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船井幸雄注目の “本物”に携わる人たち

このページでは、舩井幸雄が注目していた、医療、経営、農業、未来予測、占星術などあらゆる分野で活躍する“本物”と言っていい方々を紹介します。それぞれの方に毎月1回、3回ずつコラムを書いていただき、順番にいろいろな方を紹介させていただきます。

2016.7.10(第67回)
★今回の執筆者★
医療法人わいわいクリニック理事長、医学博士
篠原 佳年さん(1回目)
(篠原さんの詳しいプロフィールはページ下にあります。)
レット・イット・ゴー(あるがままに)

〜〜この本(『意識の扉をあけて』)の縁で、故・舩井幸雄先生とお会いすることになり、
「この本は普通の人には少し難しい。もう少しやさしい本を書いたらどうですか」とおっしゃって、サンマーク出版を紹介していただきました。
それが『快癒力』となり、それから約40冊の本を書いています。
舩井幸雄先生に深く感謝しています。
                                  篠原佳年〜〜


「何もかもが目まぐるしく変動している昨今、
これまで学んできた知識が
音もなくくずれ去ってゆくのを心地よく感じているのは
果たして私だけでしょうか。
何かを期待したり、夢見たりすることが苦手になって
もうずいぶんになります。
でも、ある時、ふと気づきました。その瞬間から
今私たちが住んでいる無味乾燥だと思っていた世界が
生き生きとした世界に変貌し
子供のころ夢見た冒険の世界にタイムスリップしてしまって
今まさに最高潮、ドラマのまっただなかであることに気づきました。
この本は、あることについてだけ書きました。
そして、そのあることが今の私のすべてです。
悲しみ悩んでいる皆さん
しばし我を忘れて人生というドラマを味わってみませんか。
そして共に踊ってみましょう。
人生というメリーゴーランドに乗って……。」
                『意識の扉をあけて』より
                七賢出版1994.10発刊


●健康のきっかけは自分で作るもの
 人は誰でも自分の病気を癒す力を持っています。意識しようがしまいが、人の体は常に前進を正常化するように作られているのです。
 生まれつき備わっている自然治癒力を、かつて私は“快癒力”と名づけました。“快癒”とは“全治全快”という意味ですが、“快癒力”が発揮されている状態では、人は“全治全快”するものだと、私は考えていたからです。
 自然治癒力はなにも救急パトロールのように病気を探し出して、治してくれるわけではありません。体のあちらこちらに出た不具合を調整したり、その原因を解消したりして、全身を健全な方向に戻していき、病気を自然治癒させるわけです。
 つまり私たちが病気と呼んでいる状態とは、今まさに自然治癒力が発揮されて、体が正常化しようと闘っている状態だとも、私は思うのです。だからこそ、病気は痛みや熱を伴うのではないかと。
 たとえば、風邪をひくと人は熱を出します。この因果関係を、私たちはつい「風邪をひいたから熱が出た」と考えがちですが、実はそうではありません。風邪に対して、体が自然治癒力を発揮して闘った結果、熱が出たのではないかと、私には思えるのです。
 お腹を壊して痛みがある場合も、多くは嘔吐や下痢の症状を伴いますが、それは体に悪いものを食べたので消化不良に陥ったからではありません。
 体が自然治癒力を発揮して、悪いものを排除しようと闘っているために嘔吐や下痢の症状が出たと考えられるのです。ですから、闘いが終われば嘔吐や下痢も止んでしまいます。

 悪いものが排出されたからという理由もありますが、私たちの自然治癒力とは、病気に見合った薬効成分を分泌できる力でもあるのです。もともと薬というものは、人間の体内で作られる薬効成分に似た薬草を探し出して作られたものだと言われています。
 まさに人は自然の存在、驚異の一語に尽きます。この素晴らしい自然治癒力を信じることが、健康にはもっとも大切なことだと私は思っています。
「医者を差し置いて、自分が勝手なことをしちゃいけない」
 かつて日本では、そんな風潮もありました。
 けれども“快癒力”は、病院で買ってくるものでも、医者が処方してくれるものでもありません。あくまでも自分が自分で引き出す力。毎日の暮らしの中で、自らそれを発揮できるようになれば、そこには「健康」への無限の可能性が広がっているのです。

「今、あなたの体を動かしているのは何?」
 私は患者さんによく、こんな突拍子もない質問をします。
「そりゃあ、心臓です」
「じゃあ、心臓はどうやって動いとるの?」
「え!? 何をまたおっしゃるのやら」
 みなさん怪訝な顔をされますが、私たちが寝ている間にも心臓は休みなく動いています。
 そのことを自覚する時、私はいつも、自分の体への静かな感動を覚えます。私たち人間は生かされるようにできていると、思うわけです。
 あなたは健康な時、自分が健康であるとか病気であるとか気にしていますか? そう、健康とはまさしく、そういったことを気にしないことなのです。

