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船井幸雄注目の “本物”に携わる人たち

このページでは、舩井幸雄が注目していた、医療、経営、農業、未来予測、占星術などあらゆる分野で活躍する“本物”と言っていい方々を紹介します。それぞれの方に毎月1回、3回ずつコラムを書いていただき、順番にいろいろな方を紹介させていただきます。

2017.06.10(第78回)
★今回の執筆者★
アイ・ケイ・ケイ株式会社 代表取締役
伊藤 好則さん(3回目・最終回)
(伊藤さんの詳しいプロフィールはページ下にあります。)
贅沢と、三つのない

 私の人生で一番の贅沢は、健康で長生きすることです。
 まずは心も、身体もストレスのないことが大切だと思います。
 それには、三つのない、と、快適な睡眠が最良の薬です。

●「木造都市の夜明け」
 私が、今の環境にあるのは、45年前、電気工事業として独立して3年目の1972年5月、118名の死者を出した大阪千日前デパートの火災事故の日が始まりでした。
 火災の原因が電気工事会社の現場監督のタバコの火の不始末であることを知りました。
 必死な思いをして独立、3ヶ月後には自動車事故がありました。これを乗り越えて何とか見通しがついてきた頃に起きた火災事故です。一本のタバコの火の不始末で大勢の命が奪われた、もしも自分の会社だったらと思うとショックは大きかった。社員の皆に現場でタバコを吸うなと言いたいところですが、自分が吸っていては言えません。しかも、休憩の合図が「いっぷくしようか」の業界です。
 火災のあったその日から禁煙に挑戦するが幾度も失敗、成功したと思えるまでには5年も費やしました。36歳のときです。職場の環境もありましたが、ニコチン依存との苦しい戦いでした。しかしまだ確信がもてず、断煙に自信が持てたのは5年後の1982年。 この年から喫煙しない社員に5千円の非喫煙手当ての支給を開始、半数以上の喫煙者に対して禁煙を勧める目的で始めた手当てです、しかし殆ど成果はありませんでした。
 その頃より高校の学卒求人を開始、求人の書類には喫煙者の応募を断ることを記入していていましたが入社したその年に喫煙が原因で退社する子が続きました。小さな企業がやっとの思いで迎えた新卒社員です、心が折れそうになったことは幾度もありました。職場の安全、社員の健康問題より経済を優先していたら、間違いなく挫折していました。

 困惑していた時『たばこ問題情報センター』の存在を知りました。代表の渡辺文学氏に再三来ていただき、世界のタバコ事情、喫煙の害について、正しい情報を全社員で勉強しました。非喫煙手当てを開始して9年後、全社員(20名)非喫煙の会社が実現、非喫煙手当てを1万円にして、全員に給付する日を迎えた時は、感無量でした。真実の情報が最大の効果を生むことを実感しました。ラストの断煙者は義弟の専務でした、しかし彼は断煙して7年後に肺癌が見つかり、その2年後に54歳の若さでこの世を去りました。未成年者の社員以外には禁煙を強制しなかったことが悔やまれました。

 そのころより全社員非喫煙の会社として、NHKをはじめテレビ、新聞、雑誌などで頻繁に紹介されました。求人活動で伺う高校だけでなく中学校からの講演依頼も多くなりました。
 高・中・小の喫煙経験者が7・5・3と言われていた時代です。講演では言葉は生徒に、心は先生に向けて話しました。学校関係者には敷地内での禁煙を要望しました。
 1993年埼玉県の大宮市(当時)で開催された、第3回アジア太平洋たばこ対策会議において、『人財育成と職場の禁煙効果』と題して、企業側の喫煙者のコストと社員における禁煙の経済効果について実例をあげて発表しました。日本人は数字に強い、だから、数字に弱い、数字で示すと納得します。そのときの数字はその後も各メディアで頻繁に使われました。
 TBSテレビの朝の報道番組で、私が出した喫煙者と非喫煙者の欠勤や遅刻等を比較した数字が紹介され、ある労働組合員20万人のデータとほぼ同じだったことが報じられました。

 社員の喫煙問題で苦労しなければ『たばこ問題情報センター』の門を叩いたかどうか疑問です。そこで船瀬俊介氏との出会いがありました、人生、何が幸いするか分かりません。
 『たばこ問題情報センター』の会合で船瀬氏と顔を合わせること、話す機会も多くなり意気投合、互いの講演会や取材に行動を共にすることが多くなりました。
 ところが、2000年の5月、船瀬氏の長女が医療過誤で悲しい出来事が起きました。そのときから、船瀬氏のマネージャーを買って出ることに、全国くまなく彼に同行しました。
 そんな中、運命を変える電話がありました。『コンクリート住宅は9年早死にする』(リヨン社)を読んだ、株式会社シェルター木村一義社長から著者に会いたいとの電話でした。その頃、業者関係者から船瀬氏に会いたいとの連絡があっ場合、ほとんどはお断りしていましたが、この電話の主には、会わなければいけないと不思議な思いがしました。
 2002年12月26日新宿の喫茶店で、船瀬氏には少し離れた席に待機してもらい、私たちは名刺交換、その直後の木村社長のひと言は今でも鮮明に覚えています。「私はこれまでに人を裏切ったことはありません、これからも裏切りません、だから付き合ってください」こんな言葉を堂々と言える経営者が日本中に何人居るでしょうか、直ぐに船瀬氏を紹介しました。木村氏のこれからの建築は、鉄やコンクリートの土俵に対して『木の土俵づくり』が大切だとの説には感銘を受けました。このとき、日本の木を活かすためには、この人に賭けよう、この人が開発したKES構法に賭けようと思いました。

 翌年の5月、『コンクリート住宅は9年早死にする』で紹介した岩手県浄法寺町(当時)の庁舎を始め、遠野市の製材工場、(株)シェルター本社の木造ビル。寒河江町のKES構法第一号の建物、山形市内のKES構法で建てた素晴らしい保育園や幼稚園などを見学しました。その時の取材は翌年に発刊した、『木造革命』船瀬俊介著(リヨン社)で紹介されました。

 しかし、私たちが応援する相手が企業では困る。そこで発足したのが次世代木質建築協議会(NEWCA)でした。また、使用する木材については国産材を要望しました。当時使用していた木材の7〜8割が輸入材の状況での切り替えはかなりきつかったことですが、これで、各地での講演会など全面的に対応することができました。
 その頃は、私が、木材乾燥機を製作することなどは考えてもいません。出会いから12年後、日本初のKES構法による木造4階建、しかも、防火地域において外壁にも杉板を張り、木を使えるところは全て木を使った建てものを建築することなど、全く思案の外でした。
 ただ、私は1992年、93年に九州で見た杉の風倒木の景色が頭から離れませんでした。(株)シェルターへ伺った翌年2004年の春、ふとした思いつきから木材乾燥装置の開発を始めました。その装置は全て木を使うことを考えて試作機を作りました。木で木材の乾燥機を作ることは誰も考えなかったことです。構造体も木を使いKES構法で作る、木村社長との出会いがなければ思いつかなかったことです。乾燥装置の製作に取り掛かって4ヶ月ほどで、扉以外は全て木を使った日本で、世界で初めての木製木材乾燥装置が産まれました。この装置に『愛工房』と名付けました。

 『愛工房』が完成し、試験乾燥を始めて直ぐの2004年8月、札幌で開催された日本木材学会大会に乾燥した杉板を展示、発表しました。取材に来ていた、業界の月刊誌『ウッドミック』の関係者の目に留まり、編集長の高島太加夫氏との交流が始まりました。船瀬氏、木村氏、高島氏と私、これで柱が4本になりました。『ウッドミック』の誌面では2005年の始めに『愛工房』を紹介していただき、夏には第1号機を設置した東京都森林組合について、関連記事と合わせて18ページにわたって紹介されました。高島氏はその後も『愛工房』の設置先全てに出向いて取材、『ウッドミック』の誌面で紹介してくれました。
 また、構造材、仕上げ材の全てを『愛工房』で乾燥した木材を使用した新築住宅も紹介していただきましたが、そのことで業界の関係者から相当な抗議や圧力があったと聞きました。当然経営面にも響いたことでしょう。
 高島氏と出会って直ぐに私は「当社は、何処へも広告は出しません、貴誌へも同じです。それでよければ宜しくお願いします」と申し入れました。出会ったとき、高島氏72歳、私は63歳でした。高島氏が78歳で第1線を退く際、これまでに名刺交換した人だけでも数千人、その中のひとりを取りあげて書くとすると、伊藤好則と言われたときは驚きと恐縮の極みでした。
 2007年9月号では『本誌は提唱する、そのテーマが《木造都市の夜明け》なのは何故か」』と題し、『木造都市』構想は日本人初の特異な思い入れによって誕生した――と紹介、そこには、船瀬氏と私の写真。次のページには、木村氏の講演中の写真が載っていました。
 あのころから10年、今年1月発刊の拙著『木造都市の夜明け』の中で木村氏と私の特別対談、『業界の常識を打ち破る風雲児が起こす《木造革命元年》』を紹介しました。

◆第3章 地球と命  ウッドファーストの時代へ
地球の命

 森林の命が全ての命の源であることは明らかです。全てのものごとは命に良いか悪いかを基準にして決めるべきです。特に森林問題は間違えると大変なものを残します。
 子どもたちに30年、50年先に何を残すのか、目の前の経済を優先することでものごとを選択していては自分たちの命も、大切な子供たちの命も守ることができません。
 自然破壊をしてまでもつくる、自然エネルギーを掲げた森林破壊が各地で起きています。森林を破壊することで将来起こる代償は計り知れないものになるでしょう、既に『新公害』として各地で問題が起きています。また、ソーラーパネルに使用されている有害物質の対策、廃棄後の始末も明確にされていないようです。
 ものごとを進めるには、両刃の刃があることを見落としては取り返しのつかない方向へ走り出している場合があります。立ち止まる勇気を持って、大局からものを見るべきです。
 その際、忘れていけないのは、儲かるか、どうかではなく、今の、将来の、命に良いか悪いかを基準にすべきです。命とは、人の命、地球の命、木の命です。
 対策を急がないと、50年前の拡大造林において植えるべき所でない場所にまで杉の苗を植えて土砂崩れを起こした公害、それよりも、もっと悪い結果が起こることでしょう。

