みんなでひとつ命を生きていく〜宮ぷーこころの架橋プロジェクトから〜
このページは、特別支援学校教諭で、作家でもある「かっこちゃん」こと山元加津子さんによるコラムページです。
かっこちゃんは障害を持った子どもたちと、かけがえのない一人の友達として触れ合い続けています。その様子は『1/4の奇跡』という映画にもなりました。このコラムでは、かっこちゃんの同僚で、2009年2月に突然脳幹出血で倒れ、奇跡的に命をつないだ宮田俊也さん(通称・宮ぷー)との触れ合いの様子を中心にお届けします。
今年の2月20日で、宮ぷーが脳幹出血で倒れてから4年になりました。脳幹出血という病気は、発症した方の9割の方が亡くなってしまって、残りの1割のうちのまた9割の方が意識が戻らないというこれまでの統計があったそうです。
宮ぷーはとても広い範囲に出血をしたので、一生植物状態で一生四肢麻痺だというお話もありました。けれども、特別支援学校の子どもたちが教えてくれたことは、どんなに重い脳障害であっても、思いがあり、回復する可能性があるということでした。だから、回復する方法があるよ、だからそれをすれば、大丈夫と言い続けることができたけれど、最初はどなたにも信じてもらえることではなかったのです。
けれど、今は、レッツチャットという意思伝達装置で思いを伝え、ときには口からもおしゃべりをし、食べたりもできるようになり、トイレも尿器でおしっこができて、そして、車いすも漕ぐ練習をしています。それから、立つ練習も続けています。昨日は宮ぷーがうつぶせになって、腕をつかって一生懸命進んでいる夢を見たのです。それにはもちろんすごく手に力がないといけなくて、今の宮ぷーは、左手もほとんど動かなくて難しいけれど、でもとてもリアルな夢で、きっときっと正夢。いつか必ずそんな日がやってくるぞと、起きてから春の空の下でまた思うのです。
そんな宮ぷーの、当初からの映像や回復の様子。それから、他にもたくさんの方の回復の様子や取り組みなどの映画「僕のうしろに道はできる」のフルバージョンがついにできあがって、上映が始まりました。
「植物状態と言われる方の回復情報サイト・白雪姫プロジェクト」( http://shirayukihime-project.net/ )が始まったのは去年の4月でした。そのときに、監督である岩崎靖子ちゃんが、白雪姫プロジェクトに載せるためにくださった原稿を紹介させてください。今から一年前の文章です。
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(岩崎靖子さん・白雪姫プロジェクトから)
私は、脳幹出血で倒れながらも驚異的な回復をし続けている宮ぷー(宮田俊也さん)のドキュメンタリーを撮影しています。宮ぷーが倒れた4ヵ月後から撮影をスタート。宮ぷーのドキュメンタリーを制作すると決めた瞬間を私は今でもはっきりと覚えています。
宮ぷーの病院に毎日通っていた、宮ぷーの親友のかっこちゃん(山元加津子さん)から、病院の行き帰りに時々、電話をいただくようになりました。その頃はまだ、宮ぷーは一生植物状態で、意識も戻らないと誰もが思っていた頃でした。
かっこちゃんは「必ず治るんだから」と何度も言いました。「今日はね、親指がぴくっと動いたよ」「話しかけてたら、宮ぷーの目から涙が溢れて流れたの」「宮ぷーはきっと意識が戻ってる、全部わかってる」何かが起き始めている。大切な何かが。考えるより先に、言葉が出ていました。「かっこちゃん、その様子を写真でもビデオでも残しておいてほしい、ほんとは私が毎日撮影したいくらい」
それから3年、撮影を続けてきました。撮影当初、かっこちゃんは「宮ぷーは全部聞いてるよ」、と言ってくれたけれど、目をつぶったまま何も聴こえていないし、感じていないように見えた宮ぷーが、今ではレッツチャットという意思伝達装置を使って、お話をするまでになりました。そして日々、回復し続けています。
宮ぷーのそばに、もしかっこちゃんがいなかったら、ここまでに回復しただろうか、と時々考えることがあります。ある日突然、意識を失い、気がつけばベッドの上でどこも動かない、まぶたすら動かせない。それはどんな苦しみであったか、想像もできません。そんな状況の中から希望を見出し、粘り強く進んでいく。その大きな支えとなったのは、誰よりも、もしかしたら自分よりも、自分の命の可能性を、力を信じて一緒に歩んでくれた人の存在ではなかったかと。命と命は、ここまでも響きあい、不可能を可能にしていくのだ。奇跡を起こすのは、愛。誰もの奥底に流れている、無限の力の源。
宮ぷーにこんな質問をしました。「意識は戻っているのに、自分の意思を何一つ伝えられなかった時、こわくなかった?」答えは「かっこちゃんがいたから、こわくなかった。何とかしてくれると思った」。この白雪姫プロジェクトは、日本中の世界中の、深い深い孤独の中に閉じ込められた仲間をそこから連れ出すプロジェクト。そしてもう一度生きる喜びを取り戻していくプロジェクト。ともに生きる喜びが世界中に溢れますように、このプロジェクトを全力で応援します。映像を通しても、全力でこのプロジェクトに貢献します。
岩崎靖子
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少しずつの回復をずっとみつめてきてくれた靖子ちゃんと靖子ちゃんのカメラ。あるお医者さんは、回復も望めないように思われる患者さんの、このような初期から映像が残っていることが、まさに奇跡だとおっしゃいました。そして、医学的にも価値があるものだといってくださっていました。