〈快癒とは、病気を気にしない、健康を気にしないこと〉

 診療所の壁には、こんな標語を書いた紙を貼っています。
「病気を気にしないなんてことは難しすぎて、病人にはできません。」
 今まで多くの患者さんが私に同じことを言いました。
 ならば何か面白いことに夢中になってもらえば、病気は忘れられるのではないかと、思い立ちました。
「健康とは、食べるものと出るもののバランスがとれ、五感がいきいきと働き、今が心地よく感じられ、心が穏やかであること」
 これは古代のインドの教えです。
「意が動くところに気が動き、気が動くところに血が動く」
 こちらは古代の中国の教え。
 病院など存在しなかった時代、古(いにしえ)の賢人たちが見出したこの真理を、だまされたと思って追体験してみるのはいかがでしょう。面白くて、きっと病気など忘れてしまいます。
 健康になるきっかけは、自分を信じ、自分で試して作るもの。
 “温故知新”ならぬ“温故医新”。

●病院とは病気を見つけ病名をつけるところ
 患者さんにとっては思いもよらないでしょうが、病院とは医者が病気を治すところではありません。患者さんの病気を見つけて病名をつけ、処置をして薬を出すところなのです。
 思えばそうした行為で患者さんから報酬を得るのが、医師という職業なのです。患者さんの病気が治ったからといって、医者が成功報酬のようなものを要求することはできない。
 ですから当然、医者が患者さんの健康状態を診ることはできません。病気を診る技術はあっても、健康であるかどうかを診るという教育を受けていないのです。
 そんな持論を述べる私に、患者さんはこう言います。
「そんなことはないでしょう、先生。健康診断は健康を診るということでは?」
 患者さんたちの似たような反論には、私もまた似たような答を繰り返します。
「そうじゃない。健康診断は、医者が病気を発見するためにあるんじゃ。」
「はあ……」
 患者さんは、みなさん一様に狐につままれたような表情です。
 医者の私が言うのも変な話ですが、健康診断という行為は百害あって一利なしとも言えるのです。患者さんによっては毎回毎回、胃カメラを飲み、とうとう癌が見つかったケースもあります。しかしこれとて、たび重なる不必要な組織検査が癌の誘因になった可能性もある、ということを知る必要があるのです。検査のためにレントゲンを浴びるのも同じで、たいへん癌になりやすいと言われています。

 また、診断結果そのものも、必ずしも万全ではありません。癌検診で「異常なし」の結果をもらった直後に末期癌が見つかり、亡くなった人の話を、新聞報道でご覧になった方もいるではないでしょうか。
 しかも健康診断は、健康保険がききません。ちょっと矛盾した話です。
 では患者さんにとってあまりメリットのないことを、病院はなぜ延々と行っているのでしょうか。
 大学病院を辞めて個人病院を営んでいる私のような医者から見ますと、それは実は経営上の問題だと思われます。
 健康診断は、患者さんのためというよりはむしろ病院のために考えられた制度ではないかと私は思っています。
 医療機器の進化にはめざましいものがあります。
 大病院は今、どこも競い合うようにこういった最新機器を導入していますが、たとえ大病院でも、そうした最新医療にピタリとあてはまる患者さんが次から次へとやって来てくれるわけではありません。

 出番のない最新機器を放っておくわけにもいきません。さてどうするか? ここで病院側が出した結論が、精密検査という、名前を変えた健康診断なのです。
 私は、そのためだけに、寝たきり老人の入院患者を定期的にCTとかMRIにかける病院を、同業者としてたくさん見聞きしてきました。
 力なくもの言わぬ患者さんたちが、必要のない検査を受け続けることになる現実が、数多くあるのです。この患者さんたちは、“百にひとつの難しい病気”を発見し、その治療に血道をあげる医者たちへ、ひたすら献身していると言っても過言ではないでしょう。もちろんそれは自発的な検診ではありません。「病気の早期発見」というキャッチフレーズのもと、病院は患者さんに無駄なお金と肉体的な犠牲を強いている場合があるのです。当然この中には病気が見つかり、運良く早期発見が功を奏すケースもあることを付け加える必要はありますが。
 そんなわけですから、病気の早期発見を第一の目的とする医者が、健康診断でやって来た患者さんを「病気がない」「異常はありません」と言って、簡単に手放すことはありません。病気を見つけるまで、何度も見直し続けるわけです。
 学界では“百にひとつの難しい病気”の臨床例を、栄えある業績として讃える風潮があります。その実績の上に今日の医学の進歩があるという考え方ですから、真面目なタイプの医者ほど、難しい病気を発見することに一生懸命になるわけです。

