みんなでひとつ命を生きていく〜宮ぷーこころの架橋プロジェクトから〜
このページは、特別支援学校教諭で、作家でもある「かっこちゃん」こと山元加津子さんによるコラムページです。
かっこちゃんは障害を持った子どもたちと、かけがえのない一人の友達として触れ合い続けています。その様子は『1/4の奇跡』という映画にもなりました。このコラムでは、かっこちゃんの同僚で、2009年2月に突然脳幹出血で倒れ、奇跡的に命をつないだ宮田俊也さん(通称・宮ぷー)との触れ合いの様子を中心にお届けします。
今、何か大変なことがおきていると、ずっと養護学校で子どもたちといた私は感じています。今年になって、朝日新聞の一面のトップ「信じて、ぼくの言葉 重い障害の少年が伝えたかったこと」や東京新聞や、北日本新聞の連載記事「ずっと伝えたかった」などやテレビなどでも、これまで言葉を持っていないと思われていた障がいの重い子どもたちが、実は深い思いを持っていて、その思いを伝える方法があるということがわかってきました。この両方の記事にかかわれているのが、國學院大學の柴田保之先生です。
そしてその練習のひとつである指談(人差し指を片方の人がもって、もう一方の人差し指に書く)障がいのない人同士で練習ができることがわかりました。私も練習したのでそのレポートです。
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「指でお話しする指談の練習の仕方」
二人組で練習をします。ひとりは、椅子に力を抜いて座ります(Aの方)。目をつぶってもらってもいいと思います。もうひとり(Bの方)は、その隣に座って、あるいは立って、Aの方の腕をかかえるようにして、Aの方が右利きなら右手をとって、左利きなら左手をとります。そして、Aの方の人差し指の第一関節をBの方は親指と人差し指でそっともちます。支えるだけでそっと持ちます。そして、Aの方の指先をBの方のもう一方の手の自分の人差し指の腹にあてます。強くあてると、指の動きが抵抗でとまるし、当たらないと、Aの人が、動きを感じられにくいと思うので、そっとあてることが大切と思います。まず、○と×の練習です。
Aの人は、だらんと力を抜いて、手を動かすのではありません。身をまかせて、目をつぶり、丸は時計回りに○と書くことをイメージします。何度も繰り返し書くのじゃなくて、一回だけ、イメージするだけです。それから×だったら、/と右上から左下に、棒を描くことをイメージします。そうすると、本当に不思議ですが、指先が動きます。Bの人はそれを見て、○か×かを判断します。
次は、数字の練習。同じように、書き順が大切。でも、自分で動かしません。イメージをするだけです。でも、手は動きます。みんな「え? どうして? どうして考えているだけなのに動くの?」とあちこちで、驚きの声があがります。でも、中にはできないよという声もあがります。両方を経験してわかったのは、Bの人の持つ力がつよすぎると、なぜだか動き出す方法が止められてしまいます。だから、本当にそっと支えることが大切なんだと思います。それから、途中でやめると、間違えてしまうのです。そしてBの方の思い込みもとり間違えの原因があります。たとえば、3をイメージした時に、曲線を描いて、つぎに、右に進んだら、あ、2だと思っちゃうと、途中で2だと言ってしまうし、手が下へうごきたがってるのに、右にぎゅーっとひっぱられたりしてしまうのです。それから、4はむずかしかったです。斜めにおりて、下の底辺を書いて、そこから、上にあがるときにずっと続いていると思うと、6のようにも9のようにも見えてしまうからです。でも、練習をしたらわかってきます。両方を経験することで、不思議だけど、本当にそれができるということを知ってもらいたいです。
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指をそっと持って動きを妨げないなどコツも少しありますが、どうぞみなさんも練習してみてほしいです。そして、本当にみんなが深い思いがあることが伝わっていくといいなあと願っています。そしてそのときに、来てくださっていた車いすにのっておられた小学校三年生のれのあちゃんの言葉があります。これは柴田先生が、紡ぎ出してくださった言葉の抜粋です。
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れのあちゃん:
