みんなでひとつ命を生きていく〜宮ぷーこころの架橋プロジェクトから〜
このページは、特別支援学校教諭で、作家でもある「かっこちゃん」こと山元加津子さんによるコラムページです。
かっこちゃんは障害を持った子どもたちと、かけがえのない一人の友達として触れ合い続けています。その様子は『1/4の奇跡』という映画にもなりました。このコラムでは、かっこちゃんの同僚で、2009年2月に突然脳幹出血で倒れ、奇跡的に命をつないだ宮田俊也さん(通称・宮ぷー)との触れ合いの様子を中心にお届けします。
最初に、耳と目に障害を持っておられるお子さんと出会ったのは、くーちゃんが最初でした。くーちゃんは記憶が曖昧ですが、生まれたときからか、生まれてすぐからかに聴覚と視覚に障害を持たれました。
耳がまったく聞こえなくて、目もまったく見えないお子さんでした。光りを感じられなかったり、音も聞こえないということは、昼のざわざわした感じも夜のしーんとした感じもないためか、くーちゃんは、昼寝て夜起きるというようなリズムがあまりなくて、しょっちゅう昼夜逆転になっていたようです。
そして、見たり聞いたりということができないためだとお母さんがおっしゃっておられましたが、口からの感覚を求めることがあると思うのだけど、ものすごくたくさん食べるようになったそうです。
体がものすごく大きいお子さんでした。そして力も強くて、物を倒したり、食べ物を食べて散らかしてしまったり、ご家族をかみついたりひっかいたりしてしまうこともいっぱいあったようです。それで、高校二年生のときに、お父さんがくーちゃんとのやりとりで骨折して入院してしまいました。お母さんお一人ではむずかしいということで、児童相談所から、施設に入所されました。
くーちゃんは施設に入ったあとも、周りの人をたくさん怪我をさせてしまいました。中には入院された方もおられました。でもそれは仕方がなかったと思います。くーちゃんにしてみたら、突然、大好きなお母さんもお父さんもいない別のところに連れてこられ、そして、おそらくはくーちゃんが作りあげてきた頭の中の部屋の地図とまったく違うところに来て、どうしていいかわからなくて、不安で不安で仕方が無かったと思います。
そして、私はそのときに高校二年生の担当でした。力もない私がくーちゃんの担当ということで、学校も施設のみなさんもすごく心配をされたと思います。「かっこちゃんなんてひとたまりもないと思う。骨折したり、大けがするかもしれない」ということでした。
でも、心配はそれほどいらなかったです。なぜって、私は本当に力もないし、くーちゃんを力で押さえ込むことなんて最初からできっこなくて、ただそばにいて、そっと手をにぎろうとするようなことしかできませんでした。でも、最初はそれもなかなかむずかしかったです。くーちゃんはとても怯えてびくびくしていました。
ああ、どんなにくーちゃんは不安だろう、怖いのだろうと思うと、私は涙がとまらなかったです。くーちゃんが最初に手を触らせてくれたときのことをよく覚えています。くーちゃんは周りのことや一緒にいる人のことが知りたかった。だから、周りに来た人の顔を触ろうとする。でも、みんなも力の強いくーちゃんを怯えていたから、逃げたり、手を払ったりしてしまっていたかもしれません。
でも、くーちゃんは知りたかったのです。目でも耳でも確かめることができなければ、くーちゃんは、触ろうとするのは当たり前のことでした。くーちゃんが手をのばして私の顔を触ってくれたときに、私はくーちゃんがつらいだろうと思って、泣いていました。くーちゃんは私の涙に触って、そして触った指をなめて、そしてそのときにくーちゃんは、私と一緒に泣いてくれたのです。そして私がそばにいることを許してくれました。手を触ることもやがて体を触ることも許してくれました。
私はくーちゃんと思いを伝え合いたかったです。でも、くーちゃんは目が見えないし、耳が聞こえない。そんなくーちゃんとどうしたら、思いを伝え合えるのか? ずっとそのことで頭がいっぱいになっていました。まだ、点字の方法も知らない私でした。
そんな私が、自分なりに考え出した方法は、左手の親指のてっぺんがア行、親指と人差し指の谷間がカ行、人差し指のてっぺんがサ行というふうにしていくと、ワ行は小指のつけねでおわるのです。それで、あいうえおと下に降りていく方法は、親指を握ればア段、人差し指ならイ段というふうにしました。
