉強で武南に入り、野球はクラブ活動だった。悠人は、野球で武南高校に入った。つまり野球のプロとして入った。プロは、周りの人を幸せにする人のことをいう。悠人は野球を通じて周りの人を幸せにすること」と書いていた。



 ところでスポーツの世界では、上級生による「いじめ」の問題は、大なり小なりどこでもある。例えば2年の準レギュラーが来年はレギュラーになれると思っていたところに、自分よりうまい1年生が入ってくると、いい感情が湧くはずがない。学校によると、なかには物理的に虐(いじ)める輩もいるという。そういうつらい人間関係を体験するからこそ、大人になったときにいつの間にか弱者への「思いやり」という人間らしい気持ちも育まれるのであろう。これが単なる左脳記憶競争受験で他人をけ落としてまでして単純にエリートとされた官僚たちに、「思いやり」や「右脳的総合的判断」という人間的修養ができてない体験的理由でもある。
 しかし、これも適切な指導のもとで行われないと、とんでもない悲劇も生まれる。こういう実話がある。次男も三男も中学時代にお世話になった関東でもっとも伝統のあるオール草加ボーイズでの進学指導での語り継がれる教訓である。
 非常に野球センスのいい子が東京の甲子園常連の名門T高に特待生で入学した。その寮内での悲惨な「事故」である。同じポジションの一つ上の先輩が、寮の裏に呼んで、コンクリートブロックをみせて、「これでケガをしろ」と迫った。言われた子どもは、自分で膝の上にブロックを落とし、膝の皿が割れ、その子の野球生命がその時点で終わった。それ以降、その高校には絶対に行ってはならないと今でも指導が続いている。
 次男と投手のM君の二人が早実の野球枠から漏れて、急遽武南を受験したときにこういう話もある。武南高野球部員がよく立ち寄るスポーツ店でのこと。M君のお父さんがその店にいくと、店にくる武南野球部員が、「今度の1年に凄いやつがくる。これで武南も強くなる」と、心から喜んで歓迎しているとのことであった。
 サッカー名門と言われる武南の中で、グランドがない野球部の上下級生・指導者一団となったよき雰囲気が伝わるエピソードである。ちなみに聖人たち以降、オール草加ボーイズからちょくちょく後輩が入学するようになった。悠人もその一人である。正確に言うと、センター沼君とセカンドの悠人の一・二番コンビが7人枠で入学した。

  もっとも後日談がある。武南に入った聖人たちは、ただちに試合にも使われ、結構活躍し、1年の春の大会から背番号も授与されていた。ところが好事魔多し。
 中学の夏の全国大会以降、「お前たちは早実に入るのだから、今からグランドに来ずに、とにかく勉強しろ」と言うことで、一切運動してなかったのである。
 聖人はヒットを打って全力で走るうちに右太股筋肉が痛くなるも、誰にも言わず我慢して試合に出続け、ついに大会前に太股筋肉断裂。全治3ヵ月。M君はもっと悲惨だった。運動せず太っていて、ノックを受けた瞬間に背骨の関節が一箇所前にずれた。結局1年間一切運動ができなくなってしまった。
 彼らが2年になったときは、レギュラー9人中バッテリーを除く7人が2年生だった。聖人は2番センターで復活していたが、M君は満足な投球もできず。でも皆彼の復活を信じた。彼も退部せず、休部という形で、リハビリにかけた。もし、M君が復活したら、135kmの高速スライダーで、甲子園だ!…。
 3年になった時点で、急遽聖人が捕手にコンバートされ、あとはM君の復活だけを待ったが…。結局、M君は背番号20をもらったが、練習試合で数回投げただけに終わった。

 それに、彼らの最後の夏の大会は3回戦で、今でも語り継がれる「世紀の大誤審」で破れた。8回逆転後、二死満塁で守っているときに、サードゴロを受けた三塁手のY君が走ってくるランナーにタッチアウト!チェンジ!と思ったにもかかわらず、三塁・塁審がジャッジせず、そのままセーフとなり、この結果、破れてしまった。
 これは埼玉放送局が、その時の大会約160試合を30分のダイジェスト版で放送したときに、そのタッチの場面を撮影していたカメラの映像を使って、「世紀の大誤審」として放映もされた。もちろん結果がひっくりかえるわけではなく、聖人たちの最後の夏はあっけなく終わった。

 その球場に入る前に、相手側の応援団の前を通った時に、「あの先輩が審判だから有利だ」という会話を小耳に挟んだ。あってはならない話だが、スポーツ界の裏の現実でもある。実は、私が国公立大学出身の唯一の学連の空手道審判となり、その延長上で実業団の理事長になっているのは、学生時代に審判で泣いた経験によるからでもある。
 その年の卒業を祝う父母会。クライマックスは、卒業生の父母が一組づつステージの中央に立ち、子どもが書いた感謝の手紙を監督等が読み上げるとき。その手紙の中で、サードのY君が「僕はしっかりタッチしました」という言葉が今でも鮮明に残っている。

