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リレーでつなぐ"ハート"の話

このページは、リレー形式でそれぞれの人に“愛”をテーマに、恋愛や家族愛、人間愛、パートナーシップ、コミュニケーション、大切な人への想い…などを自由に語っていただくページです。 それぞれの方に半月に1回、計3回ずつご執筆いただき、その方から次にご執筆いただける方を紹介していただく形をとっています。順々に人と人とのつながりの輪が広がっていきます。

2013.05.01(第53回)
♪今回の執筆者♪
西郷 竹彦さん(2回目)
(西郷さんの詳しいプロフィールはページ下にあります。)
戦争への足音

○3・15事件 世界大戦前夜
 昭和三年、三月十五日。悪名高い「共産党の全国的検挙事件」、世に言う「三・一五事件」である。小学三年生の私は、朝、新聞の号外を見て、驚いた。なんと一面、デカデカと、何とも恐ろしげなどす黒い顔付きの男の顔写真がずらっとならんでいるのだ。
 幼い私には、この事件の真相はまったく分からない。しかし、どう見ても悪漢らしい人相は、いかにも国家の転覆を謀った悪漢という面構えに見えた。
 実は、わざと人相が悪く見えるように、どす黒い印刷にしたのだ、ということを戦後になって聞いた。真実かどうか、定かではない。が、あの時代、おそらくあり得ることであったろう。
 それにしても、幼いボクにとって、許せないのは、ほかならぬ三月十五日というのが、実は、ボクの誕生日なのであった。選りに選って、なぜ、めでたい日に、こんなまがまがしいことをやってくれたんだ?!(もちろん、この事件を起こしたのは、当時の特高警察(特別高等警察)、つまり権力の側であって、共産党の側でないのは、云うまでもない。)
 ところで、このまがまがしい事件は、じつは「満州事変」という名の、侵略戦争の幕開けであった。アジア諸国を植民地化する日本帝国主義侵略の、いわば、「前哨戦(ぜんしょうせん)」であったのである。

○「満州事変」の写真展
 山形屋というデパートで、満州事変の写真展が開かれた。八路軍(パーロ・中国共産党の軍)から奪い取ったという青竜刀などもかざってあり、その大きくそりをうった刀身が、どれだけの人間の血を吸ったのか、想像すると、背筋がぞくぞくした。
 ○○開城という見出しの報道写真が、何枚も張り出されていた。出迎える現地の中国人達が急ごしらえの日の丸の旗を振っている光景が、子供心にも、なにやら不自然に思えた。たぶん、日本軍によって強制されたのであろう。どの顔を見ても暗いのが、印象的であった。どう見ても喜んで日本軍を出迎えている表情ではなかった。

○負けて逃げるはチヤンチャンコ
 世間が「キナくさく」なってきて、男の子の遊びも、それにつれて、チャンバラから、戦争ごっこに変わった。
 これまでは、反りを打った棒を削って、太刀を作り、チャンバラに夢中だった。それがいつの間にか、チャンコロ(支那人の卑称)相手の戦争ごっこになった。何ともおかしかったのは、二手に分かれて「戦争」するわけだが、どちらも、チャンコロ(支那人)にはなりたくなくて、もめにもめた。結局、どっちも日本軍で、相手はチャンコロという、なんとも奇妙な戦争ごっこになってしまうのであった。
 チャンバラでは反りを打った棒が格好のダンビラ(太刀)になったが、戦争ごっこでは使えない。真っ直ぐな棒を探して「鉄砲」に見立て、口で「パン、パン」と「弾」を撃つのだ。
 子ども達の間での日頃の「強い順位」にしたがって、「軍隊の階級」も決まった。手製の襟章や肩章で階級をあらわすのだが、誰もが、大将・中将・少将、大佐・中佐・少佐、大尉・中尉・少尉、という将校になりたくて、これで、また、ひとしきりもめるのであった。