●奥山からの悲鳴
 熊本地震が発生して、3ヶ月後、被災地を友人に案内してもらいました。自然の驚異に驚くばかりでした。各地で山崩れが起きていました。がその中で、気になることに出会いました。県道から細い脇道へ入る道路際に洒落た小屋根のついた看板が目に入りました。その奥にある建物の案内看板でした。旧家を改装したお蕎麦屋さんで営業を始めてほんの数か月だったが評判のお店だと教えてくれました。
 細い道を先に進むと左側にはしっかりとした2階建ての建物があり、そこを進むと同じ左側の進入路の先にある農家、その農家の母屋の向かい側の納屋の天井は車が支えていました。その先は少し登り坂の道になっていて昨日の雨の名残で道路の一部が小さな川になっていました。その右先にある裏山を抱えた農家の建物の前から斜め上の方に目をやるがうっそうとした緑に阻まれて先が見えません。
 裏山を見て私は、木が、山が、この地域をガードしているように見えたので、「ここは大丈夫でしょう」と大きな声で言うと、案内した彼から意外な言葉が返ってきました。ここからは見えないが、このずっと先にある杉山が崩れる恐れがあるのでこの地域は集団移転の計画があることを聞いている、と。
 ここに住んでいた先祖の人たちは、裏山を大切にして、木々たちと共生してきたことと思います。奥の方の山に崩壊の危険がなければ、お蕎麦屋さんの再開、途中の確りした2階建てでの暮らし、農家の人たちも先祖から引き継いできた住み慣れた家の再建、この土地での生活に戻れるのではと思いました。この西原村で起きている問題は、全国各地、どこで起きてもおかしくないことです。
 植林した杉のために大変なことになる住民の悲鳴。植えられた杉も山も悲鳴を上げています。植林政策は、将来を考えた政策が必要でした。
 私たちが今やっていることが、50年後にどうなるのかを考えてやるべきでしょう。

●泥と岩 村のみ込む
 これは、2006年2月18日の東京新聞の記事の見出しです。災害現場から救出された女性の泥だらけの顔がビデオ映像のカラー写真で出ていました。以下はその記事です。

授業中の小学校も 違法乱伐が原因の可能性
 ごう音とともに、約三千五百人住む村が消えた。重機もなく、素手で泥を掘り返す以外に生存者を捜す手だてはない。フィリピン中部レイテ島・南レイテ州セントバーナード付近で十七日に発生した大規模地滑り。最悪で三千人が生き埋めになっているとみられる中、三十五人を助け出しただけで初日の捜索はうちきられた。
 大量の泥と岩に覆われ、壊滅状態に陥ったキンサウゴン村。地元テレビの空からの映像でも建物は見当たらず、土砂から突き出たヤシの木の先端と屋根の一部がわずかに見えるだけだ。同州のレリアス知事は米CNNテレビのインタビューに「村が消えた。悲劇だ」とうめいた。
 人々は毛布を担架代わりに、負傷者を運んでいる。泥の海から助け出された女性は、髪や顔の泥を救援隊にふいてもらってようやく目を開けた。疲れとショックで横たわったまま動けない。「家族はどこ?」。消え入りそうな声で、隊員に聞いた。
 幅やく百メートルにわたって山の斜面を削り、村をのみ込んだ黒い土砂は、授業中の小学校も押しつぶし、二百人以上の子どもの行方が分からない。捜索の現場を打ちつける雨。国軍などの救援隊は、深い泥に足を取られて思うように進めない。
 生存者は「発生時に地震を感じた」と口をそろえるが、フィリピン火山地震研究所は「マグニチュード2.6と規模が小さく、土砂崩れの原因にはなりえない」と分析する。同州では一日から十六日までに約500ミリの雨が降り、地盤が緩んでいたのが最大の原因とみられている。
 ただ、現場周辺では三十年ほど前に森林が広いエリアで伐採され、一部の専門家が降雨時の土砂災害の危険性を指摘していた。レイテ島に限らずフィリピンでは、政治家と業者が絡み合った違法伐採が横行。同島は国内でも特に貧しい地域で、住民を雇っての違法伐採が行われていた可能性もある。

 と書かれていました。
 伐採後の山は放置されたまま、伐採した殆どの木材は日本に運ばれていたそうです。

●異常気象・地球温暖化の元凶が『たばこ』にあるとは
毎日中学生新聞の記事 健康の大切さ学ぶ 伊藤さんの講演要旨

 人間にとって一番大切なのは命です。一番幸せなのは健康です。それを奪うのがたばこです。たばこの害は赤ちゃんからお年寄りまで、家庭から地球環境まであらゆる影響があります。喫煙者も70%がやめたいと願っているのです。習慣性が強くなかなかできません。
 最近の教研集会で報告されたデータでは中三男子の半数が喫煙経験しています。好奇心ではじめたことでも習慣になると怖い。発がん以外にも心臓病や壊疽(えそ)など喫煙は全身病といえるでしょう。精神的にも障害が大きいことが分かっています。外国では喫煙者だけでなく副流煙による受動喫煙を認める判決も出ています。
 フランスや中国で禁煙法が導入されたのは、大きな前進です。アメリカに行ったとき、同じツアーの女性グループの喫煙マナーに、人の家に土足で上がり込むようなものを感じ、申し訳なく思いました。私もレストランで「日本人は喫煙者」と断定した扱いを受け、腹立たしい思いをしたことがありますが、世界の先進国でたばこのテレビCMが流れているのが日本だけという事実を思うと、そんな扱いもうなずけます。
 環境への影響も深刻です。火災の原因の第二位にたばこがあげられています。意外に知られていないのが、毎年、たばこの紙の原料や葉の乾燥などのために森林250万ヘクタールが刈り取られていること。これはWHO(世界保健機関)の数字ですが、250万ヘクタールは天草全島の三十個分、九州本島の半分以上というぼう大な面積です。
 たばこは健康にも、社会にも、環境にも、少しもいいことはありません。正しい知識を得て、これからの長い人生、真の勇気を持ってたばこ病にかからないことを祈ります
(このほか、生命保険制度、職場のコスト、CM、自販機、未成年、女性を狙った戦略など多岐にわたる話を具体的な数字を交えて披露した)。
 これは、1992年4月から毎日中学生新聞に連載された『たばこって何だ?』の番外編として掲載された、天草の高校で講演した12月7日付の記事です。この連載が実現したのは、1989年東京で初めて西山中学校の同窓会を開催した際に再会した鳥井輝昭氏のお蔭です。
 その場で彼は毎日中学生新聞の編集長であることを私に告げ、タバコ問題を取りあげたいとの相談がありました。私は、『禁煙ジャーナル』の編集長、渡辺文学氏を紹介、半年間の連載予定と聞いていましたが、終了の時期になって、もう半年間続けることになり、結局1年間の連載となりました。これは、鳥井編集長の英断で1年間になったことと思います。それは、連載中に「タバコ問題を何時まで続けるのか」と新聞社に抗議があったことを聞いていましたから。『中学生新聞連載』に対してですよ。
 この1年間に連載された記事の内容は素晴らしいものでした。この情報で救われた子どもたち、先生を始め大人たちも大勢いたことと思います。渡辺文学氏、鳥井輝昭氏と毎日中学生新聞、そして西山中学校に感謝です。当時の記事は全て残していますが、25年後の現在の『たばこ情報』としても通用します、と、いうことは、悲しむべきことでもあります。
 1995年、光出版から『親と子の禁煙教育ブック これを知ったらもうタバコは吸えない』として出版されました。

●地球環境とタバコの煙
イギリスの環境問題専門誌『グリーンマガジン』1991年1月号によると

 “タバコ1本から出る煙に含まれている炭酸ガスの量は0.5グラム。1988年に世界中で消費されたタバコは5兆2千億本。約26億キロの炭酸ガスが発生したことになります。また、タバコの煙に含まれるメタンの量は炭酸ガスの約2倍ですから、52億キロのメタンが大気中に放出されたことになります。双方合わせて約80億キロ近い『温室効果』を持つ2種類のガスが放出されたことになります。さらに窒素酸化物や他の有害ガス相当物質もこれに加わっています。”この記事は29年前のデータです。その頃と現在の地球環境の変化は大変な違いがあるしょう。これから、20年後、30年後どうなるのでしょうか。今地球に生きている人達ができることをする。どうするかは、一人ひとりが考えることです。

 森林消滅250万ヘクタール、WHO(世界保健機関)の数字については日本経済新聞の「放射光」(1989年12月3日付)に掲載された渡辺文学氏の寄稿から引用しました。
 この28年間に九州の14個分以上の森林が地球上から消滅していたことになります。
 これから起こる異常気象、地球温暖化の元凶が『たばこ』にもあるとは。

●ウッドファーストの時代へ
木でできるものは木を使う。木でできないところを鉄やコンクリートを使う。これが、ウッドファーストの思想です。非常にシンプルです

 使わせたい木から使いたい木へ
 生きている木と死んだ木

 森林大国・日本の資源を活かすウッドファースト。子どもたちに命を残せます。
 シンプルだけに、簡単そうに感じるが、実行となると非常に難しい面があります。自分の身の回りを見てください。住まいに、職場に、木でできるものは溢れています。しかし、それを木に変えられますか? ただし、ほんの数十年前までは、自然からの素材を使っていました。その素材は『呼吸』をしていました。人間は呼吸する生きものです。自分の住まいに使われている素材で呼吸をしているものはどの程度ありますか、部屋の中で呼吸をしているものは、人かペットだけ、そんなことありませんか。
 業者が扱いやすい。大量生産で何時でも間に合う。価格が安い。そこには、一番大切な住む人の命の価格は入っていません。何のための住まいですか、職場で命を縮めても良いのですか、一人一人が立ち止まって考える時です。
 ただし、身の回りに、効率優先、経済優先のために、高温で乾燥した死んだ木や合板、新建材と称する木では、本末転倒です。木にも命があります。人間より優れた命です。
 地球に住むいきもので一番優れている生きものは『木』です。人間は知能力が優れているが、木の能力には遠く及びません。能力とは生命力です。木は何百年も生きています。木は建物に使われた後も呼吸し生き続けます。
 稼働温度45℃の『愛工房』で乾燥した木材は、酵素を損ないません。呼吸し続け、部屋の空気を変え、住まいの中では森林浴です。特に杉の床板は人の体温を奪いません。

●コンクリート材の砂利が枯渇している
一夜にして裏山が消えた。グランドキャニオン状態に

 2016年9月、テレビに釘付になりました。夜中に凄い音と揺れがあって眠れずに、朝起きて見たら家の裏山が消えて、山があった家の裏は谷底30メートルの崖に。覗き込んだ奥さんはふらふらとめまいがしたと。代々受け継いだ裏山の一部を含む土地が一夜にして消え、家が傾いたので引っ越した70歳代のご夫婦、平和な老夫婦の暮らしが一変しました。
 これは、愛知県豊田市で起きた出来事です。こうなる前に、近隣の住民が危険を感じて何度も県へ訴えました。県の砂防課の担当者は、法に基いて(中止)命令を出しても作業を続行している状況でした、防災工事を行うとして県には申請していたが、安全を守るどころかコンクリート材料の砂利を出すために山林を次々に切り崩した、その面積は東京ドーム4個分。業者2人が砂利採取法違反の逮捕でようやく工事が止まった、が、その罰金の額に驚きました。罰金10万円。掘り出した砂利の額は8億円以上。
 違法採掘は全国で起きていることで、宮城県では農地5千uが勝手に掘られていた。奈良県では茶畑の裏が非常に危険な場所まで掘削されている映像が出ていました。
 なぜ違法採掘が後を絶たないのか、30年以上東海地方で砂利採取の現場で働いていた人が匿名を条件にインタビューに応じた話では、「砂利はもう採れない、いい砂利が出れば本当にぼろい儲けになる、昔から比べるとはるかに高くなった」と。
 45年にわたり愛知県の砂利採掘業者をまとめている業界団体、愛知県砂利協同組合の理事長の話は「もう既に枯渇している。採りつくしちゃった」「コンクリートに一番良いのは天然の砂利砂」とのこと。
 高度成長期以降50年にわたり開発を続けてきた結果、砂利が枯渇してきた、それに東日本大震災での防潮堤工事もあって日本中の砂利はとり尽くされているそうです。
 番組が行った、全国の砂利組合へのアンケートでは、85%が不足しているとの返答でした。
 コンクリートに使う砂利の85%が不足していることは、これまでの、現在の、これからの、コンクリートはどんなものを使い、どうなるのでしょうか。
 希望の情報として、川や海のヘドロそれに新聞紙等を使い特殊なセメントで固めた新しい建材が護岸工事に使用されていると紹介されていましたが50年後にどうなるか心配です。

