(写真撮影:泉浩樹)
「天律時代」の到来に向けて
このページは、(株)船井本社社長で「にんげんクラブ」を主催する船井勝仁によるコラムページです。船井勝仁は「これから“天律時代”が来る。そして一人ひとりが“うず”を作っていくことが大事になるだろう」という思いを持っています。それをベースにおいた日々の活動の様子や出会い、伝えたいことなどを語っていきます。
また、「船井幸雄の息子」ではなく、“船井勝仁”の独自性をさらに打ち出していくこともテーマに、これまで父に寄せてきた思いや、「二代目社長」としての方針も語っていきます。
白鳥哲監督作品に「祈り サムシンググレートと対話」という最新作があります。筑波大学名誉教授で「サムシンググレート」という言葉を生み出した村上和雄先生を中心に、祈りが医学的に効果のあることからはじまって、私たちはすべて一つであることを高らかに歌い上げた、崇高でとてもレベルの高い映画です。
現在、東京、大阪、京都で上映中ですし、にんげんクラブのメンバーが中心になって11月3日(祝)に名古屋の吹上ホールで自主上映会( http://ameblo.jp/mission-navi/entry-11370309888.html )も企画されていますので、ぜひ機会を作ってご覧いただければと思います。
この映画を創業50周年記念作品として応援されている京都の有名進学塾「成基学園」の50周年記念懇親会に出席するために京都に出かけてきました。ゲストには前原誠司大臣や京都府知事や京都市長、それに旧知の京都選出の民主党の参議院議員である福山哲郎さんや松井孝治さん、それに自民党からも下村博文衆議院議員等が参加されていました。
出口光さんをはじめとするメキキのメンバーや木の家石巻水産の木村隆之副社長など知り合いも多数出席されていました。そのおみやげとしていただいた同社の佐々木善一社長の最新著を最初に紹介させていただきます。
1.佐々木善一著『もう一歩踏み出せば人間力は上がる』(有峰書店新社)
成基学園は佐々木社長のお父様である故佐々木雅一氏が1962年に京都で創業した日本でも有数の進学塾です。前述の前原大臣や松井議員も卒業生で、地元の有力企業の記念パーティーに義理で出席すると言うよりは、本当にパーティーを楽しんでいらっしゃったのが印象的でした。
本書は、お父様への反発から万引きをして捕まった事を回想することからはじまる衝撃的なものでした。これは私が拙著『失敗から学ぶ』(海竜社刊)で書いたように父親への強烈なコンプレックスを佐々木社長がどのように跳ね返していったかと、それを日頃の教育の現場でどのように使ってきたかが赤裸々に書かれていて、思わず惹きつけられて一気に読んでしまいました。
世代的には先代の時代の卒業生である大臣や議員の皆さんを含めて多くの一流人が、佐々木社長や同社のやり方になぜそんなに強く魅了されるのかが、とてもよく分かりました。
同社の様々なプログラムの中でも、佐々木社長が最も力を入れているという中学受験を控えた小学六年生大正の「合格達成セミナー合宿」の内容を紹介した部分を引用させていただきます。
(引用開始)
「合格達成セミナー合宿」と聞くと、朝から晩まで鉢巻を締めて、参考書やテキストに向かって猛勉強をする、というイメージを描くのではないだろうか。この合宿は毎年お盆の期間、八月一三日から一六日まで三泊四日間、キッズランド(同社が能登半島に所有している合宿施設)の学習棟で行われる。来年春の中学受験に合格するためのセミナー合宿であるが、教科教材は一切登場しない。かといって、特別な野外活動をするわけでもない。
この合宿は私たちが独自に生み出した、完全なる「コーチング(子どもたちに気づきをもたらす)」プログラムなのである。
(中略)
参加者は、中学受験を控えている小学六年生で、現在の偏差値では志望校合格は厳しいと思われる子どもたち三〇名前後の塾生である。
勉強はないが、この合宿はとてもとても苦しい。子どもたちの使命は、この合宿で自分を捨てて、新しい自分に生まれ変わって家に帰り、志望校の合格達成に挑むことなのである。
(中略)
本来なら可能なことが、他人から「君にはできない」と言われた体験を持ったために、不可能やマイナス思考が脳にインプットされる。これこそがトラウマだ。人の顕在意識というのは氷山の頭の部分のようなもので、それ以外の潜在意識(海の下にある氷山の底)の中にダメな自分をどんどん溜めていく。
