(写真撮影:泉浩樹)
「天律時代」の到来に向けて
このページは、(株)船井本社社長で「にんげんクラブ」を主催する船井勝仁によるコラムページです。船井勝仁は「これから“天律時代”が来る。そして一人ひとりが“うず”を作っていくことが大事になるだろう」という思いを持っています。それをベースにおいた日々の活動の様子や出会い、伝えたいことなどを語っていきます。
また、「船井幸雄の息子」ではなく、“船井勝仁”の独自性をさらに打ち出していくこともテーマに、これまで父に寄せてきた思いや、「二代目社長」としての方針も語っていきます。
この1ヵ月は台湾に行って、李登輝元総統にお会いする機会がありました。また、にんげんクラブ会報誌の新連載(紙面もカラーにして大きくするなどまったくリニュアルしました)で船井総研の小山政彦会長に船井哲学のインタビューをしました。そのために読んだ本などを中心に今月は5冊紹介させていただきます。
1.李登輝著『日台の「心と心の絆」〜素晴らしき日本人へ』(宝島社)
李登輝先生は素晴らしい政治家です。実は私は今回李登輝総統にお会いするのは2回目です。20年近く前に父の京大の先輩である李登輝総統を京都大学の同窓会にご招待するという形で来日が実現しないかという打診を受けて、結果としては全然うまくいきませんでしたが、同窓会の会長さんや現役の京大の教授に打診に行くなど動いてみたことがあります。
そのことに対して、父が台湾の生産性本部で講演をするという形で台湾にご招待いただき、そして総統府で李登輝総統にお会いさせていただけるというお礼をしてもらいました。忙しい父に代わって実際に動きまわった私も同行を許されたというわけです。
まだ、20歳代後半だった当時の私は論理的にどうすごいのかを説明することはできませんでしたが、とにかくこんなすごい哲人政治家が実際に存在することにびっくりしたことを覚えています。その時は、戦前の旧制高校という教育制度が素晴らしかったことを二人で多分、規定の時間をずいぶんオーバーして話していたことを思い出します。
父の最新著『悪法!!「大麻取締法」の真実』(ビジネス社)にも、GHQが日本文化を骨抜きにするために、日本文化の中心たる神道においてはなくてはならないものであった大麻が禁止されていった経緯などを説明する中で、教育制度についても触れるという形で李登輝総統に父がお会いした経緯が紹介されているので引用します。
(引用開始)
1つが学制改革です。なかでも旧制高校の廃止です。日本人の将来を担うエリートから、大志、哲学、自由という旧制高校の特質であった3つの大事な条件を、これを廃止することで取り去りました。
旧制高校では「正しい人としての生き方=哲学」をまず勉強したはずですから、人材の基礎が、10代後半に身についたのです。このシステムを失ったことは、日本にとって極めて大きな損失になりました。
かつて李登輝さん(彼は台北高校から京大の農林経済学科に進んだ人で、京大の農林経済学科を卒業した私の10年ほど先輩になります)と台北の総統府で会ったとき、「戦前の日本を作ったのは旧制高校の制度を含めた学校制度にある」と詳しく話してくれたのを思い出します。
GHQの2つ目の大事な施策は官僚制度の温存でした。
1990年以前はまだ旧制高校の出身者が残っていたので、その人たちががんばって国をリードしてくれたおかげで、日本は戦後に立ち上がって大きな発展を遂げました。しかし、彼らが現役を去ってしまった後は人材がいなくなったのです。
GHQが、「優れた人材が育たない土壌でのキャリア官僚制度は、属国支配のベストの制度となる」とまで考えたか否かはわかりません。しかし旧制高校出がいなくなった最近の日本の政治家や官僚の生態を見ていますと、ミクロには見事な占領政策だったと、マッカーサー将軍以下の占領当局者をほめてやりたくさえなります。いまの日本はまったくもって政愚と官愚の国です。
(引用終了)