○ニイタカヤマノボレ
 ひさしぶりに遊学先の東京から帰省した私は、幼いときからのなじみの桜島を、毎朝夕、眺めることになった。山の姿は、幼いときから見続けてきた姿そのものであった。しかし、これまでかって見たことのない「異変」に気づかされた。昼過ぎになると、軍用機数機が現れ、一列になって、桜島の山頂付近から、一機、また一機と、つながって急降下、海面すれすれで、急上昇する…… どうやら、海面に浮かぶ標的に、急降下爆撃の演習をしているらしかった……。

 ……その年の、十二月八日。「ニイタカヤマノボレ」の暗号電報を受けて、わが連合艦隊の特攻機によるハワイ真珠湾攻撃が敢行された。
 世の中は、満州事変、シナ事変と、戦局が拡大され、所謂大東亜戦争、あげく、ついに日米相まみえる世界大戦へと発展した。
 桜島沖の、あの奇妙な「空中サーカス」は、真珠湾奇襲の予行演習であったのだ。

○街角で千人針をする女達
 戦時色あふれる街角では、手製の白い腹巻きに、赤い糸で、五銭玉を縫いつける、千人針を道ゆくひと人にお願いしている女達の姿が、いたるところに見られた。出征している父や夫、あるいは恋人などの無事を祈っての、女達のせめてものやるせない行為であった。穴の開いた五銭玉を縫いつけるのは「死線(四銭)を超える」という縁起を担いだものであろう。
 それにしても、戦地では、このように糸目の多い腹巻きは、シラミの「住み家」になって、なんとも、始末の悪いものであった。が、それでも、母や、妻や、恋人の切ない心情を思えば、棄てるに棄てきれず、兵士達は、ぼろぼろになるまで身にまとっていたのである。
 私も、何処やらの女学生から千人針を送られたが、腹には巻かず、愛機の操縦干に巻き付けた。

○銀杏からプロペラへ
 戦争も末期であるが、私は、東京帝大工学部応用物理学教室の実験副手を拝命。ごわごわした美濃紙の用紙にいかめしい筆裁きで「実験副手ヲ命ス」と書かれた辞令をいただいた。おおきな真四角の判がデーンと捺されて、何ともいかめしい辞令であった。
 主任教授の真島真市先生は、お若いとき、苦学をされた方とうかがった。東北帝大から転任されてきた方であった(同じ土佐の出身である寺田寅彦先生の推挽によると、もっぱらの噂であった)。だからであろうか、私のような苦学生に対して、ほんとうに理解の深い先生であった。
 副手になって、最初の実験が「銀杏の葉が秋に黄葉するメカニズム」を明らかにする、という、戦時には、なんとも似つかわしくないテーマであった。本来なら植物学教室が手がけるべき実験課題と云えよう。どんな経緯で、真島先生が、つまり工学部の応用物理学教室が、こんな「お門違いの研究テーマ」を引き受けたのか、知りたかったが、おそれおおくて、何も聴かず、実験に取りかかった。
 銀杏は、東大には正門から安田講堂へ向かって並木になって、いくらでもある。一本一本に(ナンバー)を付ける。まずは、採集のための道具がいる。長い竹竿の先に安全剃刀の刃を付けたのが、唯一の道具である。これで準備OK。朝、一番に、例の竹竿を携え、銀杏の並木通りに向かう。一番手前から、手頃な枝の手頃な葉をえらび、竹竿の先の剃刀の刃で葉の柄をすっと切る。葉は、ひらひらと舞い降りる。地面に落ちると、散り敷いている沢山の銀杏の葉に紛れてしまうから、舞い落ちてくる奴をうまくキャッチする。番号を書いた袋に収め、次の木に向かう。ひと渡り、銀杏の葉の収集に一時間ほどかかる。
 この作業をしていて、困ることがあった。というのは、ちょうど、出勤時間と重なるため、銀杏並木を抜けて勤めに行く娘さん達が、立ち止まり、私のなにやら奇妙な振る舞いに、しばらく見入ているが、そのうち、おそるおそる「何をなさっているのですか」と尋ねる。見れば分かりそうなものである。しかし、物好きな彼女たちが知りたいのは、大の男が、何のために銀杏の葉っぱなどをとっているのか、ということであるのは百も承知。
 しかし、それに答えるには、実験の目的、実験の方法について説明しなくてはならない。これが実は、おおごとなのだ。
 なぜなら、黄葉する化学変化を、化学的方法ではなく、物理的方法(スペクトル分析)で行うためにサンプル収集をしているのだと云っても、今時の高校生なら、スペクトルということぐらいは知っていようが、半世紀前は、最先端の物理学の知識が必要であったのだ。話してもおそらくチンプンカンプンであろう。第一、物好きな彼女等を相手にしていては、仕事にならない。めんどうくさいから、「天ぷらにして、昼飯のおかずにするんですよ」と言ってやる。ところが、なかにしつこい娘さんは、「だったら、どうして一枚一枚、袋に入れて番号を付けるんですか」と聴いてくる。やりきれない。いっそ「実験しているところへ見においで」と言ってやりたくもなるが、そういうわけにはいかぬ。
 ここまで書いてくると、この文章を読んでいるあなた自身が知りたいだろうから、かいつまんで、説明しよう(やれやれ、面倒なこことになってしまったものだ!書かなけりゃよかった)。