私は毎日出掛けると、自分の胸に手をあてて、かつこだよと。そしてくーちゃんの胸に手をもっていって、くーちゃんだよと伝えました。それから、机や椅子や、食べるものの名前などを何度も綴りました。なかなかくーちゃんに私のしていることは伝わらなかったけれど、でもその日は突然やってきました。
その日、くーちゃんは、私を自分から抱きしめてくれました。そして、私がくーちゃんのところに座ったとたんに、くーちゃんが、私がいつもしているようにして「かつこ」と綴ってくれました。そして自分の胸をさして、自分の名前を綴りました。私が最初に、毎日そうするからだろうかと思ったけれど、そうではありませんでした。
くーちゃんは「わかった」のです。「気がついた」のです。私が綴っていたのは、そのものをさす言葉なのだと。くーちゃんはそのとき、全部がわかりました。そしてパンを食べるというような動詞と目的語のくっついた言葉もくーちゃんは理解していました。私はずっと泣きながらくーちゃんといたことを覚えています。
そして不思議でならないことがありました。くーちゃんは、「可愛い」とか「大好き」とか「やさしい」とか、具体的に、これが可愛いだよと伝えられないようなことを、そんなことを、くーちゃんが理解をしていると私は思いました。なぜかそうしっかりとわかったのです。
いったいなぜ? くーちゃんはずっと見ることも聞くこともできなかったのに、どうやって、そのことを学んだのでしょう。不思議でならなくて、私はずっとそのことを考えていました。そして私が出した結論は「くーちゃんははじめから知っていた。生まれたときから知っていた」ということでした。教育ってどんなことなのだろうとまた考えたりもしました。
ある晴れた春の日。お花がいっぱい咲いていた日。今日はお母さんが面会に来る日。私はくーちゃんと手をつないで外に出てお母さんを待つことにしました。お母さんがいらっしゃるから可愛くしようねと、髪をとかして、そして外に咲いていたお花を髪にかざりました。可愛いよと手で綴って、私の口に手を当てると、くーちゃんは私の口の動きすら覚えようとしました。そして、うれしそうに声をたてて笑いました。手をつないでお母さんを待っていたら、坂の下からお母さんがやってこられるのが見えました。お母さんは私と手をつないでいるのがくーちゃんだと最初はわからなかったそうです。でも、わかったときに、お母さんはそこに立ちすくんでしまわれました。
「髪をさわらせることもなかったのに、髪をとかして、花をつけて、手をつないで、笑っているのが私の娘!?」と思われたそうです。お母さんも涙を流されて、私がくーちゃんにお母さんが泣いているというと、くーちゃんはお母さんの顔をなでて、私にハンカチをちょうだいと言いました。私が渡すとお母さんの涙を拭いてあげていました。
くーちゃんのお母さんはお話の方法を尋ねてくださって、お伝えしました。その次のときに、「家に連れて帰りたい」とくーちゃんはおうちで、またお母さんとお父さんと暮らすことになりました。
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宮ぷー(右)と一緒に。
1957年 金沢市生まれ。エッセイスト。愛称かっこちゃん。石川県特別支援学校教諭。障害を持った子どもたちと、教師と生徒という関係ではなく、かけがえのない一人の友達としてふれあいを続けている。分け隔てなく、ありのままに受け入れる姿勢は、子どもたちの個性や長所を素晴らしく引き出している。そんな子どもたちの素敵さを多くの人に知ってもらおうと、教師をしながら国内外での講演・著作活動など多方面に活躍中。教師、主婦、作家、母親という4役を自然体でこなし、まわりの人に優しく慈しみをもって接する姿は、多くの人の感動を読んでいる。著書に『本当のことだから』、『魔女・モナの物語』(両方とも三五館)、『きいちゃん』(アリス館)、『心の痛みを受けとめること』(PHPエディターズグループ)、『満月をきれいと僕は言えるぞ』(宮田俊也・山元加津子共著 三五館)などがある。2011年7月に新刊『ありがとうの花』(三五館)、2011年11月に『手をつなげば、あたたかい。』(サンマーク出版)を発売。
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山元加津子さんHP「たんぽぽの仲間たち」:http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/