今回のお話では、李登輝総統が旧制高校などで学んだ日本精神が台湾の無血の市民革命を成功させたという話をしてくださいました。そして、それには坂本龍馬の船中八策が何よりも適切な指針となったのです。私たち、日本人は李登輝総統がやり遂げたように、既得権益を手放していくことで、資本主義社会を超えたミロクの世界を作っていかなければならないのではないのでしょうか。同書から心に残った部分を引用させて頂きますので、何か感じることがあったらどうか同書をお読みいただければと思います。
(引用開始)
私、李登輝は日本統治下の台湾に生まれ、日本の教育を受けて育ちました。22歳までは日本国籍を持っていました。戦前の教育は厳しくも愛情に満ちており、人格形成に多大なる影響を与えました。
本書では日本人特有の気質と哲学を「日本精神」という言葉で表現しました。この日本精神は日本人だけでなく、終戦までの半世紀、日本の統治下にあった台湾にも根付いています。私自身を顧みても、これまで取り組んできた哲学的探究や、経験によって形成された人生観、さらには政治的信念に至るまで、あらゆるものに「日本精神」は関わりを持っています。
1988年から12年間、私は台湾の総統として、民主化を進めたほか、国際的地位の向上や国民の精神向上、経済的発展などに力を注ぎ、民主国家の樹立という理想を実現し、よりよい社会を構築するために、不断の努力を続けてきました。
在任期間には数々の苦難がありましたが、その中で、私の心に培われていた「日本精神」は大きな支えとなっていました。
(引用終了)
2.小山政彦著『幸せに生きるための法則』(創英社/三省堂書店)
にんげんクラブの会報誌を全面リニュアルすることになりました。会員の皆様の声をお聞きしていると、船井幸雄の情報が少ないことが不満という声が多いことに気がついた小川雅弘新社長から船井哲学を書いてくださいというリクエストをもらいました。そこで、船井哲学とは何かを小川社長とこだまゆうこさんと話し合う機会を作りました。
小川社長とこだまさんの読書の傾向がほとんど同じだったということなど、いろいろ新しい発見はあったのですが、そこで私はやっぱり、船井総研を見事に復活してくださり、船井幸雄研究の第一人者である小山会長のインタビューを基に原稿を書くのが当面一番いいのではないかということを思いつき、実行することになりました。
当初は私だけが、小山会長のお話をまとめて書くつもりだったのですが、同じインタビューを聞いてこだまさんと私が別々の原稿を書いたら、きっと視点がまったく違って面白い原稿になることを思いつき、交代で原稿を書かせていただくこと、お忙しい小山会長には申し訳ないのですが、2ヵ月に一度お時間をいただき、いろいろな側面から船井哲学について語っていただくことになりました。
そこで、50冊あまり出ている小山会長の著作から新しい本を5冊買って準備した本の内の1冊が本書です。実は、本書は今年の3月に行われた船井総研の株主総会のおみやげになっていて、その時にも読んだのですが、数ヵ月しか違わないのですが、改めて読んで心から感激しました。
今回読んだ他の本もそうなのですが、小山会長の多くの本は、経営者としての心構えや、マーケティング的な視点で書かれたものです。しかし、タイトルをみてもわかるように本書は幸せに生きるための方法論になっています。小山会長の本でこのような内容のものは、他では以前『ザ・フナイ』に連載していただいていたもの(実は小山会長に同誌の高岡編集長がインタビューしてまとめたものだったそうです)ぐらいしか見たことがなく、私は『ザ・フナイ』だからこそ本音を語ってくださっていたのだと思っていました。
インタビューの中で、本書は小山会長のちょうど50冊目の本になり、だから売れなくてもいいから本音でレベルの高い内容にすることにしたそうです。引用したいところがありすぎて困るのですが、お金ではない喜びで働くようになったくだりについての説明を少し長くなりますが、引用させていただきます。インタビューではお金のために働くことをライスワーク、それ以外の自己実現や世のため人のために働くことをライフワークと定義されていたことが印象的でした。