●医者とは人の不幸の上に成り立つ仕事
 医者というものは患者さんの生命を預かる“聖なる職業”と言われます。少なくとも医者を志した時、私はそう思っていました。
 けれども、実際の医者の世界では、そんな話は一回も聞いたことがありません。
 きっと、人の不幸の上で初めて商売になる、医者という職業の本質が、医者になって見えてくるからなのでしょう。人が死んで初めて商売になるお坊さんもそうですが、不幸が増えれば増えるほど商売が繁盛するとは、まったく因果な職業です。
 と同時に、医者がいい加減な態度で事にあたれば、とてつもない結果を招いてしまう怖れがある。そうならないために、節度を保つよう自らの戒めとして「医者とは心が聖(きよ)らかな人間だけに務まる職業である」と、定義をしたのではないでしょうか。
 医者が「聖職」であるならば、決して私利私欲に走らず、人の不幸である病気を我がことのように真摯に受け止めて、人間として患者と向き合わなくてはなりません。
 だからこそ「先生」という名に値するわけですが、実のところ「聖職」の名に値する医者なんぞは、世の中にあまり多くはない。
 
 医者という地位を巧みに利用して金儲けに走ったり、脱税をして長者番付に名前が載ったり。なんだか本末転倒な医者が少なくないのは、みなさんご承知の通りです。
 そう考えると、みなさんの医者に対する考え方が、少しは修正できると思うのです。
 長いこと日本人は「医者は聖職」と一面的に思いがちでしたが、もともとその発想は医者と患者さん、はたしてどちら側から出てきたものなのでしょうか?
 患者さんがいつも医者を偉い人だと崇めてばかりいては、「医者はなぜ聖職なのか」という原点が、いつまでも見えてきません。
 患者さんのなかには「体のことは医者任せ」というタイプの人もいるでしょうが、それでは、自分の体に対する責任を医者に譲り渡したも同然なのです。
 また病院は、必ずしも信頼に足るところだとは限りません。
 病院へ行くと、他の患者さんから病気をもらってしまい、医者からいらない病名をもらい、薬をもらい、さらにお金まで取られてしまう。それではいったい、なんのために病院へ行ったのか分からなくなってきます。
 病気を治したくて病院に行ったというのに、「いつになったら治りますか?」などとは、なかなか医者に聞くことはできません。
 医者も黙して語らずで、結局患者さんはエンドレスで医者通いをすることになるわけです。
 病院に通うことだけで安心しきっているような患者さんたちを見るにつけ、私はいつも首をひねっています。本当にそれでいいのでしょうか。

●患者さんは行列のできる病院に集まる
 世の中の患者さんたちは、なぜ流行っている大病院へ行きたがるのでしょうか?
 待合室で長々と待たされ、診療室では医者に邪険にされ、診断結果を説明してもくれない病院に、どうして群がるように集まるのか。やはり、“寄らば大樹の陰”という安心感なのでしょうか。その大樹とは患者さんたちの幻想でしかないのですが。
 それでもなお、患者さんたちは憧れて大病院へ行く。そこでは人間的な扱いはされずに、裸にされてモルモットのようにたくさんの人に見られるのに、まだ信頼に足る病院だと信じているのです。
 ひとつ検査するにも一週間から十日ほど要し、結果を聞くのにもまた時間がかかる。すると早期の癌を調べに行った患者さんでも、結果を聞くまでに一、二ヵ月かかってしまうという矛盾を、どうして何とも思わないのでしょうか。

 患者さんたちには、流行って行列ができている病院を見たら、「はたしてここでは、病気が治っているのか」ということを少し考えていただきたいと思うのです。
 患者さんが誰も治っていないから、いつまでたっても満員ということはないでしょうか。患者さんがたとえ死にそうでも、大学病院は「一ヵ月後に来なさい」と、平気で言う場合があります。
 専門外でひとつ違うと、他の科に回されてまた半日かかる。かといって個人病院に鞍替えしようにも、どの診療所がいいかは行ってみるまで分からない。そこで結局「安心できるのは大学病院」という根拠のない悪循環になってしまうのです。
 個人病院の選び方にしても、元大学教授のところに患者さんは集まっていく。つまり患者さんにとっては、医者が有名であることがひとつの価値基準であるわけで、それは夕食を食べるレストランを決めるのに、おいしいかどうかではなく、行列ができるかどうかで決める人たちが多い現実とたいへんよく似ていると思います。

