みんなでひとつ命を生きていく〜宮ぷーこころの架橋プロジェクトから〜
このページは、特別支援学校教諭で、作家でもある「かっこちゃん」こと山元加津子さんによるコラムページです。
かっこちゃんは障害を持った子どもたちと、かけがえのない一人の友達として触れ合い続けています。その様子は『1/4の奇跡』という映画にもなりました。このコラムでは、かっこちゃんの同僚で、2009年2月に突然脳幹出血で倒れ、奇跡的に命をつないだ宮田俊也さん(通称・宮ぷー)との触れ合いの様子を中心にお届けします。
毎日、学校が終わってから、宮ぷーのところへ通っていますが、その様子をメルマガに書いて送らせていただいています。メルマガは、宮ぷーのこと以外にも、たくさんの方とつながりながら、素敵なドラマをいっぱい生み出しているなあと思うのです。去年の夏にモンゴルへ出かけたことがあって、その旅のあと書いた日記です。
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旅の間中考えていることがありました。毎日メールをくださる方に、どうしても、私の思いをお話ししたいと思っていたのです。
その方には、お嬢さんがいらっしゃって、過失による事故で、今はベッドに寝たきりになっておられるのだそうです。どうしても、事故を起こされた方を許すことができなくて、もし、事故に遭っていなかったら、今、お嬢さんは、就職もし、結婚もしていただろうと思うと、相手が幸せになるのが我慢できないとメールに書いておられました。そして、保険金以外に、毎月必ず同じ日に、同じ時間に、病院に来て、謝ること、というのを、条件の一つにされたのだそうです。旅から帰ってパソコンをあけると、その中に、その方からのメールがありました。
「……どんなことがあっても、必ずその日のその時間に病院に来るというのが条件だったのに、今月はどうしても来れないので日を変えて欲しいと加害者から電話がありました。そのようなことは許されることじゃないということが、加害者にはわからないのです。どんなに大切な予定であろうと、将来に関わることであろうと、加害者にはそのような未来があって、被害者はただベッドの上で寝ているだけ。せめて月に一回のその日くらい、どんなことがあっても、償うということができないのかと腹立たしく、申し出は断りました。
私たちには一生幸せなんて来ないのに……幸せになる方法があったら、教えてほしい。私はいつもそう思っています。……」
いただいたのは、旅の間に決めたことを、お話ししたらいいよと誰かがそう言っているようなそんなメールでした。
「私は幸せになる方法、わかります。知っています。相手の方に“もうあなたは充分つぐなってくださったから、もう私たちのことは忘れて幸せになってくださいね。あなたの幸せを祈っていますね”とお話しされること、そのことのように思えてならないんです。私はそのことで、きっときっとお二人が幸せになられると信じます。お嬢さんとお二人、どんなにおつらい日々を送っておられるだろうということ、私、充分わかっているつもりです。けれど、私は恨んでいる間は、つらくて、幸せには決してなれないだって、知っています。知っているつもりなんです。」
書いてからもまだ、迷って、でも、エイっと送信ボタンを押しました。今日一日、「どんなふうに思われただろうか? 怒っておられるだろうか? と何度も考えました。けれど、すごくうれしいメールをいただいたのです。私うれしくてうれしくて泣きました。
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かっこちゃんからのメール。いったいかっこちゃんは何のつもりなんだろう。何を言ってるのだろう。話にならないと正直思いました。それなのに、私自身、メールを閉じて、娘とテレビを見て、テレビを消して、ふと、相手に電話をかけてみようとそんな気持ちになりました。そして、電話をかけたあと、私自身もわけがわからなくなって、口走っていたのです。「もういらっしゃらなくてもいいですよ。充分償ってくださったのですから、幸せになってくださいね。私もあなたの幸せを祈っています」と言いました。おまけに私は「あなたのご両親も本当に良い方ですから、あなたの幸せを祈っているでしょう。長い間ご両親にもあなたにもつらい思いをさせてしまってごめんなさいね」と言いました。
いったい私のどこにそんな優しい言葉があったのか、自分でも驚いています。電話の向こうから嗚咽が聞こえました。私も言葉が続かなくなって、受話器を置きました。置いたとたんでした。不思議なことに、かっこちゃん、受話器を置いたとたん何が起きたと思いますか? 今まで感じたことのないような幸せな気持ちにつつまれて、胸がいっぱになって、娘を抱きしめて泣きました。「よかったんだね、これでよかったよね」と言うと、娘が「ママ、よかったね。ママ、よかったんだよ」と言いました。娘は「もういいよ」とこれまでも何度も言っていました。でも、私は許せなかった。娘は、また「ママ、よかった、本当に」と言いました。
かっこちゃんは、こうなることがわかっていたのですか? 見えていたのですか? テレビを見終わったあの一瞬に何が起きたのか、何か導かれるようにかけてしまった電話ですが、もし、体の不自由な宮ぷーのところに毎日欠かさずに出かけているかっこちゃんでなかったら、私はこんなこと絶対にしなかったはずです。これから、今日のことを後悔することがあるでしょうか? まだ実はわかりませんが、私が口から出た「今までごめんなさいね」の言葉はかっこちゃんの言葉でなくて、私の心から出た言葉であるならば、私の中にも実はそんな心が残っていたのでしょうね。
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私も一緒に泣きました。そうですよね。恨んでいては決して幸せになれない。自分がつらいときに、相手も辛ければいいなんてことあるはずがないですもの。私はお二人が本当にすごいなあと思います。「ごめんなさいね」とおっしゃったこと、私、本当に尊敬します。そんなうれしいことがありました。
3月11日に大変なことがあって、私はそのあと、人はなんて素敵なんだろうと毎日のように思いました。人は生まれつき、相手のことをいつも思うようにできているんだという気がしてなりません。人は人を恨むようにはできていないのですね。自分のことをまず横において、何か今おつらい方のためにできることはないかと多くの方が考えておられます。そして、そのことが、前へ前へ進んでいく勇気につながっているのですね。
★「生命科学者・村上和雄×「1/4の奇跡」山元加津子〜東日本大震災によせて」で
山元加津子さんが登場しています。
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『満月をきれいだと僕は言えるぞ・・GO!GO!意思伝達大作戦』三五館(税別1500円)宮田俊也・山元加津子著
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宮ぷー(右)と一緒に。
1957年 金沢市生まれ。エッセイスト。愛称かっこちゃん。石川県特別支援学校教諭。障害を持った子どもたちと、教師と生徒という関係ではなく、かけがえのない一人の友達としてふれあいを続けている。分け隔てなく、ありのままに受け入れる姿勢は、子どもたちの個性や長所を素晴らしく引き出している。そんな子どもたちの素敵さを多くの人に知ってもらおうと、教師をしながら国内外での講演・著作活動など多方面に活躍中。教師、主婦、作家、母親という4役を自然体でこなし、まわりの人に優しく慈しみをもって接する姿は、多くの人の感動を読んでいる。著書に『本当のことだから』、『魔女・モナの物語』(両方とも三五館)、『きいちゃん』(アリス館)、『心の痛みを受けとめること』(PHPエディターズグループ)などがある。
宮ぷーこころの架橋プロジェクト メルマガ登録:
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同プロジェクトから生まれたHP:http://ohanashi-daisuki.com/index.html
山元加津子さんHP「たんぽぽの仲間たち」:http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/