(引用開始)
当時は実績を上げることが給料に直結し、役職とともに収入も増えていくことに喜びを感じていた。出張の時の食事代にも困っているような状態から、部下に躊躇なく振る舞えるようになり、妻にも少しは贅沢をさせてやることができるようになっていく。文字通り、稼ぐことで幸せが大きくなっていく実感があった。
ところが、現在、私の仕事の目的は「自分の仕事に対して、相手が喜び、感謝してくれること」に変わっている。
これはすべての人にあてはまることではないかもしれないが、どうやら変化の兆しが表れるのは余生を意識し始める50代に差しかかる頃のようだ。人は、人生を強く意識し始めると、自分なりの幸せ感について掘り下げるようになり、その結果、仕事の主目的もお金以外のものへと変化していく。
(中略)
そして、私は自分らしい楽しく充実した幸せな人生を歩むために、仕事と人生の三つの目的を決めた。
・時々少しの贅沢をする。
・友人や家族と楽しい時間を過ごす。
・周囲の人達を幸せにする。
私の生き方はこれだけで十分なのだ。そう思えた時期にアルバムを含め、持ち物の九割を処分した。仕事上必要な資料や写真だけは会社に保管されているが、自宅には一切私の“過去”は残っていない。
なぜなら、三つの目的を果たすために、自分の過去はいらないと判断したからだ。「あの頃は良かった」「自分も若い頃は……」などと振り返り、懐かしむことに意味を見出だせなくなった。
(引用終了)
超一流のマーケッターでありながら、社員の話をトコトン聞くことで会社の業績を飛躍的に向上させた小山会長が語る幸福論をぜひお楽しみいただければと思います。
3.西水恵美子著『あなたの中のリーダーへ』(英治出版)
著者は世界銀行の副総裁を務めた日本人女性です。世銀の使命は「貧困のない世界を創る」こと。しかし、実際には、職員の大半はエリートで裕福な家庭の出身で実際の貧困の現場を知りません。だから、担当国の貧村で1〜2週間のホームステイを部下に義務付けるようになりました。
「はじめに」から著者自身が最初に貧村でホームステイ体験をした時の経緯を記した部分を引用させていただきます。
(引用開始)
パキスタンの山奥で鬼を見た……。
貧困の体験学習を勧める現地のNGOの世話になって、パキスタン北部カシミールの離村にホームステイに入ったときのことだった。
やっとの思いでたどり着いた村は、ヒマラヤの急斜面に拓かれた棚田にへばりついていた。その片隅にひっそりと、まるであたりをはばかるかのように、目指す農家が立っていた。粘土遊びで作ったような小さな家に一歩踏み入れて、アマ(お母さん)と呼ぶべき人に会った途端、鬼が暴れだした。
「嫌だ! 水道も電気も何もない貧しい村で、読み書きもできない無学な人に身の安全を委ねることなど、できやしない!」
その鬼を醒めた目で見つめるもう一人の私が、そこにいた……。
貧困解消を使命とする世界銀行で働いているくせに、貧しい人を見下していた自分を見た。無意識な偏見とはいえ、無意識だからこそ、恐い。悪寒が背筋を走り、ザワザワと鳥肌が立った。
アマが何か言いながら、私の背中をさすり始めた。「かわいそうに。ヒマラヤの夕暮れは急に寒くなるから」と、付き添いのNGO職員が訳してくれた。自分のショールを外して私の肩にかけ、アマはさも満足したようにうなずくと、翌日からの日課を語り始めた。
(中略)
諄々(じゅんじゅん)とまるで私の鬼を諭すかのようなアマの語りが終わったとき、涙が堰を切った。痩せ細ったアマの手が、また私の背を優しくさすってくれた。その温かさが体の隅々まで染み渡ったとき、まるでポケットを裏返すように、体がひっくり返った気がした。
あのとき、本気にスイッチが入ったのだと思う。自分という洋服を、それまで裏返しに着ていたようなあの感触は、今でも体に残っている。