○スペクトル分析と云う手品
 断面が三角形のプリズムに日光を通すと、虹のように七色に分かれる。これぐらいは知っているでしょう。
 さてそこで、日光を、ある物質(たとえば、モニャラとしておこう)をとかした溶液を通すと、日光の中の黄色の色が吸収される、としよう。さて、コニャラという物質だと、赤い色が吸収される。フニャラだと青い色が吸収される……という具合に、すべての物質は、その物質に特有の色の光を吸収するのである。ここまで言えば、賢明な貴方は「ははん」と頷かれるはずだ。そう。未知の物質を溶かした液の中に日光を通して、もし黄色の色が吸収されたら、その未知の物質とは、そう、モニャラではないか。ご名答!青い色が吸収されたら、勿論、フニャラである。
 こんな調子で、どんな未知の物質でも、スペクトル分析で、簡単に、しかも正確に特定できるという訳である。

 銀杏の葉が、緑から黄色にかわるプロセスを、スペクトルで分析すれば如何なる物質が如何なる物質に変化するのか、一目で分かるという訳なのである(と言っても、実際の分析は、口で言うほど単純ではない!)

○プロペラの固有振動の測定
 さて、銀杏の葉っぱをいじっているうちは、平穏無事であったが、戦況の進展にともない、東大という象牙の塔も、戦局を外に、のほほんとしているわけにはいかなくなった。軍用機のプロペラについての、とんでもない実験が陸軍から、我が「応用物理」に押しつけられたのである。
 極寒の満州で軍用機のプロペラがもろくなり、回転中、極端な振動でへし折れ、吹っ飛んでしまう、という事故が続出した。この不測の事故を避けるために、まずは、高速回転中のプロペラが、ねじれによる如何なる振動が生ずるか、をまずは測定するという、なんとも、困難極まる課題が押しつけられた、と云うわけである。
 「西ク、お前が考えろ」というわけで、とんでもないことになった。高速で回転しているプロペラが、空気抵抗のためにどのようにねじれ、また、それが元に戻ろうとする動きがどのように生ずるか、つまり振動を、高速回転中に測定せよ、ということなのだ。静止しているプロペラのねじれの測定は目をつぶっても出来る。が、毎分何百回と云う高速回転中のプロペラのねじれをどうやって計れと云うのか。冗談じゃない!!!
 十日ほど、寝ても覚めても、と言う苦行のあげく、やっと名案を考えついた。と言って、素人の君にどう説明したものか、絶望的だ。ここで、止めておく。何とかうまくやってのけた、と云うことだけ、云っておこう。ごめんよ。

○「美女」を抱えて飛ぶ米軍戦闘機
 捕獲した米軍戦闘機が一機、我々の隊へ、運ばれてきた。一目見て「おどろいた」。
なんと、エンジン廻りに、黒い油漏れがまったく見られないのだ。精密工業の精度のすごさを見せつけられた。我が方の軍用機は、といえば、エンジン廻りは、油がにじんで真っ黒けなのだ。
 さらに驚いたのは、神聖なるべき第一級兵器である軍用機の胴に、なんと、金髪の美女が、ほとんど生まれたままの姿で横たわって居るではないか!!!
 勿論、実物ではない。色鮮やかに描かれている絵である。こんな美女を「だきかかえて」闘う米軍の飛行士達よ、さいわいあれ!!!

