みんなでひとつ命を生きていく〜宮ぷーこころの架橋プロジェクトから〜
このページは、特別支援学校教諭で、作家でもある「かっこちゃん」こと山元加津子さんによるコラムページです。
かっこちゃんは障害を持った子どもたちと、かけがえのない一人の友達として触れ合い続けています。その様子は『1/4の奇跡』という映画にもなりました。このコラムでは、かっこちゃんの同僚で、2009年2月に突然脳幹出血で倒れ、奇跡的に命をつないだ宮田俊也さん(通称・宮ぷー)との触れ合いの様子を中心にお届けします。
誰もに、思いがあるということ、そして、人はみんな回復する力をもっていて、回復する可能性があるんだということをどうしても知っていただきたいと、いつも強く思うのです。心を強くするメールもいただきました。シンジさんからです。
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かっこちゃん、こんにちは。初めてメールをします。シンジと言います。妻が35歳という若さでくも膜下出血で倒れて、昏睡状態になり、かなり出血が大きくて、このままになることを覚悟してくださいとドクターに言われました。友人が白雪姫プロジェクトを教えてくれて、毎日40分かけて、病院へ仕事の帰りに寄りリハビリをしています。
ドクターは「損傷を受けた脳はもうなおらない」と私に何度も言います。それは、かっこちゃんが言っていることとあまりに違いますね。まずスタンスが違うでしょう。治らないと思っている、すでにあきらめている前で、治るんです。治って行くんですと言うことにものすごく勇気がいる。かっこちゃんは本当に強い。けれど、僕たちはまだ、結婚して2年です。12年もつきあって、何度か別れたりもしましたが、僕が彼女をあきらめなかった。だから、結婚できて、一緒になれたのです。かっこちゃんが歌ったという満天の星を僕も彼女に何度も歌いました。
「僕たちどうしてここに一緒にいられるのだろう」倒れたときに、一緒にいられるように、神様がしてくださったのだと僕は感じています。なぜ僕なのか? それは僕が治せるからです。かっこちゃんと出会って、僕がそれを信じ、彼女のことを僕ならあきらめずにいられるからでしょう。だから、泣きながら歌うのです。そして、ドクターがどんなに無駄と言ってもあきらめない。毎日話しかけ、だいじょうぶだと言い続けて、ドクターや看護士が、「責任持ちませんよ」と言っても座らせていて、かっこちゃんの言う通り変化が起きています。目をあけて、目で合図し、体も動きだしている。かっこちゃんのメルマガをたくさん読んでいますから、スイッチも考えています。かっこちゃん頑張れ、宮ぷー頑張れ。僕たちもうしろに続いていく。そして、そのうしろにたくさんの人がいるよ。
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シンジさん。信じてくださって、リハビリしてくださって、一緒に座ってくださって本当にありがとうございます。後に続いてくださる方がきっといっぱいいらっしゃる。そして、みんなで道を作っていくんですね。うれしいです。ありがとうございます。応援しています。いえ、応援していただいているんですね。ありがとうございます。
12月8日に、私がどうしてもどうしてもたくさんの方におはなししたいと思っている「すべての方に思いがあって、そして植物状態と言われいる方も回復する可能性があるんだ」ということをお伝えする大会が岡山で行われました。
私はどうしても、この日、1000人の方に、来ていただきたかったのです。なぜならば、子どもたちが教えてくれたそのことが実は本当のことなのだと、来ていただいて、筑波大学名誉教授の紙屋克子さんのお話を聞いていただいて、「僕のうしろに道はできる」という宮ぷーが回復していく過程を追った映画をみていただいて、そして私も一生懸命お話したら、きっときっとわかってくださるに違いないと思ったのです。
紙屋先生は本当に温かな先生です。そして、凛とされていて、私は先生のお言葉ひとつひとつに、心が震えるのです。先生と私の話のときに、私がこんなことを言いました。
「今日が近づいてきて、お医者さまらからのメールに、でもどうしてもよくならない人もおられるんですよ、という文章がありました。私はそれを伺ったときに、その言葉は私にとってはあまり意味を感じられない言葉だと思ったのです。ほとんど脳波に変化がないと言われた生徒さんも、脳死にすごく近いと言われた生徒さんも、そして、助かっても一生意識は戻らないし、四肢麻痺ですと言われた宮ぷーも、変化を見せてくれたとき、やはり、私は目の前の大切な人に、いろいろな方法をとって、きっと良くなっていくようにあきらめずしていくと思うのです。先生はどう思われますか?」
紙屋先生は「そうです」と言われました。そして、そのままの言葉ではないですが、「変化が見られなかったのは、変化を促す方法をとっていなかったから。もしそうなら、違う方法をやってみるだけ。私たちはプロだから、あなたの未来を決してあきらめませんよという思いで行くのです」ということをおっしゃいました。
紙屋先生が関わられた方の様子も写真でみせてくださいました。最初は拘縮(こうしゅく)がすごくて、体も全然動かなく、思いを伝える方法もなかった患者さんが、笑顔になって、視線をしっかりあわせて、食べておられたり、寝たきりだった方が、本当に支えてもらって立っておられたり、歩いたりされているのです。脳波などのデーターも見せていただきました。ほとんどアルファー波もベーター波も変化のない方の脳波がしっかりと変わっていっていること。何もかもが、本当のことだとしっかりとわからせてくださっているのです。紙屋先生は、このプログラムを取り組みたいという病院があれば、ぜひ広めて行きたいという思いも語ってくださいました。そして、靖子ちゃんが撮ってくださった映画もやはり、宮ぷーの変化をたくさん知らせてくださいました。きっと併せて見てくださった千人のみなさんは、誰も疑いなく本当のことなんだと知ってくださったと思うのです。私はこれからが始まりだと思っています。とにかく、この本当のことを、常識にしていきたいのです。誰もが知っている常識にしていきたいのです。
出席してくださった方にたくさんの感想をいただきました。
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紙屋先生のお話も本当に素晴らしくて感動しました。