人間、本気のスイッチが入ると、傍から見ればとんでもないとさえ思えることを、平気でするようになるらしい。見逃してしまうようなありふれたことに、だからこそ捨て身でかかる意気込みが、自然体になってしまうのだろう。
(引用終了)
本気にスイッチが入った著者は世銀という官僚組織の組織文化を見事に変えて行きました。男性中心の組織を男女平等の組織(女性だけを優遇する逆差別も絶対に許さなかった。そのために面接試験の試験官を男女同数にするほど徹底した)にすることなど、世銀が建て前ではなく、本音で貧困を撲滅していく組織に変革して行きました。
私が著者を最初に知ったのは、当時著者が連載を持っていた『選択』という月刊誌の連載でした。なかでも、いまではよく知られるようになったブータンのGNH(国民総幸福量:Gross National Happiness)の考え方を日本で最初に紹介されたときは、感激して講演などの機会がある度に自分のことのように話していたのを思い出します。『選択』はとてもレベルの高い月刊誌ですが、どうしても策略の話が多くて読んでいてしんどくなっていくのですが、著者の本音の話が一服の清涼剤になってどれだけ心がホッとしたかもよく覚えています。
まだまだ、紹介したいいい話が満載していますので、ぜひ手にとって心を綺麗にすると同時に、本気のスイッチをオンにすることに挑戦していただきたいと思います。
4. 孫崎亮著『戦後史の正体』(創元社)
外務省でウズベキスタン大使やイラン大使、さらには国際情報局長を歴任した外交官が本音で高校生にも読めるようにわかり易く書いた戦後史です。著者の見方は、戦後の日本の政治家は対米追随派と自主路線派に分かれており、自主路線派はマスコミや検察等の力を使ってアメリカに潰されてきたというものです。
最近では、鳩山元首相が普天間の移設問題でアメリカの怒りを買い、退陣に追い込まれました。しかし、過去の自主路線派の政治家たちの中には、アメリカ軍基地の日本からの撤退さえ視野に入れていた骨のある政治家がいたことが本書を読んでいると分かります。
アメリカは日本が中国と独自の関係を結ぶことと、米軍基地の問題に触れることを最も嫌がってきたこと、それに多分最近では日本が保有している米国債を売却することを口にした政治家や文化人たちの存在を許さない方針で、残念なことにその手先となって動いてきた主な勢力がマスコミと検察であることは間違いないと思います。夏休みにこの本をじっくり読んでいただいて、戦後の日本史と、これから私たちがやるべきことについて考えていただければと思います。
本書の最後に、TPPについての警鐘を鳴らしている部分がありますので、少し長くなりますが、その部分を引用させていただきます。
(引用開始)
外務省を退官した人びとが中心になって作っている、霞関会(かすみがせきかい)という社団法人があります。ここでは毎月「霞関会会報」という冊子を出しています。その2010年1月号は、TPPを考えるうえで大変に示唆に富んだ文章をのせていましたので、最後にご紹介しておきます。これは「文明化」や「民主化」という美名のもとに、他民族の生活に介入し、収奪を行なう米国の負の歴史を、日本とアメリカ先住民(インディアン)を対比する形で書いたものです。
●三年前、オバマ大統領は就任演説で、米国の偉大さと繁栄は「海を渡り、西部の原野に住み、大地を耕した」先人たちにより築かれたといって国民を鼓舞した
●西部開拓は米国人の誇る建国物語だが、実際はそれほど美しい話ではない。移住者たちが耕した大地は、「掃討と植民」政策のもと、先住民から収奪したものだったからだ
●先住民(インディアン)の部族の多くは、当時、採取と狩猟を中心に生活しており、小さな集団に分かれて広い領域を移動していた。ものごとを全体のコンセンサスで決める習慣があったため、侵略者への対応も意見が分かれると全体として行動できず、よくそこにつけこまれた