○幼かった私
*シオマネキガネ

 鹿児島市を二分する甲突川(こうつきがわ)が錦江湾(きんこうわん)に流れこむあたり、広びろとした砂州があった。幼い私の格好の遊び場で、終日、ひとりぼっちで、遊びほうけていた。ほとんど人影はなかった。
 砂州には、一面に、シオマネキガネ(潮招き蟹)が棲んでいた。親指の爪ほどのちいさなカニで、片方の鋏だけが、まっ白で、体より大きいかと思えるほど大きかった。潮がひくと、砂地にほった小さな穴から外にはい出してくる。砂州一面に、何万という無数のシオマネキが、いっせいに、その白い鋏を、忙しく上下に振るのである。その姿が、米でもついているようで、コメツキカニともいうらしい。潮の引いたあとにでてきて、いっせいに白い鋏をまるで白扇(はくせん)で「潮来い・潮来い」と招き寄せているように見えた。 
 やがて、潮が満ちてくるのだから、幼い子供にとっては、シオマネキが本当に潮を招き寄せていると思いこんでいた。
 はなれて見ていると、まるで砂州一面に、白い絹の布をかぶせ、それがゆらゆらと波打っているように見えた。近づくと、足許のカニは、いっせいに、穴に逃げ込む。だから歩いていく先々、そこだけに、黒い砂地が円く現れ、歩いていく先々、その輪が、向こうへ向こうへと「逃げて」いくようであった。
 だから、捕まえようとしても、こちらの足下には、一匹もいない。通り過ぎてしばらくすると、そろそろとはい出してくる。 

 五つ、六つの頃の私は、そのシオマネキを捕まえようとおもったことがある。
 しかし、それは、およそ、不可能とおもわれた。こちらが一寸でも動くと、カニたちは、さっと、穴に逃げ込む。手のとどく範囲、カニの姿は、まったく、ない。どうしたら素手で、この小さな相手を捉えることができるか。私は夢中になった。
 しかし、なんど試みても失敗した。何しろこちらが近づくと、その気配を察しただけで、さっと、穴にもぐってしまうのだから、どうしょうもない。

 たびたび挑戦している間に、私は、シオマネキカニの「習性」ともいうべきことに気づいた。
 ・シオマネキは、ものの影がちょっとでも動くと、さっと、穴に逃げ込む。
 ・穴のそばにしゃがみ込んでいても、じっと動かないでいると、穴から出てきて「シオマネキ」をはじめる。
 ・となりの穴には、逃げ込まない。たとえ逃げ込もうとしても、そこのカニに追いだされる。自分の穴にしか逃げ込まない。

 シオマネキの習性に気づいたわたしは、百発百中の妙案を考えついた。

 ・シオマネキの穴に近づく。勿論その前にカニたちはみんな穴に潜り、廻り一面、カニの姿はない。
 ・そこで、右手の人さし指を穴のすぐそばに、置いて、じっとして待つ。
 ・しばらくすると、シオマネキがそろそろと穴からはい出してくる。こちらは息を潜めて身じろぎもしない。シオマネキは、大きな石でも、人間でも、動きさえしなければ、安心して穴から出てくるのである。
 ・シオマネキが潮招きを始めたら、穴の脇に置いていた左手の人差し指で、ツイと穴をふさぐ。「物の怪」の動きを察知したカニはサッと穴に逃げ込もうとするが、穴は指でふさがれている。すぐ隣に仲間の穴があるが、そこには逃げ込めない。
 ・私の指の廻りを、ただ、いたずらにうろうろするばかり。そこを右手の指で捕まえる……という次第。

 この方法は、百発百中。絶対に失敗はない。
 こうして私は、二、三十匹捕まえ、着物の前を折り曲げそこに入れて、持ち帰った。母に見せて自慢したかった。
 母は一目見て、言った。
 「こげなカニは食えんとよ!」(こんなカニは食えないのだよ!)

