みんなでひとつ命を生きていく〜宮ぷーこころの架橋プロジェクトから〜
このページは、特別支援学校教諭で、作家でもある「かっこちゃん」こと山元加津子さんによるコラムページです。
かっこちゃんは障害を持った子どもたちと、かけがえのない一人の友達として触れ合い続けています。その様子は『1/4の奇跡』という映画にもなりました。このコラムでは、かっこちゃんの同僚で、2009年2月に突然脳幹出血で倒れ、奇跡的に命をつないだ宮田俊也さん(通称・宮ぷー)との触れ合いの様子を中心にお届けします。
毎日のいろんなこと、うれしいことでも、悲しいことでも、楽しいことでも、腹が立ったことでも、どんなことでも、話したくなる友だちがいますか?
私にとって雪絵ちゃんが、その人でした。“でした”というのは、亡くなってしまったのです(でも、そう言いながら、今も彼女に語りかけていたり、あるいは、こうして、あなたや、他の心を許す友人が何人もいることは、なんて幸せなことでしょう)。
雪絵ちゃんと出会って、雪絵ちゃんが亡くなるまでの20年ほどのあいだ、私と雪絵ちゃんはしょっちゅう会って話すか、手紙かあるいは、ファックスかメールでいろいろな話をしていたと思います。
私は本当に雪絵ちゃんが好きでした。雪絵ちゃんといる時間はふたりとも、本当によく笑っていました。笑ってばかりでした。
私は腎臓の病気や喘息などの慢性の病気の子供たちが通う、病院のそばの養護学校に勤務していたときに雪絵ちゃんに会いました。雪絵ちゃんは、多発性硬化症(別名MS)という病気で入院をしていました。MSという病気は脳のいろいろな場所が固くなり、その場所によって、目が見えにくくなったり、ときにはほとんど見えなくなったり、手、足が動きにくくなったりする病気です。再発のあと、2ヵ月ほどのリハビリで症状は少しずつ軽くなるのですが、発熱前とまったく同じように回復するのは難しいということで、再発を繰り返すたび、雪絵ちゃんは、自由に動かすことができる場所がだんだんと少なくなっていきました。
私は雪絵ちゃんが大好きだったから、再発のたびにただおろおろしていました。でも、雪絵ちゃんは自分の力でその発熱を乗りこえていきました。
毎日、一生懸命リハビリをして、動かなくなった足が少しずつ少しずつ動くようになって、「明日はもっと前に足が出るかもしれないよ」とうれしそうに話していたのに、夜眠って起きたら頭痛がして、それが再発の始まりで、せっかく動くようになっていた足がまた動かなくなってしまったということも、よくありました。
どの程度まで回復できるのかも、いつ後戻りするのかもわからないというのは、どんなに不安なことでしょう。でも雪絵ちゃんはそのたびに、たとえ一度は落ち込むことがあってもいつも必ず自分の力で立ちあがるのです。
雪絵ちゃんが亡くなった今、いつもいつも前向きに、アッハーと笑っていた雪絵ちゃんの強さはどこから来ていたのだろうと、何度も思います。
雪絵ちゃんは口癖のように、MSで良かったと言いました。
私はいつも
MS(私の病名)である自分を無駄にしたくない
MSである自分を後悔したくない
MSであるじぶんを……好きと言いたい
そう思っているの。
MSでも自分を愛していきたい 大好きでいる MSになって……って悔やまない。MSだってうーんと笑えるし、楽しいことだっていっぱいある。MSになったからこそボランテイアに興味を持ってすごく楽しいし、MSになったことを少しは感謝したい位の気持ちでいたい。MSを敵にせずに! とにかくMSの雪絵そのまま、まるごと愛しています。
MSになってよかったよ。だって、かっこちゃんにも出会えたしネ。MSでなかったら会えなかった。けど元気だったらまた別の素敵な人とたくさん出会えたと思います。でも、私、別の人では嫌。今、まわりにいる人に出会いたかったの。かっこちゃんと出会いたかった。だからこれで良かった。
今まで負け惜しみいっぱい言ってきた。病気でもこんなに楽しいんだよとか全然平気とか。でもね、本当なの。人と同じくらい悩んで、みんなと同じ位楽しいことあるんだよ。……こんなこと言わなくてもかっこちゃんにはわかってもらえると思うけどネ。
とにかく私はどんな体になっても、歩けず、見えず、手を使えず、話せなくなってもきっときっとMSの自分を愛していくと思います。MSの自分を後悔せず、無駄にせず、好きでいると思います。
けれども、私は雪絵ちゃんが、ときどき、つらくて悲しくて泣いていたことも知っています。
学校からの帰り道、病室へ寄ると、雪絵ちゃんはカーテンを引いたままにして、その中で声を押し殺すようにして泣いていました。大きな再発がまた雪絵ちゃんを襲い、そのとき、雪絵ちゃんは右手がほとんど動かなくなっていました。そして、足もまた、動かなくなっていたのでした。