 投手のM君の二つ下の弟もオール草加ボーイズ時代にエースで活躍し、武南に入るつもりでいたが、昌平高校に特待生で呼ばれた。悠人たちが入学した昨年は、その弟と、悠人のチームメイトのH君に完封リレーされ武南高校は2回戦で敗れた。この時、悠人も沼君もベンチ入りできず、スタンドで応援していたが、球場に連れて行く私の車の中で、「俺たちだったらHのへなちょこチェンジアップを打つ」と言っていたものだ。
   こういう様々な「思い」を込めて、皆それぞれ、大会に臨んでいるわけである。



 さて今回は、3年生のK君が気になっていた。お父さんがあまりに厳格に育てたので、お父さんの前では萎縮するのかいい成果を出せない。年頃になり反抗期に入ったこともあるのだろう。お父さんはグランドに来ることはなくなり、私も全く面識がない。もっともお母さんにはとても優しい高校生である。アンダーハンド投手となるべく練習していたが、投手としては断念。打撃を買われて、ひょっとすると代打要員として背番号をもらえるかどうかという位置である。ちょっと兄貴的なところもあり、その反面、俗に言う「下級生いじめ」の代表的存在でもある。しかし、こういう先輩たちと、悠人は仲がいい。親の欲目だが、右脳感性の世界で共鳴するものがあるのかも知れない。
 そのK君がカツ丼会の前の晩に、「3年間いろいろ支援してもらったけど、お母さんに背番号を縫ってもらうことは結局できないかも知れないね…」とポツリと漏らしたそうである。
 当日、そのK君に「11番」が監督から渡された。代打の切り札として認められたわけである。

 そして、悠人に14番が渡されたわけだが、ここにも小さなドラマがあった。
 オール草加ボーイズから一緒に入った沼君は、センターのレギュラー要員として1年の春からAチームに入った。
 ところが悠人はずっとBチームで過ごした。ただありがたかったのは、Bチームをボランティアで指導している二人のコーチから、技術的にも精神的にも愛情をもって個人指導をずっと受けたことである。二人とも武南野球部のファンとして来ている。一人は都内の名門校の監督として甲子園出場まで果たしているが、加齢もあり体調を崩して引退している。もう一人は地元中学シニアの元指導者。ともに武南高野球部のファンとなって指導して頂いている。
 武南高校は、県外野球留学生はおろか、特待生の制度さえない。全員地元の武南好きな子どもの集まりだ。監督も武南出身。そういう武南だから気に入った人がボランティアで支援してくれるわけである。
 この二人が何故か悠人を気に入って、個人指導をして下さった。ある時、練習場に行くと、悠人がいない。よく見れば、元名門校の監督さんに、外野の外の木陰で指導を受けている。指導というよりも、座って話を聞いている。それが延々4時間・・・。あとで悠人に聴けば、バッティングから野球に対する考え方など全般にわたったという。
 元シニアの指導者にも、先日の夏合宿中などに、調子の落ちた悠人を一人呼んで、時間のある限りティーバッティングで鍛えて頂いた。その二人が、「悠人が試合に出ないとおもしろくない」とまで妻に言ってくれている。
 また、早朝学校に行って、授業前のバッティング練習も続けた。バッティングには投げてくれる相手も必要だ。その相手を、なんと3年生のK君やエースのO君がつき合ってくれたのだ。

 そういうお陰で2年になったこの春からBチームでは、一番ヒットを打つようになり、5月の連休あとには、Aチームのセカンド、2番として先発出場するようになった。レギュラーなら背番号「4番」がもらえるわけだ。実は、私が少年工科学校時代の全国定時制通信制高校全国大会で連続優勝したときも、セカンドで2番、つまり背番号は「4番」だった。また次男の聖人もボーイズ時代に全国大会に行ったときはセカンドで1番、背番号は「4番」だった。
 でも、セカンドには、3年の主将M君がいる。実は、カツ丼会前の新聞紙上での各高校の選手紹介蘭で、そのセカンドはM君となっていた。それでも悠人にとっては4番が欲しかったと思う。一縷の望みをもってカツ丼会に臨んだが…
「14番、池田悠人」となったわけである。



 もっとも試合には、悠人がセカンド、2番で出場した。そして甲子園に出場した花咲徳栄高校に準々決勝で敗れたものの、武南高校は6回戦まで進み、ベスト8に10年ぶりに入った。兄を超えたわけである。
 試合が決まった終盤や、コールド勝ちを収めた試合には、4番をつけた主将のM君が出場した。チームのためにも、悠人・14番は本当によかったと思う。