 私は、獲物は、全部、裏庭の畑の隅にほうりだし、そのあと、このカニを捕ることはなかった。幼い私もシオマネキガニが食べられないことは知っていた。ただ、この「名案」を賞めて貰いたかっただけである。勿論、母のほうは、そんなこと知らないから、あんなことを言って、幼い私を失望させたということにすぎない。
 人生には、こんな類いの「スレチガイ」のあることを、そのあとの長い人生の折節に味わうことになる……。
(注・白い鋏をふるのは、潮を招くのではなく、雄が雌を呼ぶ行為である)

*ガネお光どん
 カニのことを書いていて、思い出したことがある。
 私の幼い頃、ときどき、私どもの部落に、「気の狂った」一人の若い女が、やってきては、われわれ餓鬼どもの「からかい」の対象にされた。
 よれよれの浴衣の着物の前をはだけ、素足で、どこへ行くという当てもなく、ふらふら、やってきた。いつも「ぶつぶつ」何か呟いていたからか、世間の人は、口から泡を吹くということで「ガネお光どん」と呼んでいた。「カニのように泡をふくお光さん」という意味である。背のすらりとした、まだ二十歳まえの器量よしであった。海の向こうの桜島から、連絡船で(船長のはからいで無賃とのことであった)、時々、此方(こっち)へ渡ってきていた。
 人の噂によれば、旅の男に騙され、棄てられ、気が狂った、ということであった。子供心に「あわれ」を感じてはいたのであろうが、それでも、「ガネお光どん」がやってくると、部落のガキどもが数人、ぞろぞろあとについて、「ガネお光どん」とはやし立て、部落から出て行くまで、ぞろぞろついっていったものであった。
 母は、人一倍、哀れと思ってか、そんな私たちガキどもをしかりつけ、家にさそって、おむすびをやったり、菓子を握らせたりしていた。はだけた襟元を直してやり、時には、ざんばらの髪を櫛で梳(と)いてやったりしていた。
 ある時、乳飲み子を背負って、やってきた。母に見せたかったのであろうか。母は「ぐらしか(あわれ)もん」と、つぶやきながら、目頭を潤ませていた。
 そのうち、ぱったり姿を見せなくなった。しばらくは、みな噂していたが、そのうち誰も口にしなくなった……。
 母は、時々、思い出したように、「お光どんは、どげんしちょっどかい(どうしてるかな)……」と、呟いていた。

*女の子の遊びで
 一人っ子の私を母は、いつも優しくかまってくれた。しかし、何故か、女の子のような扱いであった。男の子の遊びを知らなかったのであろうか。母は、幼い私を膝に乗せ、あやとりをして遊んでくれた。また、折り紙で騙し船を折り、だまして、幼い私を不思議がらせたりした。お手玉で、遊んだりもしてくれた。時々父が、こんな様子を垣間見ることがあったが、何も云わなかった。
 しかし、父は、私が数え五歳の時から、薩摩の士族の男の子なら、誰もが始めるように、示現流の武芸を習わせた。冬の寒いときでも裸足で庭に飛びおり、激しい稽古に励む。
 霜で足が真っ赤になる。母が、哀れに思い、たらいに湯をいれ、持って出たところを父に見られ、このときばかりは普段無口な父が激しく母を叱責した。
 それでも、母は、父の目を盗み、手拭いを湯でしぼり、足を拭いてくれた。そのぬくみを私は、つい昨日のことのように思い出せるのである……

*ここにもお月さんがいる
 五つか、六つのとき。母と一緒に田舎の親戚のところへ出掛けたときのこと。夕暮れになって、ふと空を仰いだ私が、「あれえ、ここにも月がいる」と叫んだという。
 もちろん、みんなの笑いものになったはずである。
 大学生の時、休暇で帰郷し、その親戚の家に久しぶりに立ち寄った。親戚の伯母が、そのことを話して笑ったが、当の本人はまったく覚えがなかった。具合の悪いことは、わすれるものだろうか?