●どの病院にかかるかは運次第?
 どの病院で診てもらうか。
 それは運としか言いようがないことがままあります。
 たとえば救急車で運ばれる場合。脳梗塞で倒れた患者さんが脳外科のない病院に運ばれたり、心臓の手術をすれば助かる人でも心臓外科のない病院に運ばれれば、手遅れになってしまいます。
 しかし救急車というものは、患者さんを一度病院に入れてしまったら、他の病院へ転送するなどということはしません。救急隊員は患者を搬送したらそれで仕事が終わりで帰ってしまう。
 病院の選択が果たして正しかったのかどうかの反省は、医者たちと同様、救急隊員の間でもあまり行われないのです。
 では救急隊員が病名をしっかり把握できていればいいのかというと、そうではない。今度は、なわばりの問題が行く手を阻みます。病気の専門が担当地区を超えた病院にしかない場合でも、救急車のテリトリーが違うということで、地区を越えて患者を搬送することができにくいのです。
 まさに救急車に乗るのも“命がけ”。救急車を呼んで乗ってしまえば、患者の家族は「助かった」と思うことでしょう。しかし実は、決して安心はできません。
 たった何分かの違いで生命が左右されることがある。“生”と同じように、“死”もまた運命の采配ひとつで決まります。ですから私たちは、そうした人間の生命をめぐる摂理を踏まえた上で、普段から自分の健康に気を配り、起こるべきことをいつも予測しておくことが大切だと思うのです。
 病院や救急車に依存するばかりではなく、自分の体は自分で責任をとるという思いで過ごさなくては、人生をまっとうできないのではないでしょうか。情報を鵜呑みにしては危ない、ということなのです。

 たとえば病院で薬をもらっても、よく調べてみると違う薬かもしれません。また病院でもらった病名が正しいのかどうか。私たちはいつも、すべてのことにほんの少しだけ“疑いの視線”を投げかける習慣をつけるべきだと思います。
 病院で癌と告知されたのに、民間療法を試してみたら、「奇跡的に完治した」と喜ぶ人がいますが、それも病気そのものが本当に癌だったのかどうか、怪しい場合があります。
「癌の疑いがあるので、カメラで撮ってみましょう。」

 病院では、だいたいそんなふうに告げられます。すると「癌」という言葉を聞いたところで「自分は余命いくばくもないのではないか」と、怖がってしまう患者さんが出てきます。実は一般に「癌の疑いがある」ということでカメラを撮った人の80%以上は癌ではないものなのですが、怖がる患者さんは検査も受けずに「自分は癌だ」と思い込んでしまうわけです。
 そう思い込んでしまった人は、癌を治すためにいろいろな療法を試します。別の病院に行くと、当然本当は癌ではありませんから「癌ではない」と言われるわけです。するともう有頂天。「癌が治った」と吹聴して歩き、“奇跡の物語”が誕生します。そういう話が、世の中には数多くあるのです。
 いつも健康について自己管理を心掛けていたなら、そんなに慌てることもなく、もう少し平穏な人生であろうにと思わずにはいられません。

●もし花が散ることが病気ならば、あらかじめ散ることがプログラムされている目の前の花はすでに病気なのです
 毎年、花が咲いてそして散っていきます。まわりの自然は常に変化していますが、それを病気と思う人はいません。
 私たちが年齢を重ねていけば、当然「老化」します。そしてそれにともなって出てくるいろいろな状態を病気として捉え、成人病と呼びます。しかし、花は咲いたら散るものなのです。もし花が散ることが病気ならば、あらかじめ散ることをプログラムされている目の前に咲いている花は、すでに病気なのです。
 誰でも花が散っていくのを見れば、少しは寂しいと思います。しかし、冬に花も葉も散って幹だけになっている桜の木を見て、もう終わりだと考える人はいません。なのに、自分に関しては、生まれてきて、散ってしまったら、それで終わりだと考えるのです。人間は誰でも生まれてきたときに、すでに「死」はプログラムされているものなのですから、このような考え方では、あまりに救いがありません。