そのトラウマを知り、消し去ることで、不可能というOS(コンピュータの基本のソフト、Windowsやマッキントッシュなどが代表)を可能というOSに書き換えることができるのだ。まずは底に沈んでいる物を上に引き上げてみよう。
(中略)
「今、こうして自分のトラウマが出てきた。本当はできるのに、トラウマが君らに『どうせあかんねん』とささやいていたわけや。でも今、トラウマに光を当てたら、『何や、あかんかった原因はトラウマに縛られてたせいか』って、みんなは気がついたと思う。何もあかんことなんてなかった。できるってことに気づいた!じゃあ、今度は『できる』絶対に『できる』という種を蒔いて、花を咲かせよう!」
(中略)
自分が変わる、自分を変えると言葉で言うのは簡単なことだ。しかし、本当に心の底から、変えようと思わない限り変わることはできない。何よりこの合宿での子どもたちの行動がそれを示している。でも大人になったらできないかというと決してそうではない。それは自分自身をよく見つめ、自分に問いかけるところから始まる。何よりいけないのは、わかったフリをして現実におもねることである。
(引用終了)
長い引用になりましたが、いま大半の人が自分を変える必要に迫られているのではないでしょうか。本書にはその方法論が力強い実例で生々しく紹介されています。ぜひ、一読をおすすめします。
2.兵藤二十八著『日本人が知らない軍事学の常識』(草思社)
本書は会社の近くの書店の新聞の書評コーナーにあったものを購入したものです。軍事はあまり得意な分野ではありませんが、確かに私たちが現実を直視していく上では見ぬふりはできないものです。
不勉強で著者の本ははじめて読みましたが、日本の運命的な敵国は韓国であることや中国には共産党に対して忠誠を誓う「人民解放軍」は存在しますが、国軍は存在しないことなどの論理は明解で、賛成かどうかはともかくよく考えてみなければいけない意見だと思います。
それ以上に、アメリカ軍や自衛隊、それに中国や北朝鮮、ロシアなどの現状の軍事的な状況を的確に分析して教えてくれており、その分野は間違いなくとても参考になりました。
残念ながら、私たちが平和憲法を持っていることを誇っていても、周りの現実がそうではないことを知っておくことはとても大事なことです。平和を守るためには当たり前ですが多大な努力が必要なのです。
また、8月11日のこのページで紹介した孫崎亮著『戦後史の正体』(創元社)とは違って、現実的な軍事情勢をみるとアメリカとの関係を重視することしか安全を保証するための軍事的な意味はないという主張がなされています。
特に、対等の関係を基本とする近代という概念が理解できない中国との関係を作っても日本にとって得られるものは何もないという立場を鮮明にしています。
靖国神社の問題から発展して近代国家という概念を明確に説明している箇所が、私たちの思考の訓練を行う上からとても大事だと思うので引用させていただきます。私は著者よりも、前掲の孫崎氏の考え方の方が共鳴を覚えますが、著者の他の本も読んで自分なりに消化をしてみたいと思います。
(引用開始)
仏教徒である日本人(わたくしもそうです)が、いまだに犯しがちな前近代的な誤解を、米国の実例で確認しておくことが便利でしょう。
南北戦争の直後、旧南軍のリー将軍の屋敷地を買収して造成された「国立アーリントン墓地」の一角に、「無名戦士の墓」があります。
国立軍人墓地であるアーリントン墓苑の区画と、アーリントンの「無名戦士の墓」は、結界され、「場」が分けられています。外国から来た要人は「無名戦士の墓」を訪れるのであって、ケネディ大統領やタフト大統領も埋葬されている墓苑の空間へは、足を踏み入れません。
(中略)
注意しなければならぬのは、「無名戦士の墓」にやって来て献花する公人は、「ああ、この人たちはかわいそうだったな」と哀れんで挨拶しているのではなくて、「この人たちは立派であった。わたしやわたしたちの国民もこのように愛国的でありたい」と顕彰をし、表敬をしていることでしょう。
これは他のすべての近代国家の同類施設で、ほぼ同様です。
オレはオレの国を愛する。アンタはアンタの国を愛しなさい。 ― これこそが自由主義と民本主義の、必然到達しなくてはならない境地でしょう。
自由主義と民本主義を両立させているすべての近代国家では、成文憲法に書いてあろうがあるまいが、庶民には当然に「国防の義務」があります。