 これからの選択は、経済中心から、今と将来の命を中心に考える。人・地球・木の命。
 コンクリートの原材料は、自然破壊することから生まれています。木は再生可能、しかも成長期において、他の生きものが必要とする、『命のもと』を供給してくれます。
 コンクリートは、年々劣化します。45℃で乾燥された生きた木は、年々強度が増します。
 コンクリートの部屋は、呼吸しません。45℃で乾燥された生きた木は、呼吸します。
 コンクリートは、体温を奪います。45℃で乾燥された生きた杉は、体温を奪いません。
 45℃で乾燥された生きた杉の床は、ホコリを呼びません、安全な空気を提供します。
 木でできるものは木を使う。木でできないところを鉄やコンクリートを使う。

●突然の退去要求があって、木造ビルが誕生

 木造ビルの誕生は全くの想定外から生まれました。
新天地を目指す『愛工房』
 2011年のことです。11月18日の朝、突然、木材乾燥装置の研究所として使用していた板橋区・志村三丁目の借家を、家主から来年の更新はしないと告げられました。9月には契約延長の了解をもらっていたのに、どうしてなのか気が動転しました。
 南三陸町に春に設置する『愛工房』2基の製作を開始し、同じ大家さんが所有する隣地の駐車場を11月から借りて整備も終えて一段と使い易い作業所、展示場となり大満足をしていたところでした。まさかこのタイミングでと、思いもよりませんでした。この場所に、コンビニが高額で20年間の申し込み、11月18日より3ヶ月以内に契約しないと他の場所を契約すると言われて、2月18日が限度とのこと。
 私は、こんなに良い場所を6年間も貸してくれた大家さんに感謝して出たいのですが、何しろ突然のことで引っ越し先を探すにして時間が足りない。とにかく、2基の『愛工房』を納めることを第一に考えて、少しでも退出する日を遅らせるように弁護士に任せて、引っ越し先を必死に探しました。どうにかやっと年明けには三駅先の高島平駅の近くに、工事を必要とするものの、条件に添う建物を借りることができました。さっそく大工さんたちによる移転先の改修工事を始めました。『愛工房』をいったん解体してまた設置と大変な思いをしましたが、なんとか2月18日に間に合いました。これで大家さんに迷惑を掛けずに済んだかなとホッとしたものです。その間、大家さんとは一度も会っていません。会うと嫌味のひとつを抑える自信がありませんから、移転の費用はかなり掛かりましたが、金銭は一切要求しませんでした。ここでの6年間『愛工房』は成長させていただきました。

 もし、南三陸町の小野寺社長に出会っていなかったらもっと動揺して、適切な処置をとれなかったと思います。それは、心に奥に響く小野寺社長の言葉を鮮明に覚えていたからです。「千年に一度起こった出来事に遭遇している自分がこの場にいます。これをどう切り抜けるか、貴重な体験をしていると思うと、気持ちがわくわくします。」これは出会ったその日に聞いた言葉でした。被災者の人たちが体験したことに比べると、自分に振りかかるどんなことでもたいしたことではないと思えます。
 必死になって移転先を探すことになったのは、見方を変えれば、思わぬご褒美ではなかったか。あまりにも恵まれた環境に、定期借家契約という不安定な土台の上にいることを忘れて、出て行く勇気のなかつた私の背中を押してくれたのだと思います。
 『愛工房』は石原工務店の作業小屋の一角で産声を上げて二年間。志村三丁目の素晴らしい場所と建物に設置して6年間。人間で言えば小学校を卒業、高島平への移転は中学校へ入学となりました。
 南三陸町に収める『愛工房』の設置を第一にしたので、高島平の新研究所はまだ手を加えるべきところは一杯ありました。それでも4月の始めには完成し、4月7日、8日には『愛工房』は晴れて高島平で中学に入学しました。
 さらにもう一つの褒美として、本社事務所と倉庫から歩いて1分のところに30年間借りられる土地を入手することができました。ここが『愛工房』にとっては高校か大学になることと思います。おかげで、私はこの先30年間も『はたらく』ことになりそうです。
 これから『愛工房』の第2創業が始まるのです。

 5年前、2012年5月に発刊、『樹と人に無駄な年輪はなかった』(三五刊)の一文を引用しました。

●木造ビル誕生
 その後の経緯は『木造都市の夜明け』より
 土地は手に入れたものの、そこに建つ古い建物についてもまったく手をつけられずの1年間でした。なによりも、南三陸町の丸平木材さんへの『愛工房』2基の設置が最優先でした。その後、引っ越し先の建物の改修工事。『杉浴』のための更衣室、ロッカー設置、商品の展示場などの施設が充実し『杉浴』の開催日には大勢の方が楽しんでくださいました。流れるような1年でした。
 その間は、せっかくですから、木造ビルの夢をみることにしました。それより以前に建築資金の問題でしたが、不思議なことに地元の信用金庫の支店長が私よりも積極的で助かりました。お蔭で建物の構想に時間をかけることができました。部屋の間取りや使い勝手を考えて図面を引く楽しい時間を堪能しました。
 建築資金を借り入れる際、支店長から「返済期間は20年にしますか、25年にしますか」と問われ、一瞬考えました。44歳の時に子どもを授からないことを受け入れた際に88歳まで働くことを自分に課していたものの、74歳から返済が始まると、25年だと返し終えるのが98歳……これはキツイ。「20年にしてください」と答えました。93歳まで働くのであれば、5年延長すれば済むことですから。その年齢まで働けることは、喜びと、傍を楽させる『はたらく』を楽しむことができると思うと幸せです。

 当初、建築確認の申請先を役所ではなく民間にすることを、周辺の人たちから進言されました。板橋区の建築課の診査は東京23区の中でも厳しいそうです。それを知った私は「絶対に板橋区へ申請して下さい」と言いました。
 この建物は建てることだけが目的ではないのです。この後に続く木造ビルの入口になって欲しかったからなのです。船瀬俊介氏、木村一義氏、私の3人は10年前から『木造都市』を提唱してきました。この建物が『夜明け』を呼ぶことになれば本望です。
 民間に申請して通った場合、民間だから通ったと言われかねません。板橋区で建築確認済み証が交付されたとなると全国で建築申請ができるでしょう。これが狙いでした。
 土地を取得して1年後の2014年1月12日に地鎮祭を行いました。木骨の建て方は4月15日に始まり実質10日間で建ちあがりました。構造体を供給する方も、建て方の大工さんも初めてのことで、多少のちぐはぐも発生しての10日間です。これを教訓として行えば6日間ぐらいで済むのではと思いました。
 道路の使用期間、近隣への迷惑等、鉄筋コンクリートの場合と比較すると遥かに違います。
 4階建てといっても隣地のマンションの6階に相当し、約17mあります。上棟式は5月1日に地鎮祭と同様、地主のお寺の住職にお願いしました。その後、(株)シェルターが主催した構造見学会には、政治家、官庁、業界から約500名の人たちが見えました(完成見学会その後においては1500名ぐらいになります)。
 施工業者は町の工務店にお願いしました。いわゆる大工さんです。木造ビルは地域の工務店、大工さんが請け負うビルです。建て方は(株)シェルターの指導員が来て大工さんを指導し手助けするから安心です。建築費については鉄筋コンクリート造と比較して安く収まったと思います。何よりも環境負荷の効果は莫大なものがあります。

 そこで、当社の木造ビルが、鉄筋コンクリート造だった場合を想定した対比をしました。
 1時間耐火の建物、コンクリートの使用は基礎と土間だけです。

【木材使用量】
(全て国産材) 
 ○構造体に使用した木材 
集成材 51.6㎥  間柱他 20㎥  構造用合板 16.20㎥  小計87.8㎥
 ○仕上げ材に使用した木材                 55.65㎥
                            合計143.45㎥
 ○国産材の使用㎥数から、この建物に固定されたCO2の量は、92.78t
【当建物に使用された構造体の重量】

 ○構造体用 集成材  51.6㎥  唐松比重・0.5  25.8t
 ○構造体用 間柱他  20㎥   杉比重 ・0.4  8t
 ○構造用合板     16.20㎥  比重  ・0.58  9.39 t  
 ○木材合計                             43.19 t
 ○強化石膏ボード                          93.24 t
 ○コネクター及びピン                        12.18 t
 ○基礎及び土間等に使用した鉄筋コンクリート量83.5㎥ 比重・2.5   208.75 t
                                合計357.36 t
【当建物が鉄筋コンクリート造で建築した場合の構造体の重量・比較及び環境負荷】
 ○鉄筋コンクリートの想定量     約446㎥ 比重・2.5   1115 t
                     1115 t−357.36 t=757.64 t(重量差)
                     357.36 t:1115 t=1:3.12
 ○446㎥から当建物の基礎、土間で使用した量83.5㎥を差し引くと362.5㎥
 ○コンクリートの内訳・・粗骨材40%、細骨材30%として計70%=253.75㎥
 ○余計にかかる・ミキサー車・10 t車1台で4㎥・・362.5㎥÷4=91台
 ○余計にかかる・ミキサー車・10 t車1台で5㎥・・253.75㎥÷5=51台
【木造建築のメリット】
 ○現在コンクリートに使用する必要量で良質の砂利は85%が不足している。
 ○コンクリート使用量が減ると、砂利、砕石等の使用が減る、山や川の自然破壊が鈍る。
 ○コンクリート、砂利、砕石等の運搬には重量で道路を傷める。乾燥した木材は軽い。
 ○コンクリートは年々劣化するが、乾燥され生きている木は、年々強度を増す。
 ○国内の木を使う量が増えると、建物に固定されるCO2の量が増える。
 ○国内の木が活用され、山に適した木を植えることで森林が蘇る。
 ○木はコンクリートに比べて重量が軽いため、建物の地盤に対する負荷が少ない。
 ○上部構造の重量比較(基礎、杭を除く)木造1:鉄骨造2.2  木造1:RC造3.4。
 ○RC造より木造に変更したことで、杭工事、基礎工事が半減した事例もある。
 ○地域産材を活用できる。
 ○地元の工務店で施工できる。
 ○原価償却期間が短い。
       住宅・店舗  RC47年・39年  重量鉄骨34年  木造22年 
       福祉施設   RC37年      重量鉄骨29年  木造17年 