 私はときどき、「諦める」ということについて考えることがあります。人は諦めると、「明らかに」見えるようになり、そのときから本当にモノが見えるようになるものです。そうすると、執着がなくなります。まだ諦めていないうちは、執着があるから、モノが見えてきません。
 患者さんも、
「先生早く病気を治してください」
と言いながら、その病気に執着していて、なかなか手放そうとしないものです。だから病気の姿は見えてきません。誰でも、病気につかまったと思っていますが、本当は患者さん自身のほうが病気をつかまえてしまったのに違いありません。
 みなさんは、好きで病気になったわけではない、と思っていますが、もしかしたら本当は病気以外にやることがなかった、あるいは病気になることで何らかの恩恵を受けていることだってあり得るのです。
 まず、そのことに気づかなければ、人は自分の健康というものを意識することもありませんし、病気を治すこともできません。
 私は、人というものは失ったものだけを手に入れることができるのではないか、と思っています。たとえば脚を失ったときに、初めて人はそれまで自分に脚があったことに気づきます。
 「この指さえ動けば」と言う人は、指が動いていたときにそのことを考えたことはないのです。そしてその人は、まだそれ以外の指が全部ちゃんと動くことには、まったく考えがいっていないのです。別離や死によって人を失ったときも同じです。その人を失ってはじめてその存在の大きさに気がつきます。

 なぜ人は失う前に、その存在に気がつくことができないのでしょうか。それができたらいま自分が存在していることが、それだけでどんなに幸せなことか気づくはずです。神さまからの最高のプレゼントというのは、健康であることでも、名誉やお金があることでもなく、いまここにあなたが存在していることなのだ、と気づくはずです。
 周囲には呼吸する空気だけでなく、何もかもすべてが満たされています。そのうえにまだ欲しいものがあれば、それを手に入れようとするのもいいし、手に入れれば嬉しいでしょう。しかし、あなたはあらかじめ最高の幸せを手に入れている、ということを忘れないでください。もし求めたものがうまく手に入らなかったといって、ストレスを自分のなかに作ってしまったら、最高のプレゼントであるあなた自身という存在を損なう病気を呼び込んでしまうのです。
 「諸行無常」という言葉があります。すべてのものは絶えず流れ変化しています。病気もその変化のうちのひとつなのです。花が咲き、花が散る、季節が移っていくのと同じことなのです。自分の病気をそのように受け入れ、執着を断つことができれば、それを越えていくことができるのです。

●寿命は神様と約束した自分の「持ち時間」のようなもの、とも言えるのではないでしょうか
 あらゆる治療法を尽くしても亡くなってしまう人がいる一方で、それほど治療をしなくても回復する人もいる。だとしたら、これはあくまで譬(たと)えなのですが、寿命は医療とは別次元の、生まれてくるときに神様と約束した自分の「持ち時間」のようなもの、とも言えるのではないでしょうか。
 人によってその「持ち時間」はまちまちです。それが一年の人もいれば、百年の人もいます。しかし、その寿命=「持ち時間」は各自が神様と約束した長さなのですから、それを無理に延ばしたり縮めたりはできないし、他人と比べて自分のは長い、短いと言うようなものでもないのです。人は皆、そのもらった時間を生きていくしかないのです。
 ということは、生まれてからずっとICUの中で暮らして1歳で亡くなっていく子供たちでも、その一年を精一杯生きたのなら、百年の人生を生きてきた人がその子を「かわいそう」と同情する必要はないということなのです。どちらも自分の「持ち時間」を100%、精一杯生きたという点では変わりはないのですから。
 大切なのはその「持ち時間」が長いか短いかではなく、一人ひとりがその「持ち時間」をいかに使うか、ということなのです。
 こういった考えを出発点として、いままで私はベストセラーとなった『快癒力』をはじめ数十冊の本を書いてきました。はじめにお話しした私の病院を訪ねてくる大勢の患者さんたちというのは、たいていその家族の方が私の著書を読んで「この先生に診てもらえ」ということで連れて来られた人たちです。
 患者さん本人が私の本を読んで来た、という例はあまりありません。ですから、自分の病気とどう向き合おうか、どのようにその病気を捉えたらいいのか、ということを考えようとはせずに、ひたすら病気から逃げたい、言い換えるなら病気になった自分自身から逃げたいと考えている患者さんがほとんどです。いきおい、そういった人たちが私に相談する内容は、手術をしないほうがいいのかとか、抗ガン剤を使ったほうがいいのか、といったものになってしまいます。そこで私はこう会話を切り出してみます。
「あなたは寿命というものが、何なのか知っていますか?」
 ほとんどの人は、知っている、と答えます。その人は八十数歳という平均寿命のことを言っているのです。つぎに私は、
「では、いま死ぬとしたら、どう思いますか」
と聞いてみます。
「それじゃもったいないです。まだ寿命が来てないんですから。」