私は、今言われて、確かに私は恐いということは感じなかったけれど、わかってという気持ちは強かったので、それをあまり言わなかったなと反省していたところでしたが、なぜ言わなかったかというと、私たちはどこかで、言ったら負けだと思っていたので、言わなかったけれど、もちろん恐くて恐くて仕方がないという感じではなかったけれど、悔しくて、悔しくて仕方なかったのは事実です。なぜ私たちが全部わかっているのに、それをみな分かってくれないのかと思うと、悔しくて胸が張り裂けそうなこともあったけれど、今でもそれを言ったら負けだという思いもすごくあって、私たちはそれを言わないことで、誇り高い自分を保っているので、今言ってしまったのは、先輩が言ってくれたから、私も先輩の前でうそをついてはいけないと思ったからですが、やはりこのことは言いたくないことです。なぜなら私たちは誇り高くいたいので、あなたがたが分からなくても、私たちはそんなこと気にしてもいないという態度をとりたいからですが、今日の人たちはわかってくれるので、ここだけの話ですが、そういう思いはいつもありました。でも私たちは、なぜかよりよい人生を選びたいという気持ちだけはしっかりしているので、できる限り人に対する言葉に対しては、いい言葉だけを言おうとしています。そのことについて、先生はとても興味津々だというのがよくわかりました。さっき通訳の声が変わるというのが分かりましたが、先生がとても集中してきたのがわかりましたが、たぶん先生は答えをきっと知っているのでしょうが、私が言いたいのは、私たちはこうしてきちんと生きることしか、自分をきちんと保つ術がないからです。誰にもわからない人生を歩んでいるときに、自分が自分を見捨ててしまったらもうおしまいなので、自分だけは自分を認めたいと思ったときに、自分をとてもいい人間だと認めないと、やっていけないから、私は自分をとてもいい人間にしたいので、人のことは悪く言いたくないし、あらゆることをきちんと受け止めて行きたいと思っているので、少し無理をしているかもしれないけれど、きれいな気持ちで生きていくことに真剣になっています。そのへんは誰も言ってないことかと思っていたけれど、先生の声を聞いていると、先輩の誰かが言ったということのようですが、本当ですか。
柴田先生:
あ、それはいろんな人から聞きました。なんで自分たちがきれいな気持ちで生きていかなくてはいけないかというのは、自分しか自分を認める人はいないので、自分が自分を保つことが重要だったと……
れのあちゃん:
そうですね。先生の声は初めて聞いたことだと驚くみたいだけど、誰かに聞いたことだと静かにどんどんぐっと深くなっていくので、今の話は誰かから聞いたのだということがわかりましたが、私たちの仲間が同じことを考えているというのは、とてもうれしいです。
私はここまで会話はしたことがないので、まさかそんなことを仲間が考えているとは考えなかったけれど、私たちがいつも澄んだ目をしていられるのは、自分だけは自分を信じて生きていきたいという思いがあったからです。そういう思いの深さをきちんと言える日がくるとは思わなかったので、今日こんなことが言えることが不思議でしかたないですが、先生の魔法にかかってしまったので、言ってしまいましたが、あとひとつ言うと、私たちは、じつはもっともっとやりたいことがたくさんあるけれど、やりたいことがやれないということは、やはり自分に負けることになるので、私たちはやりたいことをやらないでも、私たちは生きていけるということを、きちんと伝えたいと思っているので、あまり高望みはしないようにしています。
例えば、ディズニーランドに行きたいということがあったとしても、ディズニーランドに行かなくても人生は生きていけるとか、そういうふうに何かが叶わなくても、きちんと生きていけるということを、しっかりと自分で考えてきましたが、そんなことまで言えるとは思わなかったのと、誰かがそのことを言っているのかと思うと少し悔しいですが、私が初めて言ってることではないようなので、少し悔しいですが、先生の声を聞いていると、やっぱり誰か言ったみたいな気がするのですが、私たちは、やはり同じ環境にいて、こういう思いをするものだなということがよくわかりましたが、よくよく考えると、やはり私たちは素晴らしい人生を生きたいというところが共通なので、素晴らしい人生というのは、やはり人間として一番清らかな心を持つということなので、そこに向かって生きていこうとする気持ちが、人間のなかで一番強い存在なのかもしれないと思います。これも誰かが言ったのかもしれないと思うと悔しいけれど、私がずっと考え続けてきたのは、どうしても私は清らかな心で生きていきたいということでしたので、いまでもそのことを最大の大切なことだと思っています。私の話が難しくなったので、先生も困っているようですが(笑)、あまりにも正確に言葉が訳されるので、私が驚いていますが、先生の言葉を聞いていると、私もついつい言わなくてもいいことまで言ってしまうというか、それは内緒にしておこうと思ったことまで言ってしまいますが、あとひとつどうしても、お母さんやおばあちゃんに伝えたいことがあります。それは障害があるということについて、私は一度も不幸だと思ったことはないけれど、できるならば障害がない人生を生きてみたかったという気持ちは本当です。でもそれはお母さんやおばあちゃんを見ていると、絶対に言ってはいけないと思っていたし、今日もこの先生がいなかったら言わなかっただろうけれど、それは言ってしまおうとなぜ思ったかというと、私はやはり障害のない人生を生きてみたいと思ったけれど、障害のない人生なんて、どれほどの意味があるのかという考えも私にはあって、私は障害のない人生も生きてはみたいけれど、障害のない人生が素晴らしくて、障害のある人生がつまらないということはないということをきちんと伝えたいので、あえて障害があってもいいじゃないかということを言いたいと思ったからです。