●KES構法+愛工房
 これまでも、現在も大勢の方が新築やリフォームの相談に来られます。当社は建築を請け負いません。それで気軽に相談されることと思います。
 熊本地震より3ヶ月後に伺った益城町の『あじさい保育園』の印象は強烈でした。日本列島、何時、何処で起こるか分からない地震に備えるには、これですと東京へ帰って来てから皆に熱く話しました。すると、オール『愛工房』の乾燥木材を使って中野区に終の棲家を予定されていた方が、KES構法に興味を持って(株)シェルターから資料を取り寄せていました。打ち合わせの最中に取り寄せた資料を出して、我が家では出来ないでしょうね、と半ば諦めの口調で言われました。その資料に載っている建物は大きな建物ばかり、2階建て住宅20数坪の建物はありません。
 私は、本当は私の方から勧めたかったことを告げました。一般の住宅建築として全国に広めたいKES構法+愛工房の建物です。どんな地震が起きても安心できる『シェルター』それに安全な空気を提供する『呼吸住宅』その第1号が建て主の要望から生まれます。
 この建物は、沖縄のモデルハウスにもなる予定です。戦後、鉄筋コンクリートの住まいに変えて、健康に問題があることに気付いてきました。ある島のリーダーからの相談があって、沖縄の『木造革命』を進めています。沖縄は台風の問題がありますが、KES構法で解消できます。沖縄の建物にはもう一つ大きな問題として、シロアリ対策です。木は本来虫と戦う能力を持っているそうです。適材適所、その能力を必要とする所に、能力を持った材を使用すべきです。『愛工房』で乾燥した熊本の杉と桧を沖縄へ送り実験が始まります。他の木材と同条件の場に置き、どれをシロアリが選ぶか、選ばれなかったら『シロアリ検証木材』です。
 森林大国日本で流通されている殆どの木材は、輸入材、シロアリが好みます。
 一方、国産材の殆どは高温で乾燥しています。木の成分、木の命も水と一緒に吐き出されます。虫と戦うどころではありません。そこで、農(毒)薬の出番となります。
 本来の長寿の島、沖縄に蘇ることへのお役に立つことができれば、一新小学校で4年間お世話なった上里良蔵先生。それに西山中学校の時代から、卒業後もずっとお世話になった又吉熊雄先生。沖縄出身の両先生に少しはお返しができるのではと、わくわくしています。

 KES構法+愛工房の建物として、文京区では3階建て住宅の設計中です。
 豊島区では4階建て木造マンションの計画が進んでいます。こちらは少し変わった企画です。入居者は女性か母子家庭、入居条件は『非喫煙者』。敷地内はもちろん禁煙です。

●コンクリートから木へ 関東のあるケアハウスの革命

 関東でケアハウスを経営している若い(もっとも、私から見れば殆どの人が若い人)関係者が相談に来所。環境・健康のことなど、かなり勉強されていることを感じました。
 彼の説明と資料では、施設の建物は鉄筋コンクリート造。床は、コンクリートの上に長尺シート貼り。壁は、ビニールクロス。天井はビニールクロスまたは化粧石膏ボード。仕上げ材で呼吸する建材は一切使われていません。彼は、船瀬氏や私の著書で呼吸する建材の大切さを知り、施設の全体をリフォームしたいとの相談でした。
 働いている人たちが休憩時に、休憩室でなく自分の車の中で休憩する人が多いとのこと、私は、入所者の部屋よりも働く人たちの使う部屋を先に施工する事を薦めました。彼も同じことを考えていたようです。後日、現場へ伺って体感をしました。
 なるほど、部屋も廊下も全てが呼吸していません。静電気が多くのホコリを呼びます。
 リォームに使う建材は、床と腰壁は『愛工房』乾燥の杉板。腰より上と天井は『漆喰』。全て呼吸する建材を使うことで空気が変わります。まず、働いている人たちが休憩室で体感してもらうこと。働く人たちのストレスが消えることで入所者への対応が良くなります。そして、利用者の部屋の施工に掛かる。そこで働く人たちの健康と心を大切にすることが全ての入口だと思います。
 関係者の中には、杉の無垢材の床では消毒液の使用が出来ないのではと懸念する意見もあったので『愛工房』乾燥の杉板を送って実験してもらいました。その結果は問題がなく、それどころか、既存床での消毒の際より空気の回復が早かったそうです。写真とデータを添えて送られて来ました。これは全国の幼稚園、保育園を始め各施設にとっても朗報です。6月2日素晴らしい『愛工房』乾燥杉たちを搬入しました。今後が楽しみです。

●熊本城
 これは、30年、40年後の熊本城に思いを込めたものとして記します。
 2009年9月、妹の子どもに赤ちゃんが生まれました。この姪には兄もいて、子どものいない私たち夫婦にとって2人は天使でした。
 姪は結婚式のとき、自分が生まれた時と同じ体重の縫いぐるみを2つ用意して、父親と私に贈り、そのうえ親族の最後に挨拶をさせられたのには驚きました。そんな姪に待望の赤ちゃんが誕生、10月、まだ目の見えないのを承知で駆けつけました。
 当然、熊本城へ行きました。立派な天守閣へ登り、次に宇土櫓へ登りました。この日の様子は『樹と人に無駄な年輪はなかった』で次のように紹介しました。
 最上階に行くと管理人が手持ち無沙汰にしているので、「天守閣のほうはえらい賑おうとりますね」と声をかけました。「50年経つけん。でも、あと30年は持たんでしょう」
「なしてな?」「鉄筋コンクリートだけん危なかもん」ああ、そうかと思いながら私は「この宇土櫓は何年持っとるね」と聞いてみました。「402年」「あと何年くらい持つとね」「わからん」

 これが拙著で紹介した一文です。
 私は熊本城の天守閣が鉄筋コンクリートで建てられていることを、このとき知りました。

 熊本地震発生後間もないある日、熊本城をバックにインタビューに答えている市の職員らしい人の画面に、思わず「鉄筋コンクリートだぞ」と、大声を上げていました。
 それは、弘前城天守閣の『曳家(※)』のことが取り上げられ「現在、仮に設置されている場所と、元へ戻す場所の両方が見られるところに展望デッキを設けています。するとそこには大勢の観光客が来ていますが、熊本城の場合は如何ですか」との問いかけに「興味ありますね、考えてみます」確かこのような答えを聞いたときに出た大声です。
 この方は、天守閣が鉄筋コンクリート造であることを知らないのか、または、『曳家』の可能性があると考えられたのか、一体どうして「考えてみます」と答えられたのか興味をおぼえます。鉄筋コンクリート造の場合は、木造の3倍以上の重量。それに基礎から引き離すことは不可能です。
※曳家:建築物をそのままの状態で移動する建築工法

 地震発生3ヶ月後の7月15日、熊本城を訪れました。そこで、出入りする工事用車両の世話や見学者の案内をしている人と話ができました。その方は、地震が起こる前は、天守閣内の案内をされていたそうです。見学者の中には鉄筋コンクリート造であることを知ると興ざめされる方もおられたと話されました。木造で建て替えることの可能性を話すと非常に興味を持たれました。
 熊本城全体の復旧には20年とも言われていますが、現存の天守閣を早く復旧しても全体が復旧した頃か、その後10年、20年も待たずに解体されることになるでしょう。モッタイナイことです。それは、通常のコンクリートの劣化だけではなく、地震の影響で鉄筋とコンクリートの剥離もあるでしょう。お金をかけるなら将来に有効な方が良いと思います。

 ピンチはチャンス。注目されている熊本城の天守閣を木造で建て替えると大きなメリットがあります。
 熊本城において天守閣はもちろん大切ですが、お城全体の石垣はもっと大切です。
 その石垣の復旧には、現在の天守閣の土圧が大きいと思います。天守閣を解体、土圧を解消した後に石垣の復旧を済ませ、熊本に豊富にある木を使った木造の天守閣を建てることの選択はなかったのでしょうか。
 木造建築の重量は鉄筋コンクリート造の3分の1以下です。コンクリートは年々劣化しますが、生きた木は200年、300年と経過することで強度を増します。50年、100年先のことを考え、子どもたちに何を残すことが大切かを選択すべきでしょう。
 天守閣を木造で建てることになると、計画中から話題になり、施工中はもちろん、完成後も、全国、世界から観光客が熊本に訪れることでしょう、それこそ復興のシンボルです。
 全国で戦後に建てられた天守閣はコンクリートの劣化で、建て替えが問題になっています。
 熊本城、名古屋城を含めて10のお城が鉄筋コンクリート造です。
 もし、熊本城の天守閣を木造で建て替えることになっていたら、各地の天守閣復興に希望を与え、全国の木造革命の先駆けとなったことでしょう。
 名古屋城を木造で建て替えることは朗報ですが、凄い高額が報じられています。
 木造で建てるとこんな高額になるとの印象ですが、各地の地元の木を活かして、予算との兼ね合いで何処までの内容を求めるか、安く建てる方法を検討できることと思います。

 熊本地震が起きて、熊本城の映像を見て、熊本城へ行って振り返ってみました。
 (株)シェルターの木村社長と出会ったこと。木材や木材乾燥の知識のない私が木材乾燥装置を開発したこと。偶然の流れで、17メートルに近い高さの4階建て木造ビルを建てたこと。
 その木造ビル建築中に(株)シェルターは木造建築で2時間耐火の大臣認定を取得しました。
 これで、木造14階建てが可能になりました。
 こうした事々に思いを馳せたとき、何かに動かされているとしか思えないのです。
 私たちは、今日、生まれる子どもに、何を残すのかが問われています。