 たしかに、そう言う気持ちも分からないではないのですが、その人の言う「寿命」というのはあくまで「平均寿命」のことであって、その人自身の「寿命」のことではない、ということには気づいていないのです。そこで私は、その人が何を信じているのか聞いてみます。人間というものは、神様か仏様か自然、この三つのうちどれか一つは信じているものです。
「ならば、こう考えたらどうでしょう。神様でも仏様でも自然でもいいのですが、あなたはその神様なら神様に命というものをもらって生まれてくるのです。命のある間は生きています。その生きている間を寿命と呼ぶのです。
 そうするとあなたが明日手術をして右の腎臓が悪いのにまちがって左の腎臓を摘出されてしまったとしても、寿命があるのなら死にません。もし寿命がないのなら手術が完璧に成功しても死んでしまいます。
 寿命というものは手術をしようと抗ガン剤を飲もうと、どんなコトをしても変わりません。自分の寿命が、いつまであるのかということを知りようがないんだかったら、いまあなたのやりたいこと、できることを精一杯やったらどうですか。」
 その人の余命があと半年なのか30年あるのかは、医師にも分かりません。ただ、その残された時間を、自分を見失ったまま怯えて過ごすか、やりたいことを思い切りやって過ごすかで、その人の人生の意味が天と地ほどに違ってくることだけは、たしかです。

●自分でできることだけを考え、実行していればストレスなどと無縁で生きていけるのです
 人間というものは、良いか悪いかではなく、自分にとって必要であるかないかで、行動するものです。ですから私が本を書くときにも、読者の方たちにとって良いか悪いかではなく、いまその人が何を必要とし、実行できるのかという視点で筆を進めるように心掛けています。
 人はしばしば、自分に実行できないことを思い描いて、その実行できないことで自分を正当化しようとします。あらかじめ自分にできることをはるかに超える範囲のことを想定しておいて、どうにもできない自分を見て「自分はダメな奴だ」と考えるわけです。これが自分以外のこと、たとえば家族、友人、あるいは世の中に向けられると、「あいつはダメな奴だ」とか「世の中が悪いんだ」という刺々しい非難になります。
 最初から自分の力ではどうしようもないこと、コントロールできないことを考えているのですから、そうなって当然なのですが、これではストレスを生み出すばかりです。こんなことに人生を費やすのはもったいないと思いませんか。
 これはサバイバルモードによって自分にできること、「本来の自分」を見失ってしまっているから、起きることなのです。私は自分で実行できることだけを、計画するようにしています。もし、それでもうまくいかなくても、それはそれでいいのです。
 人間は、自分でできることだけを考え、実行していればストレスなどと無縁で生きていけるのです。自分でできること、コントロールできることを考え、いまを夢中で生きる、本当は人間にできるのはこれしかないのです。

 患者さんのなかには、遠大な計画について、
「でも、自分の死期はいついつですから、生きているうちには実現できません」
などと滔々(とうとう)と話す人がいます。遠大な計画のどこが偉いというのでしょうか。私なら、たとえ自分きょう死ぬとしても、自分にできることをやれれば満足して死ねます。
「きょうは何をしていたの?」
「窓のガラスが曇っていたから、磨いていたんだ。」
 これで良いのではないでしょうか。自分で自分を好きであれば、ストレスなど生まれるはずがないのです。よく、誰でも人間は自分のことが好きだ、と言いますが、それはとんでもない嘘です。なぜならば、人間にとって自分自身ほど怖い存在はないのです。もし、人に非難されても、自分に対して言い訳をすることができます。しかし、自分で自分を責めるようになると、逃げ場がまったくないからです。

 ここにいじめっ子がいるとしましょう。いじめっ子も、いじめられっ子も、家に帰ると「自分はダメな奴だ」と自分をいじめているはずです。他人にしたことは、自分にもしているからです。他人を殴る子は、必ず自分のことも心の中で殴っているのです。
 そんなことになるぐらいだったら、もっと自分のやりたいことを計画し、それを実行して自分を好きになったほうが良いのではないでしょうか。ただし、計画しても実行するために頑張ってはいけません。頑張る、というのは自分の範囲の外まで無理に行こうとすることです。ここで大切なのは、結果として実現したことが、「本当の自分」が欲していたことだ、と知ることです。
 向上心とか、克己心というのは、見方を変えれば自己否定です。サバイバルモードに引きずられて、「もっと良いほうに、もっと、もっと」という考え方は、むしろ向上欲、克己欲といったほうが正しいのではないかと思ってしまいます。「本当の自分」に出会うというのは、まず自分のできたことを認めることからはじまるのです。
 最近では本屋に行くと、「プラス思考」と銘打ったコーナーがあって、大量の本が並べられています。それだけプラス思考の本は売れるということなのでしょう。その一冊一冊には良い内容の本もあるのでしょうが、こんなに人々がプラス思考、プラス思考と求めているのを見ると、まるで強迫観念に追い立てられているように見えてしまいます。
 私に言わせれば、人間にはもともとプラス思考もマイナス思考も必要ないのです。レット・イット・ゴー(Let it go)で行くに任せ、成るに任せ、それを自然に受け入れるだけで良いのです。