  準々決勝で破れた試合後、主将のM君に地元記者からのインタビューがあった。実は、5月の連休後に彼は背筋を痛めていた。監督にもそのケガのことは言っていなかったようだ。悠人がヒットを量産するので、負けじと素振りをやりすぎたらしい。記者は、記事上、ケガで出場できなかった不運の主将という内容にしたい。質問もそのような感じだったらしい。
 ところが、インタビューが終わって別れたあと、主将は記者のもとに再度行き、
「悠人が出たのは、僕のケガとは関係ありません。悠人の実力です」と言ったとお母さんから妻が聞いた。

 たかが高校野球、されど高校野球。一人一人の球児と親と指導者などの人間形成の様々なドラマがある。我が家は、次男聖人の小2の時から、週末はほぼ野球支援である。あしかけ15年。今年の夏大会が終わったその日から、最後の年、16年目がはじまった。
 さっそく新人戦が始まっていて、武南高校はここまで2勝した。あと一つ、23日火曜日の南陵高校に勝てば、秋の県大会のシード権を確保できる。

 で、悠人の背番号は・・・念願の「4番!」、ではない。
 引き続き「14番」をつけている。実は、夏の大会は1本しかヒットが打てなかった。その後の夏合宿では、前述したように、ボランティアコーチに個人指導していただいたものの、「4番」は1年のH君がもらって出場。悠人曰く「打てるものが出ればいい」。その悠人は緒戦の最終回、無死1・2塁で代打で出て送りバントを決め、劇的な逆転劇の足場を作った。

 勝負の世界は厳しい。「結果」が出なければ、結果を出すものに代えられる。野球は個人種目と違い、1点でも多く点を取るための団体競技なのだ。レギュラー・控え・支援等々それぞれが持ち場持ち場で力を発揮できて初めてチームに勝利の女神が微笑む。
真に悠人がチームに貢献できるようになったときに、「4番」がやってくるだろう。
 ちなみに新チームのサード・2番は、5年前に聖人たちが涙をのんだあの世紀の大誤審の被害者Y君の弟である。その新Y君は、新人戦の緒戦1−2で負けていた9回裏、悠人のバント後さらに1死満塁のチャンスに起死回生の逆転サヨナラヒットを、心臓がつぶれる思いで応援していたお母さんの目の前で打った。兄の悔しさを緒戦から晴らす逞しい1年生である。
 白球を通じた多生の縁のドラマが新たにこれから展開する。それも日本のあらゆるところで。これから最後の1年に悠人たちにどんなドラマが展開するか楽しみである。皆さんも、是非身近な高校球児のドラマから生きる力と感動を受けて欲しい。

 そして、そのドラマが演じられるこの日の本が、全ての生きとし生けるものとの多生の縁を大事に育む国に、原発などエゴの地獄の釜のない本来の姿に蘇ることを祈りつつ…
 その祈りを込めて、9月に2冊出版する。『原発と陰謀』(講談社)と『超マインドコントロール』(マガジンハウス)である。この本から原発の真実を知ったとき、日本の真の脱原発社会、子どもたちが未来永劫安心して野球を行える自然と共生のヤマトごころの日本が蘇るだろう。

 追記・・・23日の決定戦は、講演後の妻からのメールで、「まさかの6−8逆転負け」と知った。7回まで4−3とリードしていて、交代した投手が乱調で押し出しの四球等で自滅したようだ。ヒット数が武南10本に対し、相手は4本。なんでも監督が教師講習で不在、部長先生が指揮を執り、投手起用を間違えたようだ。
同じ時、強豪の春日部共栄高校が、昌平高校に負けた。昌平高校の先発は悠人の中学時代のチームメイトのH君。でも、途中降板だったらしい。 まさしくこの1年の大混戦が予想される。
 講演と試合日程がなるべく重ならないことも念じつつ・・・。

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東藝術倶楽部顧問
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Profile:池田 整治(いけだ せいじ)

1955年、愛媛県生まれ。元・陸上自衛隊小平学校 人事教育部長で陸将補(2010年12月に退官)。防衛大学校国際関係論卒業。空手道8段、全日本実業団空手道連盟理事長。90年代半ばの第一次北朝鮮危機における警察との勉強会、それに続くオウム真理教が山梨県上九一色村に作ったサティアンへの強制捜査に自衛官として唯一人同行支援した体験等から、世の中の「本当の情勢」を独自に研究。2009年12月の自衛官在任中に著書『マインドコントロール』(ビジネス社)を出版。北海道での単身赴任時代、太古から残る大自然に感動し、4人の子どもたちへ、万が一の場合、父の想いを残し伝えるためのエッセイ『心のビタミン』(メルマガ)を始める。エッセイや写真は江戸の日本人が感じた『自然との一体感』をテーマにしたものが多い。著書に『心の旅路』(新風舎/改訂版:新日本文芸協会:2011年1月発売)もある。月刊『ザ・フナイ』(船井メディア発行)にもたびたび登場。2011年1月に新著書『転生会議』(ビジネス社)が発売。
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