●山(木)と共に生きる若い女性の想い
 22歳の若い女性の山への想いに出会いました。その1年2ヶ月後に会社を興しました。

株式会社 ゆうき 設立趣意書
 林業と農家で生活する7人家族の5人姉妹の4番目として育った私の中で林業観は、キツい、危険な仕事として何の魅力もありませんでした。
 ところが父の仕事を手伝い始めて一緒に山に入り、山や木々に対しての想いを父から聞くうちに、やりがいと誇りを少しずつ感じるようになりました。
 私を変えてくれたのは、父であり、先祖であり、何よりも山の木々たちのような気がします。先祖代々より受け継がれてきた『命』のバトンが今ここにあります。このバトンを父の代で終わらせてはいけないと思うようになりました。
 ただ、私の中でこのバトンを受け継ごうと思う気持ちが芽生えてもどうしたらいいのか、方法、方向が全くわかりませんでした。
 そんな折、前に父から読んでみないかと一冊の本を渡されていたことを思い出し取り出しました。日頃から本を読まない私は目を通すまでにかなりの日にちが経過していました。
 読み始めた私は衝撃と興奮で一気に読み終え、いてもたってもいられず、日頃から思っている事など夢中になってメールを打っていました。メールの相手は、本の題名『奇跡の杉』に書かれていた超天然木材乾燥装置『愛工房』を発明された、アイ・ケイ・ケイ(株)の伊藤好則社長です。2013年9月11日のことでした。
 直ぐに返信、それに電話を頂き伊藤社長の山や木を想う生き様にひどく感銘を受けました。
 2ヶ月後、伊藤社長はある講演会で福岡に宿泊された翌日、山鹿に来られました。先祖代々受け継いできた山を見て頂くと、「素晴らしい杉の山、最高です」と声に出され、とても感動されていました。父と共にこの山を守りたいとの想いが、この時一層強くなったことを覚えています。
 年が変わって2月の大雪の日、父と出産を一月後に控えていた姉と『愛工房』が設置されている、東京のアイ・ケイ・ケイ板橋研究所へ伺い、3人は乾燥中の杉と一緒に『愛工房』に入りました。乾燥室温は45度でしたがとても気持ちのよい汗が出ました。伊藤社長は杉もきっと気持ち良く汗を出していると言われました。
 自分の身体で体験した、木の『命』を大切にした乾燥方法を知り『愛工房』を設置したいとの想いが東京から帰って来てから日々強くなるばかりでした。
 私はもっと林業にについて学びたい。と思うようになり、3ヶ月後の5月。父も通った林業の学校へ申し込みをしました。国、県が管轄する10ヶ月間のプロジェクトです。もちろん林業に関しての技術、知識を学ぶ為にですが、私は父以外の林業家の方や事業体、森林組合など様々な方と出会い交流し、衰退する林業の課題を見つけたいと思っていました。
 そしてなによりも、同じ志を持つ仲間を探したかったのです。素晴らしい7名の仲間と出会うことができました。その中で女性は私1人、最年少です。NHKの番組で取材を受け放映されました。
 私自身が林業に誇りを持ち、やりがいを見出していく事が、同じ女性の方や同年代に伝えられるのではと思うようになりました。学校のメンバーで日々、夢を語り未来の林業に希望を見出すうちに、私の夢も日々想いが強くなりました。しかし、林業で生活する我が家の現状は厳しいものです。まして『愛工房』設置については当初の資金すらない私達には叶わぬ夢だと半ば諦めかけていました。
 家族の皆は前から父へ家計の為に山の木をもっと伐り出して市場に出すことを勧めていましたが、父は伐採する本数を最小限にしていました。それは長年手入れした木たちを大切に思う気持ちからだったことを父の手伝いをするようになってから知りました。
 市場に出せは何処に売られるのか、どんな活かし方、使われ方をするのかわからないからと父は言います。
 『愛工房』を知り伊藤社長と出会って父の気持ちが理解できるようになりました。
 それでも、父は私の夢を叶える為、設置に必要な費用を捻出するためにかなりの量の木々を伐採して市場へ出すことを決意していました。

 そんな中、2014年8月31日の午後、伊藤社長が連れて来られたのが二枝崇治社長です。二枝社長は福岡で(株)石の癒(現社名KFT(株))を経営、全国に岩盤浴施設を展開。また『光冷暖システム』を開発され、建築関係だけではなく農業の分野においても九州大学、西部ガスとの共同研究『KFT農業』の展開は大いに期待されているそうです。
 技術開発・製品部門で平成26年度地域温暖化防止活動環境大臣表彰を受賞されました。
 二枝社長はこれまでの集大成として人が住むことで健康になる本物の健康住宅『ドクターハウス』を計画され、3年程前にアイ・ケイ・ケイ板橋研究所を訪問。『愛工房』で乾燥された杉の素晴らしさに感動し福岡県内で『愛工房』を設置する製材所を伊藤社長に相談していましたが、伊藤社長の眼鏡に叶う『愛工房』の嫁ぎ先は見つからなかったそうです。
 8月初めに、伊藤社長から近くに製材所がありますかと聞かれ、すぐ近くにありますと答えました。熊本出身の伊藤社長は二枝社長に福岡に最も近い所に素晴らしい山と木々があり、製材所も近くにあるからと、この鹿北の地を推薦されたそうです。
 ご夫婦で来られた二枝社長は前に伊藤社長を案内した時と同様、山の木々を見て直ぐに気に入っていただき、その足で協力を承諾された製材所へ伺いました。
 その日『ドクターハウス』第1号の自宅兼モデルハウスに使って頂くことが決まりました。
 数日後、二枝社長の会社より500万円が振り込まれてきました。
 これで『愛工房』の基礎工事や建物の改修、電気工事などに必要な費用の目途は立ちました。しかし、必要と言われていた保証金はありません。それでも伊藤社長からは設置することを前提に進めますとの言葉を頂きました。それに会社設立の話をすると、前から懇意にされている九州中央経理代表、山本友晴先生を紹介して頂きました。
 設置場所は、父が生まれた頃から農協の米蔵として使われていたと聞いていた倉庫です。
 伊藤社長を倉庫に案内した時、一目見てここならできると確信された事を後でお聞きしました。以前、農協の使用が終了した時には倉庫を解体し更地での返却となっていたそうですが、祖父と父の意向でそのまま残し、その後は物置として使っていました。

 11月14日、二枝社長ご夫妻と、モデルハウスに住まわれるお母様、それにお嬢さんとお子様、4代の家族が『ドクターハウス』第1号に使用する杉の伐採に立ち会われました。
 二枝社長はこの日のことを『山鹿の野中さんご家族が先祖代々大切に守って来られた杉山にホレてしまいました。数多くの立派な杉から一本選びお見合いし意気投合後伐採式を。何と樹齢104年でした。天使(テン・4)の杉に驚いた次第です。』と大勢の人へ発信しているブログに写真入りで紹介されています。
 12月26日『愛工房』の稼働が開始されました。伐採に参加された皆さんは、製材されたあの日の杉たちと一緒に1月7日『愛工房』の中で全員が汗びっしょりとなり命の対話をされました。生後7ヶ月の赤ちゃんが気持ち良さそうにしている写真も撮れました。

 社名の相談をすると、父と私の名前を併せた『ゆうき』ではと伊藤社長に言われ即座に決めました。また、勇気をもってメールしたことから始まったからね、と言われました。
 それに『優樹』『優樹杉』『やまが優樹』3点の商標登録を申請して下さいました。
 九州唯一の『愛工房』です。使う人たちが売って欲しいと言われる本物を生産します。

 これからがスタートです。
 私自身、沢山の人に支えられて今があり、1年前には全く想像もできなかった境遇にいます。
 未来の私達の為に命がけで木を植え、手入れし、大切に育ててくれた先祖、そのバトンを命がけで引き継いでいきたいとの想いが今は心と身体全てから感じています。
 『愛工房』が設置された今、思うことは、この倉庫を残してくれた父や祖父にはいくら感謝しても感謝し尽くせない思いです。
 また、突然の依頼にも関わらず、協力することを快く受けて下さった製材所の村木社長には本当に有り難く思っています。その上、私のことを最後の弟子だと言われ、何も知らない私に沢山の事を惜しみなく教えてくださいます。
 村木社長から教わる技術、知識、想いなど沢山のことを学び吸収し、活かし、次に伝え、繋げる事が教えて下さる村木社長への恩返しだと思っています。
 (株)ゆうきは1歩1歩着実にこの世に足跡を残していける会社として育てます。
 (株)ゆうきの木材は建てた家に住まわれる一人ひとりの健康、幸せ、喜びの声を聴きたくて最高の製品を提供することを心に決めています。
 (株)ゆうきが成長し成功することが、同じような境遇にある人たちの活路となり、同じ世代の人達にも林業の良さ、意義、大切さを伝え、田舎に雇用が生まれ地域と一体になって低迷する林業の希望になれることを念じています。
 この会社は、父と一緒に健全な会社として成長させ、伐採した木の量は植林し、山の木々や先祖への感謝を忘れず、子孫へ『命』の贈りものを受け継ぐことができることを願って設立しました。
             株式会社 ゆうき  代表取締役 野中優佳


 『愛工房』を開発してよかった。若い人の夢の手伝いができることに感謝しています。
(株)ゆうき、で製作した、あや杉の小箱は《やすらぎの小箱》として商品になりました。
『ほんものや』に掲載されましたら、よくご覧ください。本物の気持ちが伝わります。
 大勢の方に使っていただき、幸せを贈ることができることを楽しみにしています。

●『経済ファースト』から『命ファースト』へ
 私の働き人生は、ニコチンとの戦いから始まり、ネオニコチノイドとの戦いになりました。
ニコチン
 私は30代からニコチンとの戦いでした、それがやりがいでもありました。
 タバコ問題は、『経済ファースト』から生まれています。日清戦争後の財政が苦しくなった政府は財政収入を増やすために、それまで一般で売買されていたタバコを1896年『葉煙草専売法』を公布。1898年『葉煙草専売法』が実施され大蔵省専売局ができて、政府の独占企業となりました。さらに、1904年には、日露戦争がおきたのをきっかけに、『煙草専売法』を公布、施行。タバコによる国の収益は、全収益の10%を占めるようになりました。戦争の軍資金調達のための専売制でした。
 1931年から1945年まで続いた、15年戦争では政府が支給する『恩賜の煙草』といって、お上(天皇陛下)から兵士に賜る『ありがたいタバコ』がありました。名目上は出征兵士を慰問するためにとなっているが、本当の狙いは復員後の兵士らに喫煙習慣をうえつけ、政府の収入を増やそうとしたと言われています。1949年には、『日本専売公社』が設立され、国営企業として莫大な収益を上げ続けました。しかし、タバコの害が叫ばれるようになり、販売成績が伸びなくなったこともあって1985年、日本専売公社は『日本タバコ産業株式会社』と名前をかえて民営化になりました。その際に生まれたのが『喫煙科学研究財団』です。資金12億円のうち、11億5千万円を『日本タバコ産業株式会社』が出資、研究者らに年間数千万円から数億円が配られることになりました。
 また、前年の1984年、『たばこ事業法』が制定され、これはタバコの有害性が明らかになった後に新しくできた法律です。JT株の半分以上は永久に政府が所有しなければならず、民営化されても、政府による支配は続くわけです。この法律は、タバコをできるだけ多く販売して財政収入を確保することが主目的であり、国民の健康を犠牲にして国が金儲けをはかるという、世界に類のない法律です。

 1998年、10年目を迎えた『禁煙週間』を記念して開催されたシンポジュウムで結核研究所の福留修身氏の話では、友人の厚生省(当時)の医師と一緒に大蔵省(当時)に行った際に、未成年者へタバコの販売規制が出来ないかと訴えたことに対して大蔵省の担当者の答えは、