●米国の先住民人口は、20世紀初頭には24万人になっていたが、植民が始まった当初は一節には200万人いたといわれる
●チェロキー族は広大な領域をゆずる条約を次々と結ばされ、文明開化路線(農民化し、洋服を着用し、宣教師を受け入れ、新聞を発行する)に転じたが、結局他の部族と同じく、1300キロ西の強制移住地に移住させられた
●ペリーによる日本遠征は、そんな時期に計画された。西に伸びる経済権益確保のための大事業だった。相関直後のNYタイムズは「日本には、鎖国の壁の中に宝物を隠す権利はない。アメリカのような国が世界の夜明けを日本に理解させることはむしろ義務である」と論じた
「鎖国の壁の中に宝物を隠す権利はない」という表現は、今日のTPPにもぴったり当てはまります。TPPは米国が、日本の国内にある富を、扉をこじあけ、吸い上げるための仕組みです。TPP推進派の人びとは、TPPの実態を説明していません。詭弁を使っています。
本当に危険な状況だと思います。
(引用終了)
TPPや原発の再稼働の問題、さらには消費税の問題は、日本がアメリカの原住民の轍(てつ)を踏まないための大きな試金石になる出来事だと思います。しっかりと日本の方向性を考えていくタイミングが来ているようです。
5.加治将一著『ビジュアル版 幕末 維新の暗号』(祥伝社)
本書の帯には、以下のような宣伝文句が載っています。
歴史は“すり替え”られていた!
累計50万部のベストセラー「禁断の歴史シリーズ」が1冊に
この本はテロだ! By明治政府
まさしく、宣伝に書いてあるとおりで、写真をふんだんに使って、筆者がどのような過程で、歴史シリーズの原点になった写真(フルベッキ写真等)を分析していったかがわかるようになっており、大変興味深く読めました。
私は加治将一先生の小説の大ファンです。ファンが高じて一度頼み込んで一緒にゴルフをさせていただいたことまであります。最初に『あやつられた龍馬』(文庫版では『龍馬の黒幕』になっています)を読んだ時には、とてもショックでした。私が信じていた司馬遼太郎先生の小説によって作られた、いわゆる司馬史観がガタガタと崩れていったのを昨日のことのように思い出します。
また、こんなことを書いて、この本の著者である加治将一先生は殺されないのだろうか、とも思いました。それが累計50万部のベストセラーになり、このようなビジュアル版まで出るのですから、考えてみれば世の中はずいぶん進歩したと思います。そして、その進歩には、命の危険を顧みず真実を書き続けてきた加治先生の力も大きく寄与していると思います。
坂本龍馬はフリーメーソンであったグラバーが黒幕になったから活躍できたのであり、司馬史観にあるようにカッコのいい話だけでは終わらないことや、明治天皇は孝明天皇の子どもではなく、本当の明治天皇になるべき人は孝明天皇と共に暗殺されたのではないか。そして、明治天皇にその代わりになったのは長州藩が匿(かくま)っていた南朝系の大室寅之祐であり、明治政府にはじまるいまの日本の政府はそのことを認めないことが、日本がこれだけ変な国になってしまった大きな原因だというのです。
私は、勉強不足のため、加治先生の説に100%同意できるまでには至っていませんが、かなりのところ確からしい話だと思っていますし、論調は異なりますが、副島隆彦先生や太田龍先生から教えてもらったこととも一致する点が多くあります。
ただ、私は1冊目で紹介した李登輝元総統にお会いできたのは、坂本龍馬財団(私は評議員にならせてもらっています)の旅行で実現したもので、実は坂本龍馬の大ファンでもあります。グラバーに操られていたのかもしれませんが、彼が新しい日本を創るために欠かせない人物だったこと、やはり坂本龍馬が土佐藩を脱藩してまで成し遂げようとしたことは、時代を超えて李登輝という台湾の哲人政治家に大きな影響を与えたことは間違えのない真実だと思いますので、私は坂本龍馬を尊敬しているのです。