私は自分でも障害のない生き方をしたいと今でも思わなくはないけれど、その気持ちというのは、少しぐらい歩いてみたいとか、少しぐらいしゃべってみたいというぐらいの気持ちなので、私が大事にしたいのは、歩けるとか、歩けないではなくて、本当の清らかな気持ちを持つことなので、歩けたほうが清らかな気持ちが持てないならば、歩けない方がいいという気持ちになっているので、一度、おじ、おばあちゃんやお母さんには……おじいちゃんと言いかけたのは私ですか(笑)。
おばあちゃんやお母さんにわかってもらいたいので言いました。私も普通の女の子のような気持ちはあるけれど、それを超える清らかな気持ちで生きていきたいという心があるということを言いたかったので、あえて、私だって普通の体になってみたいと思うことはあるけれど、普通の体になったからといって、心が濁るようだったら、私は普通の体にならなくていいということを言いたかったのです。難しいかもしれないけれど、先生の言っていることは間違ってはいないので、今のが私の言いたいことです。先生もそうとう難しいようですが、やはり難しいのでしょうか。
柴田先生:
予測が成り立たないんで(笑)、どっちにでも行ける言葉を言っているので……、しかも変わるところが最後の語尾のところだけがどんどん変わっていくので、間違えたら大変だというところがあるので、単語は全部同じでも語尾を……
れのあちゃん:
わかりました。私が語尾ひとつで変わることを言っているからですね。単語なら簡単に予測がつくけれど、語尾は丁寧にやらないといけないことがわかりましたが、先生の語尾は違わないのが気持ち悪いぐらいですが、私が言いたかったことは、よく言えたのでよかったです。お母さんもおばあちゃんも、私のことを心から愛してくれているので、私はなんと言ったらいいかわからないのですが、私は嘘をつきたくなかったので、私は普通の生き方もしてみたかったけれど、今のこの状態の最大のプラスは、清らかな心を持つということなので、そのことをきちんと伝えておきたかったからです。いつかまた、お母さんとおばあちゃんとまた、このぐらいのスピードで話せる日が来るかもしれないけれど、ゆっくり話すなかで、今の話を伝えるのは難しいし、さきほど栗原先輩が途中で途切れたら、反対の意味になると言ったことに関して、私は普通の子供になりたかったで、途切れてしまったら、一番言いたいことが伝わるどころか、お母さんやおばあちゃんを一番悲しませることになるので、先生とでなければ言えなかったことです。私は普通の子になりたいという思いは普通に持っているけれど、清らかな心を持てているいまの自分にとても満足しているし、お母さんもおばあちゃんも、今の私がこうであることに、なんの責任もないし、むしろ、いろいろあったかもしれないけれど、私はこうして、人間のなかで一番清らかな心を持てる人間になったのだから、お母さんもおばあちゃんも、できることなら、私を誇りに思ってほしいと思います。私のような人間を誇りに思うなんて、少しおかしいかもしれないけれど、うちの娘は人間のなかで一番清らかな心を持っている娘だということを人に言う必要はないので、ぜひ心のなかに持っていていただけると私はとてもうれしいです。
まさかそういうことまで話せるとは思っていなかったので、やっぱり先生は魔法使いなのかと思いますが、先生の言葉を聞いていると、自分の気持ちをもっと言いたくなるという気がするので、そのまま言ってしまいましたが、今日の話はずっと言いたくて言えなかったことだし、一生言うこともないと思っていた言葉なので、言えてよかったです。今日はまさか私がここまで話すというか、私の言葉を聞き取れる人がいるということを聞いても、なかなか信じることができなかったけれど、簡単な言葉だけ聞いてもらえればいいと思って来たのですが、まさか私が一番大事にしていることまで、言ってしまうとは思わなかったので、本当に驚くばかりです。これがもし夢で、明日、朝目が覚めたら全部夢だったとう気もしないではないのですが、それもそうでもないみたいなので、今日は本当に私も一生が変わるような日かもしれないので、またゆっくり考え直したいと思いますが、さすがに私も話が止まらなくなってきているので(笑)、いったん区切りたいと思います。先輩はどう思いましたか。(笑・拍手)