映画を観て、ああ、こんなところも、こんなところも、撮ってくださっていたんだなあと思うのです。何度も何度も通い続けてくださって、そして、まるで宇宙とつながるようにしながら、大切なところを逃さずにとってくださったからだなあと思います。
これを書いている今は、3月9日の東京での初上映が間近に迫っているところです。そして3月20日の大阪での初上映もそれに控えています。実は、東京と大阪の上映会が満員御礼といううれしい知らせをいただきました。
私はそのことを思うだけで胸がいっぱいになって、また少し眠れないくらいドキドキしています。私には深い想いがあるからなんです。
この日を私はもしかしたら20年も30年も待ち望んでいたのかもしれないと思ったりします。私が教員になった当初、手や足の怪我は治っても脳の細胞は決して回復せず、だから、機能も回復しないというのがあたりまえの考えでした。
そして、思いを伝える方法がないために、伝えられないお子さんが、深い思いをもっていないのだと、そういう考えを誰もが持っている時代でした。
でも、子どもたちと一緒にいて、子どもたちが教えてくれたのは、方法さえとれば、みんな損傷後、何年経っていても、変化をみせてくれるんだということだったのです。でも、それは、どなたにもとても信じてもらえるものではありませんでした。常識と全く反対のことだったからです。
でも、私の中には、回復する方法があるんだ。その方法をとれば、きっと回復するんだとわかっていながら、お話させていただくたびに、「なんてばかなことを」「教員のあなたに、体のことの何がわかるのですか?」という返事。そのたびに、心を折れてしまって、だんだんと私はそのことを口にできなくなってしまっていたのです。そして、私はただ、こっそりと、自分が担当させていただいたお子さんとはその方法を取り組むばかりでした。でも、新しいお子さんと出会う度に、私はやっぱりこれは本当のことだと確信していきました。
私は子どもたちが命をかけて、いつも、教えてくれていたのにと、ずっと伝えられない意気地のない自分を責めていたと思います。宮ぷーが倒れて、今こそと思ったときに、私には協力してくださる仲間がたくさんいました。映画をとってくださったり、HPを作ってくださったり、メルマガを毎日配信してくださったり、毎日メルマガを読んで、感想をくださったりと、たくさんの仲間は毎日大きな勇気をくださるのです。私には大きな力がたくさんありました。
私はあきれるほど欲張りです。東京がいっぱい、大阪にもいっぱいの方がきてくださる。
すごくすごくうれしいです。ものすごくうれしいです。でも、私、ああよかったって、それだけでよかったって思ったらだめだという気持ちがあります。……本当に欲張りです。
二日間で終わってしまってはだめだ、続いて行かなくちゃ常識が変わっていかないんだと思うのです。これから続いて上映してくださるみなさんのところが、やっぱり満員御礼になってほしい。
そして、みなさんが、ああ、かっこちゃんが言っていたことは、本当だった、宮ぷーだけでないんだ、みんな本当にそうなんだって、映画を観て感じていただけたらなあって夢見ます。だって、この映画はすごいんだもの。靖子ちゃんが本当にすごいものにしてくださったんだもの。だから、やっぱり映画を観てくださって、もしもし、ああ、これは、私の大切な人に、見せたいなあ、観てもらいたいなあ、私の家族に絶対に観せたい、彼と観たい、彼女と観たい、友人と観たいとかそんなふうに思ってくださって、また足を運んでくださったら、きっときっと何かが動き出すとそんなふうに思えてならないのです。 ときどき、これは、自分のわがままだろうかと思って、落ち込みそうになります。でも、また、ううん、だって、本当のことだし、必要なことなんだものとまた考えるのです。映画の上映をしてくださる沖縄のほこぴーさんが、メールをくださいました。
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こんばんは、沖縄の鋒山です。3月16日の「僕のうしろに道はできる」沖縄上映会が、あと10日後に迫ってきました。やっちゃん(岩崎靖子監督)がこの映画を撮り始めてからずっと心待ちにしていたので、すごい楽しみにしているのと同時に、まだ、あまり人が集まっていないので不安なところもあります。この映画って自分にとっても特別なものになると思うんです。
宮ぷーの発病の時期って自分のバイク事故の時と大体同じ頃なんですよね。
僕のバイク事故の記憶は、自分の右手があらぬ方向へ曲がっているのを目にしたところから始まりました。肺が破れて呼吸が苦しくて、右足の骨も折れて皮膚から飛び出てて、入院当初は寝たきりでした。寝返りも看護師さんにお願いしないといけなくて自分では出来ませんでした。手術も11時間かかって、麻酔がとれた時の激痛や起きている間中ずっと続く痛みの中にいた毎日は時々、思い出します。
でも、人間の体の持つ治ろう治ろうという力は本当にすごいということを僕は自分の体を通して文字通り痛いほど感じることが出来ました。いのちって本当にすごいんです。毎日の痛みの中で細胞が一生懸命、生かそう生かそうとしてくれているのを体の中で感じられたことは自分の宝物でもあります。今では、あの事故にあって良かったなって本気で思っています。