 たばこにより税収が増えるのは結構なことである。しかも未成年者までたばこを吸って税金を払ってくれるのはありがたい。また、たばこを吸う人が早く死亡することは結構なことである。なぜなら、早く死んだ人には年金を支給しなくてすむから、社会にとって都合がよい。このようにたばこは社会の役に立っている。(厚生省の医師に対して大蔵官僚が述べたことば)

 上記のメモ書きを福留氏よりいただき大切に保管しています。
 当日の参加者は約100名、会場には報道機関の人たちも来ていましたが、福留氏の発言は『禁煙ジャーナル』で紹介された以外は、どこも取り上げていなかった。
 世界中で、たばこ問題の管轄が、財務省(旧大蔵省)になっているのは日本だけです。
 健康・命に関する問題は、世界の常識として、厚労省(旧厚生省)の管轄でしょう。

 自民党たばこ議員連盟へは、JT、たばこ販売組合、耕作者組合からの献金があります。
 都議会自民党は、信じたくありませんが『たばこ推進政策委員会』なるものがあります。

 これまでの『経済ファースト』から『命ファースト』へ目を覚まさないと、あなたのお子さん、お孫さんに何を残せますか。それに、あなた自身のこの先は何を残すのですか。
 先進各国で副流煙の健康被害が問題になっている頃、日本のタバコ事情は『経済先進国』『文化後進国』と言われていました。国民にタバコの害の正しい情報が知らされていなかったからです。これは現在もあまり変わりませんが。
 最近、副流煙問題で、お店の広さで、と騒いでいますが、数年後には笑い話になります。
 それは、窓を開けられない航空機の中で全席喫煙可でした。その後、喫煙席と禁煙席が設けられました。新幹線は全席が喫煙可で『こだま』の16号車の1車両のみが禁煙車両。
 鉄道車両には、私鉄を含め灰皿がありました。山手線の各駅のホームでは喫煙可でした。渋谷駅で線路へポイ捨てした吸殻の回収状況の映像がニュースで流され、ドラム缶に何本も回収されていました、各駅でも清掃の経費は相当なものでした。
 地下鉄のホームでも吸っていました。観光バスには灰皿を備えていました、田舎の路線バスにも灰皿があって、運転手が喫煙しながら運転しているのを見かけたこともあります。
 ホテルのロビーは喫煙が当たり前でした。レンタカーでは禁煙車両がなくて苦労しました。
 つい最近まで、タクシーでは喫煙するのが当たり前、運転手も吸っていました。
 コンビニの横には、喫煙所がありました(まだ、残っている店も早晩なくなりますが)。
 小規模のお店の売り上げが問題だとして喫煙を検討していますが、本当にお店側が求めている事でしょうか。全てのお店が、非喫煙になれば、各店での競争は平等です。
 安全な空気の店として安心して入れる店になると、売り上げも多くなると思いませんか。
 経営者も、そこに働く人も、命が損なわれることを望んでいる人はいないと思いますが。
 お店のことより、タバコ店の売り上げ。票や献金のための『経済ファースト』ですか。
 子どもたちのためにも、国民の健康を大切にする『命ファースト』になってください。

●ネオニコチノイド、その前にキトサン
 50代半ばにキトサンに出会いました、キトサンと出会ったお蔭で『楽らく多収稲作革命』(みいづ舎)の著者、出口昭弘先生に出会い農(毒)薬を使わない、稲作『植干法』を知りました。
 私はそのころ、求人活動で九州各地の高校を訪問していました。宿泊先の主人から農家がジャンボタニシの被害に困っている、あれを殺す良い方法はないかとの相談を受けました。
 初めて聞くジャンボタニシという名に興味を引かれその生態と歴史を少し勉強しました。
 私の直感で、『植干法』だと稲もジャンボタニシも活かせると判断、出口先生に九州各地への農業指導をお願いしました。除草剤、農(毒)薬を使わない稲作、並行して、土が、植物が求めているキトサンの使用を広めました。先生が指導の際に問う言葉「稲に聞いたか」は、私の財です。これがあったので木材乾燥装置の開発の際に木に聞くことができました。

 思わぬ展開もありました、私の父が生まれ育った先祖の地、熊本県の八代では、中国からの安い価格のイグサが国内に入ってきて、イグサ農家で50人を超える自殺者が出ていることを聞きました。この地方の主産業は畳表のイグサの生産で国内生産量の90%が生産されていて、稲作はイグサの裏作だと聞きました。イグサの栽培には相当量の農(毒)薬が使用されているそうです。
 八代の稲作勉強会で、農(毒)薬の使用を最小限しているイグサ農家の方から相談がありました。その農家へ出口先生と伺いました。この年から除草剤、農(毒)薬を一切使用しない、化学肥料も使わない、土を活かすキトサン農法を始めました。ジャンボタニシもいます。その結果、驚いたことに、除草剤、農(毒)薬を使用している農家と収量は変わらなかったそうです。数年して息子夫婦が孫を連れて帰ってきましたと嬉しい電話がありました。安全な職場が後継者問題を解決する素晴らしいことです。
 生産された畳表は、当社でも売らせてもらっています。その裏作で栽培されたお米も好評です。当社は、玄米を取り扱っています。安心して食べてもらいます。
 イグサについて詳しくは、2002年2月発刊の『八代い草応援団』団長の船瀬俊介氏の著書、『よみがえれ!イグサ』(築地書館)で紹介しています。
 
 木たちは、水を蓄えて供給するだけでなく、虫たちに餌を与え、寝床を与え、虫たちが一生を終えると土になり養分となる、その養分を木が吸い上げることを知りました。
 人が、農(毒)薬で虫を殺して迷惑するのは、木たちであり、植物たちであり、川や海の魚たちであることを知りました。虫たちは短命で、木たちが長命であることにも納得しました。
 キトサンとは、昆虫たちが一生を終えて大地に落ちるとその亡骸は分解され数年経ってキトサンとなり大地を養う。植物たちは根からキトサンを吸収し野生の生命を養う。人間をはじめ動物たちはその植物を餌として命を養う。その植物には栄養と同時に排毒作用がある。排毒作用のない食べ物になったことで、アトピーなどか発生したと言われている。
 キトサンの養分を含んだ水が、川の生きもの、海の生きものに命を与えた。昆虫たちが全ての生きものの養分になっていた。この大自然の、命の連鎖を、人間は農(毒)薬で断ち切った。命の原である昆虫は激減した。50分の1あるいは60分の1に、現在も進行している。

 1997年、熊本の農業高校にキトサンを提供、畜産科学科では一番の問題であった、乳牛の『乳房炎』の治療に使用しました。結果は、キトサンを使い『乳房炎』の7頭全てが治癒しました。抗生物質を使っても治らないので廃牛を検討していた2頭の乳牛も治癒。それに子牛の下痢症状も治癒しました。この研究成果の内容について、『畜産コンサルタント』(中央畜産会)の1998年10月号に詳しく掲載されました。
 養殖の盛んな、熊本の天草においても養殖用のキトサンを提供、大きな成果がありました。
 船瀬俊介氏は2003年発刊の『大地の免疫力キトサン』(農文協)では、医・食・農から日常グッズまでと、題して、キトサンに関して詳しく紹介しています。

●ネオニコチノイド
 2007年6月、運命の出会いがありました。翌年4月に発刊された、船瀬俊介氏著書の『悪魔の新・農薬「ネオニコチノイド」―ミツバチが消えた「沈黙の夏」』(三五館)の取材に立ち会ったことで出会いました。
 東京で取材した相手は、岩手県盛岡市、藤原養蜂場の藤原誠太氏。日本在来種みつばちの会会長でした。この日、ネオニコチノイドに出会い、同時にミツバチのことを知りました。取材を終えて木材乾燥装置『愛工房』の話しをすると、藤原氏の目の色が変わり、明日ハチミツを持って行くので乾燥機の中に入れてくれとの要望でした。翌日ガラス瓶に入ったハチミツ2瓶を持参され、瓶の蓋を開けて奥の方に2瓶を置いていかれました。その日に盛岡へ帰るとのことでしたので、翌日の日曜日、藤原氏が置いた時間と同時刻に取り出すが、何の変化も見られず月曜日に盛岡へ送りました。
 ハチミツのことは何も知らないので、成功したのか失敗だったのか分かりません。
 ハチミツが届いてから聞く藤原氏の電話の声は興奮していました。100年以上の歴史を塗り替えたそうです。「見た目で何も変わっていなかっでしょう」と聞くと「だから良いんだ、香り、酵素はそのままで糖度が上がっている」とのこと。取り出す際、念のために置いていた場所の温度を測っていました。42℃でした。

 数日して、藤原氏に紹介されたと、銀座ミツバチプロジェクトの方から電話があって、乾燥機にハチミツの瓶を入れて欲しいとのことでした。木材の乾燥が終わる日を待って受け入れました。52瓶、壮観でした。その結果については当人のコメントを記します。
 この年11月に、名古屋で開催される『第38回名古屋国際木工機械展』で『愛工房』で乾燥した板材の展示を予定しています。お2人にハチミツの糖度アップに対する成果についてコメントをいただきたいと、お願いしました。下記はそのコメントです。

【岩手県 盛岡市在住 藤原養蜂場・養蜂家 藤原誠太(日本在来種みつばちの会 会長 東京農業大学客員教授(バイオビジネス))】

 この度第38回名古屋国際木工機械展ウッドエコテック2007に木製・木材乾燥装置「愛工房」を活用した商品を展示との事、全国の木材関係者にとっても伊藤さんの知識、技術が世間に知れ渡ることは大変有意義な事と嬉しく思っております。
 というのも私は木材についてはほとんど知識のない者ですが、同じ第一次産業である『生産物』の乾燥分野において長年、木材と同じ悩みを抱えていたからです。ご存知かもかも知れませんが、蜂蜜は“天然・純粋”を根本とする食品であり、間違ってもその特質を形成する内容の香りや味わい、ビタミン、ミネラルそしてさらに酵母など有用微生物に変化が生じるような加工は許されません。さらに酵母など有用微生物に変化が生じるような加工は許されません。又、花ごとに蜂蜜を採集しなくては、商品の付加価値はほとんど無に帰します。ところが、養蜂業は天候次第では次の花の開花が迫っている時などは(雑蜜になること事を避ける為)採集予定日を繰り上げて、糖度の充分でない状況においても収穫せざるを得ない時もあります。そういう場合、今までは高熱を加え発酵止めをして安い加工用に供給せざるを得ませんでした。
 しかし、伊藤さんの新技術を応用すればミツバチの体温とほぼ同様の自然な状態で蜜蜂の中の水分の蒸発が速やかに促進します。
 木材業者のみならず養蜂家、ミツバチにとっても、また、天然の商品を望むお客様にとっても夢の新技術だと言えるでしょう。         2007年10月25日