(※以上の文章は、約20年前から私が著書などで語ってきた内容を纏めたものですが、いまも私の気持ちはこれらの内容と何ら変わっておりません。)

Profile: 篠原 佳年(しのはら よしとし)

篠原 佳年さん
医療法人わいわいクリニック理事長、医学博士。
1950年大分県生まれ。
岡山大学医学部大学院卒業後、岡山大学部第三内科を経て1991年(平成3年)しのはら医院を開設後2002年(平成14年)に、医療法人わいわいクリニックと改称。現在、理事長として膠原病(主に関節リウマチ)及びアトピー性皮膚炎を中心に治療を行う傍ら、聴覚・栄養療法による様々な病気や障害を治す研究にもとづき、患者が参加する医療を提案。また人間としての気づきやコミュニケーション改善のための講演やセミナーなどの活躍を展開している。
★医療法人わいわいクリニックHP: http://wai-wai-c.com/

【著書】
『リウマチが治ったA』(知玄舎)
『病気を治すのはあなた自身』(日新報道)『快癒力』(サンマーク出版)『治癒力創造』(主婦の友社)『完治力』(中経出版)
『治る人』(青龍社)『生死同源』(幻冬舎)『絶対成功力』(マガジンハウス)『人生50歳脱皮論』(講談社)
『あなたには快癒力がある』(幻冬舎)『いつでも、今がいちばん幸福』(竹内書店新社)
『ファンタジック・ゴルフ』(コボリ出版)『幸福力』(PHP研究所)『魔法のくすり箱』(コボリ出版)
『意識の扉をあけて』(七賢出版)『アトピーが治るって…ホント!?』(知玄舎)
『アトピー最新医療』(知玄舎)『サバイバルモードから抜け出す方法』(ビジネス社)『奇跡の「聴覚セラピー」』(PHP研究所)
『モーツァルト療法』(マガジンハウス)『聴覚脳』(きこ書房)『絶対モーツァルト法』(マガジンハウス)『不眠が治る「魔法の音」CDブック』(マキノ出版)
『愛のモーツァルト療法』(マガジンハウス)『音の子育て』(知玄舎)『幸せのきっかけはみんな“耳”から入ってくる!』(青春出版社)
『こころとからだのモーツァルトセラピー』(知玄舎)『奇跡の音、英語聴覚セラピー』(きこ書房)
『笑えるほどすぐに英語が聴き取れる!聴覚セラピ』ー(きこ書房)『ザ・フナイ』2008年6月号
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2015.09.10:Enex商品総仕上げ(ナノ) (大畠 昌幸(おおはた まさゆき))
2015.08.10:舩井幸雄先生との出逢い (大畠 昌幸(おおはた まさゆき))
2015.07.10:天然鉱石をEnex特殊加工 (大畠 昌幸(おおはた まさゆき))
2015.06.10:大いなる自己が言う「現在の地球の現状」 (天野 聖子(あまの せいこ))
2015.05.10:大いなる自己との対話で学んだこと (天野 聖子(あまの せいこ))
2015.04.10:本物を求めて… (天野 聖子(あまの せいこ))
2015.03.10:“本物”のテンポは人生を変える (片岡 由季(かたおか ゆき))
2015.02.10:“本物”を創りだすテンポ (片岡 由季(かたおか ゆき))
2015.01.10:本物だけが持つテンポ (片岡 由季(かたおか ゆき))
2014.12.10:つながりを知る (政木 和也(まさき かずや))
2014.11.10:明日を知る (政木 和也(まさき かずや))
2014.10.10:自分を知る (政木 和也(まさき かずや))
2014.09.10:人生を支えてくれた、思い、知恵、感情、夢。 (近藤 和子(こんどう かずこ))
2014.08.10:元気な体づくりは、電気信号から (近藤 和子(こんどう かずこ))
2014.07.10:サクラが科学の常識を変えた (近藤 和子(こんどう かずこ))
2014.06.10:ダイエットの新常識と、脳の活性化で人生は充実したものとなる (龍見 昇(たつみ のぼる))
2014.05.10:体が若返ると病気は自然に治る。 (龍見 昇(たつみ のぼる))
2014.04.10:細胞を元気にすれば、体のトラブルの9割は改善する (龍見 昇(たつみ のぼる))
2014.03.10:徒然物語 シメククリの一話 (岡田 多母(おかだ たも))