*割れるまで、やる
 これも、本人の私は幼いときのことで、覚えていないが、母がよく話題にしたことがある。 
 南国の薩摩は、夏になると涼しい縁側にちゃぶ台をだして、食事する。何が気に障ったのか、私が茶碗を投げて、庭先の池の岩にたたきつけた……が、届かず、庭をころころと転がった。すると私は、庭に飛び降り、茶碗を拾い上げると、岩の処までいって、たたきつけて割った……というだけのはなしである。
 しかし、母は、それを話しては、いつもおなかを抱えて笑うのだった。私には、何がおかしいのか、わからないが……

○海でおぼれ、川でおぼれる
 海辺で育ったから、五つぐらいから、バタ足で泳げるくらいになっていた。ある夏の夕暮れ。浜辺に遊びに出た。あのころ、鹿児島の与次郎が浜(昔の塩田あと)は、昼間でも、ほとんど人蔭が見えなかった。人一人居ない浜で、私は裸になり海に入った。ところが満潮で、渚が急に深くなっていて、思わずずるずると足が砂に引きずるり込まれそうになった。慌てた私は、渚に駆け上がろうとして足掻いた。渚はすぐ眼の前である。足掻けば足掻くほど足下の砂が崩れ、がぶっと、潮水を飲んでしまった。眼前の景色が一瞬、まっ白になった。「もうダメだ!」と覚悟した瞬間、自分が泳げることをふっと思い出した。何という間抜けたことか。両手を前につきだし、足下の砂をけった。勿論一息で、渚にあがれた。浜辺は勿論、相変わらず静寂に包まれていて、今、必死の思いをしたことが嘘にようであった。

 こんな奇妙な、しかし貴重な経験をしておきながら、私は同じようなばかげた失敗を繰り返している。それは、先に話した湯の元の温泉町に十日ほど、泊まりがけで出かけたときのことである。
 親戚の子たちと近くの川に水遊びに行った。川岸に大きな岩があり、土地の子たちはそこから飛び込んで泳ぐ。わたしも、その岩に立った。町の子たちは見慣れぬ男の子が、岩から飛び込むというので、泳ぐのを止めてみんな私の飛び込むのを見守っている。
 さて、格好つけて飛び込んだのはいいが、そこは海ではない。真水の川では、海と違って身が重い。そのままぶくぶくと沈んでしまった。川底から見上げると頭上に泡がはげしく渦巻いている。「きれいだな!」と瞬間感じたたように思うが、たしかではない。
 ……気がついたら、私は岸の草地に寝ころんでいて、上から無数の顔がのぞき込んでいた。急に恥ずかしくなり、起き上がるやいなや、かけだして、おばさんのうちへ帰ってしまった。
 人間というものは、前もって知っていてなら、何でもないことが、忘れていたりすると、こんなヘマをするものである、と悟った。

Profile:西郷 竹彦(さいごう たけひこ)