〜愛工房 ハチミツ実験顛末記〜
 私たちは、昨年から銀座のビルの屋上でミツバチを飼い、“産地銀座”のハチミツを採って、この街で地産地消を実現しました。その目的は、銀座がミツバチを通して自然環境と共生するという新しい街の価値を作ることに挑戦したかったからです。そうした活動の中で、私たちの養蜂を指導して頂いている岩手県の養蜂家・藤原誠太氏から「田中さん、愛工房は一見の価値があるから、是非出かけて見なさいよ」とアドバイスを受け、夏のとある夕方、いくつものハチミツ瓶を持って愛工房の伊藤社長を訪ねました。
 私たちが昨年・今年と採りましたハチミツは、その時々の花の香りや味を楽しむと言う意味で手を加えておりませんでした。しかし、西洋ミツバチの採ったソメイヨシノのハチミツや、まったく性格の違う日本ミツバチのハチミツのように当初から糖度が低いものもあり、暫くすると泡を出し発酵し始めてしまったのです。通常、この発酵を抑えるためには、加熱処理をして糖度を上げる方法がいちばんだと指導を受けておりましたが、高温で加熱してしまうと、本来含まれているビタミン・ミネラル・酵素などが減少してしまいます。更に、何よりも楽しみにしているその季節の様々な花の香りが消えてしまう可能性がありました。どのように加熱処理したら一番良いか、検討していた時に、愛工房さんを知ったのです
 出会った瞬間から親切な伊藤社長のお人柄もさることながら、ガラス瓶のふたを開けて一晩過ごすだけで良いと言われ、あまりにも簡単で拍子抜けして翌日を迎えました。明けて次の日、硬化してしまっていた昨年のハチミツもすっかり元の姿に戻っていて、糖度計で計ると純粋ハチミツと言われる78度にまで上がっていました。しかも、当初からの花の香りもそのままでしたのでとても安心致しました。私たち素人には、その仕組みまでは良く分かりませんが、45度と言う温度が、樹木の乾燥だけではなくハチミツの糖度を上げる作業にも丁度いい温度だったんだということを初めて知りました。伊藤社長のお蔭で、私たち銀座ミツバチプロジェクトの素人集団でも、簡単にハチミツの糖度を上げる手段を知ったことは、来年からの活動がより幅のある展開となりそうで、今から楽しみです。
2007年10月17日

NPO法人  銀座ミツバチプロジェクト  副理事長 田中淳夫


 この年から、銀座の屋上で採集した糖度不足のハチミツは、毎年持ち込まれています。
 2008年4月、船瀬俊介氏著『悪魔の新・農薬「ネオニコチノイド」―ミツバチが消えた「沈黙の夏」』が三五館より発刊されました。
 船瀬氏はネオニコチノイドのことを、『新しい(ネオ)ニコチン“様”(ノイド)物質』、タバコに含有される猛毒ニコチンが原点となっている。ニコチンに似た構造と作用を持つ、と。
 代表的なネオニコチノイド系農薬として「イミダクロプリド」について。船瀬氏は
作物内に吸収され洗い落とせない。
 米国で農薬登録されたのは1994年。ネオニコチノイド系では最初に商業的に製造販売が開始されている。この農薬の注目すべき特徴は「水溶性」であること。これに対して悪名高いDDTなどは『脂溶性』。だから体内の脂肪に蓄積される。水溶性農薬は、脂肪蓄積されない代わりに移動する。つまり、ネオニコチノイドで処理した土壌から植物に吸収される。その植物を昆虫が食べると昆虫体内に移行し、その毒性で昆虫は死滅する。
 ミツバチ大量死は、散布で汚染された水を飲んだり、汚染された蜂蜜を吸ったことが原因と考えられている。だから、あらゆる昆虫、動物が被害を受ける。人間も危ない。他の農薬は作物の外部に付着する。食べる前に洗えばあらかた落ちる。ネオニコチノイドは水溶性だ。作物内部に吸収した作物が食卓に上がっている。
 水質汚染も、従来の農薬以上に深刻だ。農地の土壌から地下水、さらに飲料水へと移行し汚染する」と。

●人体からネオニコ
 これは、東京新聞夕刊2017年2月10日の『紙つぶて』、マエキタミヤコ氏の寄稿です。
 昨年フランス議会を揺るがし使用禁止の立法に結びついたが日本ではほとんど取り上げられなかった日本人の論文がある。東京女子医科大学東医療センター麻酔科非常勤講師の平久美子さんが書いた「人体からネオニコチノイドが検出されている」とする論文だ。ネオニコチノイドは日本で開発された「環境にやさしい」農薬。カメムシ駆除に効くとしてはやり、水に溶け土や水の中に留まり、狙った虫、それ以外の虫、魚、鳥その他の生き物の脳や神経に影響を与える神経毒だ。この毒にあたると死に至ったり帰り道を忘れたりする。そう、ひと頃話題になった「ミツバチがいなくなる」農薬だ。欧州連合(EU)は以前からヒトの神経発達障害との関連可能性を発表していたがこの論文が決定打となり禁止へ歩を進めた。一般社団法人アクト・ビヨド・トラストのホームページに詳細がある。
 なのに日本はどうだ。国連は予防原則を基本とし、疑わしいうちは規制し生物多様性の保全を優先している。が。日本の政策担当者や公務員とマスコミは予防原則に不案内。子どもが危ないのだ。マスがダメならインディーズでと水野誠一日本文化デザインフォーラム(JIDF)理事長が自らのアーバンオーガニックラボでタブーなき報道を担う。近々デモクラTVとJIDFで両者のネオニコトークが実現する。(環境広告会社・サステナ代表)

 ついに恐れていたことが判明。しかも日本人が発見し発表。しかし、どこも、誰も取り上げない。この国は何処へ向かって進み、どんな国を子どもたちに残すのか不気味です。
 世界の各国はミツバチの減少と、ミツバチの異常行動の現象を受け止め、ネオニコチノイド系農薬の使用を規制、又は禁止していますが、日本では使用拡大に向かっています。
 住宅建材に相当量のネオニコチノイド系薬剤が使用されていることをご存知ですか。
 ニコチンもネオニコチノイドも『命』より『経済ファースト』ですか。


 銀座ミツバチプロジェクトとの出会いがあって直ぐに、食品用の乾燥機を製作しました。
 名称は『愛Bee』です。蜂(bee)から生まれたからですが、それだけではありません。藤原氏への取材で、ネオニコチノイドを知りました。恐ろしさを知りました。
 『愛Bee』では、白菜・ほうれん草・長ネギ・玉ネギ・大根・人参・生姜・椎茸、それに、りんご・柿・みかん・梨、などあらゆる農作物、果物を乾燥しました。
 すべての『命』を残して乾燥します。来所される人たちに食してもらいますが、皆が絶賛します。特に子どもたちに好評です。
 木は食べられないが、食べ物では、45℃で乾燥した『命』を舌で味わえることができます。
 『愛Bee』を設置したい人たちも多く来られましたが、未だに1台も出していません。
 設置先の条件を、ニホンミツバチが生息し飼われている地域に限定しているからです。
 安全なものでないと、乾燥してからでは洗えません。危険なものも凝縮します。
 安全なものづくりをしている地域かどうかは、ニホンミツバチが教えてくれます。
 銀座ミツバチプロジェクト理事長(現)の田中淳夫氏に現場検証をしていただきます。
 九州のある町からは、町興しとして『愛Bee』設置を熱心にアプローチしてきました。 しかし、どうしてもカメムシ対策に農(毒)薬が欠かせないのでと断念されました。
 また、九州で事業をされている方から設置依頼があったので、何を乾燥するのですかと聞くと、「りんごが美味しかったので、りんごを乾燥したい」私は即座に「乾燥するほどりんごが採れますか」と聞きました。すると「青森から買う」と。私は、あるデパートの話をしました。
 誰もが知っているデパートの食品課の元課長が自身の癌対策で、杉浴に通っていた際に、乾燥野菜の味を知り、彼から提供された野菜を乾燥。すると、食品課の部長とバイヤー2名を案内してきました。デパートの関与する場所に『愛Bee』を設置したいとのことでした。私は即座に断りました。安全なものづくりをしている地域に設置しますので、おたくの仕入れ先でそういうところがあれば設置を検討します。と言うと諦めて帰られたことを伝えました。
 土から『命』をつくっている所で『愛Bee』を活かして貰いたいのです。
 虫が食べたら死ぬお米を人に食べさせる。それを勧める組織や人たち、そのことに矛盾もコワサも考えられなっている大半の消費者にも問題があると思います。
 カメムシも食べる安全なお米『カメムシ認証米』として売り出したら安心して買います。
 『カメムシ認証米』を粉にする。ほうれん草粉と米粉・人参粉と米粉・椎茸粉と米粉等、夢が膨らみます。小麦アレルギーの、大勢の人たちが『米粉』で助かります。
 農家の方も命に悪い、孫たちを近づけない職場より、安全な職場が良いに決まっています。
 生産者も消費者の健康を害するものより、健康に良いものを作ることが気持良いでしょう。
 『愛Bee』は、人も、ミツバチも安心して住める場所が増える事を願って設置します。

睡眠環境3人の拘り
 人は、横になること、睡眠時に命の回復をします。寝室の空気が寿命を変えます。
@神奈川県 80歳 会社会長 N氏邸

 大きな2階建ての建物の1階を仕事場に使い。2階をご夫婦の住まいにされている、会社経営者の方が寝室内の全てを『愛工房』乾燥の杉板でリフォームされました。
 きっかけは、親しくしている新聞社の記者から、当社の木材乾燥装置『愛工房』のことを聞き、自分が長年世話になっているこの地域の山の木を活かしたいと来所、杉の部屋の空気を体感され、寝室のリフォームを決めました。今では、熟睡を得たと絶賛しています。
 ご夫婦で『杉浴』にも参加されます。この夏80歳になる会長、地域のための活動も忙しく、この先も元気に『はたらく』ことを楽しんでいただきたいと願っています。
 後日、『愛工房』の設置予定先へ伺いましたが、条件が合わず、現在、別の設置先を検討中です。先日電話で、オール『愛工房』の乾燥材で30坪ほどの建物を建てようかと思っていると言われました。『愛工房』を開発して良かった、幸せをいただきました。
A岐阜県 75歳 会社会長 M氏
 新築中の住宅の設計図を持って、その方は相談に来られました。住宅関連の仕事で2代目の方、3代目のご子息一家と同居する建物で、住宅としては大きな建物の図面でした。
 自分が使う寝室と隣室の和室については全てを『愛工房』乾燥材で仕上げたいとの意向。
 新築へ引っ越す前から使いたいからと、来所される前にベッドの注文を受け、送りました。
 ベッドを使用された結果、気持ち良く眠れると絶賛、寝室の仕上がりを楽しみにされています。隣室の和室の仏間の畳は、無農薬・無肥料栽培の畳表を使ってもらいました、押入れ、物入れの全てを『愛工房』乾燥杉材を使用。一般の新建材で仕上げるご子息の部屋との違い、孫たちの反応を楽しみだと、将来は孫たちのために床だけでも張り直すことになるのでは、と言われました。会社のこと、地域の役員などで忙しい、まだ、まだ、働き盛りの75歳。この夏きっと、素晴らしい寝室が出来上がります。
B東京都 80歳 W氏