2014.02.10:徒然物語 ツヅキの一話 (岡田 多母(おかだ たも))
2014.01.10:徒然物語 ハジメの一話 (岡田 多母(おかだ たも))
2013.12.10:カルシウム不足解消こそ健康への近道 (鹿本 剛(しかもと つよし))
2013.11.10:カルシウムは食べるように摂るのが理想 (鹿本 剛(しかもと つよし))
2013.10.10:2500万年前から現代人への贈り物 〜真空カルシウム〜 (鹿本 剛(しかもと つよし))
2013.09.10:カリカから、本物を学ぶ 〜本物を知ることで、人は・・・正直になれる (今尾 充子(いまお みつこ))
2013.08.10:科学的根拠を追求することで、“本物”とは何かを知る (今尾 充子(いまお みつこ))
2013.07.10:野性のパパイアから、本物を知る (今尾 充子(いまお みつこ))
2013.06.10:綾からの発信 〜その3 母としての一筋の道〜 (郷田 美紀子(ごうだ みきこ))
2013.05.10:綾からの発信 〜その2 本ものへの道のり〜 (郷田 美紀子(ごうだ みきこ))
2013.04.10:綾からの発信 〜その1 本ものの定義〜 (郷田 美紀子(ごうだ みきこ))
2013.03.10:世界経済はなぜ不安定化したのか (力石 幸一(ちからいし こういち))
2013.02.10:500年のサイクルで世界を見てみる (力石 幸一(ちからいし こういち))
2013.01.10:情報とメディアの切っても切れない関係 (力石 幸一(ちからいし こういち))
2012.12.10:地球生態系の循環を考慮した新しい社会構想を考える (木内 鶴彦(きうち つるひこ))
2012.11.10:現在の社会構造 (木内 鶴彦(きうち つるひこ))
2012.10.10:地球生態系の中の人類 (木内 鶴彦(きうち つるひこ))
2012.09.10:触ればわかる ― 触診 (森 美智代(もり みちよ))
2012.08.10:スピリチュアル気功 (森 美智代(もり みちよ))
2012.07.10:少食は世界を1つに、地球を天国にする (森 美智代(もり みちよ))
2012.06.10:すべては心のウチに (近藤 洋一(こんどう よういち))
2012.05.10:体の中の森 (近藤 洋一(こんどう よういち))
2012.04.10:森林王国への道 (近藤 洋一(こんどう よういち))
2012.03.10:日本が誇る「メタマテリアル」技術! (清水 美裕(しみず よしひろ))
2012.02.10:過去は変わると知っていますか? (清水 美裕(しみず よしひろ))
2012.01.10:22世紀へ続く科学を求めて (清水 美裕(しみず よしひろ))
2011.12.10:医療における死生観 (池川 明(いけがわ あきら))
2011.11.10:胎内記憶 (池川 明(いけがわ あきら))
2011.10.10:赤ちゃんと会話しながらお産する(池川 明(いけがわ あきら))
2011.09.16:念ずれば花ひらく 〜「花ひらくまで念ずる」〜(平良 和枝(たいら かずえ))
2011.08.12:外と内の世界をつなぐ大切な“お口”〜KAZUデンタルのお口の中は小宇宙〜(平良 和枝(たいら かずえ))
2011.07.10:〜はじめまして〜(平良 和枝(たいら かずえ))
2011.06.10 :EMによる原子力発電所における高濃度放射能汚染対策と使用済燃料の高度利用の可能性について
〜放射能対策に関するEM(有用微生物群)の可能性B〜(比嘉 照夫(ひが てるお))

2011.05.10:EMによる地域全体の放射能汚染対策
〜放射能対策に関するEM(有用微生物群)の可能性A〜(比嘉 照夫(ひが てるお))

2011.04.11:EMによる被曝対策
〜放射能対策に関するEM(有用微生物群)の可能性〜(比嘉 照夫(ひが てるお))

2011.03.10:発明と愛は脳が喜ぶ(矢山 利彦(ややま としひこ))
2011.02.10:船井理論は頭をよくする(矢山 利彦(ややま としひこ))
2011.01.01:脳、気功、武道、クオンタムシフト(矢山 利彦(ややま としひこ))
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