もし、身体の所有権や財産の所有権が保護される憲法空間を、外国人が破壊しようとしてきたときに、武力による自衛をしないとするならば、自由も公平も基本的人権もあり得ぬ話だからです。
その民本主義的な国軍を、有事には率いることになる、すなわち「死を命ずる」最高責任者として、近代国家の政治的なリーダーは、互いに、他国の過去の戦死者たちにも敬意を払います。国体と国体の価値観は相違すれども、国防の義務に殉じた将兵には、死をかならずしも命ぜられずに済む非軍人とは格別な儀礼があっても然るべきでしょう。
ただし、表敬にあたっては、大きな前提条件が付いている。献花をする区域に「死者の名簿」などは一切付属していないことです。かつまた、「ここには非軍人の戦没者や、厳密には戦士とはいえないような軍人も祀られているんですよ」などと、過去も現在も公式に説明されたことはないことです。
(中略)
アーリントンなどの「無名戦士の墓」の「無名」とは、「あえてそれが誰なのか特定をしない」ところに積極的な意義があり、「身元を特定したいのだが、わからなかった遺骨」を配慮しているわけでは、ぜんぜんないのです。近代世界と世間づきあいをするならば、ここを日本人は学習せねばなりません。
(引用終了)
これを読むと私はまったく近代が何たるかが理解できていないことがよく分かります。三十年戦争(※ボヘミア(ベーメン)におけるプロテスタントの反乱をきっかけに勃発し、神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に戦われた国際戦争)などの悲惨な戦争(当時のドイツでは国民の半数近くが亡くなったという)を乗り越えて、キリスト教というかプロテスタンティズムの倫理によって確立された近代という概念の奥深さを知る必要はあろうかと思いますが、そろそろそれを超えたもっと人間らしい世界を作って行きたいと、甘いかもしれませんが思ってしまいます。
ここからはとても親しくさせていただいている大事な知り合いに関する本を3冊紹介させていただきます。
3.磯前睦子著『聞き書き 木曽の山バカ物語 ―林業家・柴原秀満の歩いてきた道』(冬花社)
まずは、大親友である(株)南木曽木材産業の柴原薫社長のお父様で創業者である柴原秀満氏の苦労話が紹介されている本書を紹介します。
いまは山をいくら持っても儲からなくなったと言われるのに、柴原親子は山や森の声を聞いて山にこだわり続けています。お父様の苦労話に耳を傾けることは、近代という相克を乗り越えていくにあたってはとても大事なことになると思いますので、ご縁を感じるようなら、一度本書をじっくりと手にとっていただければと思います。
最後の部分をちょっとだけ引用させていただきます。
(引用開始)
何十年もかかって大きくなった木の値段と大根一本の値段(私はこれも安すぎると思います)が同じだなんて、そんな時代になった今、打ち捨てられた山の木が、「助けてくれ!」とわたしを呼んでいる。
蔦(つた)のからまった木は、縄でしばられた人間のようだ。「苦しかっただろうなあ」と話しかけながら蔦を伐(き)り払ってやると、木はふーっと息を吹き返してにっこりする。自分の山の手入れをしていて、この道から向こうは人の山だとわかっていても、木にからまった蔦を取ってやらずにはおられない。それは、縄でしばられている人が隣にいて、見過ごして通れないのと同じだ。
一日作業が終わって山を下りる時、後ろを振り返ると木が言う。「柴原さん、ありがとう」と、そして「明日も来てくれ」と、木が手を振る。「あー、来てやるよ。待ってろよ。明日もよろしくな」と私は言う。明日の夜明けが待ち遠しい。
第一線をしりぞいた身に、立派な葬式などいらない。私が死んだら、手入れをした山に、散骨してほしいと言っている。「はあ、お父さん、どの山にまけばいいんかに」と女房が聞く。そうだなあ、木曽の山もいいし、遠山郷の山もいい、沼津の山もいい。どの山もそれぞれに素晴らしくいい。
その時が来たら、心を込めて手入れした山の木々は、「お帰りなさい」と言って、私を迎えてくれるだろう。
(引用終了)
4.山元正博著『麹のちから!』(風雲舎)
次は昔とてもお世話になった、(株)源麹研究所の山元正博会長のご著書を紹介します。山元会長の家は河内菌という九州の焼酎にはほとんど使われているという麹菌を作られた家で、いろいろなことはありましたが、麹の研究に3代100年を捧げてこられました。