 子どもたちもそれぞれが家庭を持ち夫婦2人の生活になるので、大きな家を手放して中古マンションを手に入れ、全室を『愛工房』木材でリフォーム。リフォームを終え新生活が始まった頃、ある冊子の取材がありました。夫妻の写真と誌面の真ん中の見出しには、
【愛工房リフォームで「熟睡」手に入れた】。談話の記事は「伊藤さんから、『人生で一番長い時間を費やす睡眠を大切にしてほしい、体は眠っていても、呼吸しているから、生きている木を使えば空気がきれいになって、細胞が活性化しますよ。寝ている間に健康になるか、寝ている間に健康を損なうかはWさん次第』と言われて、ベッドも愛工房の杉のべッドにしました。すると、本当によく眠れるし、体の調子もいい。空気ほど大切なものはないと言いますが、杉のベッドとカミさんが待っていると思うと、家に早く帰るようになり
ました(笑)」
とご主人。(冊子で紹介された一文です。)
 W氏30年来の盟友『禁煙ジャーナル』編集長 この夏80歳になる、渡辺文学氏です。
 たばこ問題に取り組んで40年、この人の活動でどれだけの人が助かったことか。私もその中の1人です。当社で働いた社員たち、微力ですか、高校・中学で私と出会った人たち。
 副流煙問題の原点として、40年近く前に起こした『嫌煙権訴訟』。やっと皆の目に耳に届くところまできました。これからです。皆で子どもたちにとって良い環境を選ぶべきです。
 皆さん、快適な睡眠環境で、人生の一番の贅沢、健康で長生きしてください。

 ものを作ることの目的は、作ることが目的ではなく、作ったものがどう使われるのか、作られたものを使ったことで人が幸せになること、これが目的だと思います。
 よいものとは、『命』に良いものです。
 どんなに儲かるものでも、『命』を損なうものは作るべきではないと思います。

 九州から地方の市長が来所、その際、『愛Bee』で乾燥した野菜や果物を試食されました。
 後日、市が支援している障がい者施設に、『愛Bee』を設置したいとの申し出があったので現地へ伺うと、2ヶ所の施設で多数の若い人たちが働いていました。
 管理者の方に、施設で生産している、『もの』と同種のものも含めて乾燥した商品を試食していただくと、皆さん、美味しさに感激していました。
 改めて市長の話を聞いて驚きました。農(毒)薬の空中散布をしているそうです。
 私は、設置を断りました。障がい者の施設も、支援も大切です。ただ、障がい者の出ないことが一番です。その努力をされている所にしか設置できないことを伝えました。障がい者の皆さんは一番の被害者です。ご家族も被害者、支援する市民、国民も被害者です。
 この周辺でニホンミツバチが生息し、飼われるようになったら設置させていただきます。と、話すと、市長は理解されました。その後、実現に向かって戦っているそうです。
 ニホンミツバチの棲む安全な場所として、安心して子どもを、産み、育ててください。
 そんな地域が増えること、それが、食品乾燥装置『愛Bee』を開発した目的です。

 私が、私利私欲だけで作っていたら木材乾燥装置『愛工房』は生まれていません。
 食品乾燥装置『愛Bee』も同じです。装置がどう使われるのか、装置をどう活かしてもらえるか、それが大切なのです。すると、その先の消費者に良いものが届けられます。
 『経済ファースト』から『命ファースト』へ、これが私の想いです。


 5月に紹介しました『 《木・呼吸・微生物》超先進文明の創造 自然共生のナチュラル・サイエンスへ』がヒカルランドから発刊されました。この本に寄せる私の想い。
 今、私たちは、子どもたちに何を残すのかを問われています。
 全ての、もの、ものごとは、命に良いか、悪いかで決めるべきです。
 命とは、人の命、地球の命、樹木は全ての命の源!
 木材乾燥「愛工房」は、木を生かすために産まれました。
 建物に使われる素材で人生が変わります。
 食べ物も大切、建物の空気はもっと大切です!


 どちらが幸せですか。
 嘘をつく人。騙す人。裏切る人。
 嘘をつかない人。騙さない人。裏切らない人。

 人生の最大の贅沢は健康で長生きすることです。それは、ストレスを溜めないこと。
 それには、三つのない。嘘をつかない。騙さない。裏切らない。それに、快適な睡眠、と、笑うことです。

 当コラムへの寄稿の機会を与えて頂きましたことを感謝いたします。

Profile: 伊藤 好則(いとう よしのり)

伊藤 好則さん(日本初、KES構法による国産材の木造4階建てビルをバックに。ビル外装の板は無塗装の杉無垢材「木造都市の夜明け」)
木製木材乾燥装置「愛工房」の発明者。
アイ・ケイ・ケイ株式会社代表取締役。

1941年 東京都杉並区に生まれる。
4歳を前に、強制疎開で母の郷里大分県日田市へ。
その後三重県松阪市へ移り終戦を迎え、父の郷里熊本市へ。
1956年 中学を卒業、即、職業安定所へ、魚市場の仲買に就職。
寮生活の必要に迫られ、半年で転職、製糸工場の工員となる。
1957年 大阪で丁稚修行。
1960年 一度目の上京。独立可能な仕事を求めて転職を重ね体調を崩す。
療養所行きを薦められるが無保険、帰郷療養を目的に有保険の
土木会社で肉体労働に就く、3か月後の検査で完治、目的を失う。
1961年 再出発先として、航空自衛隊入隊。
自衛隊生活3年間で身体を鍛える。航空機無線修理に就き知識技術を習得。
1965年 二度目の上京。現住所近くの、家電販売及び電気工事会社へ就職。
1970年 電気工事会社、アイ電機設備株式会社を設立。
1972年 大坂千日前デパート火災の原因が同業者のタバコの不始末と知り、断煙に挑戦。
1977年 卒煙。
1982年 社員へ非喫煙手当ての支給を開始。社員とタバコの戦い始まる。
1985年 たばこ問題情報センターの渡辺文学氏と出会う。そこで、船瀬俊介氏と出会う。
アイ・健康と環境を考える会を発足、環境問題・喫煙問題に取り組む。
44歳、子どもを授からないことを受け入れ、88歳まで働くことを決める。
1991年 全社員(20名)非喫煙会社実現。
1993年 埼玉県大宮市で開催された、第3回アジア太平洋たばこ対策会議において、「人財育成と職場の禁煙効果」を発表。
2000年 船瀬俊介 東京事務所開設
2001年 電気工事業を卒業。
アイ・健康と環境を考える会を、アイ・ケイ・ケイ株式会社とする。
2004年 木製木材乾燥装置「愛工房」を発明。
2015年 74歳、防火地域に、日本初KES構法による国産材の木造4階建てビルを建築。
93歳まで「はたらく」ことを決める。

★アイ・ケイ・ケイ株式会社HP: http://aikobo-ikk.com/
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2017.11.10:天(存在)の意思 (加瀬 恵の実(かせ えのみ))
2017.10.10:『救い』への道 (加瀬 恵の実(かせ えのみ))
2017.09.10:海底村〜ソマチッドに囲まれた生活 (田中 清一郎(たなか せいいちろう))
2017.08.10:ツキを呼ぶこと〜真の自由、幸せ (田中 清一郎(たなか せいいちろう))
2017.07.10:奇跡はこうやって起こる (田中 清一郎(たなか せいいちろう))
2017.06.10:贅沢と、三つのない (伊藤 好則(いとう よしのり))
2017.05.10:働く、と、はたらく (伊藤 好則(いとう よしのり))
2017.04.10:出会いと気づき (伊藤 好則(いとう よしのり))
2017.03.10:光冷暖への歩み6 (二枝 たかはる(ふたえだ たかはる))
2017.02.10:光冷暖への歩み5 (二枝 たかはる(ふたえだ たかはる))
2017.01.10:光冷暖への歩み4 (二枝 たかはる(ふたえだ たかはる))
2016.12.10:光冷暖への歩み3 (二枝 たかはる(ふたえだ たかはる))
2016.11.10:光冷暖への歩み2 (二枝 たかはる(ふたえだ たかはる))
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2012.12.10:地球生態系の循環を考慮した新しい社会構想を考える (木内 鶴彦(きうち つるひこ))
2012.11.10:現在の社会構造 (木内 鶴彦(きうち つるひこ))
2012.10.10:地球生態系の中の人類 (木内 鶴彦(きうち つるひこ))
2012.09.10:触ればわかる ― 触診 (森 美智代(もり みちよ))
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2012.07.10:少食は世界を1つに、地球を天国にする (森 美智代(もり みちよ))
2012.06.10:すべては心のウチに (近藤 洋一(こんどう よういち))
2012.05.10:体の中の森 (近藤 洋一(こんどう よういち))
2012.04.10:森林王国への道 (近藤 洋一(こんどう よういち))
2012.03.10:日本が誇る「メタマテリアル」技術! (清水 美裕(しみず よしひろ))
2012.02.10:過去は変わると知っていますか? (清水 美裕(しみず よしひろ))
2012.01.10:22世紀へ続く科学を求めて (清水 美裕(しみず よしひろ))
2011.12.10:医療における死生観 (池川 明(いけがわ あきら))
2011.11.10:胎内記憶 (池川 明(いけがわ あきら))
2011.10.10:赤ちゃんと会話しながらお産する(池川 明(いけがわ あきら))
2011.09.16:念ずれば花ひらく 〜「花ひらくまで念ずる」〜(平良 和枝(たいら かずえ))
2011.08.12:外と内の世界をつなぐ大切な“お口”〜KAZUデンタルのお口の中は小宇宙〜(平良 和枝(たいら かずえ))
2011.07.10:〜はじめまして〜(平良 和枝(たいら かずえ))
2011.06.10 :EMによる原子力発電所における高濃度放射能汚染対策と使用済燃料の高度利用の可能性について
〜放射能対策に関するEM(有用微生物群)の可能性B〜(比嘉 照夫(ひが てるお))

2011.05.10:EMによる地域全体の放射能汚染対策
〜放射能対策に関するEM(有用微生物群)の可能性A〜(比嘉 照夫(ひが てるお))

2011.04.11:EMによる被曝対策
〜放射能対策に関するEM(有用微生物群)の可能性〜(比嘉 照夫(ひが てるお))

2011.03.10:発明と愛は脳が喜ぶ(矢山 利彦(ややま としひこ))
2011.02.10:船井理論は頭をよくする(矢山 利彦(ややま としひこ))
2011.01.01:脳、気功、武道、クオンタムシフト(矢山 利彦(ややま としひこ))
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