「みなさんはもう知ってしまわれました、だからこのことを伝えていってください」というかっこちゃんの言葉が胸にずしんときました。伝えていきますね、かっこちゃん。私の祖母は私が小学校3年生のときに脳溢血で倒れ、高校一年まで寝たきりで、母がひとりで自宅看護し、兄と私はそれを手伝ってました。紙屋先生のおっしゃるとおり、最後には膝が曲がり、腕がまがり、胎児のような姿になっていました。遊びに行きたい私は、おばあちゃんにご飯を食べさせるとき、早く早くとスプーンで乱暴に口に入れていたこと、何かをしてもらいたく私の名前を呼ぶのを無視してしまったことなど、今思い出しても涙が出るのです。なんでもっと優しくしてあげられなかったのだろうと。そして、紙屋先生やかっこちゃんの提唱する方法を知っていたら……と思うのです。罪滅ぼしの気持ちも込めて私にもできることをしていきたいと思います。私は人とのコミュニケーションが仕事でもあります。かっこちゃんが伝えたいメッセージは、何も障害を持つ方々だけが受ける恩恵ではないと思うのです。人にはそれぞれ想いがあるということ、誰もがそれをわかってもらいたいということを理解し、一生懸命それをわかろうとし、コミュニケーションを図り、相手を尊重していく、相手の力を信じるということ、愛の祈りを送るということ……人とのどの関係性においてもとても大切なことをあらためて確認させていただきました。
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先日の岡山1000人集会に参加させていただきました。白雪姫プロジェクトの会に参加するのは初めてでした。目の前が明るくなり、背中をやさしく押されたような気持ちになりました。このプロジェクトの存在に感謝いたします。私には意識障害の娘がいます。6年前、当時3歳だった娘を車に乗せ走行中に交通事故に遭い、娘は脳出血と頚椎骨折・脱臼で心肺停止し、低酸素性脳症で今も娘の気持ちをわかってやれずにいます。6年も経っちゃったしなぁ……って思いがありましたが、かっこちゃん、紙谷先生、宮ぷーのお話を聞いてまだまだいけるかも!って気持ちが明るくなりました。ただ、私には「みんな良くなっても、うちの子はなぁ……」って思ってしまう悪い癖があります。その癖がついたのもお医者さん・看護師さん・リハビリの先生、娘に関わるいろんな方が「脳と脊髄の両方が重症なのは、今まで例がない」「意思疎通ができる可能性はほぼ0に近い」「いろんな子が回復している方法をあれこれやっても、この子には通用しない」……こんなことをずーっと言われてきました。そんな中、新しい例を作るパワーは無くなっていってしまいました。でも先日の集会以降、確実に前進しています。どうしても新しい例を作る、娘の気持ちをわかってやれるまで諦めずに前進し続けたい!って思います。でもどうしても、周囲の「この子はどの子よりも難しい」っていう意見を壊すことができません。どうすればよいのでしょうか。娘の気持ちが知りたいのです。うちの娘にも周りの常識は変えられるでしょうか。ご無理なことだと思いますが、勇気をもって思い切って問い合わせます。よろしくおねがいいたします。
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かっこちゃん、私は看護師ですが、職場で講演会の話をしたら次の勉強会で発表してほしいと言われました。
たくさん勉強して、職場のみんなに伝えますね。人に伝えるということが、とても苦手なわたしですが、頑張っていきます。そして、紙屋先生の講演では、すぐに実践できることがたくさんあり、まさに日々のケアを大切に、意識しながら行っていきたいと思います。
では、また報告しますね!
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今からがきっと始まりと思うのです。新しい本も出ました。『僕のうしろに道はできる 〜植物状態からの回復方法〜』(紙谷克子 山元加津子共著 三五館)どんなに重い状態であっても、方法によっては、その人がその人らしくまた生き直していけるんだと、そんなことを書いた本です。
「僕のうしろに道はできる」映画
http://www.heartofmiracle.net/hotnews/hotnews0012012.html
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・メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
★ 山元加津子と仲間たちとのおかしな毎日を綴る
いちじくりんHP:http://itijikurin.blog65.fc2.com/
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宮ぷー(右)と一緒に。
1957年 金沢市生まれ。エッセイスト。愛称かっこちゃん。石川県特別支援学校教諭。障害を持った子どもたちと、教師と生徒という関係ではなく、かけがえのない一人の友達としてふれあいを続けている。分け隔てなく、ありのままに受け入れる姿勢は、子どもたちの個性や長所を素晴らしく引き出している。そんな子どもたちの素敵さを多くの人に知ってもらおうと、教師をしながら国内外での講演・著作活動など多方面に活躍中。教師、主婦、作家、母親という4役を自然体でこなし、まわりの人に優しく慈しみをもって接する姿は、多くの人の感動を読んでいる。著書に『本当のことだから』、『魔女・モナの物語』(両方とも三五館)、『きいちゃん』(アリス館)、『心の痛みを受けとめること』(PHPエディターズグループ)、『満月をきれいと僕は言えるぞ』(宮田俊也・山元加津子共著 三五館)などがある。2011年7月に新刊『ありがとうの花』(三五館)、2011年11月に『手をつなげば、あたたかい。』(サンマーク出版)を発売。
宮ぷーこころの架橋プロジェクト メルマガ登録:
http://www.mag2.com/m/0001012961.html
同プロジェクトから生まれたHP:http://ohanashi-daisuki.com/index.html
山元加津子さんHP「たんぽぽの仲間たち」:http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/