奥様ともども、いろいろな場面でお世話になっているのですが、鹿児島空港の隣に観光施設を立ち上げた時はそのPRのために、ちょんまげを結って武将姿で東京の旅行代理店をPRして回ったという話を、本書を読んでいて思い出しました。
本書には少しだけ紹介されていますが、両親や私が尊敬している市井の宗教家である迫登茂子(さこ ともこ)先生のことをとても大事に応援されていることでも、私は山元会長を尊敬させていただいています。あとがきから麹に対する山元会長の思いを少し紹介せていただきます。
(引用開始)
麹菌は決して、美味しい、うまいの世界だけでないことを、この十余年、私は実証してきたつもりです。
麹はただのカビではない。「愛の微生物」である、と私は本気で思っています。
40年前、東大農学部に進んだ私に浴びせられた、
「麹菌の研究はすでに終わった学問だよ」
というひと言には、ガツンと頭をぶん殴られたように感じたものです。
(中略)
欧州を原点とする微生物研究は抗生物質を分泌する青カビの研究から始まりました。青カビはペニシリンを分泌して自分だけが生き残ろうとします。
これまでの微生物学者が発見した有用菌のほとんどは、この青カビに代表されるように自分だけが生き残ろうとする特徴を持っています。つまり戦いに勝ち抜く菌です。宗教戦争や領土紛争で歴史的に角突き合わせて欧米にふさわしい、猛々しい一面を持つ菌なのです。
でも、麹菌は違います。
麹菌は他の微生物と共生するのです。他者を攻撃しないやさしい微生物なのです。それは、「神仏習合」をなした日本古来の伝統しそうとも相通じる、懐の深い存在なのです。
たとえば最近はやりの乳酸菌。これも麹菌があると格段に元気になります。麹菌自体は抗生物質のような他者を殺すような物質は出さず、むしろ自分自信を提供して、周りの有用微生物を強化してくれます。
そして人間が食べると免疫抵抗力を強化するだけではなく、ストレスも軽減してくれますし、アレルギーも軽減してくれます。
だから私は主張したいのです。
麹は愛の微生物だと。
和を持って尊しとなす日本人。
まさに日本人を代表するような菌。それが麹菌です。
麹屋3代目の私がやるべきこと、これは麹菌の無限の可能性をもっともっと引き出し、世の役に立てることだと考えています。
(引用終了)
5.松本有記著『こうすれば健康になる!』(ルック)
次は、個人的には大変お世話になっている漢方医の松本先生のご著書です。松本先生もとても不思議な体験を経られて、保険を使わない自由診療の漢方医を芦屋で開業されています。私に松本先生を紹介してくれたのは、やはり最近渾身の書き下ろし『神様が宿る家2』(ザメディアジョン)を上梓した澤田升男さんですが、お二人と食事をご一緒した時、お二人とも100%本気本音で生きていることに強い共感を覚えました。
あまり口に出さないようにしているとおっしゃっていますが、松本先生は日本の医療制度に大きな疑問というか危機感をいだいています。このままでは医療という怪物が日本という国を潰してしまうのではないかという危惧を持っているのです。
山元会長の本でも西洋的な考え方による医療のあり方に少し疑問を呈している所がありますが、近代という西洋的な考え方に基づいた生き方の限界を感じて、それを超越するようなシステムの模索がいろいろな分野で始まっているようです。
本書ではその部分はそれほど強くは主張されていませんが、生き方に関する基本的な考えはとても参考になりますので、ぜひお読みいただければと思います。東洋医学と西洋医学の違いについて説明されている箇所を引用させていただきます。
(引用開始)
西洋医学と漢方の違いを最もはっきりと説明するのに、西洋医学は表に現れている症状(部分)を抑える薬を処方し、東洋医学は患者さんを「ひとりの人間」として捉え、その患者さんの全体像をつかんだ上で「全身バランスを整え、健康体になる」ことを治療の目的にしているということが挙げられます。
体全体は個々の独立した部品ではなく、一つひとつの臓器や器官は相互に関連しあい、ひとつの生命体として成り立っているとみなしているのです。そのために、部分的な症状だけを診断するのではなく、体全体、そして心も含めた「バランスの乱れ」に着目します。漢方薬の処方にも、体内バランスの調合をはかることで体の異変を正していこうとする考え方がベースにあります。
それに対して、西洋にはそもそも「氣」という概念がなく、人間を「さまざまな組織・器官という部品の集合体」として捉えています。よって、病気は「体内の部品のひとつに故障が生じた状態」とみなされますし、故障部分の特定は「画像や血液検査などによるデータ診断」によって行われ、そこで数値や映像上はっきりと異常が見られるものだけを病気と診断します。