それに、やっぱり中学生の時に読んだ司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』は私にとっては歴史が好きになり、世のため人のために役にたつ人生を送ろうと決心した大きなきっかけを作ってくれた名著です。だから、特に若い人にはこの司馬遼太郎先生の本を読んでもらいたいといまでも思っています。
ただ、表面で推奨されている歴史、つまり勝者にとって都合の良い歴史だけで満足するのではなく、その背景にある本当の歴史を直視できるようになることはもっと大切なことだと思っています。このビジュアル版をぜひ手にとってみて、勇気を持って現実を直視していただきたいと思います。
最後に加治先生の主張の本筋であり、私も強く共鳴しているいまの日本に対する警鐘を引用させていただいて、今月の最近読んで参考になった本を終わりたいと思います。
(引用開始)
日本は、国家の成立過程そのものが不透明だ。これほど不透明な国家は、他に類を見ないのだが、不透明な部分は全部、宮内庁的史観で書かれている。
「民は之に寄らしむべし。之を知らしむべからず」
愚民政策だ。日本にはそれを許す肥沃な土壌があった。丸暗記、けっして考えさせない教育だ。いや、知的好奇心を持たぬように育成する。それは大宝律令以後、長い間に練り上げてきた特殊技術の一つである。
(中略)
私は、天皇の暗殺や成り済ましを憎悪しているのではない。古代、中世、近代は、混沌としたルール抜きの凄惨な世界であって、その中では真実だけが最善とは言えず、謀略もまた最善となることくらい人一倍知っている。岩倉具視と大久保利通が、ああいうやり方で玉座を略奪しなかったら、維新は頓挫していたかもしれぬのだ。
しかし、今は違う。
仮にも民主主義国家なのである。
民主主義の下では、大いなる力には責任が伴う。それゆえ、大いなる透明性が必要になってくるのだ。
すべての文書を公開し、すべての古墳の学術調査を許可し、国民が考え、判断しなければならない。手を加えぬ、すっぴんの日本の姿を見てもらい、国民の判断を仰ぐのがルールだ。
さすれば、国民は真に自分たちの国だと実感でき、驚くほどの力を発揮する。
私ごとき一介の物書きが、天武天皇以後1300年以上にわたってピカピカに磨かれてきた天皇を頂点とする「官僚組織」に挑むなど、まるでドン・キホーテだ。あらゆる所に張り巡らされてきた「利権支配構造」を、どうこうできるものではないのは分かっているが、見果てぬ夢とは知りながら、しかし同時に、一冊の本がやがて国を動かし、新世界の扉を開くかもしれないことも信じている。
(引用終了)
『失敗から学ぶ』 |
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1964年 大阪生まれ。1988年 (株)船井総合研究所 入社。1998年 同社 常務取締役。同社の金融部門やIT部門の子会社である船井キャピタル(株)、(株)船井情報システムズの代表取締役に就任し、コンサルティングの周辺分野の開拓に努める。2008年 (株)船井本社 代表取締役社長就任。父・船井幸雄の「競争や策略やだましあいのない新しい社会を築くことが本来の自分の役割だ」という思いに共鳴して、持ち株会社である同社の代表取締役社長として父をサポートすることを決意した。
著書には、『中堅・中小企業のためのIT化時代の「儲け」の決め手』(船井幸雄らとの共著 2003年 ビジネス社)、『天律の時代が来た! 生き方の原理を変えよう』(2010年 徳間書店)、『いま明かされるコトダマの奥義』(2011年1月 新日本文芸協会) 、『未来から考える新しい生き方』(2011年9月 海竜社)、『失敗から学ぶ』(2012年7月海竜社)などがある。
★にんげんクラブ:http://www.ningenclub.jp/
★船井勝仁.COM:http://www.ilir.co.jp/funai_katsuhito/