「宮ぷーの歌」を最初に聴いた時は、自分の歌だって思いました。
「明けない夜は決してない 私はもう2度と迷わない 時を味方につけたから 折れた心はいつの間にか羽ばたきだして ほら私たち笑っているよ ここにいること そんなことさえつらいと思える日にも 今日という日を懸命に生きること それが必ず明日へつながる 息をすること そんなことさえつらいと思える日にも 今日という日を懸命に生きること それが必ず明日へつながる」
http://youtu.be/R5chdyMUOhM
だから宮ぷーが一つひとついろんなことが出来るようになっていっていく姿が本当に嬉しくて。こうして映画になってくれたことも本当に嬉しくて。宮ぷーとメルマガにして伝え続けてくれたかっこちゃん、撮り続けてきてくれたやっちゃん、みんなを支え続けてきてくれたたくさんの周りの人達に本当に感謝です。
それと今度の「僕のうしろに道はできる」上映会は僕が上映会をする活動を始めて50回目の上映会でもあるんです。あの事故にあって良かったことのひとつは「1/4の奇跡」にも出会えたこと。最初にこの映画の内容を知った時に「これは観なくちゃ!!」って直感が働きました。いのちのすごさ、本当のことを伝えているのはこれだ!!って。その時までかっこちゃんのこと知らなかったんですよ。観たら今度はたくさんの人に観せたくなって、どんどん続けていたらいつの間にか50回目になっていました。こうして動いていくうちに本当にたくさんの人と友達になれました。すべてのことは、いつかのいい日のためにあるんだなぁって本当に思います。
こういうことが今、求められている時代になったんだなって思います。ものすごく大きな怪物のような常識の壁が崩れ始めているみたい。みんなの力で常識は変えていけるんですよね。今はそんな冒険の旅の途中なんですよね。誰もが伝えたい気持ちを持っていること。夢はあきらめなければ叶うこと。奇跡が奇跡でなくなる日にどんどん向かっていること。そんなことを伝えているこの映画は本当にたくさんの人に観てもらいたいです。簡単ではないかもしれないけど、最後まで歩き続けようと思います。
いつか宮ぷーとかっこちゃんの講演会も沖縄でやりましょうね。今回の上映会がそこに向けての一歩になると思います。
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ほこぴーさんにメールをいただいて、涙で前が見えないほどでした。50回も上映会や講演会を続けてくださったこと、そして、そこにはほこぴーさんのおつらい昔があったということ。そして、そのことは決して悔やんでおられるのでなくて、あの事故があったからこそと思ってくださっていると言うこと。本当に胸がいっぱいになります。
このホームページを観てくださっているみなさんにも、ぜひ、映画を観ていただきたいなあと思います。映画の情報は下にあります。
http://www.heartofmiracle.net/schedule/schedule05.html
よろしくお願いします。
・「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」(宮ぷー日記のメルマガです)
(こちらでメルマガ登録=プロジェクト参加できます)
http://www.mag2.com/m/0001012961.html
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・メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
★ 山元加津子と仲間たちとのおかしな毎日を綴る
いちじくりんHP:http://itijikurin.blog65.fc2.com/
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宮ぷー(右)と一緒に。
1957年 金沢市生まれ。エッセイスト。愛称かっこちゃん。石川県特別支援学校教諭。障害を持った子どもたちと、教師と生徒という関係ではなく、かけがえのない一人の友達としてふれあいを続けている。分け隔てなく、ありのままに受け入れる姿勢は、子どもたちの個性や長所を素晴らしく引き出している。そんな子どもたちの素敵さを多くの人に知ってもらおうと、教師をしながら国内外での講演・著作活動など多方面に活躍中。教師、主婦、作家、母親という4役を自然体でこなし、まわりの人に優しく慈しみをもって接する姿は、多くの人の感動を読んでいる。著書に『本当のことだから』、『魔女・モナの物語』(両方とも三五館)、『きいちゃん』(アリス館)、『心の痛みを受けとめること』(PHPエディターズグループ)、『満月をきれいと僕は言えるぞ』(宮田俊也・山元加津子共著 三五館)などがある。2011年7月に新刊『ありがとうの花』(三五館)、2011年11月に『手をつなげば、あたたかい。』(サンマーク出版)を発売。
宮ぷーこころの架橋プロジェクト メルマガ登録:
http://www.mag2.com/m/0001012961.html
同プロジェクトから生まれたHP:http://ohanashi-daisuki.com/index.html
山元加津子さんHP「たんぽぽの仲間たち」:http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/