(引用終了)
6.柳井正著『現実を視よ』(PHP)
本書も正直に言うと、私の考えとはまったく違う思想を元に書かれており、私は著者の意見に賛成ではありません。しかし、「現実を視よ」というメッセージにはとても共感を覚えます。2番目に紹介した兵藤氏の考え方もそうですが、自分と違う意見もしっかりと勉強し、何が違うかを明らかにすることの大切さを今月は図らずも私自身が学ぶことができました。
本書は言うまでもなく、ユニクロで世界を席巻しているファーストリテイリングの経営者の著作です。著者は資本主義の精神を忘れた日本人に対して警鐘を鳴らすために本書を書きました。
私は資本主義や近代という考えは結局誰も幸せにしないので終わらせたほうがいいという考え方を持っていますが、日本人がうちにこもって世界に出ていかない姿には著者と同じような危機感を覚えます。
著者は世界で通用する会社にするために会社の公用語を英語にしました。日本人しかいない場では日本語で会議しても構いませんが、一人でも外国人が参加することになれば会議は英語で行われるのです。
しかし、柳井会長は日本人の魂を失えとは言っていません。日本語で考えた日本人の魂から来る考えを堂々と英語で述べよと言っているのです。私もアメリカに住んでいたことがありましたが、気持ちの強くなかった私はいつしか英語で考えるようになると、日本語の文章が書けなくなっている自分を発見して愕然としたことを覚えています。
ユニクロや楽天のような日本の会社に就職しても、日常的に英語を利用することが当たり前に求められる時代、私たちは以前よりもかなり強く日本人の魂を意識しなくてはならないのかもしれません。
それはともかく本書で私が一番共鳴した部分を紹介して、今日の原稿を閉じたいと思います。
(引用開始)
あえてドン・キホーテになろう ― 冒頭で私はそう述べた。しかしほんとうなら、そうした“ドン・キホーテ”がもってたくさん出てきていいはずではないか。
一年間に数えきれないほどの経営者に私は会う。政治論議に花が咲くと、ほとんどの人が「まったく、そのとおりだ!」と言う。
しかし、公の場で彼らはそうした話題を出さない。平時であれば、それでもいい。しかし、時は有事である。日本という国が三等国に落ちようかというときに、「何も発言しない」という選択肢があるだろうか。
「国の補助で事業をやっても成功したためしはない」
かって本田宗一郎はこう言って、産業政策に介入しようとする政府や官僚たちに真っ向から勝負を挑んだ。ホンダがいまのような大企業になってからの話ではない。当時、彼にあったのは夢であり、志だけであったかもしれない。
戦後の荒廃から日本を立ち直らせた主人公は、政治家でも官僚でもない。本田のような企業人たちであったはずだ。
いまこそ企業人は真の「ステイツマンシップ」を発揮して、政治家や官僚に戦いを挑み、再び荒廃したこの国を救う責任があるのではないか。
(引用終了)
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1964年 大阪生まれ。1988年 (株)船井総合研究所 入社。1998年 同社 常務取締役。同社の金融部門やIT部門の子会社である船井キャピタル(株)、(株)船井情報システムズの代表取締役に就任し、コンサルティングの周辺分野の開拓に努める。2008年 (株)船井本社 代表取締役社長就任。父・船井幸雄の「競争や策略やだましあいのない新しい社会を築くことが本来の自分の役割だ」という思いに共鳴して、持ち株会社である同社の代表取締役社長として父をサポートすることを決意した。
著書には、『中堅・中小企業のためのIT化時代の「儲け」の決め手』(船井幸雄らとの共著 2003年 ビジネス社)、『天律の時代が来た! 生き方の原理を変えよう』(2010年 徳間書店)、『いま明かされるコトダマの奥義』(2011年1月 新日本文芸協会) 、『未来から考える新しい生き方』(2011年9月 海竜社)、『失敗から学ぶ』(2012年7月海竜社) 、『未来から考える経営』(2012年10月 ザメディアジョン)などがある。
★にんげんクラブ:http://www.ningenclub.jp/
★船井勝仁.COM:http://www.ilir.co.jp/funai_katsuhito/