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会場にはもうひとり、まーくんという男の方もいらしていて、やはり柴田先生が深い思いをつたえてくださったのでした。思いがあるということを知らなければ、私たちはつい、その人自身のことであっても、まわりにいる方に、「今日は元気?」「どっちが好きかな?」などということを尋ねたりもするでしょう。でも、こんなに深い思いがあるということがわかれば、私たちがその方と向き合う様子もかわってくるのではないかと思います。もっともっと多くの方に、おはなししたいなあと思うことです。
ところで、この柴田保之先生と、筑波大学の名誉教授で、意識障害の方をどんどん回復させるプログラムを実施しておられる紙屋克子先生と私の講演会が、11月16日、17日と岡山県の倉敷であります。(16日はこのページでもおなじみの宮ぷーが出ている映画「僕のうしろに道はできる」の上映会と私の講演会のみです。)
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11/17(日)岡山 【山元加津子さん&柴田保之さん&紙屋克子さん講演会】
植物状態と言われる方も回復の可能性がある。寝たきりの方も機能回復の可能性がある。今は回復することが奇跡だと言われる。その回復する奇跡が当たり前になっていく世界を目指します。
・時間 10:00〜17:00
・場所 川崎医療福祉大学 川崎祐宣記念講堂
☆資料代 事前申し込み¥2000、当日¥2,500
★ 振込先 郵便振替
加入者名 白雪姫プロジェクト岡山
口座 01350-4-99731
定員1000人
定員になり次第締め切らさせていただきます
☆お問い合わせ先・・・清音クリニック
0866-94-4111
0866-94-4155(FAX)
mail:genki☆kiyone-clinic.jp(☆を@に変えて送信してください)
お申込み 「チケットを入手」から申し込みフォームに移動するか
Tikiイベント予約 山元加津子さん&柴田保之さん&紙屋克子さん講演会
https://uketsuke.tiki.ne.jp/shirayukihime2013/
上記HPに必要事項を記入してください
☆交通アクセス
JR中庄駅より東に徒歩約10分
岡山空港より バス−約30分−JR岡山駅−約12分−JR中庄駅
バス−約35分−JR倉敷駅−約5分−JR中庄駅
http://www.okayama-airport.org/access/bus.html
新幹線 東京大阪方面よりお越しの方
JR岡山駅−約12分−JR中庄駅
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三人そろっての講演会は初めてで、もしかしたら最後になるかも知れません。ぜひいらしていただけたらと思います。
・「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」(宮ぷー日記のメルマガです)
(こちらでメルマガ登録=プロジェクト参加できます)
http://www.mag2.com/m/0001012961.html
携帯からは空メールを送れば登録できます。a0001012961@mobile.mag2.com
・メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
★ 山元加津子と仲間たちとのおかしな毎日を綴る
いちじくりんHP:http://itijikurin.blog65.fc2.com/
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宮ぷー(右)と一緒に。
1957年 金沢市生まれ。エッセイスト。愛称かっこちゃん。石川県特別支援学校教諭。障害を持った子どもたちと、教師と生徒という関係ではなく、かけがえのない一人の友達としてふれあいを続けている。分け隔てなく、ありのままに受け入れる姿勢は、子どもたちの個性や長所を素晴らしく引き出している。そんな子どもたちの素敵さを多くの人に知ってもらおうと、教師をしながら国内外での講演・著作活動など多方面に活躍中。教師、主婦、作家、母親という4役を自然体でこなし、まわりの人に優しく慈しみをもって接する姿は、多くの人の感動を読んでいる。著書に『本当のことだから』、『魔女・モナの物語』(両方とも三五館)、『きいちゃん』(アリス館)、『心の痛みを受けとめること』(PHPエディターズグループ)、『満月をきれいと僕は言えるぞ』(宮田俊也・山元加津子共著 三五館)などがある。2011年7月に新刊『ありがとうの花』(三五館)、2011年11月に『手をつなげば、あたたかい。』(サンマーク出版)を発売。
宮ぷーこころの架橋プロジェクト メルマガ登録:
http://www.mag2.com/m/0001012961.html
同プロジェクトから生まれたHP:http://ohanashi-daisuki.com/index.html
山元加津子さんHP「たんぽぽの仲間たち」:http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/