西郷 竹彦さん
1920年鹿児島県生 文芸学者
元  鹿児島短期大学教授
現在 文藝教育研究協議会会長
    総合人間学会理事
著作『西郷竹彦 文藝・教育』全集 36巻 恒文社 他多数
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2015.02.15 :人は心でできている (宇田川 真由美(うだがわ まゆみ))
2015.02.01 :次世代につなぐ絆(挑戦) (宇田川 真由美(うだがわ まゆみ))
2015.01.01 :出逢い(ご縁)から始まる愛 (宇田川 真由美(うだがわ まゆみ))
2014.12.01 :政治家の命は情熱 (桐原 琢磨(きりはら たくま))
2014.11.15 :30年以上人の心に生き続けたことば (桐原 琢磨(きりはら たくま))
2014.11.01 :母の膝小僧 (桐原 琢磨(きりはら たくま))
2014.10.15 :星に願いを 月に祈りを (多伽羅 心彩(たから しんえい))
2014.10.01 :それでもやっりぱり人が好き (多伽羅 心彩(たから しんえい))
2014.09.15 :無償の愛をありがとう (多伽羅 心彩(たから しんえい))
2014.08.15 :自分への愛について (塩澤 政明(しおざわ まさあき))
2014.08.01 :多様性の愛 (塩澤 政明(しおざわ まさあき))
2014.07.15 :衣装から伝えられた 愛 (塩澤 政明(しおざわ まさあき))
2014.07.01 :愛は伝わる〜以心伝心〜 (国府田 利明(こくふだ としあき))
2014.06.15 :今を変えなければ明日を作れない (国府田 利明(こくふだ としあき))
2014.06.01 :支える愛 (国府田 利明(こくふだ としあき))
2014.05.15 :感謝するより大切な事 (佐東 界飛(さとう かいひ))
2014.05.01 :愛を知らない世代に伝えるべき事 (佐東 界飛(さとう かいひ))
2014.04.15 :家族の愛とは (佐東 界飛(さとう かいひ))
2014.04.01 :「おお、友よ!」 出会いと友情と歓喜の歌と (鈴木 律子(すずき りつこ))
2014.03.15 :「世のため人のため」「誠は天の道なり」と祖父は云い…… (鈴木 律子(すずき りつこ))
2014.03.01 :「歳歳年年人同じからず」されど、人の思いは連なっていく (鈴木 律子(すずき りつこ))
2014.02.15 :愛することと別離について (賀川 一枝(かがわ かずえ))
2014.02.01 :身近な者を幸せにするということ (賀川 一枝(かがわ かずえ))
2014.01.15 :「共に生きるために」人と農を根幹に据えるアジア学院から教えられたこと (賀川 一枝(かがわ かずえ))
2014.01.01 :マンデラさんの死と「I am not Chinese」 (伴 武澄(ばん たけずみ))
2013.12.15 :八田與一を偲ぶ台南での5月8日 (伴 武澄(ばん たけずみ))
2013.12.01 :スコットランドでの賀川豊彦再発見 (伴 武澄(ばん たけずみ))
2013.11.15 :大宮公園と本多静六 〜大宮からの報告 そのB〜 (新井 孝治(あらい こうじ))
2013.11.01 :何かあったら、まずお氷川さまへ 〜大宮からの報告 そのA〜 (新井 孝治(あらい こうじ))
2013.10.15 :地域で一番の通り目指して 〜大宮からの報告 その@〜 (新井 孝治(あらい こうじ))
2013.10.01 :サクラモヒラという活動 〜バングラデシュに関わった17年 その3〜 (平間 保枝(ひらま やすえ))
2013.09.15 :サクラモヒラという活動 〜バングラデシュに関わった17年 その2〜 (平間 保枝(ひらま やすえ))
2013.09.01 :サクラモヒラという活動 〜バングラデシュに関わった17年 その1〜 (平間 保枝(ひらま やすえ))
2013.08.15 :封建時代が座っていた! (寺島 玲子(てらしま れいこ))
2013.08.01 :避病院への道 (寺島 玲子(てらしま れいこ))
2013.07.15 :八月二十四日 三貂(てん)角沖三マイル (寺島 玲子(てらしま れいこ))
2013.07.01 :猫の事務所 (室井 三紀(むろい みき))
2013.06.15 :義経が好き (室井 三紀(むろい みき))
2013.06.01 :琵琶と旅して (室井 三紀(むろい みき))
2013.05.15 :戦後の話(随想) (西郷 竹彦(さいごう たけひこ))
2013.05.01 :戦争への足音 (西郷 竹彦(さいごう たけひこ))
2013.04.15 :思い出の記 (西郷 竹彦(さいごう たけひこ))
2013.04.01 :ホワイトバッファローの祈り (美炎(みほ))