しばらくして、声をかけると雪絵ちゃんは私に、
「ねえ、かっこちゃん、私ね、前に、MSで良かったって言ったでしょう? でもね、今の私はそんなことを思えないみたい。もし違う自分だったらどんなにいいだろうってちょっと思ってる」と言いました。
私は雪絵ちゃんの思いが痛いほどよくわかりました。何も言えずにしばらく黙っていたら、雪絵ちゃんが言いました。
「かっこちゃん、だいじょうぶだよ。私ね、少したったらまた元気になれるから。5分たったらなれるから。そうだ、かっこちゃん、何か話をして、その話を聞いて私、また元気な雪絵に戻るから」
そんなときに、いったいどんな話をしたらいいのでしょう。私はわからなくて、ただ、雑談のつもりで、雪絵ちゃんと私の共通の友人である名古屋の鶴田さんの話をしたのです。
「大雨が続いて、鶴田さんの名古屋の工場が水についてしまったんだって。泥水がいっぱい工場に流れ込んできて、汲んでも汲んでも、泥水が床の下から、にじみ出てくるんだって。においもすごくて大変なんだって。それなのに、鶴田さんったらね、『せっかく工場が水についたんだから、なかなか捨てられなかった古い道具なども捨てて、工場をきれいにしようと思います。水についたおかげで、たくさんの人に手伝ってもらって、人間っていいなあって思ったよ』って昨日のメールに書いてあったの。
ねえ、雪絵ちゃん、“せっかく”とか“おかげで”って何かいいことが起こったときに言うんだよね。工場が水につくなんていうことが起こったら、(ああ、どうして私ばかりこんな目にあうんだろう)とか、(ちゃんと堤防をきちんとしておいてくれなかったからこんなふうになったんだ)みたいに不満や悲しみを口にしたくなると思うの。だから私、鶴田さんのメール見てびっくりしちゃった」
雪絵ちゃんは私の話を聞いて、急にすごくうれしそうな顔をしたのです。
「そっか、そうだよね。だれも工場が水につきたいなんて、思う人いないよね。だれも病気になりたいって思う人もいない。でも、工場はもう、水についちゃったんだものね、私も、もう病気になっちゃったんだもの。そのときに、どう考えるかだよね。これからどうするか、どう考えて行動していくかで、幸せになれるかなれないかが決まるんだよね。かっこちゃん、私、いいことに気がついちゃった」
雪絵ちゃんはそんなふうに言いました。
「幸せはそのとき、どう考えるかだよね」って。
雪絵ちゃんは、いつも、現実や、それにともなう悲しみや痛みを、そこにあるものとして受けとめて、絶えず前を向いて歩いていこうとしていたのでしょうか?
夏が来て、今年は南アフリカの旅に行くことになっています。旅は私に何を感じさせてくれるでしょうか? 雪絵ちゃんやたくさんの子どもたちと出会って、私は子どもたちにいつも生きるって素敵なことということ、大好きという気持ちがとっても大切だということ。いろんなことをおそわったなあと思います。旅もまた、たくさんのことを教えてくれるから、とても楽しみにしています。
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宮ぷー(右)と一緒に。
1957年 金沢市生まれ。エッセイスト。愛称かっこちゃん。石川県特別支援学校教諭。障害を持った子どもたちと、教師と生徒という関係ではなく、かけがえのない一人の友達としてふれあいを続けている。分け隔てなく、ありのままに受け入れる姿勢は、子どもたちの個性や長所を素晴らしく引き出している。そんな子どもたちの素敵さを多くの人に知ってもらおうと、教師をしながら国内外での講演・著作活動など多方面に活躍中。教師、主婦、作家、母親という4役を自然体でこなし、まわりの人に優しく慈しみをもって接する姿は、多くの人の感動を読んでいる。著書に『本当のことだから』、『魔女・モナの物語』(両方とも三五館)、『きいちゃん』(アリス館)、『心の痛みを受けとめること』(PHPエディターズグループ)、『満月をきれいと僕は言えるぞ』(宮田俊也・山元加津子共著 三五館)などがある。2011年7月に新刊『ありがとうの花』(三五館)、2011年11月に『手をつなげば、あたたかい。』(サンマーク出版)を発売。
宮ぷーこころの架橋プロジェクト メルマガ登録:
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山元加津子さんHP「たんぽぽの仲間たち」:http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/