2013.03.15 :戻るところ (美炎(みほ))
2013.03.01 :風がふくとき (美炎(みほ))
2013.02.15 :愛を感じる豊かな風景 (廣田 充伸(ひろた みつのぶ))
2013.02.01 :いのちのつながり感じる暮らし (廣田 充伸(ひろた みつのぶ))
2013.01.15 :子どもの誕生と気付き (廣田 充伸(ひろた みつのぶ))
2012.12.01 :NICUのちいさないのち (宮崎 雅子(みやざき まさこ))
2012.11.15 :誕生の場で見つめてきたこと (宮崎 雅子(みやざき まさこ))
2012.11.01 :愛の記憶 (古川 遊(ふるかわ ゆう))
2012.10.15 :愛ゆえに人は苦しまねばならないのか。 (古川 遊(ふるかわ ゆう))
2012.10.01 :哀しみの果てに輝く美しさ (古川 遊(ふるかわ ゆう))
2012.09.15 :そして最高に愛しい人と出会った 米盛 つぐみ(よねもり つぐみ))
2012.09.01 :偉大なる愛の瞬間 至高体験 (米盛 つぐみ(よねもり つぐみ))
2012.08.15 :幾千民族 愛情と戦場 (米盛 つぐみ(よねもり つぐみ))
2012.08.01 :愛するということ (橋本 雅子(はしもと まさこ))
2012.07.15 :「呼吸」には力がある (橋本 雅子(はしもと まさこ))
2012.07.01 :私にできる「小さな愛」 (橋本 雅子(はしもと まさこ))
2012.06.15 :魂は、あなたが気づくのを待っている (鈴木 七沖(すずき なおき))
2012.06.01 :新しいコミュニケーション時代に必要なこと (鈴木 七沖(すずき なおき))
2012.05.15 :「人のご縁」が人生の変容を迫ってくる (鈴木 七沖(すずき なおき))
2012.05.01 :生きざまを残す  (比田井 和孝(ひだい かずたか)
2012.04.15 :どんな仕事でも人を幸せにできる。大切なのはその人の「あり方」 (比田井 和孝(ひだい かずたか))
2012.04.01 :船井幸雄先生の教え「何のために働くのか」 (比田井 和孝(ひだい かずたか))
2012.03.15 :いつも神さまは… (矢島 実(やじま みのる))
2012.03.01 :困難のおかげで気付けた愛 (矢島 実(やじま みのる))
2012.02.15 :116テンポがつないでいくれた愛 (矢島 実(やじま みのる))
2012.02.01 :父からの「愛のバトン」 (片岡 由季(かたおか ゆき))
2012.01.15 :自分を愛するということ (片岡 由季(かたおか ゆき))
2012.01.01 :いつかめぐり会うあなたへ (片岡 由季(かたおか ゆき))
2011.11.15 :「慈愛」の心を持つ努力 (堀内 康代(ほりうち やすよ))
2011.11.01 :愛を失わないためにできる事。 (堀内 康代(ほりうち やすよ))
2011.10.15 :愛を感じる「時」 (堀内 康代(ほりうち やすよ))
2011.10.01 :日常の中で小さな幸せを感じる方法 (眞田 まゆみ(さなだ まゆみ))
2011.09.15 :香りをつかって「愛」を呼び込む方法 (眞田 まゆみ(さなだ まゆみ))
2011.09.01 :スキンシップから目覚める自己革命(眞田 まゆみ(さなだ まゆみ))
2011.08.15 :大切なものを大切にするということ(水村 和司(みずむら かずし))
2011.08.01 :あなたのミッションは何ですか?(水村 和司(みずむら かずし))
2011.07.15 :悲しみのクラスター(水村 和司(みずむら かずし))
2011.07.01 :いちばんたいせつなことって、いったい何?(佐藤 伝(さとう でん))
2011.06.15 :恋は “カゼ”(佐藤 伝(さとう でん))
2011.06.01 :パートナーは、人が運んでくる(佐藤 伝(さとう でん))
2011.05.15 :単純なものに真実がある(中西 学(なかにし まなぶ))
2011.05.01 :本気で叱る、関わり続けるということ(中西 学(なかにし まなぶ))
2011.04.15 :今の自分がいる理由(中西 学(なかにし まなぶ))
2011.03.24 :人生を愛で満たす(原村 和子(はらむら かずこ))
2011.03.01 :愛のバトン(原村 和子(はらむら かずこ))
2011.02.15 :“愛”はすでに自分の中にある(原村 和子(はらむら かずこ))
2011.02.01 :“おめでとう”は器のバロメータ(佐奈 由紀子(さな ゆきこ))
2011.01.15 :“ありがとう”は魔法の言葉(佐奈 由紀子(さな ゆきこ))
2011.01.01 :愛を持って(佐奈 由紀子(さな ゆきこ))



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